Keep The Faith:3
第3話 ◆ 十月の祝日(2)

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 闇が深くなるなか、チャペル前の庭に淡い光が灯った。キャンドルの揺れる炎が道を示す。その先に、純白のドレスを纏った合田美弥と、彼女の手をとる井上達也の姿が現れた。
 チャペル入り口に並んでいた参列者から、わあ、と歓声と拍手が上がった。美しく響くピアノの音に促されるように、新郎新婦はゆっくりと光の道を進んだ。幻想的な光景だった。

「綺麗……」
 日崎の耳に、沢渡のつぶやきが届いた。日崎は拍手を続けたまま、さりげなく隣に佇む彼女を見た。沢渡はうっとりと目を細めて、両手を合わせて口元に持っていき、祈るように二人を見つめていた。その瞳はわずかに潤んでいる。
「神聖な感じがするな」
 日崎が話し掛けると、彼女は素直に頷いた。
「うん。なんだか、こっちの気持ちまで綺麗になりそう」
 目の前を通り過ぎる二人に、一際高く祝福の拍手が送られる。
 日崎には、まっすぐに前を向いて歩く井上の横顔が別人のように見えた。共に生きていく人を見つけ、愛し愛されて、これからの人生を支えあい生きていく。そうして誇らしく前に進む友人を、少しだけ羨ましく思った。



 日崎の指が鍵盤から離れると、余韻を残して曲が終わった。拍手が沸き起こる。
 彼が祝福の曲として選んだのは、エルトン・ジョンの『Your Song』。日崎にとっても、結婚した二人にとっても思い出深い曲だった。

 もう一曲弾いて、という声を笑顔でかわし、彼はテーブルに戻ると辛口のワインを一口飲んだ。
「お疲れさま」
 沢渡が差し出した皿からオレンジを取って、日崎はほっと安堵の息を漏らした。
「久しぶりに人前で弾いたから、緊張した」
「全然そんな風に見えなかったけど?」
 くすくすと笑う沢渡は、耳まで赤くなっていた。酒に弱い彼女は、甘いカクテル一杯で酔ってしまう。日崎はそのことを知っていたので、それとなく近くにいるようにしていた。
 招待客の半数以上が同年代なので仕方ないのだが、祝宴も後半になるとまるで合コンのようだった。沢渡のドレスは上品だが、胸元が開いていて、白い肌が目にまぶしい。アルコールが入ると勢いづいて強引な真似をする男も少なくないので、日崎は雰囲気に飲まれず、沢渡に視線を向ける男たちを牽制していた。

「茜はこの後どうする?」
「実家に泊まるから、もう帰ろうとは思ってるけど」
 新郎新婦は、このまま隣接するホテルに泊まるので、二次会もない。日崎は安藤と飲みに行く約束をしていた。
「着替え持ってきてるんだろ?」
「うん」
 それなら一緒に次の店に行こう、と言いかけた日崎の肩に、細い指が置かれた。綺麗に手入れされた爪に、ラインストーンがキラキラと輝いている。
「日崎さーん、リクエスト! ピアノもっと聴きたいな」
 さっきからやたらと話し掛けてくる女が、甘えた口調で日崎の耳元で囁いた。何の断りもなく、沢渡とは反対側の日崎の隣にすとんと腰を下ろす。沢渡から見ると、その女はどう考えても日崎狙いで、媚を含んだ態度からして気に食わなかった。
(私と和人が話してるとこに割り込んでくるなんて、品のない女!)
 きつい香水もいただけない。レストランで食事を楽しみながらの披露宴なのに、料理のよい匂いが打ち消されてしまう。
「さっきからずっと弾いてて、空腹なんだ。少し休ませて欲しいな」
 ピアノソロの前に井上と安藤の三人で演奏していた日崎の顔には苦笑が浮かんでいたが、言葉に棘はなく、むしろ相手に好印象を与えた。日崎が自覚しようとしまいと、その優等生な性格は変わらない。老若男女問わず、彼の第一印象を悪いと言う人間は皆無だろう。
(そうやって誰にでも愛想がいいから、女の方も期待しちゃうのよ……本当にそういうトコ、変わってないんだから)
 沢渡は不機嫌を表情に滲ませて、井上に視線を投げた。安藤はギター片手に何か歌っていて、とてもこちらの雰囲気を察知しそうになかった。井上は、自分の妻になった美弥の肩を抱くようにして、面白そうに沢渡たちのテーブルを窺っていた。日崎と沢渡の反応を面白がっているらしい。
(井上を頼りにした私が馬鹿だった)
 沢渡は黙りこくって、相変わらず喋り続けている女と、内心困っているけれどそんな様子は微塵も見せない日崎の横顔を見ていた。かつて恋愛関係だった沢渡だから気付くのであって、日崎のポーカーフェイスはなかなか見破れない。
「この後、私の友達がやってるバーに行くんです。日崎さんも一緒に行きましょ? そこ、ピアノもあるんですよ」
「……悪いけど、先約があるから」
「知ってます。ギター弾いてる ――― 安藤さんだったかな? が言ってました。でも、あの人は私たちと一緒でいいって。日崎さんも誘っておいでって言われましたよ?」
 女は、マスカラたっぷりの睫に縁取られた大きな瞳で、上目使いに日崎に笑いかけた。この角度が可愛いと知り尽くした行動だ。日崎は穏やかな笑顔のまま、恨みがましい視線を安藤に向けた。十年近いつきあいの親友は、楽しそうに声を上げてはしゃいでいる。
( ――― 安藤のヤツ、気に入ったコがいるな)
 逃げる口実がなくなって、日崎は溜息をついた。本音を言えば、沢渡といろいろ話したいのだが、行かざるを得ないだろう。返事をしようとしたとき、それまで沈黙を守っていた沢渡が無邪気さを装って会話に入ってきた。

