少年ロマンス
番外編 ☆ Do You Love Me?(1)

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 子供ではないと言うのなら
 思い知らせて可愛いアナタ



 朝から蝉の声がうるさい。
 目を開けたら、眩しい太陽の光に射られる。内側のカーテンを閉め忘れて寝たからだ。
 寝不足の頭はぼんやりとしていた。惰性で時計を見ると、まだ7時前。この時間でこの暑さ。いつから日本は熱帯気候になったんだ。真夏の厳しい気温にうんざりしながら、遮光カーテンを閉めて、エアコンを入れた。涼しい風に、はあ、と溜め息が漏れる。
 ダイニングキッチンに続くドアを開けると、足が何かに当たった。ブルーシートの上には大きめのパネル。描きかけの絵に追いやられるように、隅っこで寝ている男がひとり。夜中に掛けてあげたタオルケットを足元に跳ね飛ばして、無邪気な寝顔を見せる。
 半年前に恋人に昇格した元教え子。名前は、東郷唯人。
「……緊張感無いなあ、本当に」
 しゃがみこんでじっと見ると、寝汗で前髪が額に張りついていた。ぴたん、と軽く平手で叩く。わずかに顔をしかめるけど、そのまま。起きる気配は無い。

 唯人が卒業して五ヶ月とちょっと。
 アタシを好きだと言い続け、今でも愛情表現過多な唯人。アタシへの接し方は変わらない。変わらなすぎる。いつまでキスとハグだけで過ごすつもりだ。
 この夏、唯人は課題を仕上げるのに忙しい。夏休み前に、『大きな作品が描きたいけど、自室じゃ無理だし』とぼやいた唯人。ウチで描けばいいじゃないの、とそれを口実に合鍵を渡した。だから、彼が家にいるのは珍しくない。唯人が卒業してから、どうしたって会う時間は減った。正直、こうしてアタシの家に来てくれるのは嬉しい。
 問題なのは、唯人がいつまでたっても態度を変えないことだ。
 アタシの家にいても、本当に絵を描いているだけ。疲れ果てて眠ったときも、こんな風にキッチンの隅で寝てしまう。ソファで寝ていいよ、と言ってるのに、あまりアタシの部屋に入ろうとしない。今回で、泊まったのは三回目。襲えとは言わないけれど、ここまでリアクションが無いと、いっそのこと、そう言いたくもなる。
「いつまで焦らす気なのかね、君は」
 眠る唯人に、触れるだけのキスをする。
 二人きりで過ごす時間が増えても、まだ距離は以前と変わりが無い気がする。
 先生、と呼ばれると嫌な気持ち。名前で呼んでと、アタシから言えない。変なプライド。
 一緒にいるだけで満足できるのかな。抱きしめるなら、もっと強く。そう願うのは、アタシが他人の体温に包まれる心地よさを知っているから?
 
 唯人といると、自分の欲望を強く感じる。



 夏休み中であろうと、八月に入れば体育祭の準備が始まる。
 実は、美術部員はこの時期とても忙しい。部の課題の作品も仕上げなきゃいけないし、体育祭用の各チームの係を決めるとき、どうしたって彼らは『パネル班』に振り分けられる。廊下にしか置けない、非常識な大きさのパネル(もはやそれは看板というべきだと思う)を描くのは、とても労力と技術が要るのだ。
 もちろん、駆りだされるのは部員だけでなく、教員だって多忙。
「先生、応援合戦の場所、他のチームに取られたんだけど」
「ポスターカラー余ってたら下さい!」
「OHP貸して欲しいんですが、美術室にありますか?」
 問い合わせやら相談やらで、部活が終わっても、生徒は遠慮なくやってくる。帰れない。美術室前の廊下にはチーム『白虎』のパネル。中庭ではチーム『朱雀』が応援合戦の練習をしている。生徒のストレス発散にも一役買ってるんだろうな、こういうイベントは。

