少年ロマンス
番外編 ☆ Do You Love Me?(2)

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 熱いシャワーを顔から浴びると、だれていた体がシャキッとする。
 汗と埃と煙草の匂いを洗い流して、熱い滴にしばらく打たれた。アルコールが抜けていく。脱衣所の鏡で自分の裸を見た。どう考えたって女だった。バスタオルで髪を拭って、顔を背ける。
 ゆっくりと距離を縮めてくる唯人に対して、アタシは皮膚一枚の距離ももどかしいと思ってしまう。優しいキスに、物足りなさを覚える。俗物だ。それとも、唯人が純すぎるんだろうか。
 湯気と一緒にバスルームから顔だけ出すと、カーテン代わりの薄い布の向こうに、姿勢の変わっていない唯人が透けて見えた。爆睡中ですか、人の気も知らないで。

 寝てるならいいや、どうせ見えないし。
 ほぼ下着だけの姿で出て、唯人の前にしゃがみこんだ。最近は、起きてる唯人より、寝ている唯人を見る方が多いかもしれない。つい、まじまじと寝顔を見つめてしまう。こんな風に、吐息が触れそうな距離で。
 長い睫。大き目のTシャツは襟ぐりが広くて、唯人の鎖骨がちょっとだけ見える。首筋も肩も、男らしい線を描くようになってきた。そこに色気を感じるのは、アタシが惚れてるせいなのか。
 唯人の寝顔は、キスをねだってるみたいだった。昔見た、茅野と唯人のキスシーン。今なら茅野の気持ちが少しだけわかる ――― 未だに思い出すと腹が立つけど。
 濡れた髪から滴が落ちて、唯人のTシャツに落ちた。顔を近づけると、前髪が唯人の額に触れて、水滴がついた。ゆっくりと鼻筋を流れるそれを視界の隅に留めて、軽くその唇を噛んでみた。唯人はちょっとやそっとのことじゃ、起きやしない。
 ぺろりと唇の割れ目をなぞったら、目の前で何かが動いた。伏せていた瞼を持ち上げると、ものすごい至近距離で唯人と目が合った。唇を重ねたまま、ぱちりと瞬きをするアタシの前で、唯人の目は情熱を隠さない。切なげに目を潤ませて、アタシの腰に腕をまわし、力任せに抱きしめた。

「ん……ゆ、ッ」
 名前も呼べない。でも、いつかみたいな荒々しいキスじゃない。深くて、扇情的な、追いつめるようなキス ――― 。
 唯人の膝に座らされて、苦しいくらい強く抱きしめられる。隙間無く重なった胸が高鳴る。アタシも同じように、唯人を抱きしめた。欲しかったのはこんな抱擁。奪うように、攫うように、アタシのこの乾きを癒して。

 どれぐらいキスしていたんだろう。濡れた音を立てて唇が離れた。アタシを膝にのせたまま、唯人は男の目でじっと見つめてくる。ふたりの乱れた呼吸を、エアコンの風が凪いでいく。
「寝たフリなんて、やらしいな」
 アタシの言葉に、唯人は一瞬言葉につまって、アタシの肩にぽてっと顔を伏せた。息が首筋にかかってくすぐったい。顔が見えなくても、拗ねているのがわかった。
「仕方ないじゃないですか。起きたらシャワーの音が聞こえて……先生が出てきたら、絶対普通の会話なんてできないのわかってたから。必死で平常心保って目を瞑ってたのに、そんな格好だし、キスはするし ――― もう少し、僕を警戒して下さい」
 警戒? ある意味、唯人から一番遠い単語だと思う。
「どうして」
「……どうしてと言われましても」
 薄いキャミソールの布地越しに、触れていた唯人の手が離れていく。今更躊躇っている唯人に焦れる。
「もう一回して、さっきのキス」
 は? と赤くなった唯人の顎に指を掛けた。空いてる左手は唯人の肩へ。壁際に押し付けて、逃げ場を無くす。アタシのなけなしの理性を吹き飛ばしたのは君なんだから、ちゃんと責任とって。
 唇を押し当てた。音をたてて鼻にキスする。薄く開いた瞼の向こう、逃れられないと観念した唯人が悔しそうに唇を噛んで、陥落。思わず笑ってしまった。
「僕、ずっと必死で我慢してたんですよ、先生に触れるの」
 キスの合間に唯人がつぶやく。
「アタシも我慢してた、襲わないように」
 どこが、と唯人が苦笑した。
「今、襲われてるんですけど」
 まあ、キャミとフレアショーツだけで唯人に跨ってるから、間違いではないね。
 唯人は笑いながらアタシの首筋に唇を落とした。遠慮がちにキャミソールの下に手が入る。腰に直に指が触れて、撫でられて、それだけで声が出そうだった。
「……唯」
 いつの間にか立場が逆転していた。ゆっくりと指を這わせながら、唯人がアタシを見つめて、耳元で囁く。
「合鍵もらって嬉しかったけど、ここに来てもなんだか……美術室で二人だけで居残りして絵を描いてたときと、同じ感覚で。僕はまだまだ男扱いされてないんだと思って、あまり余計なことをしないようにしてたんです」
「気を、使いすぎ」
 ぎこちない手つきは逆に焦らしているようで、息があがる。わざとやってない?
「課題が仕上がって、ここに来る口実がなくなっちゃったから、今日はスケッチブック持ってきて待ってたんですよ。鍵返せって言われたら、どうしようかと思って」
「言わないよ、そんなこと。いつでも来ていいから ――― 会いに来て」
 心の中でつぶやいたはずの台詞が、つい声になってしまった。
 こんな素直なこと言うのは、らしくない。自分でもわかっているから、そんなあからさまにびっくりしないで欲しい。でも、こうして抱き合うときは、普段言えないようなことも言えてしまう。