「和人、あんまり遅くなるとまずくない? 彼女待ってるんじゃないの?」
 和人、と名前を呼んだ時点で、沢渡の向かいの女はぴくりと反応した。続いて、彼女が待ってる、という言葉にあからさまに動揺していた。
「……彼女、いるんですか」
 既に安藤か誰かから「日崎はフリーだ」と聞いていたのだろう。そんなはずはない、という響きがあった。日崎は軽く頷いて、またワインを飲んだ。
「先に寝ていいと言ってはきたけど、たぶん起きて待ってると思うんだ」
 当たり前のように、一緒に暮らしていることを示されて、さすがに女は引きつった笑みを浮かべて去っていった。沢渡も内心驚いて、思わず椅子ごと日崎に近づいた。
「フォローありがとう。助かったよ」
 間近で微笑まれてどきりとしつつ、沢渡はひそひそと会話を続けた。
「ねぇ、一緒に暮らしてるの?」
「誰と」
「だから、彼女と !」
「ああ……違うよ。茜にも年賀状送っただろう? 辻と同居してるんだ」
 沢渡は首を捻った。辻真咲と暮らしているのは知っている。ずいぶん前に聞いていた。しかし、年賀状に使われた写真は、日崎と見知らぬ女のツーショットだった。辻とは面識があるし、見ればわかる。
「辻ちゃん……写ってなかったよね?」
「 ――― いや、辻と俺の写真で送ったけど」
 沢渡は昔会った辻真咲を思い出してみた。よく日焼けしたスレンダーな体躯、中性的で、男のコみたいだった魅力的な表情。自分が十八歳だったとき小学校六年生だったのだから、今は高校三年のはず。年賀状の彼女は、何歳ぐらいだっただろう?
「本当に辻だって。ほら」
 日崎が差し出した携帯の画面に、制服姿の辻の画像があった。
「これで十八!? え、すごく大人びてない? うわぁ、綺麗な女の子に育ったねー」
「……外見は大人びてるけど、やっぱり見てて危なっかしいよ。受験生なのに、恋愛に現を抜かしてる」
「彼氏いるんだ?」
「いる……昨日も外泊したし。かと言って、辻が楽しみにしてるのに会いに行くなとも言えないだろ」
 常日頃悩んでいるのか、日崎の口調は愚痴めいていた。そんな風に困っている様子が珍しくて、沢渡は微笑ましく思った。
「心配なんだね」
 日崎は携帯を手の中で弄んだ。何度か瞬きしてから、鼻の頭を指でこする。
「……まあ、相手のことも知ってるし、辻を傷つけるような男じゃないのもわかってはいるんだけど……過保護だな」
「お兄ちゃんとしては当然の反応よ、きっと」
 渋い顔をする日崎の肩を、沢渡は軽く叩いた。そうして小声で会話する二人は、端から見ると恋人同士のようで、各テーブルを回っていた本日の主役二人は、するすると近づくと日崎たちに微笑んだ。
「なぁに? ずいぶん仲良しだけど、より戻したの?」
 美弥にからかわれて、沢渡は顔を真っ赤にして反論した。
「ちっがーう! 悩み相談してたのよッ。変なこと言わないで」
「本気にするなよ、大人気ないな」
 既に気分よく酔いの回った井上は、日崎に向かって手を差し出し、強引に握手をした。
「ザキ、今日は本当にありがとう! お前の結婚式のとき、またライブしような」
「……遠い未来の話をしないでくれ」
 ぶんぶんと腕を振られて、日崎は呆れた声で応えた。お祝いのムードも手伝って、井上のテンションは少々壊れ気味だ。
「遠い未来、なの?」
 沢渡は驚いて日崎を見上げた。優しくて、落ち着いていて、でもどこか油断ならない男らしさを感じさせる彼なのに、本当に彼女がいないのだろうか。
「全く予定無し」
( ――― もう、誰かと幸せな恋をしてると思ってた)
「 ……私、春に」
 沢渡の口から零れた言葉に、他の三人が動きを止めた。
「え?」
「……春に、結婚するの」
 わずかな沈黙の後、突然美弥の腕が沢渡を抱きしめた。
「おめでとー!! もっと早く教えてよ、もう」
 他のテーブルの人々も、突然の騒ぎに拍手と祝福の言葉をくれた。再度グラスを合わせる音があちこちで聞こえ、もう収集がつかない。沢渡は美弥と井上、そして乱入してきた安藤に質問攻めに合いながらも、隣で「おめでとう」と笑っている日崎が気になって仕方なかった。



