30000Get、綾瀬 麻結さんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
恋路◆3

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 後ろから歩いてきた観光客が二人を追い抜いていく。彼らの足音が遠ざかると、再び静寂が訪れた。辻は何を言えばいいのかわからなくて、ただ矢野から目を離すことができずにうろたえた。
(だって、側にいられなくなったら、どうしたらいいの?)
 いつでも触れ合える距離を知ってしまったからこそ、不安は尽きない。毎日会ってもまだ足りないのに、離れることが出来るだろうか。離れて、平気で日常を送れるだろうか。   
 ――― 心まで離れてしまわないだろうか。

「先の事を悲観して今の二人まで否定してどうする。刹那的に、今だけよけりゃいいって言ってるわけじゃないんだ。わかるだろう? 
 楽しいことだけじゃなく、そうやって悩むのも苦しむのも、二人一緒にやろう。後から笑い話にできるさ、深刻ぶって、こんな話をしたこともあったな、って」
 矢野はいつもと同じように冗談めかして笑うと、辻の頭に手を置いた。辻は見慣れた矢野の顔を見上げ、独り言をいうようにぽつりと言葉を吐き出した。
「まだ、気持ちの整理がつかないの。
 私、おかしいのかもしれない。時々、もう矢野さんだけでいいって思うときがある。世界がどうでも、周りがどうでも、矢野さんが私の側にいてくれるなら、それだけでいいって……間違ってるって、ちゃんと知ってるのに。そんなこと考えたら駄目ってわかってるのに」
(こんなに浅ましい自分がいるなんて……知らなかった)
 欲深さに吐き気がする。それでも願いは偽りなく存在した。独占欲か、支配欲かなんてどうでもいい。
( ――― 私は、この人が欲しい)
 
 矢野の手がゆっくりと辻の髪を撫でて、その頬を包み込む。思いつめた目をした辻の心をほぐすかのように、ふにっと両の頬をつまんだ。
「ひゃめてッ」
 口付けられるかと身構えていた辻は、不意をつかれて吹き出した。矢野の手から逃れて引っ張られた頬を擦る。矢野はニヤリと意地悪な顔をして、辻の肩をグイと引き寄せた。
「離れても、大丈夫かな……私たち、終わったりしないよね?」
「終わるわけないだろ。少なくとも、俺は終わらせる気なんて全くないね」
 抱きしめられて見上げた矢野の、言葉も表情も自信に満ちていた。辻は、ほう、と吐息して素直に矢野に体を預けた。ゆるく抱きしめられ、こめかみにキスが落ちてくる。矢野の腕はそのまま辻の腰まで下りると、そっと歩くよう促した。
「で、辻は何になりたいんだ?」
 ゆっくりと歩きながら、辻は言葉を選ぶように話し始めた。
「理学療法士。リハビリの計画立てたり、指導をする人になりたいの。前から興味があって……私自身、事故のあと、いろいろな人に助けられたけど、リハビリ指導してくれた人にすごく希望をもらったんだ。人の体って、ここまで回復するのかって驚いたし。去年ぐらいから、スポーツ関係か医療系か、どちらかに進もうと思ってたんだけど、やっと決めた。
 もう願書は提出してるの。来月中旬に一次試験があって、通ったらクリスマス前に二次試験。受験する専門学校はね、ウチから40分くらいのところにあるの。通えないこともないけど、卒業したら今の家は出ようって決めてたから ――― 和人さんと一緒にいられるのも、あとちょっとなんだ」
(そして、矢野さんととこうして毎日のように会えるのも……)
 寂しそうに微笑んで、辻は空を見上げた。雲の切れ間から太陽の光が差し込んでくる。

