7777Get、naoさんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
恋待ちの君◆6

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【side:H】

 しばらく図書室から動くことができなかった。
 ……沢渡が泣いた。僕の言葉で。以前、あれほど沢渡の涙は見たくないと思ったのに。
 机の上に置き去りにされたコピー用紙を見た。僕らのライブが、赤丸で囲まれている。沢渡の几帳面な小さな字で、さっき書き足された『前後10分要』の文字。
 僕は、そのコピー用紙を丁寧に四つ折りにして手にとり、図書室を出た。鍵を閉めて、職員室に寄ってから、重い足取りで教室に戻る。暗い教室には、井上が居た。
 行儀悪く机に座ったまま、僕を待ち構えていたように睨んだ。

「ザキ、女泣かす男は最低だぞ」
「……知ってる」
 さっきの図書室のこと、だいたい知られてるな。僕は井上から視線をそらして、自分の席へと向かった。
 カバンの中にコピー用紙をしまって、再び机の上にドサッと置く。
「沢渡、まだ泣いてた?」
「号泣。美弥が一緒に帰った。お前、沢渡のこと、どうすんだよ」
「……わからない。なんで、あんなに泣いたんだ?」
「―――お前、結構バカだな」
 違う、言わないだけで、薄々気付いてる。
 沢渡は、僕のことが好きなんだって。それに対して、どうすればいいのかが、わからないだけだ。
「このまま沢渡と縁切ってもいいのか?」
「なんでそう極論に走るんだ、井上は。帰って考えるよ、明日からどう接するか」
 僕の言葉に、井上は大きく息を吐いた。
「だから馬鹿だって言ってんだよ。考えて答えが出るか? 出ないに決まってる。
 沢渡を好きなのか嫌いなのか、感情の問題だろ。お前はどうしたいんだよ!?」
 僕は……沢渡のことは、気に入ってる。嫌われるのは嫌だと思ってる。でも、それは恋愛感情なのか? 
「ザキ、たまには感情的になれよ。お前見てると、スマート過ぎて時々苦しくなる。俺ら、結構親しいよな? でも、俺は、喜怒哀楽の『怒』と『哀』のザキは、見たことが無い。自分で気付いてないだろ?
 無意識だろうけど、誰に対しても同じ態度って、ある意味、おかしいんだよ」

 井上の言葉は、静かだった。波紋のように、心に広がっていく。
 こんな風に僕を分析しているとは思わなかった。コイツも伊達に学年二位じゃなかったんだな。僕はそんなに感情をセーブしているんだろうか?
「……そんなに考え込むとは思わなかった。
 まぁ、要は、ザキの思ったとおりに動いてみろってコト。考えるより先に動いてみるのも、いいんじゃないか?」
「――― 考慮しておく」
 それで会話を終えて、僕と井上は教室を出た。途中まで一緒に帰ったけれど、井上はそれ以上沢渡の件には触れず、ライブの選曲の話ばかりしていた。
 一人になると、考えるなと言われても、沢渡のことしか考えられなかった。今まで、つきあった子はたくさんいるけれど ――― 僕は、彼女たちのことが本当に好きだったんだろうか? 『愛』って何だ?
 眠る前にいくら考えても答えは出なかった。

 翌日、沢渡はいつものように「おはよう」と僕に笑いかけた。
 ただ、コンタクトではなく、以前のような眼鏡をかけて、泣き腫らした目を隠していたのが痛々しかった。
 僕は自分の気持ちの整理がつかず、沢渡ときちんと話せないまま時間は過ぎて、気がつけば、文化祭の日になっていた。

 お昼12時からの1時間、体育館は、ブラスバンド部がステージで演奏し、先生がそれをバックに歌うという恒例のパフォーマンスが繰り広げられていた。生徒の集まりもいいし、みんなのテンションも上がってる。この後のライブにとっては、いい条件で続きそうだ。
 僕は、ステージの出入り口のドアから少し顔を覗かせて、ぐるりと体育館の中を見渡した。見る限り、沢渡の姿はない。そう思ってから、彼女が見に来てくれることを期待している自分に気付く。
「……井上。沢渡は、僕に振られたと思ってるって言ったよな?」
「ああ、美弥が言ってた。ザキ、最近美弥から睨まれてるだろ?」
 僕は無言で頷いた。その通りで、あの一件以来、沢渡と僕は二人きりで話せない。沢渡が僕を意識して二人きりにならないようにしているのか、彼女の傍らにはいつも合田さんが居て、その視線が痛かった。『茜を泣かせて、許せない』という意思が念のように伝わってきて、正直うんざりしていた。
 そんな状態だから、たぶん、沢渡は来ないと思う。合田さんは、ライブに備えて最前列に居たけれど、沢渡は近くにいなかった。

