少年ロマンス
番外編/You're My Only Shinin'Star(1)

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ずっと側にいると忘れてしまうんだ
どれだけあなたが大切か


【Side:Y】

 大きな建物から溢れ出す人の中、背後から「唯ちゃーん!」と大きな声で呼ばれた。振り返ると、振袖も鮮やかな女の子の群れ。慣れない下駄で、ちょこちょこと階段を下りてくる姿は危なっかしくて、慌てて迎えに行った。
「唯ちゃん、久しぶりー! わーい、一緒に写真撮ろう!」
「飲み会行くんでしょ? 紺野くん、車で来てるから送ってくれるって」
「そんなに大勢乗れるか、オレの車は五人乗りだっつーの!」
 高校時代に仲の良かった友達が次第に集まり始める。騒がしくて、久しぶりに会ったクラスメイトと近況を語る暇も無かった。女の子たちに引っ張られては写真に納まる。
 成人式の式典で粛々としていた反動か、式典会場から出てきた途端に、異様にテンションが高かった。なんていうか、大規模な同窓会なんだよね、結局。
 二十歳か。僕は三月生まれだから、実際に誕生日を迎えるのはもう少し先だ。でも、なんとなく一人前だと認められる気がして、嬉しい。それではしゃいで、こんな風に集まってワーワー騒いでるんだから、行動はまったく逆なんだけど。

 それにしても、女の子たちの変わりようには驚いた。高校卒業して二年しか経ってないのに、みんなすごく大人っぽくなった。ほとんどの子が着物姿っていうのもあるだろうけど、お化粧して髪も綺麗に結って、嬉しそうに「唯ちゃん!」って笑顔を見せてくれるから、ちょっとドキッとする。眼鏡だった子もコンタクトに変えてるし。
 圭一の車で飲み会に向かう途中、隣に座っていた元学級委員のエリちゃんにそう言ったら、エリちゃんは頬を染めて僕のネクタイを指差した。
「唯ちゃんだって、変わったよー。スーツ姿が様になってて、びっくりしたもん。可愛いっていうより、カッコよくなった」
「……そう?」
 面と向かってカッコいいなんて言われると、照れてしまう。
「さっきだって、私が声かけたら、すぐに階段かけあがって手を貸してくれたでしょう。さりげなく優しいのって、好感度高いよー。唯ちゃんって、女の子に警戒心抱かせないし、昔から人気あったから、会場に着いたら女の子に囲まれちゃうよ?」
「あー、委員長、今の唯人は彼女一筋だから、どんな女が誘っても無理だぞ」
 運転席から圭一が割り込んできた。バックミラー越しに睨んだら、へらっと軽く笑われた。余計なことを!
「でもさ、もう二年近くつきあってんのに、親友のオレにも紹介してくれないんだよ。写真も見せてくれないし。見栄張って言ってるだけっていうのが、オレを含めた男連中の見解なんだけど」
 彼女いるのー!? と一瞬騒いだ他の女の子も、続く圭一の言葉にため息をこぼした。
「唯ちゃーん、嘘ならもっと上手につかないと」
「嘘じゃない! 本当に、僕にはすっごく大事な恋人がいるんだって!」
「じゃあ、今日の予定はー? 確か、さっき二次会も行く、なんなら三次会もオッケーって、紺野君と話してたよねぇ。彼女に会いに行ったりしないわけ?」
 う、と言葉に詰まった。成人式って、彼女とお祝いするものだろうか。あ、連休だから?
「……今日は、卒業以来で久しぶりに会う友達も多いから、そっちを優先させようと思って」
「―――嘘だ。最初っから女と会う予定なんか無かったでしょ! いいよ、今日は私たちが最後まで唯ちゃんに付きあいます!」
 嘘じゃないのに、と小さくつぶやいたけど、もう誰も聞いてはくれなかった。

 高校の頃の知り合いに、千代を紹介なんて、できるわけない。確かに圭一は親友だけれど、それでも言えないことはある。
 まだ卒業して二年。どこから話が漏れて千代に迷惑をかけるかわからない。正直もどかしいけれど、しょうがないじゃないか。千代はいまもあの高校で美術を教えているし、僕は地元で暮らす元教え子なんだから。