「どうして、いつまでも『先生』って呼ぶの」
「だから、僕はまだ生徒扱いされてるって思ってたから ――― 心の中では、ずっと名前で呼んでましたよ」
「じゃあ、呼んでよ」
 しがみついたまま言ったら、肩を揺すって笑われた。カチンときて両耳を引っ張る。
「うわ、ごめんなさい。だって、すごい可愛いこと言うから。先生はそういうとこ滅多に見せてくれないから、嬉しいんです」
「また先生って言った」
「千代って呼んでいい?」
「いいよ……そっちの方がいい」
 額をくっつけたまま目を合わせた。近すぎる距離に恥ずかしさはない。もうキスも当たり前。なのにたまらなく抱きしめて欲しいときがある。
 ちゅ、と音をたてて、唯人がアタシの額にキスをした。
「なかなか言う機会がなかったんですけど、早ければ明後日免許とれるんです。
 義兄さんが車貸してくれるっていうから、去年見に行った花火大会、一緒に行きませんか? もう旅館は予約取れなかったんで、日帰りだけど」
 ――― 思い出した。そういえば、そんなことを言ってたんだ、去年の花火大会の日に。今度は唯人が運転する車でここに来ようって。約束というには冗談じみたあのときの会話が蘇る。
「……覚えてたんだ?」
「そうですよ。だから7月になってすぐ、教習所行き始めたんですから。
 ――― 驚いた?」
 優しい目で問いかけられて、返事ができなかった。そりゃ、びっくりするよ。誰が本気にするの、あんなじゃれあいの会話。
「他には何があるの。『卒業したらやりたいことリスト』の何番目に、アタシを抱くって書いてるの?」
 唯人が真顔になる。風呂上りの体はすっかり冷めて、アタシはぶるっと体を震わせた。濡れた髪から滴る雫が唯人のTシャツにも顔にも、ぱたりと落ちる。
「……この状態で帰るなんて言ったら、二度と抱かせないからね」
「でも、その ――― 何も用意してないんで」
 恥らうのか、そこで。変なとこ乙女だなあ、この子。
「いいよ、避妊しなくて」
「駄目です、そんなの」
 むきになる唯人の胸に手をおいて、じっと目を見た。何でもないフリをしても、声が硬くなるのが自分でわかる。
「いいの。子供できないんだよ、アタシ。それで聖と別れたようなモンだし」
 まだ18歳の唯人は、あまり想像もできないのか、訝しげに首を傾げただけだった。
「そんなことで?」
「――― あの人は、大きな家の跡取りだったから。子供を産めない妻は、意味がなかったの。唯人だって長男だ。家を守っていく立場、少しは考えたこと、ない?」
 あんまりあっさりと流されたので、アタシは少し苛立っていた。そんなことで別れたんだよ。そんなことで、殺したいほど誰かを憎んだんだよ。それをどうでもいいなんて、言わないで。
 冷たくなっていくアタシの視線に気づいたのか、唯人は目を泳がせた末、ぎゅっと唇を結んだ。
「そう言われても、僕は製菓に興味ないし、ウチの店はもう姉夫婦が継ぐって決まってますから。センセ……ええと、千代、が子供欲しいっていうなら、養子をもらうとか他の方法もあるわけでしょう?
 子供なんて言われてもピンとこないけど、僕は千代と一緒にいられるなら、それでいい」
 ……そんなこと、簡単に言うな。
「わかんないじゃない、そんなの。唯人がこの先、ずっとアタシといるとは限らない。一生一人を愛するって、綺麗に聞こえるけど、そんな簡単なことじゃないよ。
 アタシだって、唯人の前に愛した人がいる」
「僕は他の人なんか好きになりません。あなただけだ。
 確かに人の心なんて不確かなものだけど、少なくとも僕は、一生千代しか愛さないって、決めてる! 三年前も、今も」
 真剣な声に、気圧された。さっきまで寝顔を可愛いと思ってたのに、なんて凛々しい表情をするようになったんだろう。
「 ――― アタシもそう思ってていいの?」
「いいですよ」
 しかし、会話が全部結婚前提なんですが。どこまで本気なんだろう、唯人は。聞いたら、力一杯本気だと言われそうだから、やめておこう。

「裏切ったら、何するかわからないけど」
「好きにしていいです。だから信じて」
 ぎゅう、ともう一回抱きしめられる。まだ膝の上、唯人の顔はアタシの鎖骨の位置。吐息が胸の谷間にかかる。好きにしてなんて言われたら、もう何も言えない。
「わかった、信じる」
 涙が滲みかけて、唯人の頭をかき抱いた。バカみたいだ。他人にはとても聞かせられない。恥ずかしいくらい、アタシはこの子に心を奪われていく。冷静さをどこに捨ててきたんだろう。それとも、最初から失ってた? だから、あんな約束をしたんだろうか。卒業後、また告白してくれればなんて―――。
「心臓の音、すごく早い」
 胸に耳を押し当てて唯人が言うから、笑ってしまった。
「好きな人に初めて抱かれるんだから、緊張ぐらいするよ」

 唯人の手をひっぱって、二人一緒に立ち上がった。隣の部屋に続く扉を開けたら、狭いソファベッドがすぐそこにあって、二人して倒れるように寝転がった。唯人の柔らかい髪に指をさしこんで、堅い首筋の筋肉を撫でて、重なる心臓の音にゆっくり目を閉じる。
 閉じる寸前に目に飛び込んできた時計の針は、深夜0時。シンデレラは帰る時間だけど、王子様は帰らない。大人の時間はこれからだ。  


05.08.21

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