 矢野は学校の名前を聞き、しばらく黙って考え込んでいたが、さりげなく辻の手を握ると口を開いた。
「辻、二人の未来を一人で狭めるなよ。状況は変わるし、自分たちでも変えられる。
 ウチの高校と、辻が受験する学校まで、高速使えば車で1時間しかかからない。ちょっと不便かもしれないけど、中間地点で部屋借りて一緒に住めばいいんだよ。毎日顔も見られるし車で三十分は、十分通勤圏内だ。わかるか?」
 思いもしなかった提案に、辻は驚いて矢野を見上げた。
「一緒に暮らすの? ……私と矢野さんが!?」
「そういう選択肢もあるってこと。辻が受かったらの話だけどな」
「だって……そんな、私の都合で矢野さんに引っ越しまでさせるなんて」
 申し訳なさそうに顔を曇らせた辻の額を、矢野の指が軽く弾いた。軽い痛みに、辻は反射的に目を瞑る。
「ばーか。俺が嫌なの! 一週間に一度しか会えないなんて、ごめんだからな」
 そう言うと、矢野は突然辻を抱きしめた。辻の耳元に口付けながら囁く。
「それでなくても、バイト先やら新しい学校で、辻が誰と知り合うかわからないのに。頼むから、他の男と恋に落ちて、俺を捨てるようなマネしないでくれよ?」
「情けないこと言わないで」
 胸いっぱいに矢野の匂いを吸い込んで、辻はクスクスと笑った。矢野も笑うと、一瞬だけその腕の力を強めた。情けなかろうが、泣き言だろうが、気持ちはストレートに伝える。
(いくら相手を想ってても、口にしないと伝わらない。俺はそう思うんだよ、辻)
 トーコと別れたのは、馴染みすぎて、気持ちを伝える努力を怠ったからだ。側にいて当たり前、口にしなくても思いは伝わると、お互いの為の時間を疎かにした。言いたいことを胸にしまって、相手のことを優先させて ――― 間違ってはいなかったと思う、ただ、どこかで擦れ違ってしまっただけで。
 辻に対して、同じ過ちを繰り返したくなかった。辻には我慢をさせたくない。少しでも自分のことで不安を感じているなら、全部取り除いてやりたかった。

 そんな矢野の心中も知らず、辻は腕時計に目をやると、矢野の腕から抜け出した。
「そろそろ清水寺行こうよ」
「もう観光する気分じゃない。帰って辻とゆっくりしたいね、俺は」
 ぽそりとつぶやかれた言葉に、辻は眉を寄せて矢野を見た。
「せっかく京都来たのに……清水寺にある地主神社、縁結びの神様なんだよ。行かないの?」
 矢野は辻の言わんとしていることを悟った。二人の今後のことをお願いに行きたいわけだ。
(こういうとこ、年相応だよなあ)
 可愛らしい、と思いつつ腰を折って辻と目線を合わせた。
「これ以上縁深くなってどうする。第一、神様に頼むより、俺に頼んだ方が確実だって。願い事、言ってみな?」
 優しい口調に、何か騙されていると思いながらも、辻は思っていることをそのまま口にした。

「 ――― 矢野さんと、ずっと一緒にいたい」

「その願い、叶えてしんぜよう」
 矢野の芝居がかった言葉に、辻は小さく吹きだした。
「もう、こっちは真剣なのに!」
 声を上げて笑う辻を、矢野の腕が再び引き寄せる。辻は笑ったまま、されるがまま矢野の背中に腕を回した。背中を撫でる矢野の手が心地よくて、ようやく笑いすぎて震えていた肩が落ち着く。矢野はその肩に頬を押し付け、腕に力を込めた。

「俺は、辻より先に死なないよ」
 本当に小さな声で、矢野が囁いた。耳元で告げられた言葉に、辻は顔を上げようとしたが、矢野の手にやんわりと押さえられた。抱きしめられたまま、目を見開く。
「急にいなくなったりもしない。辻が望む限り、側にいるから」
(――― 辻が何を怖がってるのか、わかってるから)
 矢野がどんな表情をしていたかは、辻にはわからなかった。それでも、その言葉の重さを知っていた。それが矢野の本心だということも。
「……はい」
 目を閉じて、そっと微笑んだ。瞼の裏に、ずっと見ていた真っ赤な木々が残る。
 これから毎年、二人は紅葉を見る度にこの日のことを思い出すだろう。この幸福な誓いの言葉を。
 



 真如堂の拝観時間も終わりに近づく頃、頼まれて二人の写真を撮った青年も、境内を後にしようとしていた。雨で散った落ち葉のせいで赤くなった境内を気分よく歩く彼の前を、矢野と辻が歩いていた。
(あの二人、さっきの)
 辻の黒髪と清廉な美しさが印象的で忘れられなかった。腕を組んで歩く二人を何気なく見ていた青年は、仕舞っていたカメラを慌てて取り出し、再び構えた。雲の切れ間から次第に日が差し込んで、光の階段を浮かび上がらせる。偶然が作り上げた目の前の光景を、撮らずにはいられなかった。
(……幸せそうだよなぁ)
 見ているだけで、青年の口元に笑みが浮かんだ。シャッターを切る。

 差し込む光に照らされて、深紅の道を歩む二人 ――― それはさながら、バージンロードを歩む花嫁と花婿のようだった。


03.11.19

NEXT : BACK : INDEX : HOME  


Copyright © 2003-2006 Akemi Hoshina. All rights reserved.


inserted by FC2 system