 ―――それに、いまは千代を『恋人』と呼んでもいいのか、はっきりわからない。
 さっきエリちゃんの手を握ったとき、千代より手が小さいな、と反射的に思った。
 僕はもう、一ヶ月以上千代に触れていない。会っていない。準備していたクリスマスプレゼントも渡せなかったし、去年は一緒に迎えた新年も、今年は別々だった。きっと、千代は一人で新しい年を迎えたに違いない。
 側にいたい気持ちは昔から変わっていないのに……僕はいま、あの人に寄り添えない。
 わずかに曇った車の窓に映るのは、きちんとスーツを着た僕の横顔。
『アタシが選んだんだから、似合うに決まってるでしょう』
 そう言って、千代がプレゼントしてくれたネクタイを身につけて。
 成人式だ、二十歳だって、こんな風に外見ばかり大人びて見せたって、僕の中身は子供のままだ。そんなの自分が一番よくわかってる。子供じみた独占欲と嫉妬で、あの人を困らせて怒らせて―――傷つけて。
 好きだという気持ちは、あの頃から変わっていないのに。



【Side:C】

 映画を見に行く途中、赤信号に引っかかって車を止めたら、歩道を歩くえらく華やかな一団が目に付いた。
 ―――ああ、そういえば、今日は成人式か。
 咥えていた煙草を灰皿に押し付けて、ふーっと煙を吐きだした。サングラスをしていてもわかる、熱帯魚のように色とりどりの振袖姿。中にはそのままベビーカーを押している女の子までいる。二十歳であの化粧の濃さは異常だな、と冷静に観察して、信号が青に変わると同時にアクセルを踏んだ。
 いつもなら、飛ばしすぎですよと注意してくる唯人の姿は、助手席にない。
 唯人に渡していた合鍵は、今はアタシのキーケースにぶらさがっている。



 映画を見終わったあと、ぶらぶらと冬物のセールを見て回っていたら、タイミングよく服部さんから電話がきた。一緒に晩御飯はいかが? という誘いに、了解と返す。
 冬休み明けの学校は受験間際の三年生のおかげでピリピリとしているけれど、選択科目担当で特に担任も持っていないアタシと服部さんは、そんなに忙しくない日々を送っていた。

「千代さーん、タバコ吸いすぎだって!」
 服部さんとは以前から親しかった上、唯人のせいで恋人が誰なのかも知られてしまい、最近では泊まりで旅行に行くぐらいの親しさになっていた。おかげで、以前は苦痛でしかなかった同僚との飲み会もさほど苦痛でなくなった。左右に矢野クンと服部さんを配置すると、ベストだ。
 そんなわけで、今日も食事の後、当然のように行きつけの居酒屋で二人で飲んでいた。言われて灰皿に目をやれば、店に入って間もないのに、既に5本目。無言で、うっすら口紅のついた煙草を灰皿に押し付けた。
「どうしたのよ、らしくないなぁ。今日は帰りたくなさそうだし」
「帰りたくないもの」
 素直につぶやく自分に呆れながら、本日何杯目かのビールをぐっと飲み干した。服部さんは苦笑を浮かべて、軟骨のから揚げにレモンをかけた。ロックの梅酒を一口すすって、上目遣いにアタシを見つめる。
「今日、成人式だもんねー。お祝いしたかったのに、まだケンカ中か。
 ……許すタイミングが掴めないってとこかな?」
「しばらく許す気はないよ」
 ある程度酔っているのと、相手が服部さんだという油断から、つい口がすべった。服部さんはけらけらと笑って、「何やったのよ、東郷クンはー」と面白がっている。
 あのバカが何やったか? それこそ他人には言えないね。



