少年ロマンス 第7話 ☆ SWEET REVENGE(1) ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
好きな人から貰ったものは、何だって嬉しい。 一月前のバレンタイン、僕が貰ったチョコは計九つ。内二つは母と姉から、六つは100%義理。残り一つが、佐々木先生から貰ったシガレットチョコ、二分の一本 ――― アレを貰ったと言っていいのか謎だけど、僕にとっては一番大事なチョコだった。 何が悔しいって、あのとき以来、先生の唇にばかり目が行ってしまうことだ。 三学期に入ってから、学校はどこもかしこも禁煙になって、タバコ好きの先生は機嫌が悪い。あからさまに態度には出さないけど、描いてる絵の着色に悩んだときなんかは、いつもタバコ咥えて考え事してたから、何か物足りないんだろうな。そんな先生は、最近チュッパチャップスがお気に入りだ。準備室に箱買いして置いてるの見た時は目を疑ったけれど、舐めてる姿はイメージとギャップが激しくて、余計に可愛い。口には出さないけど、ほんっとに! というわけで、僕はホワイトデーのお返しに、キャンディを用意した。輸入物の、缶入りフルーツフレーバー。容器のデザインが個人的に好きなのも、これを選んだ理由。 シンプルにラッピングしたそれを机の上に置いて、僕はバレンタインデーにあったことを思い出していた。 あの日食べたシガレットチョコ。吐息が唇に触れる距離にいた先生……。 先生は、どういうつもりであんなことをしたんだろう。僕が勢いに任せてキスしてたら、どうしたんだろう。ただ遊び半分でしてみただけ? 直接訊きたかったけれど、先生と二人きりになる機会がなくて、僕のストレスは溜まる一方だった。 絶対、ホワイトデーに問いただそう! そう決心したのに ――― 僕の決意を笑うように、ホワイトデーは日曜だった。しかも親から店の手伝いを命じられている僕。ああ、無情。 休日の午後、ウチのカフェスペースはいつも客でいっぱいだ。ケーキが美味しいのは言うに及ばず、姉の旦那 ――― 僕の義兄はコーヒーにかなりうるさくて、彼が厨房に入るようになって以来、コーヒー党のおじさんたちも一人で来たりするようになった。 客足が順調なせいか、最近休日はバイトの店員だけでは忙しすぎて、僕も借り出されることが多くなった。結構ウェイターは楽しいし、バイト代もちゃんと貰えるので、僕はこの手伝いが結構好きだ。白いシャツに黒のベストとパンツという制服は、気が引き締まっていい。今月から、制服のサイズをひとつ上げた。今までの制服だと、肩がキツくなり始めたからだ。まだ満足にはほど遠いけど、ちゃんと背が伸びてる。佐々木先生を見下ろす日もきっと遠くない。いや、そう願ってるだけだけど。 注文を訊いているときに、涼しいドアベルの音が響いた。またお客さんだ。いらっしゃいませー、という母の声を背中に感じながら、僕は目の前のお客にオーダーを復唱した。 「紅茶を入れるのに五分ほどかかります。しばらくお待ち下さい」 軽くお辞儀して厨房に向かおうとして、足を止めた。 ショーケースの前でケーキを選んでいるのは、見間違うはずの無いすらりとした立ち姿。長い前髪を器用に片側でまとめて、連れの女の人と何か話している。学校で見るよりずっとスタイリッシュな佐々木先生に、目が吸い寄せられた。 さすがにずっと見ていることはできなくて、すぐに厨房に注文を伝えたけど、意識は左側、カフェの入り口に向いたまま。先生がテイクアウトの客じゃありませんように。カフェでお茶しますように! 僕の念が通じたのか、先生はホールに入ってきた。近くにいたバイトの大学生が案内しようとするのを慌てて制する。 「僕が行きます」 声が浮かれるのが自分でもわかったけど、このさい構わない。僕は先生に近づいて微笑みかけた。 「いらっしゃいませ」 店の内装を見ていたらしい先生は、僕を見て少し眉を上げた。さすがに驚いたみたいだ。 「ゆい……東郷、バイトしてんの?」 よく見たら、先生の後ろにいるのは、書道の服部先生だった。 佐々木先生は、僕の顔をじっと見て、そのまま視線を上から下まで動かした。照れるんですけど、そうまじまじと見られると。 とりあえずいつも通り、空いたテーブルに二人を案内した。メニューを渡して、やっと普段どおりに喋れる。