30000Get、綾瀬 麻結さんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
恋路◆余話 〜stay with me〜

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 カタタン、と心地よく揺れながら、電車は闇を切り裂いて走る。
 矢野は見るともなく窓の外を見ていた。トンネルを抜けても、闇の深さは変わらない。時折光がものすごい速さですれ違う。さっきまで、そうした景色を『カムパネルラになった気分』と言っていた辻も、今は矢野の肩に頭を乗せて目を伏せてる。
(ずいぶん気を張ってたみたいだし、疲れたんだろうな)
 矢野は辻の髪を撫でて、同じように目を閉じた。
 すると、まるで矢野がそうするのを待っていたように、辻の睫が震え、ゆっくりと瞼が持ち上がった。辻は微動だにせず、視線だけ動かして車両の出入り口上にある電工掲示板を見た。次の停車駅の名前を確認すると、再びゆっくりと瞼を閉じた。
(なんだろう、この感じ)
 どんどん大きくなっていく不安感。あれほど矢野と今後のことを話したのに。何も心配はなくなったはずなのに。

 ――― 次の駅で矢野は降りる。明日は平日だし、二人一緒に同じ車に乗り込むところを学校関係者にでも見られたら言い訳もできない。予定より帰ってくるのが遅くなったせいもあって、お互い最寄駅で降りることになっていた。辻の降りる駅は、あと二つ先だ。
(こんなに近くに居るのに、なんで切なくなるの?)
 寝たふりをしたまま辻が考え込んでいると、矢野がトントンと肩を叩いてきた。
「もう着くから」
 矢野を見上げて、たった今目覚めたように瞬きを繰り返すと、辻は自分の感情をごまかすように、突然矢野の頬に口づけた。一瞬の出来事で、周囲の人間は気づかない。
「……辻?」
「今日はありがとう、すごく楽しかった。また京都行こうね!」
 にっこり微笑む辻に、矢野も安心して席を立った。電車が失速する。乗降口に向かう矢野の背中を、辻はじっと見送った。カタンカタン、と響く電車の音までなんだか寂しい。

 電車を降りてホームに立った矢野は、さっきまで自分がいた座席の側に立った。窓の向こう、辻は笑顔で小さく手を振る。矢野はいつものように軽く手を上げて、そのまま立ち去ろうとした ――― その足が止まる。
 電車が動き出す間際、矢野の視界のなか、辻はふと真顔になった。その頬に一筋涙が伝うのを見て、矢野は目を見開いて加速する電車を見送った。
(――― 涙!?)
すぐ辻の携帯に電話したが、電波状況が悪いらしく繋がらない。苛立った矢野は改札を出てすぐ駆け出した。カムリに飛び乗る。辻の降りる駅まで、急げば15分ほどで着く。
「……俺が泣かしたみたいじゃないか!」
 眼鏡を掛けなおし、矢野はグッとアクセルを踏み込んだ。



 辻のバッグの中で、携帯が震えていた。わけもなく溢れてきた涙を拭って、辻は携帯を開いた。メール着信、差出人は日崎だった。
『――― 旅行はどうだった? 0時頃に帰るから、先に寝てていいよ。おやすみ。 和人』
 誰も待っていない家に帰るのは憂鬱だったが、仕方ない。それにしても、どうしてこんなに悲しいのか? 辻は自分の感情が理解できずに、首を傾げた。すると、手の中の携帯が再び震え出した。
「……もしもし」
 ぐすっ、と鼻を啜りながら出ると、矢野の溜息が受話器の向こうから聞こえた。
『駅の西口にいろ。絶対動くなよ』
 プツッと通話が途切れる。通話時間、わずかに7秒。
 辻は窓ガラスに額を押し付け、もう一度大きくしゃくりあげた。人の目が気になって、席を立つと車両の連結部分でぼんやりと壁にもたれて立つ。真っ暗なガラスに映る自分の顔があんまり情けなくて、辻は涙を拭うと苦笑いを浮かべた。