 披露宴が終わって式場を出てから、ようやく日崎と落ち着いて話す時間が持てた。
 エントランスでタクシーを待つ。次々と招待客が帰っていく。日崎と沢渡は、なんとなく二人だけで帰ることになってしまった。安藤は誘われるままに先ほどの女性たちと二次会に行ってしまい、日崎は「男の友情なんてこんなモンだ」と呆れてつぶやいた。
 沢渡は、俯いたまま日崎のジャケットの袖を引いた。
「ん? 何」
「……私、さっき余計なことした?」
 何のことかわからず、日崎はわずかに首を傾げる。
「披露宴で、和人に話し掛けてきた女の人いたじゃない。和人、さっきあの人のこと見てたでしょう? もしかして、気になってた?」
 二人が出てきたとき、その女性たちのグループはタクシーに乗り込むところだった。日崎が吸い寄せられるように彼女を見つめていたのを、沢渡は気付いていた。
「ああ、違うよ」
 日崎は、沢渡の勘違いを笑顔で否定した。
「彼女、香水つけてただろ」
「……うん、ちょっと香りがキツかったよね」
「知ってる香りだったから、つい振り向いた」
 そう言って目を伏せた日崎の横顔は、なんだか嬉しそうにも見えた。楽しい記憶を思い出しているような、そんな穏やかさを感じた。
(知ってるよ。好きな人の香りって、忘れられないの。その香りを感じただけで、相手がすぐそこにいるような気になるのよ)
 日崎の側にいると、彼の香りがした。柑橘系のヘアトニックと体臭の混じったその匂いは、夜の日崎を思い出させる。ベッドに入る前の彼を。
 沢渡は艶めいた過去の記憶を封印した。
「その香水を使ってる人、好きなんだね」
 沢渡はストレートに問い掛けた。日崎はライトアップされた庭を眺めている。すらりと背筋を伸ばして立つ正装の姿は、違和感なく風景に溶け込んでいた。
「……まだわからない。気になる人、かな」
 
 あれから半月以上たつけれど、神代と日崎の関係は変わっていない。頼りがいのある上司と、有能な部下。
(何も変わっていないと思ってた ――― 香りに反応して会いたくなるなんて)
 一緒に仕事をしているときの神代は、明るくてじっとしていなくて、よく喋りよく怒鳴り、一仕事終われば全員に労いの声を掛ける。しゃきしゃきと動く彼女を見ていると、あの夜の涙が幻に思えた。
 それでも、抱きしめた記憶は嘘ではない。
(……知りたいのは、好奇心なのか?)
 自問自答しながら、日崎は顔を上げた。冴えた秋の夜空に星が広がっている。
 今日結婚した井上。春に結婚する沢渡。自分の未来はどうなるのだろう。一年先のことすらわからない。神代が気になるのは、何故だろう。その答えさえ、まだ出ていなかった。


(十月の祝日/END)
04.04.09

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