7777Get、naoさんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
恋待ちの君◆4

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【side:H】

 電話を取って驚いた。掛けてきた相手が、沢渡だったから。四日ぶりに聞く、ちょっと硬質な声。
「沢渡? どうしたんだ、電話してくるなんて」
 相変わらずのキリッとした顔が思い浮かんで、思わず笑ったけれど、それに対して沢渡の声は低かった。
『……今、中央病院にいるの。図書館で、鈴子ちゃんたちと一緒になってね。
 帰り際に、鈴子ちゃん発作起こした。もう収まってるけど、今、主治医の先生が見てくれてる』
 細い、不安そうな声。
「わかった。連絡ありがとう。悪いけど、僕が行くまでそこに居てくれないか? すぐ行くから」
 うん、と受話器の向こうで強く頷く声が聞こえた。父も母も、親戚の家に行って留守だった。父親の携帯電話に連絡をして、保険証や財布をディパックに放り込んで、家の鍵を掴む。
 最近、全然発作を起こしてなかったから、油断してた。すぐ収まったってことは、小さい発作だったんだな。不幸中の幸い。愛用の自転車に飛び乗って、家から5分の病院へ向かう。
 昔から何度もこの道を走ったけど ――― あまりいい思い出はない。

 病院の自動ドアをくぐって進むと、診察室の前に沢渡と辻が座っていた。僕の足音に気付いた辻が、パッと顔を上げて、廊下を走ってくる。駆けながら、その顔が歪んで、僕に抱きつく頃には泣き顔になった。
 胸に顔を押し付けて、声を殺して泣いている辻の頭を撫でる。
「不安だったよな。ありがとう、辻。鈴子は?」
「……中。もう大丈夫だって、お医者さんが言ってた」
 張り詰めていたものが緩んだんだろう、辻はなかなか涙が止まらなくて、何度も涙を拭った。その背中を軽く叩きながら、椅子に座ったままの沢渡を見た。
「連絡ありがとう。沢渡が一緒で、助かった」
「……別に、何もしてないよ。全部辻ちゃんがしてくれたから。私は見てただけ」
 笑った顔がぎこちない。当然だよな、鈴子の病気のことは、教えてなかったから。
 うつむいた沢渡に、辻が近づいた。
「そんなことないよ! 茜さん、ずっと手を握ってくれてた。鈴の側にいてくれたよ?」
 辻が涙の乾かない顔で見上げると、沢渡は困ったように笑った。

 診察室の扉が開いて、鈴子と主治医の先生が出てきた。
「和人君。早かったね」
「先生、いつもお世話になります」
 僕の父よりまだ年上の先生に頭を下げるのと、鈴子が飛びついてくるのが同時だった。全くコイツは、心配ばっかりかけて。
「今回は軽い発作だったから、もう大丈夫。帰ってもいいですよ」
「どうも、ありがとうございました」
 甘えてくる鈴子を抱き上げる。結構重くなった。もう11歳だもんな。

 話しているうちに両親が来たので、鈴子と辻を連れて帰ってもらうことにした。沢渡は、ウチの親に再三礼を言われて、居心地が悪そうだった。
 他の人間が居なくなってから、沢渡の隣に腰を下ろす。
「ごめんな、言ってなくて。びっくりしただろ?」
「うん……心臓、いつから悪いの?」
「先天性。あれでも、最近は発作も減って、入院することも少なくなったんだ」
 そう、と言ったきり、沢渡はまたうつむいてしまった。いつも一つに纏めている髪は、今日はルーズにピンで留められただけで、長さが足りない髪が頬に掛かっていた。
 少し震えているように見えるのは、僕の気のせいだろうか?
「やっぱり、驚くよな……俺や辻は、慣れてるけど」
 浅く笑うと、沢渡がキッと顔を上げた。眼鏡の向こうの目は、涙で潤んで赤くなっていた。

「馬鹿なこと言わないで! 慣れるわけないでしょう!?
 どうして、そういうこと言うの? 平気なフリしないでよ。
 他人の私でも、こんなに不安で ――― 怖かったんだよ!? 辻ちゃんだって、震えてた。お兄ちゃんの日崎君が、不安に思わないわけないじゃない」

 ――― だって、仕方ない。僕が不安がってたら、鈴子が心配する。もし僕が泣いてたら、自分のせいだって、鈴子はまた泣くんだ。だから、感情を押さえる癖がついた。
 でも、そんなこと、沢渡には言えない。堪えきれずに唇を噛んで涙を溢れさせた彼女には。

