Keep The Faith:3
第26話 ◆ Marry Me?(1)

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 太陽の光の中で、君に告白をしよう。
 愛していると、ずっと側にいたいのだと。
 君は白い花束を手にして、僕を抱きしめてくれるだろう。
 



 駅前の大通りに面した花屋「フラワーショップan」の開店時間は早い。ましてや、クリスマス・イヴという絶好の稼ぎ時の今日、店長の安藤尚樹は、朝から予約の花束を作る作業に追われていた。
 しゅるしゅると淡いラベンダー色のリボンを手に取りアレンジしていると、店員が彼を呼んだ。
「てーんちょー、お客様でーす」
 安藤が顔を向けると、店の入り口で、黒いコートを纏った日崎が軽く手を上げた。
「ザキ!」
 弾んだ声を上げた安藤は、手際良く花束にリボンを結ぶと、待っていた客に笑顔で手渡した。お辞儀をして客を見送り、改めて日崎に歩み寄る。
「店に来るなんて珍しいな。彼女に花束のプレゼントか?」
 安藤はニヤリと笑った。井上の結婚式のとき、日崎が恋人はいないと言っていたのを知っていての発言だった。
「いや……何て言ったらいいかな」
 日崎は言葉に迷いながら、しばらく色とりどりの花を見ていたが、諦めたように照れた笑顔を浮かべた。
「安藤、俺、今からプロポーズしに行くんだよ。その為の花束を買いに来たんだ」
 安藤はきょとんとした顔をして、しばらく日崎のニコニコとした笑顔を見つめていた。
「……マジで?」
「マジで。一時間後に彼女を迎えに行く。昨日、一回プロポーズしたんだけどさ、花束持ってもう一回来いって言われて、今からリベンジ」
「勝算は?」
「お前の作る花束にかかってる、かな」
 唖然としていた安藤は、その一言でシャキっと顔を引き締めた。プロの表情を浮かべて、顎に手を当て、店内に並べられた様々な花たちをぐるっと見渡した。
「ベーシックなのは、赤い薔薇だけど……どういう感じの人なんだ?」
「赤い薔薇って感じじゃないな。格好いい女性だけど、本質は可愛らしいんだ。派手じゃないほうがいい」
「凛としたイメージで、なおかつ可憐、ねぇ……白なんかどうだ?」
 安藤が示したのは、ころりとした可愛らしい花がいくつも付いている薔薇だった。黄緑がかった蕾も愛らしい。
「この薔薇にグリーンとか、黄緑のかすみ草あわせると、粋なのに清楚なんだよ」
「……薔薇って、こんなに種類があるんだな」
「そりゃそうさ、どれだけ品種改良されてるか。これ、可愛らしいだろ。スプレーウイットって言うんだ」
 安藤は話しながらも、店内を歩き回って、その薔薇に合いそうな花やグリーンを数種類抜き取ってきた。鮮やかに組み合わせ、日崎の前で、足したり引いたりをくり返す。日崎は印象を変える花たちに感嘆しつつ、アレンジは安藤に任せて、しばらく店内で時間をつぶした。
 出来上がった花束は、スプレーウイットの周囲や合間からバランスよくグリーンの葉が絡み、ところどころに小さな薄紅色のトルコ桔梗がアクセントを添えていた。白とピンクの細いリボンを重ねてラッピングされ、日崎の腕に収まった。
「頑張れよ。結果、知らせろよな!」
 車に乗り込んだ日崎に、安藤は励ましの声を掛けた。日崎はウィンドウを下げて、ポインセチアの鉢を従えた安藤に優しい目を向けた。
「ありがとう。結婚式のブーケも、絶対お前に頼むから」
 安藤は去っていく黒いインプレッサを見つめ、今年も恋人のいないクリスマスを迎えた自分を思って軽く溜息をついたが、新しく訪れた客に向かってサッと笑顔を向けた。
「いらっしゃいませー!」
 働き者の花屋店長の春は、きっと近い。



 午前10時15分。
 日崎が病院の駐車場に車を滑り込ませると、タイミングよく助手席に投げていた携帯電話が震え始めた。母親からだった。サイドブレーキを引き、エンジンを止めて通話ボタンを押す。
『あ、和人? 何時頃に着きそうなの。もう、お寿司届けてもらってもいいかしら』
「……慌てなくても、昼過ぎくらいになると思うよ。お願いだから、落ち着いてて」
『でもねぇ、いろいろ考えちゃって。お母さん、スーツとか着た方がいい?』
「 ――― 昨日話した通り、普通でいい。結納交わすわけでもないし、変に仰々しくしないでよ、いいね!?」
 まだ何か話している母親を無視して、日崎はブツッと電源を切った。昨日から携帯が鳴りっぱなしだ。まあ、突然「近々結婚するから」なんて周りに告げれば、多少の混乱は仕方ない。
(それにしても、昨日は忙しかったな)
 日崎は、昨日の夕方から今朝の出来事を思い返すと、それだけで笑いそうになった。



