Keep The Faith
第5話 ◆ モノクロームの冬(1)
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『いつもいつも あなたを見ている
 光の輪の中 星の下
 あなたが幸せであるように
 ただそれだけを』



 北沢勝。茶道部部長にして、身長188センチ。物腰は柔らかく丁寧だが、一重の目は鋭く、心の内を見せない。ただ、辻真咲が彼の中で特別な存在であることは、周囲の誰もが知っていた。
 その理由を知る者は、ごく僅かに限られる。



 北沢の生き方を決定付けた出来事は、彼が七歳の時に訪れた。
 それは、家族で見に行った薪能。弓月が輝く桔梗色の夜、早咲きの桜が猛々しいかがり火によく映えて美しかった。木がはぜる音と、不思議な神楽の音、人とも思われぬ声音が境内に響いて、幼い彼に非日常的な幽玄の魅力を刻み込んだ。
 それ以来、彼は日本という国特有の『和』という文化の虜になった。

 母方の祖母が、茶道や舞踊を嗜んでいたこともあって、彼は小学校の頃から放課後はいろいろな稽古事に励んだ。高校三年になった現在、書道と合気道では段位を持ち、茶道、華道、日本舞踊から三味線まで、一通りのことはこなせるまでになっていた。
 今では完璧にわが道を進む彼だが、大人に囲まれて育ったせいか、同年代の子供と上手くなじめずに悩んだこともあった。
 その悩みがふっ切れたのは、三年前の冬。
 衝撃的なひとつの事件が、彼と、そして辻真咲を変えた。



 中学に入学した頃、北沢の身長はクラスでも低い方だった。礼儀正しく責任感のある少年は、先生方に気に入られた。
 そうして、当然のごとくいじめられた。
 それまでは、つまらないことを言ってくる人間は、相手にするだけ損だと無視していた北沢だが、五月の連休、上級生に囲まれて顔以外を殴られ、蹴られて、金を取られた。痛いのと悔しいので、涙が出そうになるのを堪えて、自宅には帰らず、祖母の家に向かった。
「ばあちゃん、僕、三味線も日舞も、もういい。強くなりたい」
「……そうだね、男は強くなけりゃいけない」
 祖母は何があったか聞きもせず、翌週、知り合いの道場へ北沢を連れて行った。
その道場で知り合ったのが、辻真琴 ――― 後に親友となる、辻真咲の母親だった。
 
 すでに黒帯だった真琴は、練習熱心な北沢に目をかけてくれ、決まった稽古日以外でも、予定が合えばつきあってくれた。半年もすると、北沢の体格も目に見えて変わってきた。身長も伸びて、膝関節が痛くなるほどだった。
「体は正直でね、鍛えてやれば、きちんと美しく機能的になるし、怠けていれば、贅肉がついてダレてくる。その人の体型を見れば、ある程度どういう性格なのかわかるというのも、あながち誤解じゃないの」
 そう語った真琴は、背が高くていつも綺麗だった。バランスのよい長い手足に、いつもきりりと伸びた背筋。自信に満ちた笑顔。学校の先生が真琴のような人だったら、自分ももっと楽しい学校生活が送れるのに、と思ったりもした。

 ある日、北沢は学校帰りに偶然真琴と会った。パンツスーツで、肩までの髪をゆるく巻いて、高いヒールのパンプスを履いた真琴は、道場で会うのとまるで印象が違っていて、声をかけられて驚いた。
 促されて、真琴の隣に腰掛ける。
「北沢、十三歳だっけ?」
 頷くと、真琴は珍しく照れたように微笑んで、
「私ね、君と同じ年の娘がいるのよ」
 と言った。
「……真琴さん、結婚されてるんですか!?」
「いいえ、独身。夫はいないわ」
 むしろ楽しんでいるような口調に、それ以上訊けなかった。
「娘と待ち合わせしてるの。真咲って言うんだけど、もうそろそろ来るわよ。会ってみる?」
 問われて、つい頷いた。
 正直、北沢が『辻真咲』に興味を持ったのは、好奇心からだった。真琴は、ほとんどプライベートを明かさない。何の仕事をしているかもよく知らなかった。その辻真琴の娘……一体、どんな人物なのか?

