Keep The Faith:2
第7話 ◆ 禁句(2)

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 夏服と冬服が入り乱れる九月の終わり、正門の銀木犀が甘い香りを撒き始めた頃。

 昼休みの教室で、空と清水千佳は友人数人と机を囲んでいた。
「今年もすごいねー、木犀。むせかえるぐらい匂ってる」
「体育祭終わると咲くよね」
 昼食後のお菓子を食べながら好き勝手話が進む中、清水が空の肩を叩いた。
「今日の放課後、進路指導なんだ。ちょっと待ってて」
「んー、わかった。一組で遊んでる」
 平然と空が答えたので、他の女友達が興味深そうに口を挟んできた。
「また北沢君のとこ? よく続くなぁ、空も」
「片思い女王だから」
 不名誉なあだ名をつけられて、空は頬を膨らませた。好きで片思いをしているわけではない。好きなままでずっといたら、二年近く経っていただけのこと。
「でも、北沢クンにあれだけ無防備に近づけるのはスゴイと思う。彼は怖いよ」
 清水の言葉に、空はきょとんと目を丸くした。
「何言ってるの、ちーちゃん。北沢は怖くないよ? 体大きいし、あんまり笑わないから取っ付きにくいけど、すごく優しいもん」
「そういう意味じゃないよ。自分に厳しい人は、他人にも厳しいんじゃないかと思って。姫と北沢クンは、雰囲気似てるからお似合いなんだよ。私、図書委員だから姫のことは結構知ってるけど、あのプライドの高さはかなりのモンよ」
 空は夏休み前の辻を思い出した。やられたことはやり返す主義だと、顔色ひとつ変えずに手を振り上げた姫君。あれは怖かった。確かに、彼女のプライドの高さやスタイルにはとても敵わない。しかし、北沢と彼女の本質がそこまで似ているとは思えなかった。
 空の考えてることなどお見通しの清水は、どうせ言ってもわからないだろう、と溜息をついた。
(一見、草食動物っぽいけど、ライオンだよ、彼は)
 穏やかに見えるけれど、北沢の身のこなしには無駄が無い。きっと、一度牙を剥いたら容赦ないだろう。
「気をつけなよ、空。あんた時々、地雷踏むから」
「そうだよー、無邪気と無神経は紙一重」
 口々に言われて、空は次第に不機嫌さを増しながら、プリングルスを三枚まとめて咥えた。その肩を丸めたノートで叩く男子生徒がいた。

「でかい口」
「ひゅーじ」
 プリングルスを口に入れたまま、空は背中を反らせて声の主を見上げた。佐久間祐二、入学した頃は空の恋人だった男だ。三年になってから、空と佐久間は同じクラスになったのだが、特別意識することもなく普通に友人として接している。
「空、今日の五限の数学で当たるぞ」
 にっ、と笑いかけられて、空は口の中のお菓子を飲み込んだ。
「当たらないよぉ。あのセンセ、日付の出席番号で当てるもん」
「榊、今日休みなんだと。代理で学年主任来るってよ。アイツ問題集のページ数で当てるらしいぞ」
「ええッ!? 予習してない!」
「だから、ほらノート。解説付き、ありがたく見ろよ」
「きゃあっ、ユウジ、好き!」
 両手で拝むようにしてノートを受け取った空に向かって、机の下で女友達の蹴りが何発かくり出された。佐久間は、昼休み中に返せよ、と言い残してグラウンドへ遊びに行ってしまった。空は彼が教室を出てすぐに、蹴られた足を撫でて唇を尖らせた。
「なんで蹴るかな」
「そーらー! あんたって子は……佐久間に期待持たせるようなコト言わないの! あんたからふっておいて、ひどいことするね」
 ぺち、と額を叩かれても空は気にしなかった。、あっけらかんと笑う。
「今更期待も何もないっしょ。ユウジ、私と別れた後もすぐ彼女できたし」
「好きだなんだと言うから怒ってんの! 佐久間、今フリーらしいよ」
 えー? と首を傾げる空に、清水をはじめ、友人たちは深く吐息した。こういう馬鹿なところが空の空たる所以なのだ。今更改めろと言うほうが無理だった。
 



