2006年バレンタイン企画
少年ロマンス
番外編/ever after (3)

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 腕の中から、小さな声で問われて、初めて理解した。千代の内にあった自信のなさを。
 いつもは夜の月を思わせるのに、この人の内面は火のように熱い。
 素直に甘えてこないのは、僕がまだ頼りないからだと思っていた。十歳の年の差に悩みや迷いを抱えているのは、僕だけじゃなかったのか。
 笑いそうになる。僕だって、この前千代が店に来たとき、前村に嫉妬してた。コイツさえいなければ、千代の笑顔も言葉も僕のものなのに、って。二人して何やきもきしてるんだろう、僕たちは。

 腕の力を緩めると、千代は僕の胸に手をついて、顔を上げた。雨雲が覆う空に、月明かりはない。キッチンから漏れてくる光だけが、かすかに千代の表情を浮かび上がらせる。
 ごく稀に僕の前で見せる、その頼りない表情がどれだけ僕の胸を苦しくさせるか。知らないからそんな目で見るのでしょう? 涙の膜を張ったままの瞳。暗がりの中で、息を潜めて僕を見つめる鋭さを消した視線。
 ――― 僕以外の誰にも、そんな表情は見せないで。抱きしめずにはいられないから。

「なんで、そんなこと考えるんです?
 ……あなたじゃないと、意味がないのに」
 この人の固い殻を、いつか全て取り去ってしまいたい。素肌を触れるように、いつか、その本心に。

 何度も髪を撫でて、額に口付けた。風邪のせいか、泣いたせいか、千代の体は相変わらず熱くて、早く寝かせないと、と焦った。その反面、いつにない弱気な彼女から目が離せない。僕のシャツを濡らす涙。本音を垣間見せる言葉を聞きたくて、その唇が声を紡ぐまで待ってしまう。
「アタシ、そのうち職場だって変わるよ。もし遠く離れた所に行くことになったら、どうするの?」
「どうもこうも、また追いかけますよ。僕が大学卒業前なら、なかなか会いに行けないけど、自由になったらすぐにあなたのところに行きます」
「どこでも?」
「ええ、どこでも。何年かかっても」
 千代の潤んだ目が、僕をじっと見つめていた。嘘を許さない厳しい目だった。
「 ――― 本気で言ってるの」
「当然ですよ。僕が自分の生き方で、唯一決めてることがあるとすれば、それは『一生千代の側にいる』ってことだから」
 千代はそのまましばらく僕を睨んでいたけれど、ぱたりと僕の上に倒れこんで、ぎゅうとシャツを掴んだ。バカじゃないの、と呆れた声。もう涙の気配もない。
 いつだって本気なんだけどな。また相手にしてもらえないのか。
 小さく溜め息をついて、千代の肩が冷えないように毛布を引き上げた。千代が眠りやすいように、僕の隣に寝かせて腕枕をする。顔にかかった横髪を耳にかけて、ぽんぽんと背中を撫でた。
 早く元気になって。泣き顔も魅力的だけど、やっぱり憎まれ口叩くくらいの方がいい。

 あったかい千代を腕に抱いていたら、僕まで眠くなってきた。くぁ、とあくびをかみ殺す。もう寝たかな。
 そっと顔を覗き込むと、千代は目を閉じたまま、僕の手をぎゅっと握ってきた。
「唯……信じるからね」
 彼女の左手を握り返した。もうマニキュアで描いたクローバーじゃ、あなたを繋ぎとめられない。この白くて綺麗な指に、いつか指輪を嵌めてもいいだろうか。
 僕の質問、眠る前にちゃんと届きましたか?



 バレンタイン二日後。久しぶりに千代が店に来た。書道の服部先生と一緒に。
 あの日、千代は朝になったら何事もなかったかのように、僕を起こして仕事に行ってしまった。熱も下がってた。昨夜の出来事は幻だったのかと、一瞬疑ったくらいのそっけなさ。もしかして、何を話したか覚えてないのかな。
 訊くに訊けず、僕はいつものように、二人のテーブルに注文をとりに行った。

「東郷くん、なんだかすっかり男らしくなったねー。在学中は女の子みたいだったのに」
 服部先生は相変わらず快活だった。今年も書道部は全国大会でよい成績を残したらしく、校舎に垂れ幕がかかっていた。
「彼女できたでしょう?」
「……いますよ、すごく好きな人」
 何食わぬ顔で水を飲んでる千代だけど、僕の言葉でかすかに唇の端をあげた。服部先生は気づかずに、言うねぇ、と僕をからかう。
「君は人気あったから、後輩の女の子たちが嘆くよ、きっと。恋人は、どんな人なの?」
 どんな人、と言われても。
 僕はオーダー用の伝票を手にしたまま、困ってしまった。窓に映る千代の表情は、完全に面白がっている。むむ、そっちがその気なら。

「彼女、年上なんです。でも、大人げないんですよ。すごく意地っ張りで、悩んでても体調崩しても僕を頼ってくれなくて、じれったいんです。すぐに僕のこと子供扱いするし」
「へぇ、年上か。プライド高い人?」
「たぶん。まあ、いつもクールだからこそ、たまに甘えてきたときは、可愛くて仕方ないんですけどね」
「ベタ惚れだねぇ」
 服部先生とは対照的に、千代の顔から笑顔が消える。頬杖ついたまま、ちらりと睨まれて僕は肩をすくめた。
「否定はしません。彼女も僕にベタ惚れだといいんですけど」
 意味深に、じっと千代を見つめて笑いかけると、服部先生もさすがに気づいて、千代と僕を交互に見た。
「ゆーい、調子にのるな。合鍵返してもらうよ」
「嫌です。今日もバイト終わったら、会いに行っていい?」
 服部先生が目を丸くしているその横で、千代はいつものように、シガレットケースをとりだしながら、目を細くした。
「どうぞ」
 やってくれたね、と言うように苦笑する。その手の中で照明を跳ね返すのは、僕があげた銀色のジッポー。
「仕事なさいよ、君は。アタシはコロンビア。服部さんは?」
「え? えーと、じゃあアップルティー……を」
「かしこまりました。ごゆっくり」
 きちんとお辞儀して、厨房にオーダーを告げた。こっそりフロアを見れば、千代は服部先生から「いつからよー!」と問いつめられているところだった。どうせうまくかわすだろうけれど、ちょっと後が怖い。
 まあ、服部先生なら大丈夫だろう。口も堅いし、千代と仲良いし。
 ちょっと自慢したかったんだ、千代は僕の彼女なんですよー、いいでしょう、って。

 僕はずっとあなたのそばに居る。もう誰の目も気にしない。誇りに思うことはあっても、恥じることは何も無いんだから。
 あなたは知らないだろうけど、こと千代に関しては、僕が願って叶わなかったことなんてないんだよ。美術部の部長やってたときだって、卒業式の日だって、今も、そしてこれからも。一目で好きになって、あなたに好かれたいと願って、笑われても僕は真剣だった。『先生はいつか僕を好きになる』って、根拠もなく確信していた。
 同じように、願ってる。
 五年後、十年後、ずっとずっと一緒にいて、たとえおじいちゃんとおばあちゃんになったとしても、僕はあなたと二人で楽しく過ごしている自信がある。どこにいたって、二人なら笑って過ごせる。ケンカしても拗ねて背中を向けても、もう大人げないなんて言わない。可愛い泣き顔にキスを落として、髪を撫でて抱きしめてあげる。

『 ――― 信じるからね』

 あなたのその言葉があれば、未来はずっと二人のもの。

(ever after/END)
06.02.23

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