 しばらくして現れたのは、予想外にも上下ジャージにスニーカーという姿の少女だった。
 短い髪を乱しながら駆けてくる。
「ごめーんッ、ママ! 遅れた」
 その胸に、学校名の刺繍があった。隣接するM県の公立中学。北沢が住む町は県境に面していて、地図上で見ると、辻の通う学校は割合近いが、県が異なる為、交流は全くなかった。
 近くで見ると、ますます違和感が増した。ジャージの腕に、小さく『陸上部・辻』という文字。ひょろりと背が高くて、体の線も直線的で、まるで少年のようだった。くっきりとした二重の目だけが、真琴と似ていて意思の強さを思わせた。
「誰?」
 少女は、すぐに北沢に気づいて、無遠慮に視線をよこした。
「はじめまして、北沢です。真琴さんには、合気道の道場でお世話になってます」
 いつものクセで、するすると言葉が出てくる。軽く会釈をして顔を上げると、複雑な表情をした辻真咲が言葉を無くしていた。
 真琴は面白そうに二人を眺めている。その肩にかけたバッグから携帯の着信音が流れて、少し迷った後、真琴は携帯電話で話し始めた。その会話が流暢な英語だったので、北沢は更に驚いた。
「……話、長引きそう。もういいよ、帰れば?」
 肩にかけていたディパックを地面におろして、真咲は低い声でいった。あからさまに敵意を感じて、北沢はムッとした。
「……初対面で、その言い方はないんじゃないの。自分、ずいぶん真琴さんと似てないよな」
「君は、ママが言ってた通りだよ。礼儀正しくて、可愛い男の子が入ったの、って上機嫌だったもの。確かに可愛いよね」
「お前は、可愛くないな」
 一触即発の空気が流れるなか、二人は睨みあった。初対面は、お互い最悪。
 電話で話しながら、真琴は満足そうにそんな二人を見つめていた。

 後に、真琴が北沢にこう言った。
『真咲と北沢は、性質がよく似てたのよ。
 頭がよくて、周囲の子供よりも少し大人びていて、自分の意見がしっかり言える。でも、あんまりにも考えが頑なで、自分が正しいって思い込みやすい。そんなんじゃ、そこで思考が止まっちゃうじゃない。まだ先は長いのよ。いろんな人に会って、いろんなコトにぶちあたっていくんだから、もっと視野を広くもって、頭も柔らかくしないと。
 似たもの同士合わせたら、いい起爆剤になると思って会わせたんだけど、予想通りになって、面白かったわ』
 敵わないな、と北沢は苦笑するしかなかった。
 事実、真琴に巧妙に計画されて何度か会ううちに、北沢も真咲も相手が嫌いではなくなっていった。逆に、同世代でこれだけ話せる相手がいたのか、と次第に打ち解けた。
毎週木曜、真咲は部活後道場に顔を出すようになった。真琴が稽古を終えて身支度を整えている間、十五分ほどの時間を、北沢と過ごす為に。北沢も、いつの間にかそれを楽しみにしていた。

 翌年の春、桜が満開の、とある屋敷の庭で、北沢は野点の手伝いをしていた。
 ある資産家の自宅内の桜並木は、惜しいことに一般公開はされていなかった。知人にのみ招待状を配り、限られた人だけで散歩や野点を楽しむ。どこを見ても真っ白な花びらが視界一面に広がって、とても美しかった。
「北沢!」
 声を掛けられて振り返ると、桜並木を抜けて辻親子が歩いてくるのが見えた。せっかくの機会なので、北沢が招待したのだ。真琴は着物姿で、一際艶やかだった。
「お招きありがとう。すごい桜ね」
 ゆるやかに微笑む真琴に挨拶を返す段になって、ようやく北沢は、二人の後ろに隠れるように立っている人物に気がついた。そういえば、招待券はいくらか余分に渡してあった。
「今日は、友達を連れてきたの」
 真咲はにっこり笑って、連れを紹介した。
「はじめまして、日崎鈴子です」
少し緊張した面持ちで、少女は軽く頭を下げた。くせっ毛の短い髪がふわふわと揺れていた。
 辻親子に挟まれるとまるで子供のように小さな少女だった。髪も目も色素が薄くて、人形のような可愛らしい顔立ちをしていた。側に居るだけでエネルギーを感じさせる辻たちと対照的に、柔らかな雰囲気をまとっていて。
 いくら大人びていようと、北沢も所詮十四歳の少年である。おまけに恋愛方面に疎かった彼は。
 一目で恋に落ちていた。

