7777Get、naoさんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
恋待ちの君 <an epilogue>

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「暑いーッ!」
 流れる汗を拭いもせず、沢渡茜はマンションのドアをあけた。両手に持っていた荷物を玄関に置いて、すぐに窓を全開にする。玄関のドアも開けたままにすると、セミの声と一緒にも気持ちいい風が通り抜けて、熱い空気を追い払った。
 冷蔵庫から麦茶を取り出して、コップに注ぐと、ごくごくと喉を鳴らして一気に飲み干す。やっと一息ついて、そのときになってようやくテーブルの上に、自分宛の郵便物が置かれているのに気付いた。
(誰から……?)
 裏返すと、『寿』と書かれた金のシールで封がされてあった。差出人は連名で、『井上達也・合田美弥』。
「あ、結婚式、決まったんだ!」
 もどかしくハサミで封を切って、招待状を取り出す。記されていたのは、二ヵ月後の大安の日。
「……元気かな、美弥」
 懐かしい高校時代の親友の顔が浮かんだ。

 茜は、大学進学と同時に生まれ育った街を離れた。もう六年が経過している。某有名私立大学の国文学科を卒業後、大学院に進んだ。今は敬愛する教授の下、研究に勤しんでいる。
 旧友の結婚式は、もちろん彼らの生まれ育った街で行われるので、茜も久々に故郷へ帰ることになる。これまで、長期の休暇でも、いろいろと理由をつけて家には長居したことがなかった。せいぜい二日戻るだけで、すぐに大学のある街へ戻っていた。
(それもこれも、彼に会いたくなかったから ――― )

 持ち帰ってきた荷物の中から、ノートパソコンを取り出して、立ち上げた。メールソフトを起動して、すぐに美弥宛のお祝いメールを打ち始めた。少し躊躇してから、最後に追伸を書き足す。
『P.S. もちろん、和人も来るんだよね?』
 カチ、とマウスをクリックして送信した。
 僅かにカーテンを揺らして、風が抜けていく。茜はふっと窓の外を見上げた。あの夏と変わらない入道雲。彼と、彼の妹とその友達の女の子と ――― 四人で遊んだあの夏と、景色は変わらないのに。



 日崎和人は、茜にとって初恋の人だった。少し筋肉質で、黙っていると取っ付きにくいけれど、優しくてピアノが上手で、友達も多ければ、人気もある男だった。
 高校三年の秋に両思いになって、そのときの告白があまりにも劇的だったので、卒業する頃には伝説のカップルとまで言われて騒がれた。進路が違うのは、友達だった頃から、はっきりとわかっていたので、合格発表の前から遠距離恋愛は覚悟していた。日崎は地元の音楽大学へ、茜は実家から200キロほど離れた私立大学へと進んだ。
 最初は大丈夫だと思っていた。メールもある、携帯もある。声はいつでも聞ける。それでも、二ヶ月に一度会えるか会えないかという頻度で、いつの間にか、会えるときの嬉しさより、会えないときの苦しさや哀しさの方が強くなっていった。
 お互い恋に不慣れで、どこまで相手に伝えていいのかわからずに、あまりにも不器用に相手を想い過ぎて ――― 結局、大学二年になった頃、二人で泣きながら別れることを選んだ。決して相手のことが嫌いになったのではなく、ただ、お互いの存在が大きすぎて、抱えきれなくなったから。
 そんな二人だったので、別れたあとも、二ヶ月に一度くらい、手紙のやり取りをした。声を聞くのも会うのもまだ辛すぎて、メールでは軽すぎて、結局、葉書に短く言葉を連ねて、思いついたように送りあった。

 別れてから一年以上経ったある冬の日、日崎から茜の携帯に電話があった。彼にしては珍しく、夜遅くの電話で、茜は不思議に思ったけれど、とりとめのない話を10分ほどして電話は切れた。
「おやすみ」と言って、途切れた彼の声に、いつもと違うものを感じて、茜はしばらく眠れなかった。翌朝、二年ぶりに井上からも電話がかかってきて、茜はますます嫌な予感を募らせた。
『ザキから、連絡あったか?』
 あった、と応えると、井上は『よかった』と心底安心した声を出した。
『沢渡に連絡出来たんなら大丈夫だな。ザキのこと、頼むな』
「ちょっと待って。何があったの? 和人からは、ただの世間話みたいな電話があっただけだよ」
 茜の言葉を聞いて、井上はすぐに『ニュースは見たか』と言った。二日ほど読書に没頭していた茜は、見ていないと応えた。
『ザキの妹が事故死したんだ。昨日、葬儀だった』
 井上の淡々とした声が、冷たく耳に響いた。
「教えてくれてありがとう。今から会いに行ってくる」
 
 茜を迎えた日崎の顔に、驚きはなかった。苦笑を浮かべて、家に上げてくれたので、茜は約二年ぶりに訪れた彼の家で、仏間に置かれた白い箱を見ながらお焼香をした。彼の両親は少しやつれた顔で微笑んだけれど、かえって痛々しかった。
「少し出てくる」
 そう言って、日崎は茜と一緒に家を出た。日崎が運転する車の助手席に、昔と同じように乗り込む。車を出すタイミングが覚えていた通りで、茜は過去と重なりそうになる状況を、勘違いしないように見据えた。
「茜、すぐに帰るのか?」
「今日は、こっちに泊まる。ただ、母さんには言ってない」
 茜はじっと日崎を見上げた。実家ではなくホテルに泊まるつもりなのだと、暗に告げた。それでも、日崎は何も言わずに、駅へと車を走らせた。駅のコインロッカーで、茜の荷物を出して、車に積むと、日崎はハンドルに手を置いたまま、じっと前を見ていた。
「――― 和人。抱きしめてくれる腕が他にあるのなら、私はもう帰る」
 静かに茜が言うと、ようやく視線を茜に向けた。
「俺と一緒に過ごして、文句言うヤツはいないのか?」
 いない、と答えると、日崎は突然腕を伸ばして、乱暴に茜を抱きしめた。
「……茜」
 しぼり出すような掠れた声は、それだけで茜の胸を締め付けた。