「ザキ、今年のピアノソロ何にした? そろそろ教えろよ」
「焦らなくても、あと30分で聴けるよ」
 安藤の言葉をさりげなくかわした。ギターソロは、MR.BIGの『To Be With You』だと聞いていた。僕たちのライブは、ほとんど洋楽のカバーだった。井上が歌う歌も、アレンジを加えていたけれど、結構みんなが知っている歌ばかり。CARPENTERS、THE BEATLES、MR.BIG、BONJOVI。
 幕が下りて、舞台上からブラスバンド部が手際よく撤退していく。
 13:25、予定より5分早く、僕たちのライブは始まった。
 
 ピアノを弾くのは子供の頃から好きで、特に親に強制されたわけでもなく、もう10年以上続けていた。高校に入ってから、同じクラスの友人たちとカラオケに行って、井上の声のよさと歌の上手さに驚いて、一年の大晦日にギターを弾く安藤と、僕のキーボードをバックに路上ライブをした。結構評判が良かったので、それ以来時々集まって遊んでいる。
 既に全員の進路が違うことは、わかっていて。
 僕たちは、暗黙のうちに、今日の、この三人でやる最後のライブは、最高に楽しくするぞと決意していた。
 演奏する曲の中には、やっぱり打楽器があった方が引き締まる曲もあって、そんな時は、井上が聴いている生徒全員に、手を打ち、足を踏み鳴らすタイミングを言って、全員が同じリズムを刻んだ。体育館中に響く600近い人間の鳴らす音。重なるピアノとギターの音色、そこを通り抜ける強い井上の声。
 夢中で歌い、ピアノを弾いて、安藤のギターソロも、井上のアカペラも終わって、ラストは去年と同じで、僕のソロだった。
 ターン……と鍵盤にひとつめの音をのせて、僕は静かに弾き始めた。
 Mr.Childrenの『抱きしめたい』。かなりスローなアレンジで。
 洋楽ばかりの僕らにとっては、異例だったから、最後まで誰にも明かさなかった。でも、一度弾いてみたかったんだ。
 サビで、井上がコーラスに入ってくれた。安藤は静かに目を閉じて聴いている。
 ステージ下の人の群れは視界に入らなくて、いつか音に流されるように感情が溢れて来た。

 ――― 抱きしめたい 溢れるほどに 君への想いが込みあげてく。

 歌いながら、切なさが呼び起こされて驚いた。歌詞に感情移入? 違う、これは僕自身の感情だ。

 沢渡、君に、会いたい。
 
 歌い終えて、最後の音の余韻が消えると、ウワッと歓声があがった。口笛や拍手やアンコールの声に応えて、僕たち三人はそれぞれの場所で立ち上がってお辞儀をしたけれど、騒ぎは収まらなくて。続くアンコールの声に、もう一度ピアノの椅子に腰掛けたとき、僕は人の波の中に、彼女を見つけた。
『どんなに人ごみに埋もれていても ――― 視界に入った瞬間、好きな人がどこにいるかわかる』
 そう言ったのは、君だった。
 アンコールの声と拍手が鳴り響く。体育館中に反響して、床が抜けそうな足踏みの音。沢渡は、僕の視線に気付かずに、体育館の出入り口に向かって人の間を抜けていく。
 まずい、行ってしまう。
「沢渡」
 声は、歓声にかき消されて届かない。彼女の後姿が見えなくなる。ダメだ、今、伝えないと―――。
「沢渡っ!!」
 マイク越しの絶叫は、一瞬で体育館内を静めた。井上と安藤も、驚いてぼくを見ている。体育館の玄関で振り返って、僕を凝視している彼女も。
 まあ、いいか。伝えないと、想いが溢れる。

「沢渡……好きだ」
 


【side:S】

「沢渡……好きだ」

 つぶやかれた言葉は、マイクを通してはっきりと伝わって。
 体育館の中は、しんと静まり返っていた。耳に届いた言葉が信じられなくて、私は振り返ったまま日崎君を見つめることしかできなかった。
 全校生徒の8割と先生が、私と日崎君を見ている。何か言わなきゃ、そう思うほど言葉は出てこなくて。

「聞こえた?」
 再びマイク越しに響いた彼の声は、あまりにも優しくて、なんだか涙が出そうになった。
「な、なんでこんな皆の前で言うのよ!」
 照れ隠しに叫んだけど、きっと耳まで真っ赤になっていたと思う。
「今言わなきゃ、もう伝えられないような気がして」
 にっこりと笑った彼に向かって、足は勝手に歩き出していた。自然にみんな通してくれた。少しずつざわめきが蘇って、また拍手や野次がとぶ。ステージのすぐ側まで行って彼を見上げる頃には、私は完全に泣いていて、井上までが私に優しく笑いかけていた。
「何泣いてるんだ」
「日崎君が泣かせたんでしょうッ!」
 日崎君は、ステージから飛び降りると、私の頭を、子供にするように撫でた。
「アンコール、二人でやって」
 そう井上と安藤に言うと、みんなが見ている前で、堂々と私の手を引いてステージ裏の小さな控えの部屋へと歩いていった。パタン、とドアを閉めた途端に、ライブが終わった後よりすごい歓声があがる。
「……ライブ、いいの?」
 ぐすっ、と鼻を鳴らしながら聞くと、日崎君は、すごく近くでにっこり笑って、ふわりと私を抱きしめた。
「だって、沢渡泣いてるのに」
 彼の顔を見るのが照れくさくて、そのまま肩に顔を埋めた。少し汗ばんだ肌がすぐ近くにある。制服越しに私の背中に触れる手は、大きくて温かくて、そこから柔らかい愛情が滲むように、私の体を包んでいった。
「 ――― ごめんな、辛い想いさせて」
 頭上から落ちてきた小さな声に、ゆるく首を振った。やっぱり、私が待っていればよかったんだって思ったから。私が勝手に泣いて、私が勝手に落ち込んだだけ。そりゃ、あまりの鈍さに本気で呆れたけれどね。

