Keep The Faith:2
第13話 ◆ 罪と罰(4)

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 辻の部屋に入った空と清水が真っ先に目を止めたのは、机に飾られた一枚の写真だった。
 真っ青な空と海の間で、今より幼い辻と北沢にはさまれた少女が、口を大きく開けて笑っていた。
「その子が、鈴子。可愛いでしょう?」
 紅茶のポットとチョコレートを載せたトレーを手に、辻が部屋に入ってきた。パジャマ姿でにっこりと笑いかける辻に、学校で見るような近づき難い雰囲気はなく、空と清水もすっかりリラックスしていた。まだ話し足りなくて、敷かれた布団の上に座り込んで、深夜のティータイムが始まる。
「うん、可愛い。それに北沢も可愛い! これ、何歳のとき?」
 空は、はじめて見る中学時代の北沢の幼い顔立ちに見入っている。
「中学二年のとき。和人さんと鈴と、北沢と私、四人で海に行ったときの写真」
「辻さん、全然雰囲気違うね、なんかボーイッシュ」
「その頃は陸上一筋だったから」
 明るく笑う辻の足に、一筋赤い傷跡が走っているのを清水は知っていた。さっき、一緒に入浴したときに見たからだ。いつもは目立たないけれど、お風呂に入ったときや運動したときにうっすら浮かぶと、辻は苦笑していた。

「 ――― 鈴子さん、どうして亡くなったの?」
 清水の問いに、辻は温かな紅茶を一口啜り、寂しげに微笑んだ
「事故で。その日のことは覚えてないけど……一緒にいたのに、私だけ助かって、鈴はダメだった。もう少ししたら命日なの。クリスマス・イヴの前日」
「そっか……」
「うん。正直、私だけ生きててどうなるのって思った。鈴がいなきゃ意味がない、って。その頃、一番私を支えてくれたのが北沢なんだよ。その後もずっと。
 だから、鈴木さんが北沢と私の間に口を挟んできたときに、怒ったの」
 辻が悪戯っぽく笑ったので、空も笑った。空から全部聞いていた清水も、すごかったらしいねぇ、とからかう。そのときのことを思い出して、空は溜息をついて俯いた。
「でも、辻さんから言われた通りになっちゃったよ。
 私、北沢に告白したの。『私じゃダメ?』って。でも結局、余計なこと言って傷つけて ――― 友達としてもいらないって、言われちゃった……」
 空の顎から涙の滴が落ちて、紅茶の表面に波紋を作った。
「空」
 急に泣き出した空の背中を清水の手がそっと撫でた。
「北沢に謝りたいけど、会ってもくれない。どうすればいいのか、全然わからない。
 どうしたら忘れられるの、私が馬鹿なだけかな。辻さんだったら、どうする……?」
「私は、忘れないわ。忘れようとしても無理なら、忘れないし、諦めない ――― 実際、諦められなかったし。振り向く可能性がない人を想うのって、辛いね」
 辻でもそんなことがあったのかと、空は涙を拭った。近くで見ると、辻はやはり綺麗だった。黒絹のような髪も、ながい睫に彩られた強い眼差しも。
 落ちてくる髪を耳に掛け、辻は照れたように笑った。
「私が好きになったとき、矢野さん婚約してたの。諦めようとしても駄目だった。だから、矢野さんに気付かれないように注意して、片思いするって決めたんだ。結果的には知られたけどね」
 言葉を区切って、辻は真顔になった。じっと空を見つめる。空は、深い辻の瞳に心の底まで見透かされるような気がした。いつかの矢野に感じたのと同じように。

「鈴木さん、北沢に謝りたいのよね?」
 空は一拍遅れて頷いた。
「そんなこと、簡単よ。とことん嫌われてるなら、いまさら北沢が嫌がっても気にせず会いにいけばいい。他の生徒がいるところで事を荒立てるようなこと、彼はしないよ」
「でも」
「一番したいことは何。北沢に、傷つけたことを謝りたいの? それとも、ただの自己満足?」
 自分が一番望んでいることは、何か。そんなことは、空自身痛いほどわかっていた。
「 ――― 北沢に許して欲しい……また、北沢と話したいの」
(空、って。あの深い低い声で呼んで欲しい。あの大きな手の平で髪を撫でて欲しい。
もう一度、北沢の側に行きたいよ)
 空は祈りの形に指を組んで、膝の上に置いた。辻は、指が白くなるほど強く組まれた空のその手をじっと見た。ぽつりとつぶやく。
「鈴木さんと北沢って、やっぱり合わない」
 今更の決定的な一言に、空はますます目を潤ませ、清水は視線だけで辻を非難した。
「でもね」
 構わずに辻は言葉を続ける。
「北沢、一年のときから鈴木さんと仲よかったでしょう、ずっと。それは、北沢があなたの何かを認めているからだと思う。口うるさいだけの軽薄な女だったら、彼は見向きもしないよ。
 相性が悪くても恋に落ちるなんて、よくあることよ。感情は理性を越えるものだから。それに、北沢はそこまで冷徹な人間じゃない。たとえ口で何て言ったって、非道にはなれないの……結局、優しいもの」

