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少年ロマンス
番外編/masquerade(1)

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 髪型を変えて、服装を変えて
 いつもと違う自分が、どこからか現れる
 君と初めてのマスカレィド
 さあ、思う存分惚れ直せ



【SIDE:Y】

 ことの始めは、義兄さんの一言だった。
「せっかく店舗も広くなったし、今年はちょっと変わったコトもやりたいなぁ」
 おりしも季節は初秋。僕が大学一年になって半年が経過した頃。
 学校もバイトも充実していたけれど、それ以上に、急速に距離を縮めた千代(僕としては、未だに『先生』と呼びそうになるんだけど、そう呼ぶたびに明らかに機嫌が悪くなるので、必然的にこう呼ぶことになった。呼ぶ度にちょっと照れる……)と会える毎日が楽しくて仕方なくて、僕はその一言を聞き流していた。
 なので、十月初旬、僕は姉から渡された一枚のプリントに首を傾げた。

『Patisserie ”TOGO” ハロウィン・ナイトのお知らせ
 きたる10/30(日)、PM6時からハロウィン・ナイトを開催致します。
 仮装してご来店されたお客様には、TOGO特製パンプキンケーキをプレゼント。
 終了時刻はPM9時予定です、みなさま楽しんでご参加下さいませ。』

「適当にポスター作って欲しいの。
 あ、その日はもちろん店員も仮装よ。昨日のミーティングで聞いてるでしょ?」
 ――― 言ってたような気もする。衣装がどうのこうの。
「秀忠、張り切って準備してるんだから、気合入れてよね。お祭りなんだから!」
 秀忠というのは、もちろん義兄さんの名前。
 企画としては、いいと思う。ポスターを作ることにも異議はない。ただ……仮装?
 そのとき、閉店後のテーブルで話していた僕と姉さんの耳に、ほにゃあ、という気の抜ける泣き声が聞こえてきた。自宅に続く廊下からだ。
「あ、起きちゃった。ミルクかなー? 唯人、ポスター早めにお願いね」
 姉さんが自宅に続く扉の向こうに消えて、しばらくすると、泣き声も止んだ。姉夫婦の子供は、もうすぐ生後五ヶ月。杏奈という。厨房が忙しいときは、姉さんの代わりに僕がミルクを上げたりオムツを替えたりすることもある。はっきり言って、可愛い。我が家のアイドル状態だ。

 千代も、杏奈と会ったことがある。僕自身は、彼女の『子供が産めない』という告白を、たいした問題じゃないと思っていたけれど、いざ赤ちゃんと対面した千代は、いつもより全然柔らかい表情で、見ていてなんだか切なかった。子供が嫌いなわけじゃないんだ。なんとなく、赤ちゃんや子供は苦手な人だと思っていたから、意外だった。
 僕の家に挨拶に訪れてから(それはそれで照れる出来事だった)、千代は僕の家族と仲がいい。特に姉さんとは気が合うようで、どうやら僕の知らないところで連絡をとったりもしているらしい。別にいいんだけど、子供の時の女装写真だけは見られたくないので、姉に『絶対禁止だから!』と念押ししている……見せてないだろうな、あの人。



 それから数日後、自宅リビングで朝から杏奈と遊んでいると、義兄さんが厨房から帰ってきた。妙に嬉しそうな顔をしている。
「衣装届いたぞ。唯人に似合うだろうなー、あれは」
 にやりと笑ったゴツい横顔に、一瞬悪寒が走った。ろくに説明を聞いてなかった、たぶん適当に「いいよ」と返事をしたに違いない。今更後悔しても遅いけれど。
 衣装を見ているらしい姉さんの笑い声が、開け放したドアの向こうから聞こえてきた。
「あっはは! これは似合うわ。千代さんにも教えてあげないとね!」
 我慢できずに杏奈を抱いたまま店の事務所に降りると、大きなダンボール箱を挟んで母さんと姉さんが物色している最中だった。姉さんが嬉しそうに、胸に抱いたその服を広げてみせる。
「唯人、覚悟はいい?」
「……よくない」
 がくりと肩を落とした僕に追い討ちをかけるように、杏奈のはしゃぐ声が耳元で聞こえた。



