Keep The Faith:3 AFTER
【My Sweetie】

※日崎編完結時に限定公開していた、おまけ短編です。
 また読みたいとリクエストいただきましたので、普通に公開致します。



 あなたが思うよりずっと
 あなたのことを 想っている
 試すようなことを言うのは
 それを知りたいからでしょう?
 

 リビングの棚の上で眠っていた黒猫の耳が、ピクンと動いた。次の瞬間、足音もなく玄関に駆けていった彼の目の前で、ガチャ、と金属の扉が開いた。
「ネーロ、たーだいまーっ」
 淡い光が灯り、彼のご主人である神代綾が、彼を抱き上げ頬擦りした。いつもの出迎えの挨拶に、ネロは嬉しくなって、くるくると喉を鳴らした。と、神代の後ろに立つ男と目が会った。
「綾さん、ブーツ脱いで、ブーツ」
 最近よく来る男だ、とネロは男を凝視した。男は指を伸ばして、鼻の頭を撫でてくれた。気持ち良さにまた喉を鳴らした。この男はよく遊んでくれるし、餌もくれるし、結構好き。

「日崎」
 神代はネロを胸まで下ろすと、首を捻って日崎を見上げた、日崎はかすかに笑って、神代の唇に自分の唇を押し当てた。ひそやかな笑い声と、甘い吐息が狭い空間にこもる。日崎の手が神代の体に回って、そっとネロを床に下ろした。
「やきもち?」
 神代がくすりと笑うと、日崎は、まさか、というように軽く眉を上げた。
「ああもう、何であなたは、アルコール一滴も飲んでないくせに、そんなにふわふわしてるんですか。腕痛いでしょう、じっとして」
 神代を小さな椅子に腰掛けさせて、日崎はそのまま跪いて神代のブーツのファスナーを下ろした。脱がせると、黒いロングスカートの深いスリットから、神代の白い足が覗いた。
「……靴を脱がせてもらうのって、何かいやらしいね。ドキドキする」
「俺は、さっきからドキドキしっぱなしですよ、あなたの危なっかしい行動にね」
 日崎はそう言うと、自分も靴を脱いで廊下に上がった。神代はコートを脱ぎながら、心配性ね、と呑気につぶやいた。
「あのねぇ、自覚ないんですか、妊婦なんですよ。おまけに、おとつい退院したばかりなんですよ!? こんなヒールの高いブーツはいて、おまけに二次会まで行こうとするなんて」
「結局、行かなかったじゃないの」
「俺が止めたからでしょう……全く」

 今日は12月26日。日崎の二度目のプロポーズから、二日後の夜。仕事納めだった。
 二人は、仕事が終わった後、同僚たちと一緒に予約していた居酒屋に赴き、飲み会に参加して帰ってきたところだ。仕事納めと神代の送別会を兼ねた飲み会は大いに盛り上がり、二人以外はみんな二次会に行ってしまった。まだ夜10時半。明日から年末年始休暇とあって、彼らは朝まで飲みつづけるだろう。たぶん、一次会で帰った二人のことを話題にして。
「だって、気分よかったんだもの」
 日崎は無言で、二人分のコートを片付けて、熱い日本茶を淹れる為にキッチンに立った。神代は同じくキッチンで、ネロの餌を容器に移した。
「俺は途中から、綾さんが心配でずっと気が気じゃなかった」
 その割にはガンガン飲んでいたじゃないの、と神代は彼の背中を見て思った。日崎一人でどれぐらいの日本酒を飲んだか……たぶん、一升は空けていると思う。周りに注がれては飲み干し、の繰り返しで。
「酔ってないの?」
「酔ってますよ」
 平然と答えて、日崎は急須と湯呑を載せた盆をテーブルに置いた。横顔が険しい。本気で怒っているのだろうか。神代は日崎の隣に腰を下ろしながら、不安になった。はしゃぎすぎたかもしれない。
 だって、嬉しかったから。
「……怒ってる?」
 神代が小さな声で問い掛けると、日崎の視線がふっと優しくなった。怒ってませんよ、と言われ、神代は、ほっとして日崎の肩に頭をのせた。
「 ――― みんな驚いてたね」
「そうですね」
 二人は熱いお茶を飲みながら、顔を見合わせて笑った。



