Keep The Faith:2
第16話 ◆ 恋の季節(2)

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 週末、勉強の息抜きに行った本屋帰りの空の耳に、歓声が飛び込んできた。振り返ると、空が歩いている道路の近くにある真っ白な建物から、ドレスアップした人々が出てきたところだった。彼等の視線と拍手を浴びながら、静かに階段を下りてきたのは、純白のドレスに包まれた花嫁とタキシードを着た花婿だ。
(……結婚式だ)
 空も、このチャペルに入ったことがある。去年、従姉妹の結婚式で。やはり同じように、階段を降りる幸せな男女を見守っていた。

 式場の敷地は広く、緑豊かだった。空が立っている道路との境には、クラシカルな門があったが、今は開かれていた。係りの者らしき男が一人で立っているだけだ。通りかかった人々も空と同じように足を止めて、微笑ましくその光景を眺めていた。
 ファッション系の学校に進学希望の空としては、やはり人よりもドレスに目がいく。ウェデングトレスのデザインはもちろん、参列している人々の小物やヘアスタイル、アクセサリーまで観察してしまう。さりげなく一人一人を目で追っていると、吸い寄せられるようにその内の一人に目が止まった。空に背中を向けているスーツ姿の男。
(あれだけ体格よかったら、スーツも楽に着こなせるよね。しかし、存在感のある人だなぁ)
 似たり寄ったりの礼服なのに、彼だけが浮いてみえた。他の男とどこが違うのだろう。相手が背中を向けているのをいいことに、空は遠慮なくつま先からゆっくりと視線を這わせた。
(ああ、立ち方が綺麗なんだ。重心がブレてないもん。足も長い)
 腰から更に上へと視線を動かすと、向こうを向いているはずの相手と目が合った。振り返った、凛々しい顔立ちのなか、一重の涼しい目が空を見ていた。
「……え、北沢……?」
 ぽかんとしてつぶやいた空に、笑いながら礼服の北沢は近づいてきた。大きなスライドで、空の目の前に立つ。
「何してるんだ、こんなところで」
 少し目を細めて微笑んだ北沢に、空の心臓が跳ねた。
「……本屋行った帰り。北沢は?」
「合気道の先輩の結婚式」
 北沢はそう言って、後ろで騒いでいる大人たちを振りかえった。もう少し暖かければ、そのままガーデンパーティになるのだろうが、ひとしきり写真を撮ったあとは予約してあるレストランに流れる予定だ。
「北沢、スーツ似合うねぇ」
 空は、改めて惚れ惚れと北沢を見た。はじめて見るスーツ姿の北沢は、いつもと印象が違った。フォーマルな格好の大人たちに混じっていても、全く違和感がないのだ。いつも無造作に下ろしているだけの前髪を上げているせいか、とても空と同じ歳には見えない。
「何惚れなおしてんだよ」
 北沢は軽くそう言って、少し待ってて、と背中を向けた。空は言われたセリフに驚いて声を失っている間に北沢に去られ、なんとも中途半端にドキドキしていた。
(確かに、その通りだけど! なんでそんなに自信たっぷりかなぁ、もう)
 しばらくして戻ってきた北沢の腕には、花束が抱かれていた。
「これ、プレゼント」
