Keep The Faith
第21話 ◆ きっと愛してる(4)
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 決勝戦、辻のクラスは惜しくも負けた。
 第四クォーターが終わった時点で同点を迎え、延長戦で相手にスリーポイントを決められ、僅差で敗退。終了の笛の音と同時に、体育館を拍手が包んだ。クラスマッチとは思えないハイレベルな試合だった。これで、三年の試合は男女ともに一組が優勝を掴み取ったことになる。

 結果は負けだが、限界まで走り回って、辻は気持ちよかった。惜しかったね、と皆で笑いながら、コートを後にする。汗で体にまとわりつくTシャツを着替えに行こうと話していたが、グラウンドから一際大きな歓声が上がったので、そちらに足を向けた。
 体育館を出たところで、一年の森実伊織が「辻センパーイ!」と手を振っていた。
「さっきの試合見てました! 惜しかったですね。でも、いい試合でしたよッ」
「ありがとう」
 体育館からグラウンドに向かう人波にのって、二人は並んで歩いた。ほとんどの生徒が、体育館の影に集まっているのを見て、辻は日の当たるフェンス側へ移動する。
「先輩、ここ暑いですよ?」
「いいの、向こうは人が多いから」
 日向なので人影はまばらだ。直射日光を避けるため、皆タオルを頭にかけている。辻と伊織も同じようにして、フェンス際に座り込んだ。グラウンドでは、ドッジボールのエキシビジョンマッチの参加者が握手しているところだった。
「スタート時間ズレたんだ」
「先生チームの何人かが、体育館で先輩たちの試合見てて遅れたみたいです。音楽の矢野先生とか、バスケ部顧問の桜井センセも今来たみたい」
(矢野さん……私見てて自分の出番に遅れたんだ)
 想像すると、笑えた。

 対戦するのは、三年一組男子17名と、若手男子教員14名プラス適当に連れ出された助っ人の三年男子3名。試合時間は十五分。
 それぞれの位置に散らばった後、内野にいる北沢と、外野に出た矢野が短く言葉を交わしていた。北沢は周りから頭一つ分背が高くて、存在が目立った。
(何話してるんだろう、あの二人。仲悪いのに)
 ぼんやりと辻はそんなことを思った。
 笛の音が響いて、ジャンプボールで試合が始まる。教師チームには、各クラスの担任・副担任も混じっていて、あっという間に応援の声がグラウンドを埋め尽くした。
「ヤノッチ、ファイトぉー!」
 合唱部女子が体育館二階の窓から叫んでいた。矢野はTシャツにジャージ姿で、苦笑いを返していた。
「一組男子、負けんなよ!」
 さっきまで辻と一緒にコートを走り回っていた一組女子も、コートサイドで声を張り上げている。「任せとけ!」とボールを受け止めて反撃に出たのは、遠山だ。
 とりあえず、担任が出ているので教師チームを応援していた伊織は、隣で辻が黙ったままなのに気付いた。
「先輩、北沢先輩の応援しないんですか?」
「うん……」
 フェンスに背中を預けて、足を伸ばして座っている辻は、なんだか疲れているように見えた。
「 ――― 北沢先輩と別れたって、本当なんですか?」
 小さな声で、伊織が二つ目の質問を口にすると、辻は伸ばしていた足を体に引き寄せ、膝に顔を埋めた。もう、この話題は嫌だ。長い沈黙が続く。
 泣いてるんだろうか、と伊織が心配になったとき、予想以上に弱々しい声が、辻の口から漏れた。
「そんなに気になるものなの……? 私と北沢の関係がどうだろうと、みんなには関係ないのにね。どうして知りたがるのかな」

