Keep The Faith
第4話 ◆ 宝の箱(2)
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 新学期が始まって最初の日曜、駅前の広場にある噴水前で、辻は小さく歌を口ずさんでいた。
 いつの間にか覚えたビートルズは「Lady Madonna」。
「辻せんぱーいッ」
 駅から一直線に駆けてきたのは、森実伊織だった。この前、矢野が言った「チョロQ」という言葉を思い出して、辻は思わず笑った。



 一昨日の昼休み、一年二組の教室に辻が赴いて伊織の名前を告げると、一瞬周囲が静まった。何故か真っ赤になった伊織が、
「何ですか!?」
 と廊下に出てきたときには、もうざわめきはよみがえっていたけれど。
 辻は渡されたばかりの入部届を顔を横に掲げて、ひらひらと揺らしてみせた。
「森実さん、茶道がしたいから茶道部に入るのよね?
 ちなみに、私は茶道部ではないのだけれど」
「えっ」
 伊織はしゅんとなって、うつむいてしまった。北沢は部員候補を一人失ったようだった。
「……中学の頃は、部活してたの?」
「コーラスやってました。でも、高校に入ったら別のことをしたくって」
「コーラス? 中学にコーラス部あったの?」
 辻の知る限り、地元の中学校にコーラス部はなかった。
「ええ、私、県外受験なんです」
 よくよく話をきくと、伊織は現在親戚の家から学校に通っているらしい。入学式二日前にこっちに引っ越してきて、まだ地理にも不案内だということだった。
 教室内や廊下からチラチラと視線が向けられるのがなんだか不快で、辻はふと顔を上げて、教室の中を視線で撫でた。何人かと目が合う。そういえば常々、もう少し人見知りしないようにしろ、と北沢が言っていたっけ。
 辻はゆっくりと、微笑みを浮かべた。
 何人か呆けたように口を開けた生徒もいたが、辻は気にせず伊織に向き直った。
「週末は暇なの?」
「あ、はい」
「そしたら、土曜のお昼一時に駅前に来て。そんなに遊ぶところは知らないけど、私がよく行くお店ぐらいなら案内できるよ」
「え。あ、はい」
 伊織は硬直したまま呆然としていたが、タイミングよく予鈴がなったので、辻は一年の教室を後にした。自分でも、どうしてここまで強引に伊織に関わるのかわからなかったが、なんだか妹ができたようで、放っておけなかったのだ。
 そして、約束の土曜日、お天気もよく気持ちのいい風が吹くなか、二人は並んでショッピングに繰り出した。



 精力的に雑貨やファッション中心の店を回って、少し疲れて辻お気に入りのカフェの入った。

 伊織の目の前で、辻がゆっくりとコーヒーを飲んでいる。意外にもコーヒーはミルクだけ入れる派なんだな、と、伊織はつい観察してしまう。二つ年上だなんて信じられないくらい大人っぽくて、でも、カフェでケーキ選びで真剣に悩んでいるのを見ると、実際はそうでもないのかもしれない、とも思う。
 辻は、いつも下ろしたままの髪を、左耳の後ろでくるりとまとめて、余った髪は無造作に散らしていた。淡いブルーのサマーセーターと、黒のタイトジーンズ、ペディキュアをした素足にブラウンのミュールというコーディネートで、とても高校生には見えない。
「辻先輩は、あんまりスカート、はかないんですか?」
「ん? はくよ。今日は春物衝動買いするつもりで来たから、歩きやすい服で来たの。戦利品もたっぷりで嬉しい」
 得意気に笑う辻の隣の椅子には、大きな紙袋がひとつ。最後に寄った店でベージュのブラウスを買ったときに、五つほどあった紙袋をひとつにまとめてもらったのだ。
「すっごい買いましたね」
「うん、なんかこうやって女同士で買い物くるの久々で、楽しい。試着とかしていろいろ言い合うのって、男の人相手だとあまりできないから」
「……はぁ」
 ノロケられているのだろうか。判断に困った伊織は、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
 とりあえずケーキセットをおいしく頂いて、辻は時計を見た。十六時前。
「もうそろそろ帰る? 結構歩き回ったし、疲れたでしょう」
「えーと……先輩は、まだ時間あるんですか?」
「うん、平気。どこか行きたいところある?」
「……映画、先週から公開してるのがあるんです。前から楽しみにしてたんだけど、初日は忙しくて見に行けなくて……お礼に奢りますから、行きませんか?」
「ワリカンだったら、つきあいましょう」
 二人は顔を見合わせて、にやりと笑うとカフェを後にした。