 ぽん、と無造作に差し出され、空は困惑気味に受け取った。
 北沢からは見えないのだろうが、結婚式の参列者から空めがけて、好奇心いっぱいの視線が浴びせられていた。本屋に行くだけだったので、いつも着ているダウンジャケットに、ミニスカートとブーツというラフな格好をしている。子供っぽい。北沢と並んでいると、どう見えるのだろう。空は花束に顔を埋めるように俯いた。
「……ありがと」
 居心地の悪さに小声で答えると、北沢が少し眉をひそめた。
「欲しくない?」
「や、欲しいです! 心からッ!!」
 空はぎゅうっと花束を抱きしめ、慌てて首を振った。見上げてくるその様子があんまり必死なので、北沢は思わず小さく吹き出した。
「な、何?」
「 ――― なんでも……ああ、髪がくしゃくしゃになってる」
 北沢は自然に手を伸ばして、空の頬にかかった髪を後ろへと梳いた。北沢の指が耳に触れた瞬間、空はぴくりと反応した。どうしようもなく顔が熱くなる。北沢は気付いていながら、知らぬふりをして髪を撫で続けた。
「きっ、北沢! もういい。ホラ、みんな待ってるよ」
 北沢が後ろを振り返ると、一緒に参列していた道場の先輩にあたる男が、嬉しそうに北沢たちの方へ歩いてくるところだった。嫌な予感がして、北沢は微妙に表情を険しくした。
「……どうしたんですが、先輩」
「んー? いや、ちょっとね。君、ケーキ好き?」
 北沢を押しのけるように男は空の正面に立った。とりあえず、空は北沢の顔を窺いながら頷いてみる。男は、にこぉ、と笑って右手に持っていた小さな紙袋を差し出した。
「ああ、やっぱり女の子は甘いモノ好きだよね。これもどうぞ。遠慮せず。祝い事だからね」
「あ、TOGOの!? 私、このケーキ大好きなんです! 洋梨タルト、絶品ですよね」
 パッケージを見てはしゃぐ空を満足そうに眺めて、男はおもむろに本題を切り出そうとした、が。
「で、君さ。コイツのか」
 のじょ? と、最後まで言えなかった。隣に立つ北沢からの無言の圧力を感じて。そうっと、年下だが自分より背の高い後輩を見上げて、自分の判断が間違ってないことを確認すると、その『先輩』は奇妙な笑顔を貼り付けたまま何事も無かったかのように去っていった。空は首を傾げつつ、去っていった男に、ありがとうございましたー、と声を掛けた。
「本当に、貰っていいのかな?」
 嬉しそうに笑う空に、北沢もつられて微笑みを浮かべた。
「いいって。じゃあ、俺も行くから」
「うん、またね」
 背中を向けた北沢に小さく手を振った空は、やっぱり自分を見ている大人たちの視線に気付いた。紺碧のドレス、鮮やかなチャイナ服、柔らかく風に靡くシフォンのスカーフ。空には、そこにいる女性たちがみんな綺麗に見えた。北沢の隣に並んで釣りあうような、落ち着いた大人の女。
 ぺこりとその人たちに頭を下げて、空は歩き出した。感情がぐるぐると渦巻いている。北沢に会えて嬉しい気持ち。北沢と自分は似合わないという、いやな気持ち。
(なんか……泣きたいかも)
 感情が飽和して溢れそうになる。空気の冷たさのせいではなく涙が滲んで、空は歩く速度を速めた。花束のセロファンが揺れて、パリパリと乾いた音を立てた。



