Keep The Faith
第6話 ◆ モノクロームの冬(2)
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 毎週日曜の午後、北沢は鈴子に会う為に図書館に向かった。
 辻と鈴子と一緒に二時間ほど過ごし、課題を済ますと本を読み、そのまま三人で散歩をしたり、公園で馬鹿みたいに話しをするのが習慣になった。この頃の辻は、ほとんど本に興味を示さず、課題が終わると大抵机に突っ伏して眠っていた。
 鈴子の周りは空気が穏やかで、北沢は、その無垢な笑顔に励まされたことも、一度や二度ではなかった。
『男の子って、怖かったんだけど、北沢君は平気。
 みんな、これぐらい優しかったらいいのにね』
 鈴子にそう言われたときは、叫びだしたいくらい嬉しかった。他の女はどうでもよかったけれど、鈴子にならいくらでも優しくしたかった。この頃になると、北沢は学校で、時々女子生徒から告白をされるようになっていたが、鈴子以外にはまったく興味を示さなかった。

 季節が夏になる頃には、三人で並んで歩くのが普通になっていた。辻が部活の強化練習で来れない時期は、日曜の図書館で二人だけで本を読んで過ごした。
 夏休みに、鈴子の兄が、三人を海に連れて行ってくれたこともあった。鈴子は激しい運動ができなかったけれど、軽くビーチボールで遊んだり、浅瀬でナマコに叫び声をあげたり、時間はあっという間に過ぎた。
 夕暮れ、少し沖にある飛び込み台から、辻と北沢が飛び込むのを見て、彼女は「やってみたい」と言い出した。砂浜で待つ彼女の兄を振り返ると、苦笑しながらOKを出してくれた。
北沢は立ったまま浮かんで、夕日で赤く染まった水面から、彼女が梯子を上っていくのを見つめていた。その真っ白な足の裏が視界に入っただけで、どきどきと鼓動が早まった。辻は飛び込み台の上で鈴子を待っていた。
「行きまーす!」
 気合の入った声で告げた鈴子に、水面から手を振った。
 せーのっ、と辻と鈴子の声が重なった後、鈴子の足は台を蹴った。

 北沢は今も鮮やかに覚えている。
 そのとき鈴子が着ていた水着も、一瞬海面深く沈んだ鈴子を追いかけて潜ったときの景色も、彼女の細い手を握って、水面に戻るまでのほんの数秒の緊張も。

 水面に出ると、鈴子は濡れた前髪もそのまま、はしゃいだ声で、
「すーごい、楽しい!」
 と叫んだ。北沢はほとんど彼女を抱きしめるような体勢で、まだ手も繋いだままだった。至近距離で満面の笑みを見せられて、息も止まりそうだった。そのまま腕に包み込んでしまおうとした、そのときに、
「見てーッ、すごい綺麗!」
 辻の大声が彼の衝動を止めた。
 飛び込み台の上に立って、辻が大きく指し示した水平線に、太陽が姿を消した後の陽光だけがオレンジ色の帯を幾筋も残していた。北沢は、その景色に目を奪われる鈴子を見下ろして、少しだけ唇を噛んだ。

 夏の終わり、いつもの図書館での集まりに、風邪で辻が来られない日があった。
「お見舞いに行こうか」
 と、鈴子を自転車の後ろに乗せて、辻の家に向かった。
 その途中、北沢の腰に回された鈴子の腕に、わずかに力がこもった。
「……北沢君は、真咲のことが好きなの?」
 全く予想もしていなかった問いかけに、北沢は「はぁ!?」と間抜けな声を出してしまった。後ろを振り返ったけれど、鈴子は顔を伏せていて、表情は読めなかった。仕方なく前に向き直る。
「違うよ。アイツといるのは、確かに楽しいけど、ただの友達だって」
「ホント?」
「本当に! 僕はもっと、女らしい子の方が好きだ」
 鈴子が好きだ、と言おうと思ってやめた。勢いで告げて、その後はどうするのだ、と考えてしまったから。
「……よかった」
 鈴子の言葉に、北沢は耳を疑った。
(よかった? 辻を好きじゃなくて、よかった!?)
 背中の気配を探ろうと神経を集中させると、Tシャツ越しに、鈴子の額が押し付けられるのを感じた。
 どういう意味? と訊けずに、北沢は黙ってペダルを漕いだ。汗が出るのは、夏の日差しのせいだけではなかった。