 膝に顎を乗せて、辻は半分伏せた目でコートを見た。
 いつものクールさが嘘のように、北沢はTシャツを体にはりつけ、夢中でボールを投げている。内野に入った矢野と北沢がお互いを狙っているのは明らかだった。
(二人ともムキになってる……おかしいの)
 いつもなら、側に飛んでいって北沢と矢野の応援をしている。それが出来ないのが、辻には辛かった。矢野と遠山から、北沢と距離を置くよう指摘され、とりあえず目立たないようにしているけれど、心にわだかまりは溜まり続けていた。彼らの言っていることは理解できるが、北沢がそんな風に考えているとは、どうしても思えない。

「……私は、辻先輩のこと好きです。噂で先輩たちが別れたって聞いたから、もしそうだったら、辛いだろうな、と思って。
 なんか、先輩元気ないし……ですぎた口きいて、すいませんでした」
 伊織がしゅんと肩を落として謝るのを見て、辻はようやく視線を和らげた。
「ううん、ごめんね、今のは八つ当たり。
 ……私と北沢って、つきあってるように見える?」
「 ――― え?」
「元々、彼氏なんかじゃないんだ。昔からの親友。いつも一緒にいたら、周りが勝手に誤解したの。お互い学校で告白されることが多くて嫌だったから、あえて肯定も否定もせずに、つきあってるフリしてただけ」
「ええッ!? 嘘! だって、あんなに仲良くて、いつも一緒で……っていうか、なんでコクられるのイヤなんですか? 嬉しくなかったんですか、好かれるの」
 辻は顔をしかめた。嫌な記憶を思い出してしまった。
「嬉しいわけないじゃない。入学式から一週間で、告白してきた人数、十人超えたのよ。その中で、名前を知ってたのは、同じクラスの委員長ぐらい。話したこともない人がほとんど。私の何を知ってるのって、言いたかったよ。
 その頃は、足を少し傷めていて、無理矢理抱きしめられそうになっても逃げられなかった。想像してみてよ、夕方帰ろうとしたら、人気のない校門で待ち伏せられて、告白されて、断ったら冷たい女だって言われて、知らない人に手を握られて。
 こんなこと嫌だって思って、北沢と一緒に帰るようになったの。一回上級生に絡まれたけど、あっという間に北沢が倒しちゃった。強いんだよ? 合気道やってるから」
 伊織は、誇らしげに笑う辻を見て、やっぱり両思いに見えるんですけど、と心の中でつっこんだ。辻と北沢を見るたびに、もしいつか彼氏ができたら、あんな風になりたいなぁ、と思っていたのだ。告げられた真実は、かなりショックだった。
「でも ――― 北沢先輩は、辻先輩のこと好きなんじゃないかな。そう見えますけど」
「そうみたい。この前好きだって言われたし」
 やっぱり! と伊織は目を輝かせた、それから先が気になる。
「一回つきあうことにしたけど、すぐにやめたんだ。だから、今は前と変わらず親友みたいな関係。
 ……でもね、私のしたことは、すごくひどいことみたい。北沢は今まで通りでいいって言ってくれたんだけど、知り合いから、北沢と距離置いてくれって言われて……北沢をこれ以上傷つけないで、って。
 それで ――― よく、わからなくなったの」
 柔らかく微笑んで辻は伊織を見上げた。伊織は、辻の肩からこぼれおちる長い髪や、上気した頬を間近で見て、同性なのにドキドキしてしまった。
「で、でも、北沢先輩自身は、今まで通りでいいって言ったんでしょう? 私は四月からの先輩たちしか知りませんけど、とても友達だなんて気付かなかったです。先輩方にとっては、あの距離感が普通なんですよね?
 だったら、別にいいんじゃないですか、今まで通りで」
 真っ赤になった伊織が早口にそう言うと、辻は怖いぐらいじっと伊織を見つめて、本当に小さな声で、「ありがと」と囁いた。そのときの辻は、伊織がいつも見ている快活な印象は微塵も無くて ――― ひどく、儚く見えた。