「突然ですが、結婚することになりました」

 数時間前。
 居酒屋に場所を移し、松波に促されて挨拶に立った神代は、そう切り出した。ビールの中ジョッキを前に、既に知っていた四人 ――― 社長の松波、営業の榊、経理の熊谷、そして日崎 ――― 以外は、一瞬の静寂の後、どよめいた。
「ちなみに、妊娠中なので、今日はお酒もパスです。ウーロン茶注いで下さい」
 最初に言うからね、と聞いていた日崎も、あまりにも堂々とした宣言におかしくなってしまった。楽しんでいる。絶対に楽しんでいる、この人は。
 拍手とおめでとうの声が響く中、当然のように、相手は誰なんですかと声が上がった。
「営業主任の日崎です」
「僕です」
 神代と日崎の声が重なった。きゃー、と悲鳴に似た声が上がったけれど、なぜそこまでバイトの女性陣が騒ぐのか、日崎には謎だった。
「信じられない、いやーッ、日崎さんが神代さんとなんてー!」
「狙ってたのにーッ!」
 小さく嘆きの声が交わされていたのを、彼は知らない。

 同僚たちからは、全く気付かなかったという声が多かった。しかし、そんな中でも勘の鋭い人はいて、「なんとなくそんな気がしてたんですよね。なんか微妙な雰囲気醸してたし」という指摘もあった。日崎は、つきあってもいなかったのに、見る人が見ればわかるものか、と変なところで感心していた。
「どうせタクシーで帰るんだろ、今日はカズを潰すぞ」
 榊は息巻いて、後輩の中村と二人で日崎を挟んで飲んでいたが、ほどなく勝負の無意味さに気付いて、リタイアした。元々、この会社の中で特別酒に強いのは、神代と日崎なのだ。冷酒をコップでぱかぱか空けていく日崎のペースで飲めば、周りが先に潰れて当然だった。ちなみに熊谷は下戸で、榊の隣でオレンジジュースを飲んで笑っていた。
 からかわれたり、驚かれたり……それでも、みんなから祝って貰えたのは、二人とも嬉しかった。
 神代は、予定通り年明けから在宅勤務になる。必要以上にはしゃいでいたのは、この十年働いてきた、その場所を離れる寂しさを紛らわせる為かもしれないと、日崎は思った。


 
「まだ眠くないね」
 神代が日崎の肩に寄りかかったままつぶやくと、日崎も頷いた。日崎の手が伸びて、おもむろに神代の手の中の湯呑をテーブルに置いた。神代の両脇に手を入れて、抱き上げ、胡座を組んだ自分の膝に乗せた。
「……日崎?」
「少しだけ、このまま」
 日崎は神代の腰に腕を回して、そっとその胸に顔を伏せた。神代は、そんな日崎がなんだか可愛くて、左手で彼の頭を抱き寄せて、よしよしと撫でた。
 日崎だって疲れているに違いない。一見飄々としているが、結婚を決心して家族や親しい人々に打ち明けることは、勇気の要ることだったと思う。緊張もしただろう。しかも、昨日の今日だ。何もかも突然の出来事だった。
 神代は、その早い決断と行動が嬉しかった。何の迷いもなく、自分と一緒に生きることを選んでくれたのだから。