「瑠璃ちゃあん……!」
 自宅の玄関口で花を活けていた鈴木瑠璃は、帰宅した妹に突然抱きつかれた。しかし、いつものことなので特に慌てない。背中に顔を押し付けてきた空の頭を、ぽんぽんと優しく撫でて向かい合う。と、空の傍らにある花束が目に付いた。
「あら、お花。どうしたの?」
「北沢がくれたの。あ、これケーキ。北沢の先輩って人がくれた」
 ぐすん、と鼻声で告げて、空はブーツも脱がずにしくしくと泣いた。瑠璃は苦笑を浮かべて八歳年下の妹の手を握った。
「泣き虫ねぇ。……何かあった?」
「なんか自信がなくなった。北沢、私のこと好きかもしれないけど、もしかしたらそうかもしれないけど、でも、違うかも」
 言っていることがわからない。これもいつものことなので、瑠璃はとりあえず空の涙をハンカチで拭って、お茶飲もうか、と空が持ち帰ったケーキの袋を持ち上げた。不機嫌な子供には甘いお菓子を。
 そして、予想通りに空は泣き止んだりする。

 紙袋を開けると、ふんわりとバターの香りがした。空は小さなシフォンケーキを取り出して、ケーキナイフで四等分した。空の隣で、瑠璃は紅茶を入れている。
「紅茶? 私にも淹れて」
 匂いにつられるようにキッチンに入ってきたのは、空のもう一人の姉・翠だった。瑠璃と翠は一卵性双生児で、顔立ちこそそっくりだが、好みのスタイルが全く違う。髪型も、瑠璃がふんわりとした胸まであるパーマヘアなのに対して、翠は男のようなベリーショートだった。細長いフレームの眼鏡がよく似合っている。
「翠ちゃんって、お茶の時間になるとどこからか現れるよね……」
「失礼な。私に都合がいいタイミングで、アンタたちがお茶してるだけでしょう。
 あー、また泣いたでしょ、空。十八にもなって、子供みたい」
「うるさいなぁ。ケーキあげないよ?」
「どぉぞ。私の分まで食べて太るがいいわ」
 鼻で笑われて、空は反論できずに頬を膨らませた。
「翠、あんまり空をいじめないの」
「瑠璃が甘やかし過ぎなの」
 姦しく会話を続けながらも、テーブルには紅茶とケーキが三人分並んだ。いつもの席に座って、三人揃っていたたぎます、と手を合わせる。
「このシフォンケーキ、空が買ってきたの?」
 ふわふわの生地にフォークを差して翠が問うのに、空は首を横に振った。
「ううん、貰ったの。北沢の先輩が結婚式しててね、偶然通りかかったらくれた」
「ふぅん」
 瑠璃も翠も、北沢のことは空から嫌というほど聞かされていた。悩むとすぐに相談してくる、そういうところが可愛いのだが、毎日のように『今日、北沢がね』と聞かされるのには、少しうんざりしている翠だった。
「北沢スーツ着ててね、すごい素敵だったんだけど、周りにいた人たちもすっごい綺麗で――― なんか、私と北沢って似合わないなぁ、って改めて思ったよ」
「それで泣いてたの?」
「そんなことで泣いてたの?」
 瑠璃と翠が同時に言ったセリフは、同じようでもずいぶん違って聞こえた。
「馬ッ鹿じゃないの、空」
 翠は嘲るように空を見ると、ゆっくりと紅茶を飲んだ。瑠璃は口出しせずに黙ってケーキを食べている。こんなとき、二人には暗黙のうちに役割分担が決まっている。
「並んで似合わないと思うのは、自信がないからよ。そうやってうじうじしてる間に、少しでも“北沢”に似合う女になる努力をしなさいな」
「努力したって……北沢が私をどう思ってるかわからないし」
 空の小さな声を聞いて、瑠璃と翠は顔を見合わせて笑い出した。空は憮然として二人の姉を睨んだ。
「真剣に悩んでるんだから、笑わないでよ」
 翠は、笑いながら席を立った。これ以上つきあっていられない、と自分の部屋へと戻って行ったが、階段を上がりながらまだ笑っていた。瑠璃はなんとか笑いを収めて、機嫌の悪い空のカップに紅茶を注ぎ足した。
「空は本当に、ひとつのことに捕らわれると、他が見えなくなるのね」
「瑠璃ちゃんまで、馬鹿にしてる?」
「違う違う。あのね、嫌いな女に花束を贈る男なんていないのよ。北沢君、チャペルの中まで引き返して、そのお花取ってきてくれたんでしょう? 好きでもない相手に、そんなことするかしら?」
 自分ならしないだろう、と空は思った。
「……好かれてるかな?」
「お姉ちゃんは、そう思います」
 にっこりと笑う瑠璃の笑顔が湯気の向こうで優しくて、空は照れたように笑うと、シフォンケーキの最後のひとつに手を伸ばした。一口食べると、口の中でスポンジがふわわんと溶けていく。
(明日、北沢にお礼言わなきゃ。
 そして、聞いてみよう。クリスマスはどうするの、って)
 淡い期待を抱いて、空はカレンダーを見た。イブまで、あと十日だった。


04.01.20

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