 ドッジボールの試合は、当然ながら現役高校生が勝利した。試合が終わると同時に、体育館近くのギャラリーが一斉に動き出し、あちこちで歓声や矯正が聞こえる。
 人波をかき分けて、北沢が辻の方へ歩いてきた。歩きながら、北沢は汗で重くなったTシャツを脱いだ。裸の上半身が太陽の光を跳ね返す。
「辻! 勝ったぞ、矢野さんも討ち取った」
「見てたよー。なんか楽しそうだったね、二人とも」
 北沢の真っ赤に日焼けした両腕を見て、辻が「痛い?」と問いかける。北沢は「全然」と首を振った。すぐ側でそんな様子を見ていた伊織は、北沢が半裸のせいか、二人がやっぱり甘い雰囲気を出すせいか、異様に照れてしまった。
 しばらく話していた辻と北沢だが、北沢が「あれ」と言って辻の顔に触れようとしたとき、辻は思わず、その手を避けた。

「……辻、何か変だ」
 北沢は辻の正面に立つと、膝を屈めて辻と目線を合わせた。
「だって、汗だくだから、触られたくない。暑くて、ちょっとぼーっとしてるし」
 北沢は訝しげに辻を見つめていたが、結局何もせずに立ち上がった。
「顔色悪いぞ。さっきの試合のままなんだろ、Tシャツ替えて来た方がいい。俺、今から写真撮らなきゃいけないんだ。昼飯一緒に食べないか?」
「じゃあ、着替えてくるから ――― 十五分後に食堂で」
 頷いて、北沢はクラスメイトの元へ戻って行った。辻はその背中をずっと目で追った。
(矢野さんが好き。でも……北沢は、もう好きとか嫌いとかいう範疇じゃないもの。比べることなんて、できないよ)
 わずかに視界が滲んで、辻は慌てて瞬きをした。
「じゃあ、着替えてくるね」
 伊織に告げてその場を去る。

 上手く笑えただろうか、涙が浮かんでいるのを気付かれなかっただろうか……辻は怖くて振り返ることができなかった。
 かろうじて上手くいっていた周囲との関係が、少しずつ歪んでいく。
 原因は、きっと自分にあるのだ ――― 辻は誰もいない教室に戻ると、少しだけ泣いた。



 一年女子バレーのエキシビジョンマッチが始まったので ――対戦相手は女子教員チーム――生徒たちは、再び体育館へと戻っていった。
 北沢は、記念撮影をすると言っていた遠山の言葉を思い出して、クラスメイトと本部前に集まっていた。しかし、肝心の遠山がなかなか来ない。
「何やってんだ、あの馬鹿」
 辻との約束は十五分後。北沢は上半身脱いだままだったので、着替えを取りに校舎に戻りたかった。他の連中も「暑いー」「早くしろよ」と愚痴り始めた頃、ようやく遠山が来た。
「何やってたんだよ、遅い!」
 クラスメイトのブーイングを受けて、遠山は素直に謝った。
「デジカメ取りにプールまで行ってたんだよ。一年男子のエキシビジョン始まってて、そっちに持って行かれてたから。対戦相手が水泳部女子だから、水着目当ての男ばっか集まってて、混んでたんだ」
 遠山は溜息をついて、体育館正面に適当に並べ、と指示を出す。
「卒業アルバム用だろ? 適当でいいのかよ」
 誰かの疑問に、
「そしたら、お前ら手にもってる汗だくのTシャツもう一回着るか? 脱いだ格好で整列してたらおかしいだろ。いいんだよ、臨場感あって」
 フレーム内に全員が納まるか確認して、近くにいた下級生に「写真撮って」と頼み、遠山も汗臭い友人たちの中に混じる。シャッターを二度切って、撮影終了。ばらばらと皆が散っていく中、遠山はデジカメ片手に北沢を捕まえた。