 辻はあまり映画を見ない。日崎が借りてきたDVDを一緒に見るくらいだが、やはり話題作は見たいと思うタイプだ。劇場で見るのは久々で、ちょっと楽しくなった。
 席に落ち着いてから、伊織が映画の監督や原作について、嬉しそうに話すのも見ていて気持ちよかった。心底楽しそうで、映画好きなのがよくわかる。
 映画自体は、アメリカンコミックが原作で、アクションやロマンスも入り混じり、辻としては結構面白いと思った。予想外だったのは、伊織の反応だ。
 物語が終盤に差し掛かったところで、辻の肩に伊織が寄りかかってきた。辻が隣を見ると、伊織があどけない顔で眠ってしまっていた。
 自分が見たがった映画なのに。きっと緊張もあったし、疲れもあったのだろう。辻はそのまま眠らせることにして、またスクリーンに視線を戻した。
 そのとき、不意に奇妙な感情がわきおこった。

 ――― 既視感。

 自分の隣で安心して寝息を立てる誰か。
 大きな目も、短い髪も、少しせっかちなところも。
 自分を見上げる視線の温かささえ。
 それは、かつて常に隣に居た人物と重なって。

 辻の目に涙が浮かんだ。初対面に近かった伊織に、妙に親しみを感じた理由がやっとわかった。
 誰よりも大切だった友人の名前が浮かんで、胸を締め付ける。
「鈴……」
 かみ締めた唇からかすかに声が漏れて、辻は強く目を閉じた。一筋涙が頬を伝った。

 映画が終わってから、伊織は軽く肩を叩かれて目覚めた。
「ん……ああッ、私寝ちゃった!?」
「うん。起こそうかとも思ったけど、気持ちよさそうだったんで」
「あれから映画どうなったんですか?」
 軽いパニックに陥った伊織は、そのとき初めて辻の異変に気付いた。頬に涙のあとがある。
「……先輩、泣いてたんですか」
 辻は恥ずかしそうに右手で目元を押さえた。
「結構ラスト感動したよ。涙腺弱いの、他の人には内緒にしてて」
 またひとつ辻の意外な面を知って、伊織は「内緒ですねッ」と弾んだ声で言った。

 映画館前で伊織と別れ、辻は重い足を家に向けた。
 来たときはバス停五つ分気持ちよく歩いてきたのだけれど、荷物が増えたこともあって、バスで帰ることにした。近くのバス停に、のろのろとした足取りで向かう。
 なんだか気分がスッキリしなかった。家に帰っても、日崎は仕事で帰宅が遅くなると言っていたので、結局夜半までは一人きりだ。かと言って一人で店に入ってコーヒーを飲む気分でもない。それならまだ、家でソファに倒れこみ、TVで気を紛らせるほうがマシだった。
「なんか……嫌だな。弱気なの」
 つぶやいて足を止めた。ショーウィンドウに映った自分の横顔が見えた。
 身長も伸びて、髪も伸びて、自分でも女らしくなったと思う。けれど、中身がこんなに未熟でいいのだろうか。辻はガラスに映った自分を見つめて、自問自答した。
 そのとき、
「お嬢さん、暗くなっての一人歩きは危ないぞー」
 急に声を掛けられて我にかえった。
 ウィンドウに、歩道側に停止した車が映っていて、見慣れた男が運転席の窓から顔を出していた。シルバーメタリックのトヨタ・カムリが、対向車のヘッドライトで滑らかに光る。
「……矢野さん!?」
 慌てて振り返ると、タバコをくわえた矢野が、手招きをして助手席を指差した。とりあえず乗れ、ということらしい。こんなところでのんびり話しているのも、教師と生徒という関係上まずいので、辻は大人しく車に乗り込んだ。
 ウィンカーを点滅させ、ゆっくりと車が走り出す。
「ずいぶん買い込んだな」
 後部座席に放り込まれた荷物を一瞥する。辻は「ハイ」と素直に頷いて、小さくなった。
「今日、日崎は?」
「仕事。遅くなるって」
 車は混雑する国道を避けて、裏道に入っていった。
「お前、晩飯まだだろ。ウチでピザでも食わねぇ?」
「……今日、トーコさんは?」
 外を流れる景色をぼんやり見ながら、辻は矢野の婚約者の名前を口にした。以前、週末はほとんど一緒に過ごすと言っていたのを覚えていたから。
「……来ないよ。一人で食っても不味いしな……どうする?」
「じゃあ、ご馳走になります」
 ようやく笑った辻を見て、矢野は顔には出さずに、ほっとした。