 騒がしい美術室周辺から逃れて、南門に向った。シガレットケースを手の中で弄びながら行くと、先客アリ。
「ヤノッチ、お疲れ。こんな時間まで、何してるの?」
 フェンスに凭れてタバコを吸っているのは、同僚の音楽教師の矢野君だ。汗でずれる眼鏡は外して、Tシャツのエリに引っ掛けている。だるそうにグラウンドを顎で示した。楠の下に集まっているのは、40人ほどの生徒だ。ジャージ姿で音楽に合わせて踊ったり、振りつけを合わせたり。なかなか上手いんじゃない?
「今日の『青龍』の担当、俺なんだ。この暑さだし、熱中症とか怖いんで、一応責任者として近くにいるわけ」
「帰りたいけど、帰れない、と」
「まあ、そういうこと」
 彼の隣で、同じようにフェンスに凭れた。戯れに煙草を咥えたまま顔を近づけると、矢野君が気付いてニヤリと笑う。煙草の先がくっついて、一際火の輝きが強くなる。
 何事もなかったかのように離れて、互いに煙を吐き出した。
「千代ちゃん、今の表情はちょっとヤバいな」
 矢野君が汗で濡れた前髪をかきあげる。遠くを見つめる眼差しは、なぜか楽しそうだ。
「俺じゃなかったら、誘われてるって勘違いするよ。欲求不満?」
 欲求不満。言い得て妙だ。
「最近、してないからなぁ」
 ぽつりとつぶやくと、矢野君が怪訝そうに首を傾げた。
「だから、セックス」
 見上げたアタシを一瞬まじまじ見つめて、次の瞬間、矢野君は激しくむせて咳きこんだ。煙吸い込むからだよ、バカだなぁ。
「……ハッキリ言い過ぎ、セクハラだから、ソレ」
「自分から話振ってきたくせに」

 グラウンドの生徒が、矢野君を呼んでいた。携帯灰皿に煙草を押し付けてポケットに片付け、「お先」と仕事に戻っていく。
「ヤノッチ、早くー!」
 太陽の下で飛び跳ねる生徒を見ていると、なんであんなに元気なんだろう、と思う。若い。あの場所に、唯人だっていたんだ ――― 去年までは。
 アタシと唯人の間にある溝は、深くて当然なのかもしれない。
 


 好きな女の部屋で、平然と眠れる神経がわかりません。

 生徒につきあって日向で数時間過ごしたせいか、とても疲れた。服部先生と一緒に居酒屋で晩御飯を食べて、軽く飲んで帰ってきたら、明かりのついた部屋に唯人の気配。五日ぶりかな。
 鍵を開けて玄関に入ると、やっぱり律儀にキッチンにいた。今日はキャンパスを出していない。ブルーシートもきちんと畳まれ、パネルも冷蔵庫の隣に立て掛けられている。唯人は、壁に凭れて鉛筆を握ったまま寝ていた。スケッチブックは開いたまま、投げ出した膝にひっかかっていた。
 精緻な手のスケッチ。曲げた指の皺まで丁寧に描き込まれている。捲ると、何枚も同じようなスケッチが続いていた。対象が花だったり風景だったりするけれど、見ていてじんわり心があったかくなるような、優しい印象は変わらない。
 唯人は最近、疲れてるみたいだった。バイトもしてるし、免許が取りたいって教習所にも通ってる。家でも他の課題を仕上げているらしい。それでなくても、眠くなったらどこでも寝ちゃうのに、無理してウチに来ているんじゃないだろうか。
 今日だって、唯人はメールで連絡をくれたのに、アタシは服部先生と飲みに行った。早めに切り上げてきたけど、もう十時すぎ。待ちくたびれたのか、可愛い唯人クンは夢の中だ。
 いつもなら起こすんだけど、その寝顔を見ていたら、寝かせてあげたくなった。起きたら、ちょっとお茶して話して、帰らせればいいか。  


05.08.18

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