「何だよ? 俺、着替えたいんだけど」
 北沢の不機嫌な声に、一瞬ひるんだ遠山だが、気合を入れて声を出した。
「話の続き! さっきも見てたけど、お前ツラすぎるよ。振られた相手に、試合終わった途端に会いに行ってさ。見てらんねーよ。俺の方が泣きたくなってくる。
 ……さっきも空に愚痴っちゃったじゃないか」
 ぶつぶつと小さく発せられた言葉を北沢は聞き逃さなかった。
 昨年まで同じクラスだった鈴木空は、北沢の女友達のひとりだ。
「遠山……俺と辻のこと、空にしゃべったのか?」
「ああ? 話したけど、大丈夫だよ。あいつ軽そうに見えるし、ホントに軽いけど、口は堅いから」
「そういう問題じゃない。アイツは」
 北沢が顔を歪めて言葉を続けようとしたとき、
「あの、北沢先輩」
 と、可愛らしい声が遮った。北沢が視線を下げると、なにか決意を秘めた様子で、森実伊織が立っていた。北沢にとっては、さっきまで辻と一緒にいた一年、ぐらいの認識しかない。
「辻先輩、さっき泣いてたんです。
 ――― 北沢先輩が、辛いのに無理して自分といるんじゃないかって悩んでて……。あんな先輩初めて見ました。
 私が言うことじゃないと思うんですが、ちゃんと辻先輩とお話した方がいいです。いくら親しい人でも、言葉にしなくちゃ伝わらないこともあるから」
 目を見開いた北沢の前で、伊織は真剣な目をしていた。
「泣いてた……?」
「はい、北沢先輩がグラウンドに戻った後で」
 北沢は、ギリ、と奥歯をかみ締めた。
(そりゃ、多少無理はしてるけど、辻と離れたいなんて思うわけない! なんで急にそんなことを考えたんだ?)
「 ――― 泣かしたの、俺かも」
 遠山が恐る恐る口を挟んできた。北沢は射殺しそうなキツい目で睨んだ。視線だけで、どういうことだ、と問い詰める。
「だって、自分に他に男できたからって、北沢のこと捨ててさ。そのくせ親友でいて、なんて、あんまりにも無神経じゃないか! だから、辻さんに『北沢にあんまりヒドいことしないでくれ』って言ったんだよ」
「いつ?」
「さっきのバスケのハーフのとき。
 俺だって失望した。辻さん結構好きだったから。そんな女だなんて思わなくて、つい」
 北沢はただでさえ鋭い眼差しを、さらに鋭くした。子供のように小さく身を縮める遠山を、できることなら殴ってやりたかった。
「俺の前で辻を悪く言うな。お前、先走りすぎだ。俺が、いつ辻といたくないって言った? 恋愛感情抜きにしたって、辻と俺は離れない……絶対に。
 全く……友達じゃなかったら、シメてるぞ。だから、お前にはずっと辻とのことも話せなかったんだよ。空のことも」
「 ――― 空? そういえば、さっき何か言いかけてたよな」
 怒られてうなだれていた遠山が、ぱっと顔を上げた。
「一年のとき、空から告白されたんだ。もちろん、好きなヤツがいるって、断ったけど」
「……信じらんねー。アレ? そしたら、マズくないか? 辻さんいるから、空も諦めたわけだろ」
「厳密に言うと、その頃つきあってたのは辻じゃないけどな」
「マジでー!?」

 その時、呆然と会話を聞いていた伊織が、おずおずと声を出した。
「空って、鈴木空さんですよね、合唱部にいた」
 まだいたの、という視線で伊織を見下ろして、遠山が答える。
「そうだけど」
「さっき、体育館のむこうで、会いましたよ。辻先輩どこにいるのって聞かれたんで、教室に戻ったみたいですって、言ったんですけど……」
 北沢と遠山は顔を見合わせた。空の性質は、一言で表せる。バカがつくほど単純。
 そんな彼女が、好きな男が弄ばれていると誤解して、張本人の辻を探している……ということは。
「遠山、辻に何かあったら、本当にシメるからな!」
 言い捨てて、北沢は三年七組の教室に向かって土を蹴った。


03.07.18

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