Keep The Faith:3
第27話 ◆ Marry Me?(2)

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 日崎の実家に着いてからも、また一騒動だった。
「事故に遭った人、大丈夫だったの?」
 帰るなり、母親が心配そうに尋ねてきた。やはり、交通事故と聞くと鈴子のことを思い出して、不安になるのだろう。日崎はコートを脱ぎながら、安心させるように頷いた。
「大したことなかったよ。肩と腕の打撲」
 矢野と二人で上がりこむと、居間でお茶を飲んでいた辻が驚いて声を上げた。
「えっ、矢野さん!? どうして来たの」
「日崎クンからー、大事な話があるって言われてー」
 秘密を先に知った矢野は、棒読みでそう答えて、辻の隣に腰を下ろした。辻と、辻の向かいに座っていた真琴は、よく似た声で「大事な話?」とつぶやいて、訝しげな顔をした。日崎は目線だけで矢野にフライングを警告すると、台所に入って、仲良く料理の盛り付けをしている両親に話し掛けた。
「……今日はまた、豪華だね」
「真咲ちゃんの合格祝いも兼ねてるからよ」
 フルーツの飾り切りをしている母の声に、日崎は、あっ、と思った。今日は辻の二次試験の合格発表だったのだ。こんな大事なことを忘れていたなんて。
「辻! 遅れてゴメン、合格おめでとう」
 すぐさま居間に戻って言うと、辻は得意そうに上目遣いで日崎を見上げて、パールピンクの唇の端をちょこっと持ち上げた。
「ありがとう。約束通り、みんなでスノボ行こうね!」
 日崎は即答できなかった。以前から、辻の受験が終わったら、矢野と辻と、都合がよければ真琴も一緒にスーノーボードをしに行こうと話していたのだった。辻は今日から冬休みに入っているし、この年末年始なら、四人で行ける……はずだった。
「……俺は、行けないと思う」
「 ――― 仕事が忙しいから? 真咲から聞いたけど、少しオーバーワークなんじゃない? 気分転換も必要よ」
 真琴のアドバイスに頷きながらも、日崎は曖昧な笑顔を浮かべて、もう一度台所に戻った。神代のことを、まずは両親に報告しようと思ったのだ。が、
「和人、運んでくれ」
 アボガドのサラダをガラスの器に盛り付けた父親に言われ、日崎は大きなトレイにサラダと食器類を載せ、また居間へ。辻たちも料理を運ぶのを手伝い、準備はすぐに終わって、日崎は話すタイミングを失った。
 その後、総勢六名が居間のローテーブルを囲んで腰を下ろし、全員のグラスに飲み物が注がれたところで、日崎の父が挨拶をした。
「今日は、鈴子の命日にこうして集まってもらって、たいへん感謝しています。四年が経ちましたが、年に一度、鈴子を思い出して楽しく話す場があることを嬉しく思います。
 ま、固い話はこれぐらいにして、真咲ちゃん、合格おめでとう!」
 パチパチと拍手が響いて、辻がぺこりと頭を下げた。矢野と顔を見合わせて、嬉しそうに顔を赤らめている。日崎は、辻も真琴も、自分にとっては家族同然の存在なのだと、改めて思った。
「……話があるんだけど」
 日崎はいつもと変わらない口調でそう切り出した。
「なぁに、改まって。結婚でもするの?」
 母親がビールのグラスに手を掛けたまま、日崎を見た。彼女は常々、日崎に恋人の気配がないことを心配していたので、あくまで軽い冗談だったのだが ――― 日崎が頷いたのを見て、軽く目を見開いた。その場にいた全員の視線が、日崎に集まった。
「相手は、今日事故に遭った同じ会社の人で ――― 急なんだけど、すぐにでも入籍したいと思ってる。彼女、いま妊娠四ヶ月なんだ」
 驚いた顔で、食い入るように自分を見つめる辻の気持ちが痛いほどわかった。失恋したと告げたのは、ついこの前なのだ。辻にしてみれば、信じられない話だろう。
「……報告なんだろ」
 日崎の父は、そう言って、クッと笑った。
「お前のことだから、もう決めたことを、報告してるだけだろ。そうか、そういう人がいたのか。今日は吉報が重なるなぁ」
 ははは、と朗らかに笑う父親の隣で、母親がシャキッと表情を引き締めた。
「向こうのご両親には、もうご挨拶したの?」
 母親という存在は、いつだって現実的だ。
「まだ。というより、何もまだ決まってないんだ。彼女の了解が得られれば、明日の午後、ウチに連れてこようと思ってる」
 それがいい、と意見がまとまり、あっさりと乾杯して、たちまち賑やかになった。真琴が、優しく目を細めて日崎のグラスにビールを注いだ。
「おめでとう。和人君が、できちゃった結婚するなんて、思ってもみなかったわ」
「自分でも、予想外です。全く後悔はしてませんけどね」
 話しながら、日崎は辻に目を向けたが、久しぶりに会った日崎の両親と楽しげに話していた。さっき一瞬見せたきつい眼差しが嘘のような笑顔だった。そのとき、日崎の携帯が鳴った。画面に表示された文字は『公衆電話』。病院にいる神代からに違いなかった。席を立って、通話ボタンを押した。

