夏服と冬服が入り乱れる九月の終わり、正門の銀木犀が甘い香りを撒き始めた頃。
昼休みの教室で、空と清水千佳は友人数人と机を囲んでいた。
「今年もすごいねー、木犀。むせかえるぐらい匂ってる」
「体育祭終わると咲くよね」
昼食後のお菓子を食べながら好き勝手話が進む中、清水が空の肩を叩いた。
「今日の放課後、進路指導なんだ。ちょっと待ってて」
「んー、わかった。一組で遊んでる」
平然と空が答えたので、他の女友達が興味深そうに口を挟んできた。
「また北沢君のとこ? よく続くなぁ、空も」
「片思い女王だから」
不名誉なあだ名をつけられて、空は頬を膨らませた。好きで片思いをしているわけではない。好きなままでずっといたら、二年近く経っていただけのこと。
「でも、北沢クンにあれだけ無防備に近づけるのはスゴイと思う。彼は怖いよ」
清水の言葉に、空はきょとんと目を丸くした。
「何言ってるの、ちーちゃん。北沢は怖くないよ? 体大きいし、あんまり笑わないから取っ付きにくいけど、すごく優しいもん」
「そういう意味じゃないよ。自分に厳しい人は、他人にも厳しいんじゃないかと思って。姫と北沢クンは、雰囲気似てるからお似合いなんだよ。私、図書委員だから姫のことは結構知ってるけど、あのプライドの高さはかなりのモンよ」
空は夏休み前の辻を思い出した。やられたことはやり返す主義だと、顔色ひとつ変えずに手を振り上げた姫君。あれは怖かった。確かに、彼女のプライドの高さやスタイルにはとても敵わない。しかし、北沢と彼女の本質がそこまで似ているとは思えなかった。
空の考えてることなどお見通しの清水は、どうせ言ってもわからないだろう、と溜息をついた。
(一見、草食動物っぽいけど、ライオンだよ、彼は)
穏やかに見えるけれど、北沢の身のこなしには無駄が無い。きっと、一度牙を剥いたら容赦ないだろう。
「気をつけなよ、空。あんた時々、地雷踏むから」
「そうだよー、無邪気と無神経は紙一重」
口々に言われて、空は次第に不機嫌さを増しながら、プリングルスを三枚まとめて咥えた。その肩を丸めたノートで叩く男子生徒がいた。
「でかい口」
「ひゅーじ」
プリングルスを口に入れたまま、空は背中を反らせて声の主を見上げた。佐久間祐二、入学した頃は空の恋人だった男だ。三年になってから、空と佐久間は同じクラスになったのだが、特別意識することもなく普通に友人として接している。
「空、今日の五限の数学で当たるぞ」
にっ、と笑いかけられて、空は口の中のお菓子を飲み込んだ。
「当たらないよぉ。あのセンセ、日付の出席番号で当てるもん」
「榊、今日休みなんだと。代理で学年主任来るってよ。アイツ問題集のページ数で当てるらしいぞ」
「ええッ!? 予習してない!」
「だから、ほらノート。解説付き、ありがたく見ろよ」
「きゃあっ、ユウジ、好き!」
両手で拝むようにしてノートを受け取った空に向かって、机の下で女友達の蹴りが何発かくり出された。佐久間は、昼休み中に返せよ、と言い残してグラウンドへ遊びに行ってしまった。空は彼が教室を出てすぐに、蹴られた足を撫でて唇を尖らせた。
「なんで蹴るかな」
「そーらー! あんたって子は……佐久間に期待持たせるようなコト言わないの! あんたからふっておいて、ひどいことするね」
ぺち、と額を叩かれても空は気にしなかった。、あっけらかんと笑う。
「今更期待も何もないっしょ。ユウジ、私と別れた後もすぐ彼女できたし」
「好きだなんだと言うから怒ってんの! 佐久間、今フリーらしいよ」
えー? と首を傾げる空に、清水をはじめ、友人たちは深く吐息した。こういう馬鹿なところが空の空たる所以なのだ。今更改めろと言うほうが無理だった。