 硬直したままの北沢を、鈴子と名乗った少女は、不思議そうに見つめた。
「きーたーざーわー!」
 真咲に、低い声で名前を呼ばれて、ようやく北沢はハッとした。
「鈴は、可愛いでしょう?」
 そう告げると、真咲は意地悪く唇の端を持ち上げた。
 何とか冷静になろうとした北沢だが、すべてを見透かしたような辻の視線と、その隣にいる鈴子の無邪気な笑顔になす術もなかった。既に真琴は近くにいたご婦人方との談笑に加わっていて、まったく頼りにならない。
 北沢はようやく心を落ち着かせると、普段と同じように二人を空いている桟敷に案内し、薄茶でもてなした。



 その翌週末、北沢は珍しく辻真咲に呼び出された。
 場所は、辻たちが住んでいる街の、市立図書館前の広場。自転車で向かうと、約束の時刻より早く着いたにも関わらず、辻は既に待っていた。
「改まって呼び出してごめんね」
「いいよ、今日は暇だったし。それより、話って何だ?」
 辻は、じっと北沢を見つめた。値踏みするような視線に負けないように、北沢も腹に力を入れて、静かに視線を返した。
「……私、北沢のことは結構評価してるんだ。なんだかんだ言いつつ、信用もしてる」
「それは、どうも」
「だから、鈴に会わせても大丈夫だと思ったの」
「……どういう意味だ?」
「下手な人間をあの子に近づけたくなかったから。
 でも、あんな瞬間に居合わせたら、やっぱり気になるじゃない?」
 あの桜の下で、鈴子と初対面したときの北沢の動揺。
「……やっぱりバレてた?」
 北沢は微かに頬を染めて、鼻の頭を掻いた。
「わかるわよ、あんなにあからさまに反応してんだもん。気付かなかったのは鈴本人くらいだよ。でもね、鈴、同年代の男友達いないから、ちょうどよかったんだ。
 あと三十分したら、あの子、ここに来るの。毎週、一緒に勉強してるんだよ。北沢も一緒にどうかと思って」
「それで、とりあえず課題持ってこいって言ったのか」
「うん。
 あ、言っとくけど、鈴を一番愛してるのは私だからね」
 聞いている北沢の方が照れてしまった。
「変なヤツ。愛してるなんて、よく口に出来るな」
「平気よ。
 私が変でも、馬鹿でも、鈴はこのままの私でいいって言ってくれるの。あんなに可愛くて、みんなに愛されてるような子が、私のこと好きでいてくれるんだよ?
 怖いものなんか、何もない」
 さっきまでの真剣な会話が嘘のように、辻は嬉しそうに笑った。

「……なんか、事情あるのか、日崎さん」
「心臓が、悪いの。
 子供の頃は、十歳まで生きられない、って言われてたんだって。でも、今は発作も時々しか起きないし、普通に学校にも通える。まあ、年に一、二回は入院したりするけどね。
 ―――私、母の仕事の都合で、小学校一年から三年までシアトルにいたんだ。四年の秋に帰国したんだけど、あんまりにも同じクラスの子たちがガキで馬鹿で呆れて、やっぱりいろいろされて、そのときに、鈴がすごく自然に側にいたくれたんだよ。
 自分が体調悪くて休んでばっかりのくせに、私のこと心配して電話くれたりして」
 すごく嬉しかった、と辻はつぶやいた。
「……俺、辻もイイ奴だと思うよ」
 北沢の言葉に、辻は照れ隠しなのか、得意気にふふん、と笑った。


03.06.05

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