『日崎? ごめんね、急に』
 控えめな声にも、つい喜んでしまう。日崎は二階へと続く階段の途中に腰を下ろして、ゆっくりと神代の声を聞いた。
「構いませんよ、どうしたんです?」
 神代は、精密検査の結果も異常無しだったと言った。
『もう早く帰りたくて。明日、10時半に迎えにきてくれる? あと、悪いんだけど、ウチのマンション行って、ネロにご飯あげて欲しいの。ダメかな』
 神代のマンションの合鍵は、松波から日崎へと手渡されていた。ちなみに、松波が神代の合鍵をまだ持っていたのは、妊娠中の彼女の体に異変があったとき、すぐに駆けつける為だった。一人暮らしの人間にとって、体調を崩したときに来てくれる人がいるのといないのとでは、天国と地獄ほどの差がある。
「構いませんよ。夜中になるかもしれませんが、ちゃんとご飯あげておきます」
 なんだか名残惜しくて、二人とも用件を伝え終わっても電話を切れずにいた。
「……神代さん、明日、ウチでクリスマスパーティするんです。来ませんか。俺の家族にも会って欲しいし」
『楽しそうね、連れて行って。でも、夜はちゃんと二人きりでなきゃ嫌よ?』
「もちろん」
 おやすみなさい、と電話を切って、日崎は驚いた。階段の下に、辻が思いつめた顔をして立っていたからだ。
「……どうした?」
 日崎が下りて行って頭を撫でると、辻は彼のシャツの袖をきゅっと握って、胸に額を押し付けた。いつにない甘えた仕種だった。
「和人さん、私に嘘ついたの? 前、失恋したって言ってたのに、その人と結婚するんでしょう。なんで? 和人さんをあんな風に苦しめた人なのに」
 確かに、悲しい思いも辛い思いもした。だが、その痛みさえも、彼女との絆を深く強くする為に必然だったと、今は思える。あのとき諦めてしまわなくてよかった。
「 ――― 辻はどうだった? 矢野さんに片思いしてたとき、いくら辛くても、矢野さんを嫌いにはなれなかっただろう」
 辻は浅く頷いて、顔を上げた。じわりと滲んだ涙が、日崎にも見えた。
「……私が卒業する前に、行っちゃうの? もう和人さんとは暮らせなくなる、ね」
「うん……そうだな。今から話し合うことだけど、きっとそうなる。でも、辻と俺の関係が変わるわけじゃないだろ」
 辻は黙っていた。日崎の顔を見上げて、唇を噛んで、声に出さずに切なさを訴えた。日崎は何も言えなくて、抱きしめて辻の頭をただ撫でた。寂しく思う気持ちは同じだ。