 放課後、空は進路指導室に行く清水を見送ると、課題片手に廊下へ出た。同級生のほとんどが進学組なので、この時期に放課後の教室でしゃべる生徒はいない。一、二組は補習が無かったので、既に廊下も人の気配はまばらだった。
(北沢も帰ってるかもしれないな)
 期待せずに一組の教室を覗くと、驚いたことに、北沢は居た。誰もいない教室で、机に突っ伏して。
「北沢……?」
 空が小さな声で呼んでも、微動だにしないほど熟睡していた。北沢がこの時間に教室に一人で居ることも、こんなに無防備なことも、かつて無かったことだ。空は、そうっと彼の席に近づくと、しゃがみこんで机に肘をのせた。初めて見る北沢の寝顔。唇はきりりと閉じられたままで、静かな寝息がかすかに聞こえた。
 空は、我知らず微笑んだ。子供のようにすやすやと眠っている北沢を、可愛いと思った。
 カーテンを揺らして、窓から涼しい秋風が入ってくる。そのとき、穏やかな空気を破るように、北沢の口からうめくような声が漏れた。その眉は苦しげに寄せられている。心配になった空は、静かに手を伸ばして、彼の前髪に触れた。ほんの少し身じろぎして、北沢が目を開いた。そして、安堵したようにゆっくりと閉じる。
「……北沢、大丈夫?」
 優しい声で空が囁くと、かすかに北沢は笑った。
「ちょっと、昔の夢……見た」
 低い声だった。北沢は、自分の腕に顔を埋めたまま、空を見ようともしない。動こうともせず、目を閉じたまま、ただじっとしている。何かが行き過ぎるのを耐えるように。
 ひどく痛々しくて、そっと髪を撫でた。
「珍しい、へこんでる北沢なんて」
 北沢は、表情を隠すように両手で顔を覆って、天井を仰いだ。
「空、なんでここに居るんだ。クラス違うだろ?」
「北沢残ってるかな、と思って来たの」
「……一人で居たいんだ」
 吐息と一緒に吐き出された言葉があんまりにも切なく響いて、空は胸が苦しくなった。

 冷静な北沢が感情を乱すとき、引き金はいつも辻の存在だ。北沢の夢がどんなものだったのか知りようもないけれど、きっと彼女が関わっているのだろう。空は、二人の間に何があるのか知らない。過去も知らない。ただ、誰も介在できない何かがあることだけ、実感していた。
「……辻さんのこと、好き?」
 長い沈黙の後、
「辻は、俺にとって本当に姫君なんだ」
 北沢は自嘲気味の笑顔を浮かべて答えた。意味を測りかねた空は、言葉を重ねた。
「北沢は、王子に見えたよ」
「彼女の王子は別に居る。
 俺は騎士で十分……守ってやれる場所にいれば、それで満足だよ。支えたかっただけなんだ。独占欲なんて無かった。それだけで側にいるっていうのは、おかしいのかもな」
 少し俯いて、北沢がつぶやいた。
 気障なセリフ、と思ったけれど、空は誇らしげな彼の顔を見つめずにはいられなかった。そんな風に思われた辻が、羨ましい。けれど、北沢の純粋さは、綺麗過ぎて心に痛い。見ていられなくて、空は机の上で、ぎゅうっと北沢の両手を握った。
 
 ――― どうしてこんなに深く傷ついてまで、恋をするのだろう。

「北沢。今は誰を想っててもいいよ、他の誰かを引きずったままでいいから、今度はまっすぐ私を見てよ。まだ北沢のこと好きなの。
 ねえ……私じゃダメ?」
 北沢の手を包み込む指に力をこめる。
 北沢は、長い間、空を見つめていた。くいいるように、じっと。
「俺 ……今は」
「や、ゴメン。困らせるつもりはなかったんだけど」
「聞けよ、空」
 拒絶の言葉とわかっていて聞くことなど出来なかった。以前ふられたときの哀しさや悔しさが蘇ってくる。空はぎゅっと目を閉じて、勢いよく立ちあがった。今にもこぼれそうな涙が瞳を揺らめかせる。
「片思いくらい許して。ねぇ、北沢の心には誰がいるの。辻さん? それとも」
 感情的になった空の頭からは、矢野や清水の忠告など消えていた。

「 ――― まだ『鈴ちゃん』のことが忘れられないの?」
 
  その言葉がどれだけ北沢を傷つけるのか、思いもせずに。


03.10.22

NEXT : BACK : INDEX : HOME  


Copyright © 2003-2006 Akemi Hoshina. All rights reserved.

inserted by FC2 system