 あの後、松波と二人で神代の入院準備を整え、駆けつけた日向と入れ替わりに日崎が病院を出たのは、更に一時間後の16時半だった。日崎はタクシーに乗り込み、事務所に向かいながら、携帯電話の電源を入れた。16時に鈴子が永眠する場所へ赴く予定だった彼の携帯には、母と辻と矢野からのメールが届いていた。不在着信も連なっていて、彼は疲れた顔で息を吐いた。
 とり急ぎ母親に連絡を入れると、予想通り、何かあったのではないかと心配していた。
「同僚が交通事故に遭って、今まで病院にいたんだ」
 後から一人で墓参りに行くから先に帰っていい、と伝えて、とりあえず電話を切った。夜は辻親子と共に、日崎の実家に泊まる予定だったので、神代のことを話すには好都合だった。
 事務所に戻れば戻ったで、神代の状態はどうなんだ、どんな事故だったんだ、病気に影響は無いのかと周囲から質問攻めで、残りの仕事を片付けるどころではなかった。
「明後日はちゃんと出てきますよ。打撲だけだから」
 何度そう答えたかわからない。
 神代が向かう予定だった客先には、榊が連絡を取って中村という営業を行かせていた。フォローは万全だ。日崎は残りの仕事を持ち帰ることにして、ノートパソコンを脇に抱え席を立った。
「日崎さん!」
 オフィスを出ようとしたところで、熊谷に腕を掴まれた。そのまま給湯室まで引っ張って連れて行かれた。
「……お腹の赤ちゃん、大丈夫だったんですか?」
 熊谷の不安に満ちた小さな声で尋ねられ、日崎はようやく、昼間熊谷が言いかけたことを悟った。彼女は神代の体の変化に気付いていたのだ。
「無事だったよ。今四ヶ月だって」
「よかった」
 顔を綻ばせた熊谷に、日崎はふと思いついて質問してみた。
「……ちょっと訊きたいんだけど、やっぱりプロポーズに花束持参って、女性にとっては当然なの?」
「プロポーズ!?」
「誰が誰にっ!?」
 熊谷の声に、男の声が重なった。思わず会話に割り込んだのは、給湯室の入り口でつい立ち聞きしてしまった榊だった。熊谷に話し掛けるタイミングを計り損ねていたらしい。
「……や、聞くつもりはなかったんだ、ゴメン」
 日崎は、この二人なら話しても大丈夫と考え、自分を指差した。いずれわかることだ。
「俺が、神代さんに。まだ内緒にしておいて下さいね」
「……いつの間にそんなことに……って、え? じゃあ子供の父親って」
 驚きを隠せないまま、熊谷は小声でつぶやき、ゆっくりと視線を日崎に戻した。日崎は意味深な微笑みで応えて、じゃあ急ぐから、と有無を言わせぬ態度で、今度こそ事務所を後にした。
 残された榊と熊谷は、衝撃的な告白に顔を見合わせて「うわぁ」と小さく叫んだ。

 鈴子が眠る霊園に着いたときには、冬の太陽が水平線に姿を隠そうとしていた。誰もいないだろうと思っていたのに、意外なことに矢野が一人で日崎を待っていた。
「矢野さん、どうして」
「あー? だって寂しいだろ、一人だと。タバコも吸いたかったし」
 人気の無い駐車場で一人待っていた矢野の方が寂しく見えたが、日崎は矢野の心遣いを嬉しく思った。
「辻は?」
「辻も真琴さんも、日崎ンちの車で一緒に帰ったよ。俺はこのままウチに帰るだけだから」
 二人で並んで広い霊園内を歩いた。矢野が咥えた煙草の先が、薄暗い闇の中で時折赤く光っていた。煙が、風に白く流れる。
「時間が過ぎるのは、早いな」
「ええ、早いですね」
 鈴子の墓には、たくさんの花が供えられていた。日崎は小さなテディベアをその間に置いた。彼の中で、妹はいつまで経っても14歳のまま、ずっと少女のままだ。生きていれば、ぬいぐるみよりも本が欲しいと言っただろうか。
 冷たい風に撫でられる墓石の表面にじっと視線を注ぐ日崎の背中に、矢野は静かに話し掛けた。
「……お前、大丈夫なのか」
 日崎は黙っていた。空は急速に夜へと姿を変え、お互いの些細な仕草も、表情も読めなかった。
「辻が心配してる。また、いろいろ抱え込んでるんじゃないのか」
 日崎は矢野に背中を向けたまま、穏やかに目を閉じた。自然に笑顔になる。矢野にしろ辻にしろ、気にしていないようで、いつも気遣ってくれている。本当の家族のように。誰もが日崎を「優しい」と評するけれど、その気質を育んだのは彼の周囲の人々の温かさだった。
「もう大丈夫です、全部解決しましたから」
 日崎は振り返って、矢野と顔を合わせた。彼はコートのポケットに両手を突っ込んで、寒そうに首をすくめていた。帰りましょうか、と日崎はゆっくり歩き出した。矢野が前を歩く。
「……自分が父親になるって、想像したことありますか」
「何言い出すんだよ、急に。
 まぁ、昔は考えたよ。トーコと婚約した頃……子供は何人とか、名前とか。今は無理だな、辻一人で手一杯」
 あれはあれでワガママだから、と矢野は軽く笑ったが、その声には愛しさが滲んでいた。
「これから親に話すんですが ――― 矢野さん、俺、結婚しようと思ってるんです」
 さすがに足を止めて、矢野が振り向いた。続けて、日崎は小さな声で付け足した。
「夏には、父親になるんです」
 ぽろりと矢野の口から煙草が落ちた。闇に慣れた日崎の目には、信じられない、と言わんばかりの矢野の表情がはっきり見えた。
「……日崎クン、じっくり話を聞かせてもらおうか」
 眼鏡の奥をきらりと光らせて、矢野は日崎の肩を、がしっと抱いた。結局、矢野もそのまま日崎の実家に向かったのだった。


04.07.08

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