「じゃあ、今日は森実と一緒だったのか?」
「そう。すっごい映画好きだよ、あの子。
 一緒に靴とか選んでね、楽しかった。新しいワンピも買えたし」
 デリバリーのピザをほとんど食べ終え、矢野も辻も饒舌だった。コーラのペットボトルも空になって転がっている。
「そんなに楽しかった?」
「うん」
 矢野はグラスをおいて、突然、辻の頬に手を伸ばした。驚いた辻が、体を強張らせる。
「だったら、何で泣いたんだ」
 そのまま頬をつままれて、軽く揺すられた。
「……ッ、止めろっ」
 辻は顔を赤くして、矢野の手から逃れた。心拍数が上昇して、耳元で脈を打つのが聞こえたほどだ。
「センセに全部話してみろよ。日崎には内緒にしてやるから。なんなら、今日泊まるか?」
「は!?」
「明日休みだし、問題なし。はい決定。日崎に電話しろ」
 矢野の携帯電話を差し出されて、受け取ったものの、辻はうろたえてうつむいた。
「それはやっぱり、まずいと思うんですけど。和人さんも怒るだろうし、着替えとかないし。
 なんか強引だよ、矢野さん。なんで?」
 矢野はじっと辻を見た。顔を上げて、情けない顔で矢野の真意を探っている彼女の顔を。
「……辻は我慢するから。
 日崎も北沢も、お前を大事にしてるよ。だから、お前は心配かけるのがイヤで、逆に何も言えないんだよな。今日泣いた理由も、誰にも言わずに、またどっかで一人で泣くんだろ」
 辻は目を見開いて、息を詰めた。
 いつも茶化してばかりの矢野が、眼鏡の向こう、優しい瞳で見つめ返してくる。
 どうして、と言いかけて言葉を飲み込む。優しくしないで、と言いたくなるのも。
「……先生モードなんだ?」
「そう。だから今日は、当社比200%くらい優しい」
 ほら、話してみ? と促されて、辻は笑いながらも、また涙が出そうになった。
「思い出してたの、中学のときのこと。
 ……矢野さんは気付かない?」
「何が」
 見つめあっていた辻の視線が、ふと矢野から外れた。彼女の心は、瞬間過去に飛んでいた。
「森実さん……あの子、すごく似てる。外見もそうだけど、人との距離感とか、気の使い方とか。
 ――― 鈴子に、似てるの」
「だから、放っておけなかった?」
「うん……何でかな、まだ時々、鈴子がいないって信じられないの。
 もう三年も経つのにね」
 肩から胸へと流れる髪が揺れた。矢野はしばらく沈黙を守ってから、おもむろに席を立つ。
「今日、泊まっていけ。俺から日崎に電話する。携帯貸して」
 辻が携帯を返すと、矢野はキッチンへ向かった。矢野の優しさがくすぐったくて、嬉しくて、辻はくすくすと笑ってしまった。
「矢野ちゃんが電話したら、ケンカしそうだな。穏便に話してよね」
「お前に言われたくないわッ」
 勢いよく扉を閉めて、矢野は日崎の携帯番号を呼び出した。

 矢野にしてみれば、辻を泊めようと思ったのは勢いだったが、言葉に嘘はなかった。
 確かに、辻は感受性が高いところがある。心に傷もある。けれど、それは誰だってそうなのだ。傷ついて泣いても、血が流れるとわかっていても、どうするかは辻が選ぶことで、周りが決めては意味がない。矢野はそう考えている。
 いくら辻が親しい人間にしか興味がなくても、今回の伊織のように、鍵を開ける人間が必ずでてくる。パンドラの箱だって開いたのだ。
 コール音が響くなか、気配を感じて振り向くと、矢野の心中を独占している相手が不安気に顔を覗かせていた。
「盗み聞き禁止」
 改めて、ピシッと扉を閉め切る。耳元でコールが途切れた。
『はい、日崎です』
 落ち着いた友人の声が耳に流れ込む。その途端に、矢野は以前、日崎が言った言葉を思い出した。

 ――― 歪みは、ひとつじゃないですから。

 歪んでんのは、お前らの愛情だよ。
 心の中でつぶやいて、矢野は窓の外に視線を移した。
 穏やかな闇の中、静かに雨が降り始めた。


(宝の箱/END)
03.05.26

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