2006年バレンタイン企画 少年ロマンス 番外編/ever after (2) ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
市販の風邪薬の、種類の多さに戸惑った。結局、薬剤師の人を捕まえて「熱が高くて、あとは平気っぽい場合、どれを買えばいいんですか?」と訊いてしまった。後は体温計。 僕が風邪ひいたとき、母さんは何を食べさせてくれたっけ、と考えたけど、実はあまり風邪をひいたことがない健康体なので、わからない。ついでなので、閉店時間ギリギリだっだけどウチに寄ってみた。 「あれ、どうしたんだ唯人。千代さんのとこで泊ってくる予定だったろ?」 厨房の片付けを終えた兄さんが出てきた。 「千代が熱出してるんだ。寝かせてきたんだけど、何食べさせればいいの?」 「基本的に、消化がいいものだろ。胃に優しいもの。俺もここ数年寝込んだことないから、わからん」 二人で首を捻っていたら、姉さんが呆れ顔で僕を呼んだ。 「ゼリーとムース用意するから、待ってなさい。唯人が下手に料理しても、キッチン汚すだけよ」 反論できなくて、おとなしく店の隅っこで椅子に座っていた。 千代の部屋は暗かった。おとなしく寝てるらしい。とりあえず、果物とか買ってきたものをキッチンに置いて、手を洗った。喉が渇いたな。 冷蔵庫をあけてジュースを取り出したとき、見慣れない白い箱に気がついた。 「なんだ、これ」 生菓子っぽい。今日のデザートに、千代が準備していたのかも。冷蔵庫の上にペットボトルを置いて、蓋を開けた。途端に、ふわりと鼻をくすぐる独特の香り。 ココアパウダーの中に転がっていたのは、10個近いチョコトリュフだった。市販のものじゃないのは、ごつごつした形でわかった。この無骨な形じゃ、売り物にはならないだろう。ひとつ口に放りこんだ。軽く歯をたてるだけで、やわらかなショコラクリームが溶け出した。舌の上でふわっと溶ける。オレンジリキュールがよく効いてる。 慌ててコートのポケットから、千代に貰ったチョコの箱を取り出した。リボンをほどく。中に入ってたのは、いくぶん綺麗な形の、4つのチョコトリュフ。 まさか、手作りだったなんて……。 昨日だって、千代は仕事だったはず。今日も平日だ。いつも通り学校で授業をこなしたに違いない。風邪気味でしんどかったはずなのに。 千代の部屋に続く扉を開けた。起こしたらいけないから、照明はつけずにそっとベッドに近づく。毛布は相変わらず盛り上がっていた。千代は壁の方を向いて寝ている。僕に背を向けて、ぎゅっと体を縮めて。 「 ――― 明かりは、つけないで」 不意に小さな声が聞こえて、びくっとしてしまった。 「起きてたの?」 千代は答えない。別に答えなくてもいいと思った。不機嫌でも怒ってても、いいや。 僕はベッドに上がると、毛布から出ている千代の髪に触れた。拒まれなかったから、そのまま体の下に手を入れて、毛布ごと千代を抱きあげた。向かい合って座るような格好で、抱きしめる。千代は身じろぎして、少し迷った後、僕の胸に顔を伏せた。 「どこ行ってたの」 「体温計買いに。あと、ウチから果物とか持ってきました。お腹すいてませんか?」 千代は黙って首を振った。僕の背中にまわった腕に、ぎゅっと力がこもる。 「ケンカした後に、黙って出て行かないで ――― 二度と」 その声が震えているのに気づいた。体を引き離す。キッチンから漏れてくるわずかな光に照らされた横顔。左側しか見えない。その頬が、濡れていた。 まさか……泣いてた? 千代はそのまま唇を重ねてきた。受け止めて、両手で彼女の頬を包む。親指で涙のあとをなぞったら、千代が体を押し付けてきた。なすがまま、ゆっくり押し倒される。 剥き出しの肩を撫でて、ぎゅうと抱きしめた。ぱたぱたと、千代の涙が落ちてくる。拭ってもキスをしても、千代は泣き止まなかった。この人の泣き顔なんて、見たことがない。 ――― いや、一度だけある。去年、保健室で眠っていた千代の目から、ゆっくりと零れていく涙を見た。 いつだって、一人で静かに……泣きたいのを、我慢していたのかもしれない。 顔を離すと、千代はその手で僕の顔を撫でた。額から顎まで、白い指先で確かめるように。 「唯人は、一年で顔つき変わったね」 涙交じりの掠れた声。痛々しくて、僕は千代の後頭部に手を回して、腕の中に閉じ込めた。 「全然可愛くなくなった。バイク乗れるようになって、バイトの女子高生に慕われて、アタシに口答えするようになって」 「……僕にとって、もうあなたは『先生』じゃないから。言いなりにはならないですよ」 千代に迎えにきてもらってばかりじゃ嫌だから、バイクを買った。生徒と教師という関係は変わっても、僕はまだ大学生で、千代は社会人だ。どれだけ頑張っても、追いつけない。必死で対等の立場になりたい、千代を支えられるようになりたいと願っても、空回りしている気がして仕方ない。 「この前『TOGO』で、前村と一緒にいる唯人を見て」 前村というのは、バイトの女の子だ。僕よりふたつ下の、現役美術部員。 「……後ろめたくなった。 アタシと一緒にいることで、唯人は、同年代の女の子とつきあう可能性をなくしてるんじゃないか、って」 一瞬、何を言われているのかわからなかった。 「 ――― アタシでいいの?」 06.02.21 |