「沢渡、手、出して」
 手の平で涙を拭っていた沢渡は、僕の言うままに左手を差し出した。自分の右手をそっと重ねる。
 言い訳するみたいに、
「心細いから」
 と言うと、沢渡の視線が、握られた二人の手をじっと見た。次第にその顔が、泣き笑いみたいになる。
「――― 日崎君も、不安になる?」
「なるよ。だから、もうちょっとこのまま、な?」
「寂しいから?」
「……そう。置いて帰られたし」
 それなら仕方ないね、とつぶやいて、沢渡はようやく笑った。
 
 やっぱり沢渡は、怒ってるか、笑ってる方がいいな。

 しばらく正面を向いたまま、手を繋いで座っていた。廊下の角から、こっそり鈴子と辻が覗いているのに途中で気付いたけど、止めなかった。ふたりに、しばらくは嫌っていうほどからかわれるのはわかってた。
 ……でも、沢渡が泣くのは、もう見たくない。
「外、暗いから、送っていくよ」
 病院を出た頃には本当に薄暗くなっていて、自転車の後ろに沢渡を乗せて走ると、少しずつ空に星が増えていった。
 


【side:S】

 自転車の後ろに乗って、まっすぐ前を見ていた。彼の肩に置いた手が熱かっくて、肌を撫でていく夜の始まりの風が心地よかった。
「沢渡、家に連絡入れた?」
 家まですぐ、というところで日崎君に言われて、あ、と思った。
「……忘れてた」
「そっか。遅くなったし、ちゃんと僕からも理由説明するよ」
「えっ、いい! うち、そんなにうるさくないから、大丈夫!」
 逆に、弟とか親に彼氏扱いされるのが目に見えてる。
「駄目だよ。ほら、もう着いた」
 ゆっくりとブレーキをかけながら、彼は顔を上向けて私を見上げた。うつむいていた私の顔との距離は、10センチぐらい。うわ、こんな至近距離、反則!
 思わず彼の肩から手を放しかけたとき、自転車が止まって、反動で背中から彼に抱きつくようになってしまった。
「……ごめんッ」
 焦って自転車から降りる私を笑いながら、日崎君は、自転車を庭の隅に持っていった。私の荷物を持ってスタスタと玄関へと向かう。
「ひ、日崎君! 本当、いいから」
 そのとき、タイミング悪く母さんが出てきた。初対面の日崎君に訝しげな視線を投げて、すぐに私に気付いた。そんな母の様子に構わず、挨拶する日崎君。
「こんばんは」
「あ、こんばんは。……どなた?」
 最後のセリフは私に対して。
 ――― ごめんね、失礼な親で。初対面の人間を指さすなっつーの。

「日崎といいます。今日は、茜さんにずいぶんお世話になったので、お礼に伺いました。
 妹が心臓の発作を起こしたときに、側に居た茜さんに助けてもらったんです。そのせいで、送るのが遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。
 帰宅が遅かったのは、彼女のせいじゃありませんから」
「まあ、わざわざ、どうも」
 にこっと笑った彼を、母は惚けたように見つめている。気持ちはわかるけど、重ねて失礼だから。
 母さん見てたら、なんだか冷静さが戻ってきて、私は日崎君の隣に行くと、その手から荷物を受け取った。
「日崎君、送ってくれてありがとう」
「――― 沢渡も、本当に今日はありがとう。また明日な!」
 母にぺこりと頭を下げて、自転車で颯爽と暗くなった道を走っていった彼。見送っていると、母がそろりと隣に並んだ。
「感じのいい男の子ねぇ。あの子があんたのカレシなら、お母さん大賛成よ」
「ただの友達ッ!」
 ああもう、どうせ一度もカレシを紹介したことのない娘ですよ、私は!
 
 自分の部屋に入ると、ようやく落ち着いてものを考えられるようになった。それでも、頭の中は、今日一日のことでいっぱいだった。
 
 今日は、ちゃんと眼鏡かけてた。彼の顔だってちゃんと見えた。
 『心細いから』『不安だから』『もう少しこのまま』。
 わかってたよ、それは彼の本心じゃないって。全部私の心の言葉。私のことを考えて、言ってくれたんだって。
 側で彼に見つめられながら、あんなセリフ言われたら、誰だって恋に落ちるって……やっぱり思った。

 ぐるぐる思考が回る。鈴子ちゃんのこととか。
 日崎君のことも、いろいろわかった。彼がどうしてあんなに温和なのか。鈴子ちゃんだけじゃない、日崎君も、きっといろいろなことを我慢しているんだと思う。
 彼は、とても深い人間……もっと知りたいな。これは好奇心じゃない。
 思い出すだけで、彼と手を繋いでいた感覚まで蘇って、顔が赤くなるのがわかった。

 ああ、もう認めよう。自覚しよう。
 明日、補習の帰りにコンタクトを買いに行こう。美弥に相談して、作戦も立てなきゃ。
 ベッドに寝転がって、笑いそうになる顔を両手で覆った。
 ――― それが、私が初めて恋に落ちた日。


03.08.03

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