Keep The Faith:2
第6話 ◆ 禁句(1)

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 一度口にした言葉は重く
 それ以前のときには帰れない
 私が彼を傷つけた そして私も傷ついた

 言葉は刃

 舞い散る言の葉 私を助けて
 彼と私を繋ぐものまで断ち切らないで ―――



 鈴木空は、辻真咲とは別の意味で目を引いた。
 明るい性格と強い好奇心は友人を増やす一方で、交友関係は広く浅い。『単純バカ』と言われることは多くとも、その無邪気さゆえに憎まれることはない。子供の頃から、夏休みの課題は最後の二日まで手をつけない楽天家で、北沢に一度振られても諦めないあたり、18歳なった今もそういうところは変わっていなかった。
 空は気持ちを隠さない。周囲にPRするわけではないが、北沢の側に居たいという欲求どおりに行動しているので、友人たちには片思いの相手が北沢だと気付かれていた。中には遠山のように全く気付かない人間もいたけれど。
 北沢が嫌がる様子もないので、誰も何も言わない。ただ、彼女の恋が実らないと、ほとんどの人間が確信していた。

「そーらー! ヤノッチから呼び出し。昼休み中に準備室来いって」
 職員室から戻った友人に言われ、空は首を傾げた。何かしただろうか。
「あんたね、腐っても合唱部でしょ。昨日、引継ぎ会だったんじゃないの?」
 引退する三年の部員が、後輩に最後の挨拶をするイベント……そういえば、昨日だったかもしれない、と空は思った。
 夏にあった大会を最後に、空は合唱部の部活に出ていない。大会後は実質引退。入部当時から、コンクール前しか練習に行ってなかった不真面目な空にとって『引退するから後をヨロシク』と伝えるだけのイベントなど興味もなかった。しかし、顧問の呼び出しとあらば仕方ない。
(ヤノッチだからなー。行かなくても許してくれそうだけど)
「面倒くさいー」
「自業自得でしょ! 時間が空くと、更に行き難くなるよ」
 友人の言葉に背中を押されるようにして、空は渋々音楽準備室へ向かった。

 音楽室の手前の廊下で、空は辻と擦れ違った。ぎくりとして、空は思わず足を止める。夏休み前に引っぱたき合いのケンカをして以来、彼女への苦手意識が強くなっていた。辻は擦れ違いざま、一瞬だけ空と視線を合わせて階段を下りていった。
(気のせい、かな。睨まれた……?)
 爪で頬を引っかくような真似をした空は、嫌われて当然だけれど、彼女の視線の強さはそれだけではない気がして、空は疑問を抱いたまま準備室へと足を踏み入れた。

「ヤノッチ、来たよー」
「来たよ、じゃない。敬語使え、敬語!」
 苛立った声を上げて、矢野は吸いかけのタバコを携帯灰皿に押し込んだ。デスクの引き出しから、ラッピングされた小さな箱を取り出すと、空の目の前にトンと置く。
「……指輪?」
「 ――― なんで俺が鈴木に指輪渡すんだ。
 後輩からのプレゼント! お前みたいな居るのか居ないのかわからん先輩にも、ちゃんと用意してたんだよ。俺としては不本意だが、預かった以上渡しておく。ちゃんと一、二年の部員に礼言っとけよ」
 空は「はーい」と能天気に頷いて、箱のリボンをほどいた。水玉の包装紙を開けると、小さなテディベアがオルゴールを抱えていた。
「かーわいいッ」
 オルゴールのハンドルを回すと、弾んだ音色が溢れ出した。
「カノン」
「パッヘルベルな。それぐらいは、わかるか」
「わかりますよーだ」
 両手の平にオルゴールを載せたまま、空は軽く矢野を睨んだ。音色は室内に反響して、二人を黙らせる。追いかける旋律。一定の間隔を保ったまま、重なる二つの調べ。
 空は、音楽室から出てきた辻を思い出し、矢野の横顔を見た。
「……ヤノッチ、辻さんと仲いいの? 彼女、音楽選択じゃないのに、ココから出てきた」
「辻の兄貴と知り合いなんだ。周りに言うなよ」
 別に言ったりしないけど、と心の中でつぶやいて、空は更に疑問を投げかけた。
「じゃあ、昔の北沢のことも知ってる?」
「 ――― 北沢? いや、知らない。鈴木はまだアイツ追っかけてんのか」
「追いかけるよー、好きだもん。
 じゃあ、ヤノッチも知らないんだ……『鈴ちゃん』のこと」

 矢野の肩が、ぴくりと動いた。一瞬背筋を強張らせたが、空は気付かなかった。
(どうして、コイツが)
「鈴木……どこでその名前聞いた?」
 ゆっくりとオルゴールの音色が終わり、空は元通りにテディベアとオルゴールを箱に仕舞った。丁寧に折りたたんだ包装紙も一緒に入れる。
「北沢の元カノでしょー? どんな子か気になるんだけど、北沢の中学のときの友達も名前しか知らないって」
 矢野は腕組して、さりげなく空の表情を観察した。箱にリボンをかけようとしている横顔は、いつもと変わらず楽しそうだった。きっと、『鈴子』については、まだ何も知らない。あの冬にあった出来事など、想像もしてないだろう。
 矢野は顔を正面に戻すと、机の上にあったプリントを手にとり、何気なさを装って再び空に話し掛けた。

「鈴木、北沢と辻の前で、その名前口にするなよ。今度は平手打ちじゃ済まないぞ」

 空は手を止め、矢野を振り返った。知ってるの、と言い掛けて言葉を飲み込む。プリントを見ている矢野からは、いつものふざけた雰囲気が消えていた。口元に笑みは浮かんでいるのに、微妙な緊張感が伝わる。これ以上質問を許さない頑なさがあった。
「ヤノッチ……何か怒ってる?」
 恐る恐る訊ねた空に、ちらりと視線を投げて、矢野は椅子を回して空と向き合う。
 矢野にとっては、空と北沢のことなど、どうでもよかった。ただ、空が『鈴子』を捜し続ければ、必ず辻に行き当たる。空の無神経な行動で、辻が泣くようなことになるのはよくない。
「 ――― 他人から見たら、昔のことだったり、そこまで気にすることじゃなくても、当人にとっては傷や悩みになってることがある。人は誰だって、自分の価値観で物事を判断するけれど、それは絶対じゃない。相手と自分の価値観には、必ずズレがあるんだ。それを肝に銘じておけよ」
 淡々と告げられる矢野の言葉は、いつもより重く空に届いた。
(この人も先生だったんだ)
 今更そんなことを考えて、空は喉の乾きに気付いた。何度も訪れている音楽準備室、何度も顔を合わせている音楽教師……なのに違和感がある。一瞬、今まで見てきた矢野と、目の前で空を見据えて話す矢野を別人のように感じた。
「 ――― なんで、そんな話をするんです」
「別に」
 
 それきり矢野は言葉を切ったので、空は準備室を後にした。
 耳元で脈打つ音が聞こえるほど、どきどきしていた。それがいつもと違う矢野のせいか、気付いた秘密のせいか、空にはわからなかった。
 気付いた秘密。
(北沢と辻さんを結ぶファクターは……『鈴ちゃん』だ)
 誰も知らない北沢の過去の恋人。誰も知らない、北沢と辻の関係。謎に近づいている。

 矢野からの忠告は、空の好奇心を煽り立てた。


03.10.03

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