なんだか気恥ずかしくて緊張していた。 「休みの日は、店の手伝いしてるんだ?」 「今日はたまたま。忙しいときだけですよ。先生方は?」 僕の質問に答えたのは、服部先生だった。 「千代さんが、TOGOでお茶したことないって言うから、引っ張ってきたの。いつもテイクアウトばっかりなんて、もったいないでしょ。コーヒーも紅茶も絶品なのに。ね?」 佐々木先生は苦笑している。テーブルの上に置かれた左手首で、華奢なブレスレットが揺れていた。きれいな長い指。レトロピンクの半袖のセーターは、先生が着ると全然甘くない。 「いいでしょ、別に。服部先生こそ、自分が気に入ったケーキを食べさせる為に引っ張ってきたくせに」 「ここのチーズケーキは癖になるの! 無性に食べたくなるんだってば」 何でもいいです。服部先生、佐々木先生を連れてきてくれてありがとう。 「オーダー決まったら呼んで下さい。ごゆっくり」 先生と生徒以外の立場で話すのって面白い。二人とも、全然普通の女の人みたいだった。学校で見るキリリとした姿とは、ちょっと違う。 厨房に戻ると、姉と義兄が興味深そうに先生たちを見ていた。ああ、もう、すごく居心地悪い。レジには母さんもいるし、家族の前に好きな相手がいるのって、なんでこんなにムズムズするんだろう。会えると思ってなかったのに、先生に会えてすごく嬉しい反面、そんなことも思った。 「ゆーい、二番オッケー」 姉の前に置かれたトレイには、飾り付けの終わったケーキと紅茶。先生の前に案内したお客さんの注文だ。 「で、あのお姉さん二人は誰? 仲良さげだったじゃなーい?」 にこにこ、と笑いかけられて、うろたえないように気をつけて答えた。 「二人とも、ウチの学校の先生。髪短い方が部の顧問なんだ」 「へぇ。迫力美人だね」 迫力って……佐々木先生は、確かに見た目キツいけど。 「あの人、ああ見えて結構可愛いよ? とにかく、あのテーブルは僕が担当するから」 余計なことを訊かれないうちに、トレイを手にしてホールに戻った。背中に視線が刺さる。どうせ姉たちが厨房でよからぬことを話しているに違いない。 気にしないことにして、僕は注文通りの品を運ぶと、ようやく先生たちのテーブルに向かった。佐々木先生はなんだか機嫌がいいみたいだ。かすかに笑いながら、僕を見ていた。今日の先生は、春らしい柔らかい感じがするなぁ、と思いながら近づくと、ピアスの石もさりげなくピンクだった。 「ご注文はお決まりですか?」 「ケーキセットふたつ。アタシは、オペラとコロンビア」 「チーズケーキとセイロン、ミルクで」 伝票に走り書きして、かしこまりました、と一礼すると、佐々木先生に呼び止められた。 「東郷、その制服似合うね」 さりげなく褒められて、思わず顔が赤くなった。ピシッと格好よく仕事してるところを見て欲しいとか思っていたのに、ポーカーフェイスなんて十年早かったらしい。降参して、思い切り笑う。ありがとうございます、と答えながら。 厨房に向かうと、案の定、姉夫婦が揃ってニヤニヤしていた。仕事しろよ、二人とも。 「唯、カオ真っ赤だ。あの先生のこと好きなの?」 いや、本当仕事して下さい、頼むから! 「違うよ。何か学校の外で先生に会うと、恥ずかしくならない?」 「俺は嫌な気分になってたな」 義兄の言葉に何も返せない。他の先生だったら、僕だって嫌だと思ったかもしれないし。例えば音楽の矢野とか。 「コラ、あんたたち私語は慎む! 唯人、五番テーブル片付けて」 母さんに低い声で注意されて、僕たちは慌てて散った。本当だ、恋人同士と思しきお客さんが席を立ってる。トレイ片手に片付けに向かうと、たくさんの会話の中から、偶然先生たちの声が耳に入ってきた。 「千代さん、準備してるの?」 「ああ、イドウの? してるよ。年度末は、慌しくて嫌だね」 「四月から大変だろうけど、頑張って」 「今から覚悟しておくわ」 イドウって何だろう。テーブルを拭きながらぼんやりと考えていた。 食器をトレイに載せて、ホールを横切ると、視界に先生の横顔が入った。赤い口紅。窓際に飾ってある桜の枝が、先生の向こうに見えた。桜、三月。 そこでやっと気付いた。『イドウ』って、異動だ。教職員の人事異動! 新聞発表は三月末だけれど、当然もう本人に内示は出ているだろう。 ――― まさか、佐々木先生、学校変わるのか!? 04.03.13 |