 秋になって、鈴子は少し体調を崩して入院した。朝方の気温が下がり始めると、毎年そうなのだ、と見舞いに行ったときに鈴子の母が北沢に言った。
 11月の終わり、ようやく退院した鈴子と一緒に、初めて二人だけで出かけた。いつもの図書館にではなく、電車に乗って少し遠出をして、水族館へ。
 北沢は、鈴子の気持ちが知りたかった。こうして二人で会ってくれる以上、好意は持ってくれているのだと思う。そう焦ることはないと言い聞かせていたけれど、既に北沢の心は育ちすぎて、これ以上抑えられそうになかった。
 水族館を出ると、少し天気が悪くなっていた。肌を撫でる風が、少しだけ冬を運んでくる。
「まだ先だけど」
 手にもっていた自分のマフラーを鈴子の首にそっと巻いて、北沢は彼女を見つめた。
「12月24日、午後から会いにいってもいいかな」
 鈴子は少し躊躇した末、頷いた。安堵した北沢は、そのまま鈴子を促して歩き始めた。
 隣を歩く小さな少女の瞳に、罪悪感が滲んでいることにも気付かずに。



 その年の12月23日、祝日。

 翌日の終業式が終わればすぐに冬休みになる。しかも、クリスマスは目前で、街も浮かれていたが、北沢も例外ではなかった。
 鈴子へのプレゼントは、既に用意してあった。悩んだ末に、パールピンクのマニキュアと、ピンクゴールドのブレスレットを。さすがの北沢も、何をプレゼントすればよいか思いあぐね、思い切って茶道の先輩である女子大生に相談したのだ。思う存分からかわれたが、それでも、鈴子に似合いそうな物が見つけられたので、嬉しかった。
 明日のことを考えると、いてもたってもいられずに、同じクラスの友人を誘ってバスケットをした。思い切り体を動かしても、結局、嬉しさもワクワクした気持ちも減らなかったのだけれど。
「明日、ガッコ終わったらカラオケ行かねー?」
 という友人の誘いに、
「悪い、先約あり」
「なに、北沢、デート?」
「そうだよ」
 そう余裕で答えるのも、楽しかった。

 夕方5時を過ぎると、既に夜の気配が濃かった。冬の日は短い。
 北沢は自宅に帰ると、一直線に冷蔵庫を目指し、スポーツ飲料のペットボトルを取り出した。直接口をつけて飲みながら、リビングに向かう。リビングでは、両親がレンタルしてきた映画を見ていた。
「うーわ、夫婦でラブストーリー見ないでよ。こっちが照れる」
「あら、ホラー見てる方がイヤよね?」
 母が飄々と返してくる。北沢は、論点がズレている、と思ったが、あえて突っ込まなかった。
「マー君も、コーヒー飲む?」
「母さん、マー君はヤメテ。コーヒーは要ります」
 母親が立ち上がると同時に、父親が無言でDVDを停めた。そういう以心伝心を見ているだけで、北沢は自分が邪魔に思えてしまった。
 テレビからニュースが流れ始めた。クリスマス直前の祝日とあって、華やかな街の映像が映し出された。父親がつまらないニュースに飽きて、ころころとチャンネル変える。
「父さん……落ち着きなさすぎ。少しの間なんだから―――」
 そのとき、ニュース速報を知らせる高い音がテレビから流れた。画面上部に、白い文字が現れる。
『本日夕刻、Nショッピングセンターで起こった事故の被害者のうち、一名が死亡』
「このショッピングセンターって、結構近くだ」
「車で一時間ちょっとだな。速報流れるような事故があったのか?」
 父親は再びゆっくりとチャンネルを変えた。病院の前から中継のキャスターが息も白く状況を語っていた。

『本日午後3時過ぎ、Nショッピングセンターで起こった事故の続報です。重体だった被害者が先ほど死亡しました。
 亡くなったのは、K中学2年の日崎鈴子さん、14歳。
 こちらの病院では、そのほか重軽傷者七名が未だ治療中で ――― 』

 亡くなったのは、日崎鈴子さん、14歳 ――― ?

 北沢は、一瞬自分の耳も目も信じられなかった。今、何が伝わってきたのか?
「勝?」
 ソファに座っていた父親に名前を呼ばれて、初めて息をしていなかったことに気付いた。ゆっくりと呼吸を意識する。体が震えて、手にもっていたペットボトルが落ちた。
 恐る恐る目を戻したテレビの画面には、鈴子の画像が映し出されていた。すぐに消えて、重傷者三名の氏名が表れた。
 その中に、『辻真咲』という文字を認め、北沢はぐらりと体が傾くのがわかった。咄嗟に目の前のソファに手をついて支える。異変に気付いた母親が、北沢の肩に手を置いた。
「……『辻真咲』って、あの辻さん?」
 母親は、二度ほど遊びにきた辻を覚えていた。声も出せずに北沢は頷く。自分でも驚くほど、体の震えが止まらなかった。
「この病院なら、すぐわかる。行くぞ」
 父親が車のキーを片手に、立ち上がった。北沢は考える力も失ったまま、父親の後に続いた。


03.06.08

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