 目を伏せた日崎の耳に、カタンという音が届いた。不意に居間に続く扉が開き、出てきたのは矢野だった。日崎と視線を合わせ、その腕の中に辻がいるのを見て、一気に表情を険しくさせた。
「辻」
 矢野に呼ばれても、辻は日崎から離れなかった。それどころか、尚更日崎に体を押し付けた。矢野は不敵に笑うと、二人に近づいて、辻の肩に手を掛けた。
「お前ね、拗ねるのもいい加減にしろよ。寂しいのはわかるけど、おめでとうくらい言えるだろ。いつまで抱き合って……っ」
 パチンと音がして、矢野の言葉が途切れた。辻が矢野の手を払いのけたのだ。
 辻は、日崎から離れて矢野の正面に立った。紅潮した頬に一筋涙が流れた。
「矢野さん、知ってたんでしょう!? 結婚するって聞いても、全然驚いてなかったもの。ひどい、私が和人さんのことで悩んでたの知ってて、黙ってたなんて! 嘘つきッ!」
 怒りに震える声で言い放ち、辻は長い髪を翻して、階段を駆け上がった。二階には、今は使われていない子供部屋がある。そのどちらかに入ったのだろう、バタンと荒々しいドアの音が響いた。
 矢野は階段を一段上って上を窺うと、はあ、とあからさまに溜息をついた。眼鏡を外して目頭を押さえる。
「……なんで俺が嘘つき呼ばわりされるんだよ。お姫サマ、誤解して拗ねたぞ」
「一人でどうにかして下さい。俺は用事ありますから」
 日崎は冷ややかに告げると、ポケットから車の鍵を取り出した。金属が擦れる澄んだ音がした。
「……冷たいヤツ。辻が拗ねてる理由、わかってんだろ? お前と離れるのが辛いんだよ。だから混乱して、らしくない幼い言動してるんだ。日崎が行って話をすべきだ」
「正論ですが、ダメです。俺は予定より早く辻と離れて暮らすことになる。泣こうが喚こうが、譲れません」
「……ドライな意見だな。結局二者択一だ、辻か恋人か」
 矢野らしい皮肉に、日崎は笑顔で応えた。
「だから」
 日崎は矢野と同じ段に立つと、矢野の目をじっと見た。
「 ――― だから、矢野さんが辻の側にいて下さい。これから辻を一番支えられる場所にいるのは、矢野さんなんですから」
 日崎が顔の横に上げた右手に、ニヤリと笑った矢野の右手が勢いよく重なった。パン、とハイタッチの音を響かせて、矢野は階段を上っていった。日崎は居間に顔を出して、昔話に花を咲かせている親世代三人に、外出する旨を伝えた。まだアルコールを口にしていない、今のうちに行かなければ、タクシーを呼ぶことになる。
 冬の星座に見守られながら、インプレッサは軽快なスピードで日崎家を離れた。