 言われたとおり、駅西口のベンチに座っていた。すぐ側に交番があるので、明るい上にナンパしてくる男もいない。息が白いのに気付いて、辻は肩をすくめた。急に寒さが足元から這い上がってくる。
 同じ電車に乗っていた人々も、家路を急ぐのだろう、すぐにいなくなってしまった。手が冷えてきたので、缶コーヒーを買おうと辻が立ち上がったとき、滑り込むように一台の乗用車が入ってきた。見慣れた銀色のボディ。
「乗って」
 運転席から腕を伸ばして、矢野がドアを開ける。不機嫌な声に、辻は俯いて助手席に座った。
 車は辻の住むマンションに向かわず、駅からすぐの公園駐車場に停まった。昼間は車でいっぱいの駐車場も夜はガラガラに空いていて、外灯が寂しそうに片隅で光を放っていた。エンジンを止め、矢野はようやく辻に向き直り、無造作にその頬に触れる。涙の跡は、薄暗さの中でも確認できた。
「何、泣いてんの?」
「わからないけど、涙出てきた」
 そう言うと、辻は俯いていた顔を上げ、不自然な体勢で矢野に抱きついた。上半身だけを捻るようにして、矢野の首に腕を回し、胸に強く頬を押し付ける。
「……まだ不安なのか?」
 背中に触れる矢野の指を感じながら、辻はゆるく首を振った。
「じゃあ、どうして? 俺、結構愛情注いでるつもりだけど ――― 伝わってない?」
 矢野は辻の腰に手を回すと、強引に抱き上げた。自分の上に重なるように移動させ、シートを倒すと、辻の髪が矢野の頬を撫でた。
 辻は泣きたいような、困っているような不思議な表情を浮かべて、矢野を見た。

「 ――― 矢野さんと離れたくなかったの。もう少し側にいたかった」
 
 囁くように告げられて、矢野は声を出して笑った。辻をぎゅっと抱きしめる。
「10時間離れるだけで泣いてるようじゃ、遠距離なんて無理だよ、辻。やっぱり、春から一緒に暮らそう。もし真琴さんが許してくれなくても、俺が近くに引っ越すから大丈夫。もう決めた」
 何か言いかけた辻の唇をキスで塞ぐ。すぐに辻の手が伸びて、矢野の眼鏡を外した。触れるだけのキスなら平気だけれど、ちゃんとキスをするときは邪魔になる。次第に冷たかった手足が温まりはじめる。
「今日はおとなしく帰ろうと思ったのに、お前のせいだからな」
「……ここでするの?」
「まさか! キスだけだよ。これから一ヶ月、お前の受験終わるまで禁欲生活だから」
 そうだね、と笑いながら辻も頷く。
 キスの合間の会話が減って、乱れた呼吸が狭い車内に熱を放つ。曇った窓ガラスの向こうには、相変わらず外灯だけが佇んでいた。



 日崎が帰宅すると、リビングのソファに眠る辻と、辻の頭を膝に載せたままニュースを見ている矢野がいた。

「京都、どうでした?」
「綺麗だったよ、紅葉。それより、お前仕組んだだろ ――― 俺と辻がちゃんと話せるように」
 腕組みをして、細めた目で見据えてくる矢野に、日崎は苦笑を返した。コートを脱いで背もたれにかける。
「まあ、否定はしません。辻が矢野さんに話せないって悩んでたの知ってましたから、いい機会だと思ったんです。ただ、急用が出来たっていうのは嘘じゃありませんよ。上司が風邪で倒れて、仕事のシフトが変わったんです」
「なんだ、つまんねーの。絶対オンナだと思ったのに」
「期待に応えられなくて、すいませんね」
 休日返上ですよ、とコーヒーを片手にキッチンから戻ってきた日崎の疲れ方に、何か違和感を感じた矢野だが、深く追求して喋る相手ではない。
「辻と日崎って、一人で抱え込むとこが似てるよな」
 そうですか、と日崎は目を伏せた。あどけない辻の寝顔に自然と目がいく。辻の左手の指は、矢野の指と絡まったままだ。繋いだ手に注がれる日崎の視線を感じて、矢野は口を開いた。
「コイツが寂しくなるのも、当然だと思う。卒業したら北沢とも離れるし、日崎との同居も解消だろ。全く新しい環境に馴染めるだろうか、って不安になるよな……それでなくても人見知り激しいのに」
 矢野は辻の髪をそっと撫でると、繋いでいた指を外し、その体を抱き上げた。
「ベッドに寝かせてくる」
 腰を浮かせた日崎の先手を取るように、言葉を足した。
「寝てる女に手ぇ出す趣味はないよ。着替えさせるだけだ」
 日崎の安堵する息を背中に聞きながら、矢野は辻の部屋のドアを開けた。

 真っ暗な部屋の明かりをつける。辻をベッドに横たえて、クローゼットからパジャマを取り出した。暖房を入れていなかった部屋は肌寒い。矢野は慣れた手付きで辻のセーターとコーデュロイパンツを脱がせると、ブラのホックを外して器用にキャミソールの下から引っ張り出した。この期に及んでも辻は眠ったままだ。よほど疲れていたのだろう。
 パジャマを着せて布団を被せる。矢野は唇に軽くキスして、辻の手を宝物のように両手で包み込んだ。
(……何も不安に思うことなんてない。誰よりもお前が大事だよ)
 ベッドサイドに跪いて、辻の手の甲にも唇を押し当てる。

 忘れないで。
 ――― この手を離しはしないから。
 

(恋路/END)
03.11.22

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