9999Get、胡蝶さんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
月下逢瀬◆1

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 逢えないからこそ想いは募って
 たった数日離れただけで もう死にそうに焦がれている
 声を聞かせて 触れさせて
 月下麗人 その柔肌に



 真昼の空港ターミナルに降り立った辻真咲は、くるりと周囲を見渡した。しばらく国外に出ていると、日本人の慌しさに驚く。どうしてこんなに早足で歩くのだろう。毎日、泳いで昼寝をして星を見ていたバカンス帰りの身では、尚更にそう思った。
 辻は、ようやく捜していた顔を見つけて、ゆっくりと歩き出す。相手は、まだ辻に気付かずに視線をさまよわせていた。
 オレンジ色のサングラスをかけ、小さな革のトランクひとつを持って、辻は彼の目の前に立った。

「ただいま、矢野さん」
 彼女を迎えに来ていた矢野健は、眼鏡の奥の目を大きく見開いた。
「――― 辻か!?」
「そうだよ。わからなかった?」
 すぐにはわからないだろう、と予想していた辻は、期待通りの矢野の反応に嬉しくなった。
「思いきったな」
「うん。イメージ変えようと思って」
 矢野の手が辻の髪に触れた。夏休み前は、背中の中ほどまであった艶やかな黒髪が、鎖骨までの長さになっていた。サイドの髪は、やわらかな曲線を描いて肩に落ちている。
 よく日に焼けた肌の色に似合っていたが、旅行前とはずいぶん印象が違った。下ろした前髪が、大人っぽい顔立ちに愛らしさを加えている。
「……前の方がよかった?」
 矢野があまりにも凝視するので、辻は不安になって首を傾げた。矢野は辻の髪をいじっていた指をそのまま首に持っていき、項まで滑らせた。焦らすように髪の中に埋めてから首筋へと滑らせると、辻の背中に震えが走った。矢野は微かに笑みを浮かべた。
「いや、前のもよかったけど、コレも気に入った。よく似合ってる」
 耳元でささやくように言って引き寄せる。辻は赤くなった顔を隠すように、矢野の胸に顔を埋めた。

「――― やっと、会えた」

 くぐもった辻の声よりも、矢野のシャツを握る手の強さが辻の想いを矢野に伝えた。ぎゅっと一度だけ抱きしめて、矢野は辻の足元のトランクを手にすると、反対の手で辻の手を握った。
「おかえり」
 辻の耳に届かないくらいの小さな声は、切なくて色っぽくて、辻は矢野を過剰に意識している自分に気がついた。
(10日間離れていただけで?)
 斜め後ろから見上げると、耳から首へと流れる精悍なラインがすぐそこにあって、広い背中にそのまま抱きつきたくなった。胸が苦しくなる。
「矢野さん」
「ん?」
 つないだ手に少しだけ力をこめて、辻は彼を見上げた。
「このまま、矢野さんちに行きたい」
「――― そのつもりだけど?」
 振りかえって辻を見下ろした矢野の顔は、意地悪な笑顔だったけれど、声からは期待が明らかで、辻は手を離してその腕にぎゅっとしがみついた。



「バリは楽しかったか?」
 辻は矢野が煎れてくれたアイスコーヒーを一口飲んで頷いた。久しぶりの矢野の部屋は、当然ながら、彼の匂いと気配で満ちていて、辻の気持ちを落ち着かせた。

「うん。本当にのんびりして、1日12時間ぐらい寝てた。あとは泳いで食べて、ママと話して、月とか見ながら散歩して。でもね」
「……でも?」
「ここに矢野さんが居てくれたらいいのに、って思った。この景色を教えてあげたいなって。マンゴスチンも一緒に食べたかったな」
 矢野の肩に頭をのせて、辻はその顔を見上げた。
「今度一緒に行けばいい」
 矢野は微かに笑うと、辻の手の中のグラスをそっと取り上げ、机に置いた。白いシンプルなタンクトップから、すらりと伸びる辻の腕をゆっくりと撫でる。
「綺麗に焼けたな」
「二日目まで下焼きしてから焼いたから。暑いのも気持ちよかったよ」
 肩に口づけを落として、矢野はタンクトップの裾から手を入れた。滑らかな肌を滑る指の感触。唇への掠めるようなキス。
「どこまでこの色なのか、確かめさせて」
「確かめるだけ?」
「いや、抱く」
 あまりにもストレートな会話に、辻は声を上げて笑いながら、矢野に押し倒されるままソファに体を横たえた。口づけを繰り返して、お互いの服を一枚ずつゲームのように脱がせていく。窓の外の太陽はまだ高見にある。プールでは小学生が歓声を上げている時間、彼らは抱き合う歓びに声を上げた。



 本能の赴くままに愛し合った二人は、シャワーを浴びて下着姿でベッドに転がった。
 真夏の日差しに、さすがにクーラーを効かせた部屋でまどろむ。
「和人さんが戻るまでには、帰らなきゃ……」
 辻がつぶやくと、矢野も「そうだな」と頷いて、腕の中の辻の背中を撫でた。はっきり浮き出たビキニの日焼けラインを指でなぞる。矢野の腕にすっぽりと収まって、肩に顔を埋めるようにぴたりとくっついている辻は、矢野にとって体の一部のようだった。
 離れたくない。
「またしばらく会えないな。なんで研修、明日からなんだ」

 矢野の口から大きな溜息が漏れた。明日から三日間、矢野は泊りがけの研修会に参加しなければならなかった。その後は日崎が夏季休暇に入るので、辻は例年通り日崎と一緒に彼の実家に帰ることになる。鈴子の墓参りに行くのはもちろんだが、日崎の両親は、辻を鈴子と同様に実の娘のように可愛がっているので、辻が来ることを心待ちにしているのだ。
 矢野の方も、気は重いが盆は田舎に帰ることになっている。秋に予定していた結婚を取りやめてしまったので、親族と顔を会わせるのは気まずいのだが、それは自業自得と言い聞かせるしかなかった。
 そういう事情が重なって、二人は明日から再び、一週間近く会えない。

「――― あのな、旅行行かないか? 19日から、一泊二日で」
 低く囁くと、辻が勢いよく体を起こした。眠そうだった目が、一瞬で期待に輝く。
「行く! 行きたい。もう場所決めてるの?」
「実は、旅館の予約もしてある。21日、誕生日だろ? 当日は一緒にいられないから、せめて前日に祝わせろよ」
 見上げて矢野が笑うと、辻はゆっくりと満面の笑みを浮かべた。
「……知ってたんだ」
「当然」
 8月21日。辻真咲が生まれた日。
 毎年、何があっても母親の真琴は会いに来る。どれだけ仕事が忙しくても、一睡もしていなくても。だから辻は、あえて矢野には何も言わなかった。その日を一緒に過ごすのは、真琴と決めていたから。
 矢野が初めての旅行を計画していたなんて思いもせずに。
「こんな風に大事にされて、いいのかな」
 辻は嬉しくて、矢野の上に重なるように抱きついた。汗ばんだ矢野の胸に頬をこすりつけて、軽く口付ける。
「一緒にいたいのは、俺も一緒。温泉旅館だからな? 一泊って言っても、寝かせないぞ」
「臨むところ! 矢野さんが眠いって言っても、キスして起こすからね」
 悪戯っぽく言う辻に、眠くなくても寝たフリをしようと、心に決めた矢野だった。


03.08.25

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