 神代の部屋の玄関を開けると、主のいない部屋で、か細い猫の声が聞こえた。
「ネロ」
 日崎が呼ぶと、部屋の奥からトタッと着地の音をさせて、黒猫が飛び出してきた。すりすりと日崎の手に鼻先を擦りつけて甘えた。
「お腹空いただろ、遅くなってゴメン」
 神代から教えてもらった通り、水を換えて餌をやると、気持ちのいい食べっぷりを見せた。日崎は、光沢のある毛並みを眺めつつ、とりあえずは、このマンションで暮らすことになるかもしれない、と考えていた。
 これから話すことはいくらでもある。子供のこと、入籍のこと、結婚式、住む場所、車……考えていけばキリがない。辻の涙を思い出した。日崎は現況、辻の保護者代理兼同居人なので、真琴とも相談しなければならない。しばらくは、今辻と住んでいるマンションと、この部屋とを行ったり来たりする二重生活になるだろう。
「これから、ヨロシクな」
 満腹になって顔を洗っていた黒猫は、差し出された日崎の指先をぺろりと舐めた。



 日崎が腕時計に目を落とすと、約束の時間がすぐそこだった。回想を打ち切り、車を下りた。日崎が病室に赴くと、神代はきちんと身だしなみを整えて、ベッドに腰掛けていた。
「おっそーい!」
「遅れましたか?」
 日崎の腕時計も、神代の病室に置かれた時計も、10時半の待ち合わせ時刻ぴったりだった。
「……待ってると、時間は長く感じられるものよ」
 ぷいと顔を背けた神代の耳が、かすかに赤く染まっていた。日崎は、可愛らしい拗ね方をする、と思ったが、言えば怒るとわかっていたので口にしなかった。
「待たせてすいませんでした」
 日崎がわずかな荷物を持って先に車に向かい、神代は看護婦にお礼の挨拶をしてから、正面玄関に回されたインプレッサに歩み寄っていった。日崎は車の運転席側に立ち、神代を待っていた。車の後部座席に、白い花束を隠して。

 助手席に神代を乗せると、インプレッサは滑らかに走り出した。一度神代の自宅に戻る予定なのに、車は道を逸れて、神代の知らない路地へと入り込んだ。
「どこへ行くの?」
「さあ」
 神代の問いをはぐらかし、日崎はかすかに唇の端を上げた。楽しげな横顔に、神代はそれ以上追及するのを諦めた。車はそのまま、ゆるい上り坂を走り続けた。

 たどり着いた丘の上にあったのは、クラシックな教会だった。開け放した扉から、オルガンの音色が流れ出していた。神代は車を降りて、その小さな教会を見上げた。色紙や画用紙で飾り付けられた窓際で、小さな子供たちが遊んでいるのが見えた。
「綾さん」
 名前を呼ばれて、神代は振りかえった。日崎が車を回り込んで、ゆっくり近づいてきた。彼の向こうに、海が広がっていた。優しい空の色を映した冬の海。白い薔薇は、彼の腕の中でささやかに揺れていた。柔らかな花びらを、冬の透き通った日差しに輝かせて。

「結婚しましょう」

 彼らしい、静かな言い方だった。それはもう返事の必要な問いではなく、確認だった。結婚しましょう。ずっと一緒にいたいから。
 花束を受け取った神代は、甘い薔薇の香りにとろけそうになりながら、日崎の顔を見上げた。
(薔薇の花束持って、海の見える教会で……このシチェーション、考えたのかな。教会捜すの、大変じゃなかった?)
「二回目は合格ですか」
 神代は、ぎゅっと目を閉じ、喜びを抑えようとしたが、我慢できずに、ふわあっと大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべた。白い息が日の光の中で溶けていく。
 頭の先からつま先まで、こんなにも喜びに満たされることがあるのだと初めて知った。これまでの辛かった出来事も涙も、何もかも消えていく。光に満たされる。神代はつま先立って、日崎にキスをした。
「合格! 大好きよ、日崎」
 そのまま、そうっと体を寄せてきた神代を、日崎は我慢できずに引き寄せて、抱きしめた。花束が潰れちゃう、と神代が笑った。
 雲間から差し込む冬の太陽が、二人に降り注いで祝福を贈った。

 幸せになろう、二人で一緒に ――― ずっと。



 一ヶ月後、神代は結婚式の写真を二枚、実家に送った。日崎と二人で写っているウェディングドレス姿の写真と、参列者全員で無理矢理フレームに納まっている、賑やかな集合写真。神代は口を開けて笑っていた。
 一枚だけ同封した便箋には、結婚したこと、夏に子供が生まれること、とても幸せだということを、短く記した。

 その二日後、電話が掛かってきた。親子は十年ぶりに、互いの声を聞いた。
 神代が泣きそうな声で「おかあさん」と呼びかけ微笑むその隣で、日崎は肩を寄せて、彼女の手を握っていた。
 早咲きの梅の香りが、春の到来を告げていた。


(Marry Me?/END)
04.07.11

〜Keep The Faith:3 END〜

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