9999Get、胡蝶さんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
月下逢瀬◆2

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 旅行当日、天気は快晴だった。
 くれぐれも羽目を外さないこと、と眉間に皺を寄せた日崎に何度も言われていたのに、辻は行きの車の中から、はしゃぎっぱなしだった。一泊にしては荷物が多いと思ったら、浴衣を持っていってるのだと言う。夜、小さな花火大会があることを伝えたのは矢野だったが、予想以上に楽しみにしている辻に、彼の心まで浮き立った。

 高速道路は、盆が過ぎていることもあって、予想以上にスムーズに流れて、予定より早めに矢野の愛車は高速のインターを下りた。そのまま、海岸沿いの国道をひた走る。防風林の向こうに見える砂浜は、強い日差しに輝いていた。
 助手席側の窓からじっと浜を見ていた辻は、顔にかかる髪を押さえて、矢野を振り返った。
「矢野さん、まだ時間ある?」
「あるよ。海、行くか?」
「うん!」
 矢野は辻の笑顔に頷くと、途中で防風林の中へと伸びる狭い道へ入っていった。重なる枝に日差しが和らいだのは一瞬で、車はすぐに砂浜にたどりついた。かろうじて砂地ではない場所にカムリを停めると、辻はすぐに車を下りて波打ち際へ駆けていった。
 矢野は呆れた顔で辻の背中を見送ると、長く続く砂浜を見渡した。遠くで、ボードをしている少年たち。海水浴場ははるか彼方にあって、矢野たちがいる場所は、喧騒にかき消されることもなく、波音が耳に届いた。
 あつっ、という辻の声に視線を戻すと、辻がミュールを脱ぎ捨てたところだった。影のない砂浜は、予想以上に焼けていて、下手に素足で歩くと火傷しそうだ。
「転ぶなよ!」
「平気―ッ。矢野さん、早くー!」
 ぱしゃんッ、と水音を立てて、辻が海へと入っていった。白いスカートの裾を持ち上げ、ふくらはぎまで濡らして、矢野に向かって無邪気な笑顔を向ける。矢野はゆっくり足を進める。途中で辻のミュールを拾って右手に下げ、波打ち際まで来ると、自分の靴と一緒に濡れない距離に置いた。

「辻、はしゃぎ過ぎ」
「だって」
 辻はくすぐったそうに笑うと、爪先立てて隣に立った矢野に軽くキスをした。風でなびいた辻の髪が、矢野の頬をくすぐる。
 予想もしていなかった展開に、矢野は目を見開いて唇を受け止める。
「矢野さんとずっと一緒にいられるなんて、嬉しい」
 俯いて少し離れた辻の表情は、矢野にはわからなかったけれど、その気持ちはよくわかった。
 一線を越えたあの日以降、辻が泊まりで矢野と過ごしたことはなかったから。休日、一日一緒にいたことはあったけれど、教師と生徒という関係上、どこでも遊びにいけるわけもなく、部屋で過ごすだけ。
 辻は不満もなさそうで、矢野としても、穏やかに和むその時間は好きだったのだけれど、どこかに連れて行ってやりたいと、ずっと思っていた。擦れ違いばかりで、夏休みに入ってから会ったのは、片手未満。だから、余計に。
 矢野はゆっくり笑みを浮かべると、ぱしゃぱしゃと浅瀬を歩く辻に追いつき、突然その体を抱き上げた。
「うわっ!?」
「もうちょっと色気のある声出してもらえる?」
 お姫様のように矢野の両腕に抱き上げられ、辻は上機嫌だった。汗ばんだ矢野の頬に手を伸ばすと、その首に両腕を絡めて、頬擦りをした。
「あんまり可愛いことされると、自制心飛ぶ」
「欲求不満?」
 囁いた辻。吐息が矢野の耳を掠めて、真昼の砂浜には似合わない欲望を煽る。
「女の子がそういうコトを言うんじゃない」
 言うと、矢野は辻に深く口づけた。誰も見る者もいない。遠くを走る車の音と、足元に寄せる波音。潮の香り。そしてお互いの感触だけが、五感の全て。
「ダメ、矢野さん。のぼせそう」
「……だから、はしゃぎ過ぎって言っただろ」
 乱れた息を吐く辻を抱き上げたまま、矢野は波から上がった。二人の初めての旅は、まだ始まったばかりだった。



