Keep The Faith
第20話 ◆ きっと愛してる(3)
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 テストの答案も全て返ってきて、いよいよ夏休みまであと七日の火曜日。
 辻の通う高校では、クラスマッチが行われていた。一日目の昨日は予選、二日目の今日は準決勝以上の試合が行われる。一学年七クラス、男女学年別にスポーツで勝敗を決する。優勝チームには、二日目の午後行われるエキシビジョンマッチで、好きな相手に戦いを挑める権利が与えられる ――― 教師チームと戦うのが恒例となっているが、極まれに、運動部レギュラーチームに挑む無謀なクラスもあった。

 三年生の競技種目は、男子がドッジボール、女子がバスケットボールだった。
 辻のクラスも北沢のクラスも一日目の予選を勝ち抜き、二人とも空き時間に相手の応援に行っては、校内放送で自分のクラスが呼ばれる度、競技場所に戻っていた。
 正午間際、決勝戦を勝ち抜き優勝した北沢が体育館に行くと、辻は決勝の第二クォーターで体育館のバスケットコートに立っていた。対するのは一組で、体育館二階の観覧席から見ていた北沢は、クラスメイトの女子を敵に回しつつ、平然と辻の応援を続けていた。
 辻は見る間に、ドリブルで相手を抜き、パスを投げてすぐゴール下まで駆けていく。その俊足でマンツーマンディフェンスの相手を振り切って、コーナーぎりぎりでボールを受け取り、鮮やかにジャンプシュートを決めた。「辻せんぱーい、ナイッシュー!」と舞台に陣取った一年女子が叫ぶ。
 いつもは遠巻きに見ているだけの下級生も、テンションが上がって好き放題していた。ちなみに、一年女子は、体育館の半分を使ってバレーボールをしていたが、決勝戦が終わったバレーコートは、試合観覧場と化していた。
「辻!」
 クラスメイトとハイタッチしながらディフェンス位置に戻った辻は、北沢の声に気付いて、にこっと笑って手を上げた。北沢も、同じように手で合図する。離れているので、気分だけのハイタッチ。
「北沢! 自分のクラス応援しろーッ!」
 一組女子のブーイングにも、軽く手を上げて応える。こちらは、仕方なしのパフォーマンス。
 そんな北沢と辻を見て、周囲の生徒は、最近流れていた「北沢・辻破局説」はデマだったのだ、と確信した。今までべったりだった二人が、一緒に帰らなくなったことや、放課後一緒に過ごしているのを見なくなったことから、密やかに広まった噂だ。ちなみに「白昼堂々渡り廊下で抱きしめた北沢に、辻が怒って避けている」という説もある。

 試合の成り行きをじっと見ていた北沢の側に、いつの間にか遠山が来ていた。手にはズーム機能つきのデジカメを持っている。
「絶好の撮影ポイントだな」
 Tシャツの袖で汗を拭い、遠山は手摺に肘をついてカメラを構えた。
「何やってんだ、遠山」
「俺、アルバム製作委員なんだよなー、さっきまで忘れてたけど。
 本部に試合結果報告に行ったら、写真部の顧問いてさ。卒業アルバム用の写真撮ってこいってデジカメ渡された。俺らのクラス優勝だったから、記念撮影しようと思って戻ったら、お前もういなくなってんだもん」
「……エキシビジョンマッチの時に撮れよ」
 話している間も、遠山はこまめにズームを調整しながら、コートを走るクラスメイトを撮影していた。もちろん、七組の女子もきちんと撮っている。
「それにしても、辻さんバスケ上手いね。あんなにスポーツ得意だったっけ? なんであれで帰宅部なんだろうな」
 何気ない遠山の疑問に、北沢は答えることができたけれど、何も言わなかった。

 あんなに動けるようになったのも、辻本人がリハビリを頑張ったからだ。高校入学当時の辻は、右足のボトルを外す手術をして間もなくて、普通に歩くことはできても、走るとわずかに右足をひきずっていた。一年間リハビリに通い、去年の春からは週末ジムに通い、プールで泳いで体を鍛え、ようやくここまで回復したのだ。先週からは、学校帰りに毎日泳ぎに行っているらしい。一緒に帰れないのは正直淋しかったが、北沢も部活引退の引継ぎで忙しかったので、特に気にとめていなかった。
(こんな風に走って、跳ぶことができて ――― 一番嬉しいのは、辻自身だよな)
 辻の胸中を思うと、知らず北沢の顔に笑みが浮かんだ。
「ギャラリー多いな。こんな蒸暑いのに」
 カメラをズームにして、レンズ越しに辻を追っていた遠山が、ぶつぶつとつぶやく。
 半分以上の競技が決勝戦を終えていて、体育館には生徒の大半が集まってきていた。グラウンド側の窓際にも、玄関口に舞台にも人が溢れている。北沢たちの居る二階観覧席は、人影もまばらだ。理由は明確、熱気が昇ってきて更に気温が高いから。
 ここにいない生徒は、校舎に戻って涼んでいるか、一年男子の競技「水泳」を見に行っている。
 体育館内を見回していた北沢は、玄関近くに教師陣が集まっているのを見つけた。もちろん、そのなかには矢野の姿もあった。北沢の視線など全く気付かず、近くにいる男子教師と何か話しながらバスケットの試合を見ている。
 北沢は、視線を外して再び辻を追った。よく見ると、辻の前髪は汗で額に張り付き、真っ青なTシャツの背中も、濡れて色が変わっている。
 昨日の夜降った雨のせいで湿度は高く、朝から照り付ける太陽に、気温は三十度近くまで上昇していた。風もなく、体育館の中はサウナ状態だ。こうして立っている北沢や遠山ですら、じっとりと汗が噴出してくる。この中で走り回っている辻たちの体感温度は、かなり高いだろう。
 心配になって眉を寄せた北沢をよそに、遠山が「あ」と小さく声をあげた。北沢の方に向けた顔が、奇妙に笑っている。
「何だよ?」
「辻さんの項にキスマーク発見。手ぇ早いなー、北沢」
 シシシ、とケンケンのような笑い声を上げて、遠山は再度カメラを構えた。シャッターを押す遠山の頭上から、低く北沢の声が降ってきた。
「俺じゃない」