 時は少しさかのぼって、十二月の話。

 師走というだけあって、年末はどうしても忙しい。冬休み前に片付けることはたくさんあるし、残業も増えるし、美術部は毎年恒例の作品展の準備もあって、時間は瞬く間に過ぎる。もちろん忘年会などというものも、ある。
 唯人が大学の友達と忘年会だか打ち上げだかで飲んでいたのは、十二月初旬の土曜の夜だった。次の日二人とも休みなんて珍しいから(唯人は土日にバイトが入ることが多い)、遅くなっても会いに行きますと、前日から連絡が入ってた。
 夜更かしするのは苦じゃないから、日付が変わるくらいまで本を読みながら待っていた。
 わずかに開けてた窓から、タクシーのエンジン音が聞こえて、ああ着いたなと思って出迎えたまではよかった。インターフォンが鳴って、ドアを開けて、唯人が入ってきて―――こんばんは、の挨拶の後、口数少ない様子に内心首を傾げた。
 気分が悪いのかとも思ったけれど、そんなに酔っている風でもない。
「唯人?」
「はい」
 返事はするけど、心ここにあらず。ここまで隠し事が下手だと、いっそ哀れに思える。
「―――何。言いたいことがあるなら、さっさと言う!」
 昔もこんなやりとりをしたな、と思い出した。頭の片隅によぎった嫌な予感を、もっと信じればよかった。
「先週……駅裏の通りにある『一花』にいなかった? 男の人と。あの人は、誰?」
 迷いながら不安げに言う唯人。答えを言う前に苛立ちが勝った。
「見ていたなら―――あの場にいたなら、どうして声をかけなかったの」
 唯人の表情だけでわかる。あの創作和食の店のターゲットは、完璧に女性客だ。唯人が、私に声をかけなかったのは。
「唯人は、誰と一緒だったの?」
 案の定、唯人はぐっと返事に詰まった。考えてることが顔に出すぎて、腹がたつ。
「僕の質問には、答えてくれないんだ?」
「答えたくないし、今は、相手が誰か言いたくない」
 きっぱりと言い放ったとたん、何の前触れもなくキスされて、呆然とした。
 唇が重なってすぐに、鼻に届いたアルコールの匂い。ぐいと体を押された。ふらついてテーブルにぶつかった拍子に、用意していた二人分のコーヒーがこぼれた。キッチンの壁に体を押し付けられ、叱ろうと唇を開けば強引に舌で割られた。食べられる、そんな錯覚を覚えるくらいの強引な口付けが続いて、いつも優しく触れる手が躊躇なく服を剥いでいって。
 ……後は、知らない。

 朝まで何度抱かれたのか覚えてなかった。耳元でバカみたいに、唯人はアタシの名前を呼んでた。辛そうに切なそうに。千代、千代。「好きだ。どこにも行かないで」、繰り返された言葉を覚えてる。途中から記憶は曖昧で、たぶん最後は気を失ったんだと思う。
 昼になって目が覚めた。隣で眠る唯人はいつもと同じ、天使みたいな寝顔を見せてたけど、アタシの体は夜の間にされたことを覚えていた。腕や胸や脇腹についたキスマークと歯型、強く握られて赤くなった手首。人の柔肌噛みまくって、子犬かコイツは。
 体のあちこちが軋んで、ベッドの縁に座るだけで顔が歪んだ。だるい。腰の奥が鈍く痛む。シーツも何もかも汚れていた。冬の柔らかい太陽に照らし出された部屋は、乱れていてどこか背徳的だ。大判のバスタオルを体に巻きつけて、バスルームに向かった。
 温いシャワーを浴びて、清潔な服を纏う。タバコを咥えたら唇の端がぴりっと痛んだ。唇にも傷がある。きっと、キスのときに抵抗して歯があたったんだ。
 ふう、と煙と溜め息を一緒に吐き出して、安穏と眠っている唯人に近づく。
 その背中に、無造作に蹴りを入れた。二度目で唯人は目を開けた。ふにゃんとした寝起きの目がいつものように笑顔に変わって、けれどすぐに眉間に皺がよる。アタシがあまりにも不機嫌だからだ。理由を考えているらしく、時折視線を泳がせて考え込んでいた。
 それだけで、一部始終を忘れてるんだと察することができた。

「ユイ」
 低い声で呼びかけて、アタシは無言でシャツの前を開いた。裸の上半身を見れば、何されたかはわかるよね。無理矢理の愛情確認は、無数の跡を肌に残しているんだから。
 一瞬で唯人の顔は白くなった。「それ、僕が?」なんて今更なセリフに冷笑を返した。他に誰がいるよ。
「合鍵返しな。しばらく会いたくないから―――部屋にも来ないで」
 カーテン越しの太陽の光に照らされた唯人は、子供みたいに途方に暮れていた。髪に寝癖をつけたまま、くしゃくしゃになった服を手にして、そのポケットからウチの鍵を取り出したところで動きを止めて。
 迷うな、ここで情に流されるな、今の唯人には罰が必要なんだ。
 唯人の手からそっと鍵を取り上げて、着替えたら出て行けと、短く告げた。


08.02.08

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