【SIDE:C】

 五日ぶりに『TOGO』に顔を出すと、厨房の入り口で香織さんが小さく手を振ってきた。唯人の姉のこの人は、女のアタシから見ても、とても可愛い。

「いらっしゃいませ」
 カフェの入り口に立っていた唯人が、背筋をピンと伸ばして出迎えてくれた。
 日曜日の夕方、太陽が沈みかけると急に風が冷たくなる。おいしいコーヒーが恋しくて小さなドアをくぐれば、恋人の笑顔が待っている。ここはアタシにとって、最高のカフェだ。しかし、こんなあからさまに嬉しさ満開の笑顔でいいのか、バイト君。ちぎれそうに尻尾を振る子犬じみて、頭を撫でたくなった。
 『今日は早番なので、7時には出られます』とメールが入ってきたので、実は迎えにきたのだ。もちろんコーヒーもいただきますが。
「今日のお勧めケーキは何ですか?」
 並んだケーキを眺めながら尋ねると、
「レアチーズケーキです。梨のソースがおいしいですよ。ケーキセットなら、キャラメルアイスクリームもつきます」
 唯人のお母さんが滑らかに解説してくれた。店長であるこの人も、さっぱりした男前な性格だ。アタシが挨拶に伺ったときも『甘ったれな子ですが、よろしくお願いします』と明るく言われて拍子抜けした。本当、オープンな家庭。
 好物のアップルパイにしようかと迷っていると、ショーケースの上に置かれたチラシが目に入った。鮮やかなオレンジ色で書かれた、ハロウィンの文字。お城とかぼちゃと魔女の笑顔。唯人の絵だ。
「 ――― 珍しいですね、ハロウィンにイベントするんですか?」
「ええ、佐々木さんもぜひいらして下さい」
 開催日は来週の日曜日。特に予定もない。面白そうだな、と考えていたら、唯人が隣に立っていた。
「まだケーキ悩んでるんですか? 出かける時間になっちゃいますよ」
「じゃあ、ケーキセットをレアチーズで」
 注文を決めると、ケースの向こうで唯人のお母さんは大きなため息をついた。
「ゆとりの無い男は嫌われるわよ、唯人」
「……肝に銘じておきます」
 こうやって育てられてきたから、この子は、素直で女の子に優しいわけだ。
 くすりと笑って、アタシはカウンター席でケーキセットを待った。

 見ていると、唯人はくるくるとよく動く。カランとドアが開くたびに、さりげなく入り口に目を向ける。
 入ってきた女の子の二人連れが、『唯ちゃーん、来たよーん!』と明るく手を振っていた。お辞儀で返す唯人。こういう光景を見るのも、何度目かわからない。在学中から男女問わず人気者だった唯人は、顔が広い。子供にも懐かれる。そこにいるだけで空気和ませるからなぁ、唯人は。
「お待たせしました、ごゆっくりどうぞ」
 唯人がケーキセットを持ってきた。”TOGO”は、ケーキが大き目で、しかもフルーツとアイス付だから、お皿はかなり大きい。梨のソースが綺麗な模様を描いている。コーヒーカップから漂うコロンビアの深い香りに、うっとりしてしまう。
「アタシ、梨のソースって、はじめてかも」
「僕は結構好きですよ。梨のジャムも期間限定で売ってますけど、これも好きだな」
「商売上手だね」
「あ、でも買わないで下さいね。なんか姉さんが、千代にって、別に用意してたみたいだから」
 ……甘やかされ過ぎてる気がするな、アタシ。

 ニコッと笑って、唯人は厨房に戻っていった。その背中を見送って、柔らかなレアチーズにフォークを入れた。白いムースにつやつやとした金色の梨のソース。口に運ぶと、濃厚なチーズの味が広がって、後から梨の甘酸っぱさと爽やかな香りが鼻に通る。うわ、相変わらず繊細な。
 唯人の義理のお兄さんは、工事現場がよく似合うような顔と体格で、メレンゲをあわ立てる。あのゴツい腕から、このケーキが生み出されている事実は、ミスマッチで素敵だ。
 唯人の話には、よくこの義理のお兄さんが出てくる。仲がいい。この人に教えて貰ったと言って、ウチに来たときにおいしいコーヒーを淹れてくれる。この前作ってくれたウィンナーコーヒーは最高だった。アタシの唇の上についてしまった生クリームを、笑いながら舐めたのにはびっくりしたけど。卒業した頃の唯人なら考えられないスマートさだった。
 唯人は、なんだか会うたびに成長している気がする。できることも増えたし、アタシに接するときも、前みたいに真っ赤になったりはしない。照れたように名前を呼ぶくせに、抱き寄せる腕に迷いはなくて。

 ――― もっとゆっくりでいいのに。
 カワイイと言われ続けてきた唯人は、周りの視線が変わってきたことに気づいていない。
 さっきの女の子二人連れだって、アタシの後ろのテーブルで、さっきから小さな声で唯人の話をしている。最近いいよね、唯ちゃん。いい意味で男くさい感じ ――― 背中で聞きながらコーヒーを味わう。
 唯人が変わっていくのが寂しい。でも、悲しいかな、その変化の原因はたぶんアタシだ。互いに想いを交わして幸せな恋愛をしていれば、男だって磨かれる。
 アタシの男を狙うんじゃない。この場で唯人を呼んでキスしてやりたい気分。
 そんなことカケラも見せずに、キャラメルアイスを掬う。かすかにほろ苦い後味が、心の隅にもジンと沁みた。

05.11.09

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