 神代はセーター越しに感じる日崎の呼吸の温かさに、じんと心を震わせて、口を開いた。
「おとつい、君の家族に会ったじゃない? なんていうか、びっくりしたわ。
 私が君より六歳年上って聞いても、家族と絶縁状態って知っても、それがどうした、みたいに、あっさり結婚許してもらえて」
 日崎は浅く笑った。伏せていた顔を上げて、今にも唇が触れそうな距離で。
「……ウチの両親は、俺の性格よく知ってますから。
 昔から、一度言い出したら聞かないって、よく呆れられましたからね」
「意外に、頑固?」
「どうしても譲れないことだけは、ですよ」
 自分とのことは、譲れないことだったわけだ。神代はそう考えて、頬が緩むのを感じた。微笑んで日崎の額に口づけて、もう一つのことを思い出して表情を引き締める。
「あ、もうひとつ気付いたの。君のその優柔不断にも見える受身の性質のルーツ」
「……受身、ですか?」
 日崎の問いに、神代は深く頷いた。
 日崎は、ものわかりが良すぎるのだ。自分の我を通そうとしない。意見は述べるけれど、争いは好まない。神代は常に自分の意志を貫き通してきた人間なので、日崎の穏やかな性質が不思議で仕方なかった。
 だが、一昨日、日崎の身内と初めて会って、わかった気がした。日崎の穏やかさと、極めて女に甘い態度の謎が。
「 ―― 真咲ちゃん見てたら、わかった。あの子、私と会ったとき、唯一笑顔じゃなかったもの。この女がお兄ちゃんをとっていくのか、っていう視線だった。すごい値踏みされた気分よ。依存度高そうだった。
 それもこれも、君が甘やかしてたからでしょう。まあ、嫌われようが恨まれようが、別れやしないけど」
 神代の手が、くしゃくしゃと日崎の短い髪を乱した。呆れ顔の日崎は、それが合図のように、神代を柔らかなクッションの上に押し倒した。形成逆転、為すがままにされていた日崎が、神代の顔の両側に肘をついて上から彼女を見下ろした。
「言うほど甘やかしてませんが。綾さんによそよそしい態度だったのは、辻が人見知りする性質だからですよ」
「いーや、違うね。
 そもそも、ずっと二人で暮らしてたのだって、普通に考えたら怪しいわよ。あんな綺麗な子とひとつ屋根の下で暮らしてて、変な気分にならなかったの?」
 神代の左手が、ふにっと日崎の頬を摘んだ。日崎はその手を掴んで、指を甘噛みして、くすりと笑った。
「 ―― やきもち?」
 日崎の声がからかうような響きを帯びていた。神代は、むう、と唇を尖らせ、真上から見下ろしてくる日崎を至近距離で睨んだ。指の間を舐められて、背筋がゾクリとしても、顔に出さないよう我慢した。きっと、頬は赤くなっているだろうけれど。
「……だって、すごく親密だった。言葉がなくても繋がってる感じ? 見せつけられた。ひどいわよ、婚約者として紹介しておいて、私の前で二人で仲良くして。
 それに、あの子の彼氏っていう眼鏡の――ええと、矢野さんだ。あの人が平然としてたのも、納得いかないっ。自分の彼女と日崎が、二人でパーティの合間にキッチンで二人きりで楽しそうにしてんのに、何で慌てないの!?」
 思い出して怒り始めた神代に、日崎はこらえ切れないというように、顔を背けて肩を揺らした。
「やっ、何笑ってんの、君! 人を押し倒しておいて、普通、顔背ける? 失礼な」
 神代は再び日崎の頬をつねろうとしたのだが、左手は今だ日崎に掴まれたままで、右腕はまだ痛みがあって動かせない。笑われっぱなしだった。日崎は声さえ我慢しているが、まだ笑っている。非常に腹立たしい。
「―― 日崎」
 神代は低い声で冷たくつぶやくと、器用に左足を日崎の足に絡めた。スリットの間から伸びた彼女の足、その親指が、デニムの生地越しに日崎のふくらはぎから足首にかけて、極めて緩やかに動いた。どうみても愛撫としかいいようのない意図をもって。
 日崎が一瞬で笑うのを止め、わずかに切なげに眉根を寄せた。神代も動作を止める。
「笑わないで、言い訳するならして。この体勢なら、股間蹴れるわよ」
 威圧的な視線で見上げてくる神代を、困ったように見下ろして、日崎は小さく吐息した。なんだか、オフィスで報告を催促されているようで、一気に甘い雰囲気が散ってしまった。
「……だから、家族なんですよ、辻と俺は。ウチで開いたパーティで、俺と辻がいろいろ用意したり片付けたりするのは、当然のことでしょう。
 いま笑ったのは、嬉しかったからですよ ―― あなたが辻に嫉妬してくれたから」
 そう言って、優しく口づけてきた日崎に、神代も唇を開いて応えた。ん、と甘い声を漏らしながら、なんだか誤魔化されてる、と頭の片隅で思う。それでもキスは気持ちよくて、適度に暖まったリビングで、日崎の手でセーターを脱がされても寒いとは思わなかった。首筋にしっとりした息がかかって、神代は顎を持ち上げて声を堪えた。日崎の唇は触れない。触れるか触れないかの距離を保って、唇は首から胸の谷間を撫でる。
「……意地悪」
 吐息と共につぶやいて、神代は日崎の首にしがみついた。耳元で日崎が笑う気配がしたが、もう意地を張る気はなかった。折れるタイミングを心得るくらいには、恋愛経験を積んでいる。
「ベッドに行きますか? 包帯も外さないと。お風呂の方がいい?」
「ベッド」
 即答だった。日崎は起き上がると、神代の体を抱き上げた。ひょいと持ち上げられて、神代は思わず、わっ、と声を上げた。俗に言う、お姫様だっこだ。
「……このままベッドとは、またベタな演出ですこと」
「内心喜んでるのに、そうやって照れ隠しするところも好きですよ」
 あっさり返されて、神代は二の句が告げなかった。図星だったせいもあり、そんなにさらりとかわされるとは、思いもしなかったからでもある。日崎のことを見くびっていたかもしれない。