 そのとき、辻の声を遮るように、ノックの音が響いた。辻の返事を待って、開いたドアから矢野が顔を覗かせた。
「お前ら、もう寝ろよ。鈴木の体調もよくないんだろ」
 修学旅行の引率教師のようだが、やはりそれだけで顔を見せたわけではないようで、一瞬辻と視線を絡ませた。
「 ――― おやすみ」
「うん、おやすみ」
 辻も甘く囁いて、手を上げる。パタンと閉まったドアを名残惜しく見つめる辻の横顔は、幸せそうに微笑んでいて、頬もほんのり紅い。
「……結構、らぶらぶ?」
「うん」
 恥ずかしげもなく辻が頷いたので、聞いた清水のほうが照れてしまった。嬉しそうな辻に、空もつい笑いが零れた。
「まず北沢に会わないと始まらないよ。怖がらずに、行動あるのみじゃないかな」
 思いもかけない辻の言葉に、空は驚いたけれど、嬉しくてにこりと笑った。
「うん、わかった。ねぇ、私のことは空でいいよ。ありがと……泊めてくれて、いろいろ話してくれて。ちょっと落ち着いた」
「あ、私も千佳でいい。名字で呼ばれるの慣れてなくて」
 辻は少し考え込んで、ふわりと花が開くように笑った。
「 ――― じゃあ、私のことも真咲って呼んでくれる?」
 かつての親友と同じように。

 翌朝、辻を名前で呼ぶ二人に対して、俺だってまだ名前で呼んでないのに! と矢野が密かに嫉妬したのは、ここだけの話。



 毎年のように、冬が来るたび「暖冬」だと言われているけれど、寒いものは寒い。

 遠山隆之は、風に攫われそうなマフラーを片手で押さえ、首をすくめながら校門を潜った。12月初日。遥か頭上には薄い灰色の雲が広がっていた。
 いつもは時間ギリギリで登校してくる遠山だが、今日から期末考査なので、北沢のノート目当てに早く学校に来ていた。そのおかげで珍しい光景を目にすることになった。
 遠山の前方を歩いているのは、白いコートに定番のグレーのバーバリーのマフラーを合わせた、ありがちなファッションの女子生徒だった。けれど、すらりと伸びた背筋と、肩甲骨まで伸びた真っ直ぐな黒髪ですぐに辻真咲だとわかった。遠山が驚いたのは、その隣によく知っている人物が歩いていたからだ。辻より一回り小さな体と、肩についてちょこんと外に跳ねた茶色の髪。
(……空!? アイツ、辻さんとは険悪だったのに、なんで仲良く一緒に登校してんだ?)
 疑問に思いつつ、遠山は三年一組の教室へと向かった。既に来ていた北沢は、足元に鞄を置いたまま、廊下で三組の秋津と話していた。遠山は自分の机に鞄を投げるように置くと、すぐに廊下に戻った。北沢はすぐに気付いて、苦笑を浮かべて遠山を見下ろす。
「 ――― 遠山、またノート狙ってるだろ」
「当たり。それより、今珍しいモン見たよ。空と辻さんが並んで歩いててさー。女ってわかんないよなぁ、あれだけケンカしておいて、どうして今更仲良くできるんだか」
 夏の修羅場に居合わせた遠山としては、理解し難いものがあったが、北沢は関心無さそうに軽く頷いただけだった。
「……なぁ、北沢、まだ空と仲直りしねーの? ちょっと頑固過ぎない?」
「くどい」
 遠山からの何度目かわからない言葉を、北沢は一言で却下した。
「やっぱり、空がいないと調子狂う」
「おまえが会いにいけばいいだろ」
 その突き放した言い方に腹をたて、遠山は眉間に皺を寄せて北沢を睨んだ。
「薄情なヤツ! ……まあ、いいや。それは置いておいて、ノート見せて」
 手の平を返したような遠山の明るい声に、北沢は呆れて溜息をついた。
「 ――― お前にプライドはないのか」
「勉強に関してはナイ。できることなら、冬休み中、北沢に家庭教師頼みたいくらい」
「悪いけど、他人の勉強見る余裕は俺にもないよ」
 半分本気だった遠山は、そうだよな、とつぶやいて、あと少しで三年のつきあいになる親友を見上げた。厭味なほど文武両道の北沢は、国立大を受けると聞いていた。それに見合う実力もあるのは知っている。
(ほんっと、完璧だよな、北沢は)
 競う気もないけれど、何をしても敵わない気がした。けれど、もう少し頼ってくれてもいいと、遠山は思う。
「北沢も空も、急に会わなくなってさ。どっちも俺には事情話してくれないのな」
 つぶやかれた声に、北沢は手にした手帳をパタンと閉じて、目を伏せた。
「俺と空の問題だからだよ。遠山のことを蔑ろにしてるわけじゃない」
 心配してくれるのは嬉しいけれど、と付け足して、腕時計に視線を落とした。隣に立ったままの秋津を振り返る。
「秋津、話の途中だっただろう」
「あ、ああ。同窓会の件。27日で決定なんだけど、体育館何時から予約しとくか迷ってて。来られるヤツも限られてるし。ちょっとウチのクラス来いよ、アリーナ予約の書類とか持って来てるんだ」
 秋津のクラス、三組には空も居る。北沢は、わずかに躊躇した。
「……空に会うのが怖いとか?」
 ひそっと、秋津が囁いたが、北沢はゆるく首を振って否定した。
(逆だ。空が、俺に会いたくないだろうから)
 理由までは話せないので、北沢は無言でふたつ隣にある三組の教室に足を向けた。秋津は肩をすくめてすぐ後ろについて行き、なぜか遠山までが追ってきた。
「遠山、テスト勉強は」
「するよ。空に『おはよう』言った後で」
 背後から聞こえる秋津と遠山の会話を聞き流して、北沢は一度ゆっくり瞬きすると、三組の教室に足を踏み入れた。


03.12.30

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