 閉じたドア越しに、B‘zの『さよならなんかは言わせない』が流れてきた。みんな歌っていて、大合唱。

「沢渡」
 ふと顔を上げると、さっさと眼鏡を取り上げられた。
「やだ、見えない!」
 抗議の声を上げると、ぼやけた視界に日崎君の顔がはっきりと見えて。
「これぐらい近づいたら、見えるだろ?」
 周りの全てが霞んだ景色の中、日崎君の存在だけがクリアで、耳元で囁かれた声は、やっぱり心をぎゅっとさせて。
「好きだ」
 優しく髪の中に手を入れられて、目を閉じるのと同時に、やさしく口づけられた。柔らかく押し付けられた彼の唇。ついばむように、触れては離れて、私を抱く腕は少しずつ強くなっていく。
「ん……」
 吐息を漏らして少しだけ目を開けると、睫が触れそうなほど近くに彼の顔があった。キスをやめて、鼻をくっつけてじっと見つめられて、私はクスクスと笑ってしまった。
「沢渡の返事は?」
 何言ってるんだろう、今更。そんな風に無邪気に笑ったって、絶対言ってあげないんだから!!

 そうして、二人でくっついていると、ノックも無しでバタンとドアが開けられた。
「記念写真撮るぞ!」
 テンションが高いままの井上に引きずられるようにステージに上がると、拍手で迎えられた。ああ、全校生徒公認。日崎君のファン、結構多いのに、私は恨まれたりしないのでしょうか。
「ライブの記念写真でしょう!? 私は、いいッ」
 そう言ってステージから降りようとすると、井上に腕を掴まれた。
「お前と日崎は真ん中な。おーい、裏方してくれたヤツ、上がって来い!」
 日崎君のクラスの男子が、勢いよくステージに上がってきた。なぜか美弥まで上がってきて、ちゃっかり井上の隣にいる。私の眼鏡は日崎君の胸ポケットに入れられたままで、もちろんステージ下のみんなの顔は見えなかった。
「撮りまーす!」
 写真部の子がカメラを構えて、もう少し中央に寄ってー、と声をかける。
私は一番前で、日崎君の隣にいたんだけど、後ろから押されて慌てた。そうしたら、彼の腕がすっと私の肩を抱いて、さりげなくかばってくれたので、ついつい笑ってしまった。
「文化祭の記念写真で、これはマズくない?」
 小声で話し掛けると「いいんだ」と確信犯的な返事が返ってきた。
「前、イチャつくな!」
 後ろから飛んできた声に、一斉に人が真ん中に集まってきて、うわーっ、て声を上げてる間にシャッターは切られた。
 記念写真を撮り終わって、みんながステージから降りた後、日崎君と井上、安藤君がぽつんとステージ上に残った。私は舞台袖で三人を見ていた。一本だけ残されていたマイクに向かって、井上が言葉を紡ぐ。

「去年に引き続き、楽しんでくれてありがとう。俺らは、今年卒業なんで、これが最後のライブです。三人とも進路がバラバラなので、こうして集まって演奏することも、きっともう無い。
 大人になって思い返したとき、きっと、若気の至りだったな、と思う。今日の日崎のハプニングも、青かったな、と笑える出来事かもしれない。でも、こんな記憶を抱いて、大人になるのも、格好いいんじゃないだろうか。
 何年経っても、思い出して幸せになれる記憶をありがとう。一、二年、来年はお前らが頑張れよ!」

 言い終えて、三人は深く深く頭を下げた。きっかり30秒。拍手が鳴り止まないなか、ゆっくりと幕がおりて、三人とも少し照れたように笑って、舞台袖に歩いてきた。
「今聞いても青いセリフだったな」
 井上はそう言って通り過ぎていったけど、そんなことないと思った。
 幸せな記憶をありがとう。私もそう言いたい。日崎君が伸ばしてきた手に、そっと手を重ねながら、彼を見上げて微笑んだ。眼鏡越しに見た彼の目は、心なし潤んでいるような気がして、私は繋いだ手にぎゅっと力を込めた。


(『抱きしめたい』 作詞・作曲  桜井 和寿)


03.08.11

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