 旅館について、部屋に通された途端、辻は感嘆の表情で矢野を振り返った。
 部屋付きの仲居が一通りの説明をして去った後、部屋の奥にあるヒノキ作りの露天風呂を見て、辻と矢野は顔を見合わせた。
「予想以上に素敵な部屋なんですけど」
「誕生日プレゼントだからな。これぐらい当然」
 海からの浜風で、日中だというのに涼しい。露天風呂の砂浜に面した部分は、外から見えないように、人の背丈ほどの竹垣があった。もっとも、その砂浜も旅館の敷地内なので、人に覗かれることもない。手前には笹や紅葉が植わっていて、見た目にも情緒があった。鮮やかな新緑色の紅葉が、ひらりと湯の上に落ちる。

 室内には普通のバスルームもあって、体を洗ったりするのはこちらになる。旅館には大浴場もあれば、離れにある貸切露天風呂の種類も多い。
(どうせなら、ここ以外の貸切露天風呂にも入りたいよな)
 矢野がパンフレットを捲りつつ、そんなことを考えている間に、辻は部屋付きの露天風呂の縁側に座って、足湯を楽しんでいた。
「矢野さん、足湯気持ちいいよ?」
 呼ばれて赴くと、スカートを太ももまで捲くり上げた辻が、温泉に足を浸して夢心地で寝転んでいた。
「……その格好、ヤバい」
「なんで?」
 見上げた辻の瞳は、無邪気だったけれど、確信犯なのはわかっていた。
「お前ね、そんなに俺の自制心試して楽しいか? ここで抱くぞ?」
「いーやーッ。ただ、少しいちゃいちゃしたかっただけだもん」
 矢野に覆い被さられて、辻は小さく抗議の声を上げた。矢野はそんなことお構いなしに、辻のキャミソールの肩紐をずらすと、露になった白い胸の上部をきつく吸い上げた。
「痛……っ」
 辻の声にようやく顔を上げる。辻が見ると、右胸の谷間近くに、恐ろしく真っ赤なキスマークがついていた。一週間は消えそうに無い。
「……痛かった」
「おしおきだから。痛くないと意味ないだろ?」
 矢野は本性を垣間みせると、辻の服を整え、自分も温泉に足をつけた。そのまま寝転がって、隣で反省している辻を抱き寄せる。
「誘うんだったら、夜にして。大歓迎だから」
「誘わなきゃしない、みたいな言い方するよね」
「……深読みするな」
 辻の額をぺろりと舐めて、矢野は体を離した。
「夕食早目だから、風呂入るんなら、今のうちだぞ。俺は、大浴場行こうと思ってるけど、辻はどうする?」
「このお風呂入る。こんなキスマークつけて、たくさん人が居るお風呂にはいけないよ」
「見せつけてくればいいのに」
「イヤですッ」
 
 こんな会話の果てに、矢野は最上階の大浴場に行き、辻は部屋付きの内湯に入ることになった。
 矢野は髪についた潮の香りと、汗を熱い湯で洗い流して、広い湯船に体を浸した。
(貸切露天風呂の予約、何時にするかな。花火から帰ってからだから、22時頃がいいか)
 と、相も変わらず『二人で露天風呂』がかなり楽しみな彼だったが、何気なく見ていた窓の外の絶景に、一瞬眉をひそめた。
 旅館から少し離れた浜沿いの側道を走る車の中に、一際目立つ真っ赤なツーシーターの車があった。夕暮れにはまだ少し時間のある浜辺には、少しずつ車が増えていた。地元商店街主催の花火大会は、結構な穴場で、規模の割には人が少ないと旅館の人間が言っていたが、口コミは侮れない。毎年見物人は増えているらしい。
(赤のツーシーター……まさか、カプチーノじゃないよな)
 眼鏡を掛けていない状態の矢野の視力では、車種まで断定できるわけもなく、彼は目の細い同僚の美術教師を思い出しつつ、嫌な予感を振り払うように、少しずつ色を変える海を眺めた。


03.09.07

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