 駅の近くのシティホテルにチェックインして、二人はそのまま抱きあった。日崎は何かを恐れるように、性急に茜を抱いた。きつく跡が残るキスを体中に降らせて、喘ぐ茜の唇を貪った。
「やぁ、和人……ッ!」
 かつてない荒々しさに、茜が悲鳴をあげて意識を飛ばしかけたとき、ようやく日崎は動くのをやめた。茜の上に倒れこんで、その胸に頬を押し当てた。
「……っ」
 漏れ聞こえる嗚咽と、肌にこぼれる熱い滴が、茜に日崎が泣いていることを教えた。茜はゆっくりと上半身を起こして、日崎を抱きしめた。顔を伏せて涙を流す、かつて誰より愛した男の背中を撫でた。
「茜にも言わなきゃいけないと思って、電話したんだ」
「うん」
「でも、言えなかった。茜の声を聞いた途端、涙が出そうで。それに、鈴子の死を伝えたら、茜は泣くだろうなと思ったら、尚更言えなかったんだ」
「……うん、わかった。もういいから」
 それから日崎は、茜を抱きしめたまま、少しだけ眠った。茜は静かに、彼の寝顔を見て髪を撫でた。
(相変わらず、不器用だね。人に頼ったり甘えたりするので下手で、全部自分で抱え込んで……泣くこともできなくて)
 額に口づけを落とす。
(――― 本当に、大好きだったよ、和人)
 茜は、日崎との思い出をひとつひとつ思い出していた。
 初めてのキスも、初めて肌を重ねた日も、ケンカも、今も捨てられない手紙も。どれもあまりにも大切だった。そうして、もう全て過去だった。
 アルバムに残る高校三年の文化祭ライブの写真は、いつ見ても幸福感を思い出させてくれるけれど、いつしか見返すことも少なくなった。
 
 そして、この出来事以来、茜は日崎と会っていなかった。葉書は変わらずやりとりしているけれど、あんな風に抱き合うことは、きっと二度とない。



「ただいまー」
 開け放した玄関から声がして、茜は慌ててパソコンの電源を落とした。
「おかえり」
 部屋に入るなり手近なタオルで汗を拭うのは、茜の同居人・田口潤一郎だった。本屋の店長をしている、茜より5歳年上の恋人だ。今日は休日だったので、すぐ近くまで買い物に出ていたのだろう。玄関口、茜の荷物の隣に置かれたナイロン袋の中身は、果物とヨーグルトだった。
「手紙来てただろ?」
「うん。高校のときの友達から、結婚式の招待状」
 茜が出したままにしていたコップに、麦茶を注ぎ足していた田口の手が止まった。
「高校のときの友達? それって、お前の元カレじゃないのか」
「違います! 女友達。まあ、たぶん彼も来るだろうけど」
 悪戯っぽく茜が笑うと、目に見えて田口は不機嫌になった。
「行くなっつっても、行くんだろ?」
「当然です。親友の結婚式だよ? 心配しなくても、より戻したりしません。彼にだって、ちゃんと恋人がいるみたいだし」
「なんだ、そうか」
 あからさまにホッとした田口を見て、茜は苦笑した。

 今年の年賀状を、日崎は珍しく写真入りで送ってきた。髪の長い綺麗な女の子と一緒に写っていて、特に彼女については何も触れていなかったけれど、茜は恋人が出来たという報告なのだと思った。茜自身も、一年ほど前から田口と一緒に暮らしているので、人のことは言えないのだが、心中複雑だった。
 真実を明かすと、日崎は、『辻はこんなに元気になったよ』という意味で送ったのだが、久しぶりに辻を見る茜には、写真の美少女と辻真咲がイコールでつながらなかったのだ。

「なあ、茜」
 招待状に同封されていた二次会の案内を見ていた茜は、ふっと顔を上げた。
「俺たちも、結婚しないか?」
 予想もしなかった田口の言葉に、茜は驚いて息を止めたけれど、次の瞬間、手にしていた招待状をそのままに、田口に抱きついた。
「する! ありがとう……すごく嬉しい」
 痛いほど田口に抱きしめられながら、茜は不謹慎にも日崎のことを考えた。

 ――― 初めて好きになったのが、和人でよかった。私を愛してくれたのが、君でよかった。もう終わってしまった恋だけど、後悔はしてない。
 秋にある美弥の結婚式で、きっと彼と再会するだろう。そのときは、とびきりの笑顔で会おう。あなたがいたから、あなたに愛されたから、私は自分に自信が持てた。人を好きになることの喜びも怖さも知った。ありがとう。
 もう、君が一人で泣くこともないよね。私も、泣きたいときに抱きしめてくれる人が出来たから、心配しないで。二人は離れてしまったけれど、幸福を祈ってる。
 
(でも、私たちの結婚式には、和人は呼ばない方がいいな)
 フライング気味に、茜がそう考えていると、ふっと田口の腕が緩んだ。
「茜、好きだよ」
 伸びかけた髭で頬擦りされるのは大嫌いだったが、今ばかりは許せた。背中に回った腕に抱き寄せられるのを感じて、茜はキスの気配に、そっと瞳を閉じた。


(恋待ちの君/END)
03.08.11

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