 数秒後、やっと意味を把握した遠山は、手摺から体を起こし、北沢に向き直った。
「……キスマークつけたのは、俺じゃないよ。一週間前に、辻とは終わった。今は、親友のつもりだ」
 北沢の視線は、コートを走る辻しか見ていない。あまりに静かな告白に、遠山の方がうろたえた。
「親友って ――― なんだよ、ソレ!
 お前、まだ辻さん好きだよな、見てればわかる。彼女から振ったんだろ、もう次がいるんだから。なのに、それで親友なんて……お前ら、何考えてんの?」
「いいんだ、辻が望んだことだから。いろいろ事情もあったし」
「よくねーよ! お前……ッ」

 遠山の言葉を遮るように、ピーッ、と高く笛の音が鳴り響いた。
 第二クォーター終了、得点は39対30で七組リード。辻はクラスメイトたちと歓声を上げ、手が真っ赤になるくらいタッチしてからタオルとスポーツ飲料を片手に、北沢たちの真下まで歩いてきた。
「お疲れ!」
 声を掛けた北沢に、息を切らせた辻は笑顔だけで答えた。ペットボトルの中身を半分以上飲み干して、ようやく声を出す。
「北沢は? 決勝どうだった!?」
「優勝したよ」
 ぱちぱち、と辻は拍手で北沢を称えた。
「辻、後半も出るのか?」
「うん、次休んで第四クォーターは出る予定。20分走り回るの、キツいよー! 間に休憩なかったら、倒れてた」
「気をつけろよ、無理するな」
「うん」

 そんな二人の会話を、遠山は複雑な気持ちで聞いていた。どこから見たって、いつも通りの二人。もう別れたなんて、信じられなかった。
 ざわめく空気を裂くように、校内放送が流れた。
『 ――― 三年一組男子に連絡します。三十分後にエキシビジョンマッチを行いますので、それまでに昼食を済ませて下さい。集合時間厳守でお願いしまーす。
 対戦相手の男性教師チームも、遅れないよう体育教官室前グラウンドに集合して下さーい。以上!』
 北沢と遠山は、顔を見合わせた。三十分後に試合では、まともな食事はできない。
「ウィダーインか、エネルゲンゼリーな」
 同時に右手をあげ、ジャンケンをする。北沢の負け。
「……コンビニ行って来る」
 下にいる辻に手を振り、北沢は観覧席奥の階段を下りていった。北沢が見えなくなったのを確かめて、遠山も下に向かう。舞台脇を通って、そのままバスケットコートへ入った。辻は窓際に座り込んでうつむき、ペットボトルを首に当てて体を冷ましていた。
「辻さん、お疲れ」
 声を掛けると、汗だくの顔でニコッと笑った。美人って得だよな、と遠山は思う。
(髪もぐちゃぐちゃで、汗だくで、頭からタオルを掛けてても、それが色っぽいんだから参るよな。おまけに、何考えてるかわかんないしさ)

「さっきの試合、デジカメで撮ってたんだ。再生できるよ、見る?」
「ホント? 見たい」
 辻の向かいに、遠山は胡座をかいて座った。時計を見ると、ハーフタイムは五分も残っていない。遠山は、再生モードにして、辻の手にデジカメを渡した。「このボタンで次が見えるよ」と言うと、無邪気に「ありがとう」と微笑んで、液晶画面をじっと見ている。
 一緒に画像を見るフリをしながら、遠山は小さな声で話し始めた。幸い、すぐ近くに人はいない。
「……さっき北沢から、辻さんと別れたって聞いた。でも、辻さんが望んだから、親友として側にいるって。
 それさ、俺に言わせたら、すっげーヒドいよ。卑怯だ。
 この前、辻さんとアイツがキスしたの、見てたヤツがいてからかったんだけど ――― めちゃくちゃ嬉しそうだったよ、北沢。俺、心底よかったなー、って思った。高校入ってからのつきあいだけど、北沢のことは親友だと思ってる。すっげーイイヤツだって知ってる。だから、こんな風に北沢のこと傷つけて欲しくないんだ。
 これ以上無神経なマネ、しないでやって」
 言い終えて遠山が顔を上げると、辻はデジカメを手にとったまま、じっと遠山を見ていた。その目があんまり哀しそうで、あ、泣く、と思った。
「そんなに、ひどいかな」
 独り言のようにつぶやかれた言葉を、頷いて肯定して、遠山はデジカメを受け取り立ち上がった。
「残りの試合、頑張って」
 ごまかすようにつけたした遠山の声は、辻の耳には届いていなかった。

 ハーフタイム終了でーす、という進行の声に、主審の生徒が笛を吹く。体育館を出る間際、遠山が振り返ると、さっきまでいた窓際から、辻の姿は消えていた。


03.07.16

NEXT : BACK : INDEX : HOME


Copyright © 2003-2006 Akemi Hoshina. All rights reserved.

inserted by FC2 system