 本当は、昨夜も抱きあいたかった。けれど日崎は、神代の体を気遣って、気持ちが通じ合ってからも、ただ抱き合って眠るだけだった。神代も疲れていて、すぐ眠ってしまったけれど、心の片隅にその欲求が残っていた。
 勢いで体を重ねた、たった一回だけの過去の行為は、夢のようだった。途切れ途切れの記憶は、現実味を帯びていない。二人の心はちゃんとわかりあっている。でも、まだ足りない。隙間無く肌を合わせて、もっと近づきたい。心も体も裸にして、通じ合いたい。
 神代の気持ちは、日崎にもわかっていた。神代を抱いたまま、彼はゆっくり寝室のドアを開けた。

 寝室のベッドに下ろされて、神代は日崎を見上げた。気のせいか、日崎の目が潤んでいるように見えた。照明が暗いから? コンタクトがずれたとか。
 神代の予想とは裏腹に、日崎は神代の隣に体を横たえると、一層目を細めた。優しい眼差しだった。愛しそうに、神代の頬に触れた。
「ありがとうございます」
「え?」
「子供を産むって、決心してくれて。
 俺と何でもなかった時期だったのに……堕ろすという選択肢もあったのに、一人で覚悟を決めて、この子を守ってくれた」
 日崎の手が神代のお腹に触れた。神代も自然にそこに手を持って行く。愛しい存在を二人で確かめるように。
「……どっちだろうね?」
「綾さんは、男の子がいいですか、それとも女の子?」
「どっちでもいいわ。絶対可愛いから」
 今日何回目がわからないキスを交わして、日崎は神代を抱き寄せた。同時にスカートのファスナーを下ろす。
「……ね、ライト落として」
 日崎が照明を暗くして再びベッドに戻ると、神代が囁くようにつぶやいた。
「 ―― 和人」
 
 はじめて呼ばれた名前に、日崎の心臓が高鳴った。
「いつまでも『日崎』じゃ駄目でしょ? 私も『日崎綾』になるんだし」
 やっぱり照れ隠しの言葉に、日崎はそうですね、と頷いて、セーターを脱ぎ捨てた。体中にキスを落として、耳元で「綾」と名前を囁いたら、彼女はどんな反応をするだろう。
 日崎の心中の企みも知らず、神代は急に色香を増した表情で彼を見上げて抱きついた。
 
 ネロは寝室入れて欲しくて、ドアに向かって鳴いていたが、二人の甘い囁きや吐息が聞こえてくる頃には、諦めてリビングの片隅でくるりと丸まっていた。
 ネロが寝室から締め出される夜は、しばらく続いた。


(My Sweetie/END)
初稿 04.07.25/加筆訂正 15.03.29

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