Keep The Faith:2
第5話 ◆ 姫君(1)

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 嫌いになれる? 忘れられる?
 大好きだった人を。

 想いはどこへいくんだろう。
 気持ちを伝えて、受け入れられなくて ――― でも、まだ好きで。
 いつか忘れられると人は言う。
 確証なんてないのに。



 『姫君』と呼ばれるのはどんな気分なのだろう。
 視線で去り行く人を追い、鈴木空は思った。
 窓際から見渡せる学校の中庭を歩く、美しい黒髪が印象的なその女の名は、辻真咲といった。

 九月も半ばを過ぎて、ようやく風が涼しくなってきた頃。
 空は、進路指導室を出て教室へと向かっていた。希望する専門学校の資料を手に階段を登っているとき、一年の教室から下級生の騒ぐ声が聞こえてきた。
「お、姫だ。今日も綺麗だな」
「あの二人って、本当絵になるよねー」
 階段を登りきった空は、中庭のベンチに並んで腰掛けている噂の二人を見つけた。空の友人である北沢勝と、彼の親友である辻真咲。
 辻は、生徒の間で密かに『姫』と呼ばれている。今年の4月に行った茶道部の部員勧誘イベントのとき、茶道部部長の北沢と、部外者の辻の二名が和装で場を盛り上げたのは校内では有名な話で、そのときの写真があっという間に広まってせいもあって、辻の呼称は本人の知らぬところで浸透していた。夏休みが開けて、トレードマークの黒髪が短くなっていても、白い肌が小麦色に変わっていても、周囲の注目度は変わらない。
 北沢は一見目立たない男だが、190センチ近い身長と一重の鋭い目に高校生とは思えない落ち着いた物腰も手伝って、存在感は強かった。
 この二人は、どこから見ても恋人同士で、周囲もそう認めている。それが嘘だと知っている人間は少ない。空は、夏休み前に事実を知って激怒した。なぜなら、空にとって北沢は、ずっと片思いをしている相手だったから ――― 。



 高校に入った頃、空には恋人がいた。佐久間祐二とは、中学三年の春からつきあいはじめ、特に不満もなく楽しい日々を過ごしていた。佐久間と同じ高校に行くために、空はランクをひとつ上げ、受験のために猛勉強した。無事合格して、いざ高校生活を満喫しようとしたそのとき ――― 空は、北沢と出会った。
 
 北沢は最初からクラスで浮いていた。話す言葉は必要最小限で、頭の回転も早く、放課後になるとすぐに教室を後にする。かと言って暗いわけでもなく、どちらかというと、大人びていて近づきがたいという印象だった。
 空の通う高校は、一学年七クラス編成で、地元にある五つの中学の出身者がほとんどだ。空と北沢勝と遠山隆之は、全く違う中学出身だった。一年一組の一番最初の席替えで、空の前に遠山、遠山の隣が北沢になったのが、仲良くなる切欠だった。話してみると北沢は予想していたほど怖くなく、女子には優しい。けれど、クラスの女子がそのことに気付いて色めきたった頃には、北沢の隣にはもう決まった女がいた。
 辻真咲。空も彼女を一目見たとき、負けた、と思った。北沢の隣に彼女以外の誰が似合うというのか? そう考えたときには、もう心の中に嫉妬が湧きあがって、空は思い知った ――― 北沢に惹かれている自分を。
 空は夏が来る前に、つきあっていた佐久間に『好きな人が出来た』と別れを告げ、北沢と遠山と一緒にいることが多くなった。同じ中学出身の女友達は、「好きになってもムリだよ」と気持ちを隠さない空に忠告したけれど、そんなことで怯む空ではなかった。

「だって、恋愛ばかりは、早い者勝ちじゃないでしょ?」

 気持ちを抑えられる性格ではないので、一年の冬に想いは告げていた。彼からの返事は、ノーだったけれど、友人としてつきあっていくことはできた。「友達として側にいるならいいよね?」と涙を我慢して言った空に、「空が辛くないのなら」と答えた彼の顔が忘れられなかった。真剣で、少し辛そうな顔。

 それから一年半が経過している。北沢は、きちんと空を友人として扱ってくれた。けれど、一線を引いているのがわかった。ここから先は俺の中に入ってくるな、というラインが明確にある。
 たとえば最近も、どうして辻をそんなに大事にしているのか、何故恋人として側にいないのか、聞き出そうとすると北沢は軽くかわしてしまう。気になるけれど、あまりしつこく詮索すると嫌われるのがわかっていたので、空は努めて辻に関わらないようにした。
 けれど、北沢を見ていると嫌でも彼女の姿は目に入る。


「不毛だな」
 北沢を見つめていた空の後ろに、友人の清水千佳が立っていた。
「ちーちゃん。それは、私のこと?」
「空も北沢クンも。空の言う通り、北沢クンと姫がつきあってないとしても、彼は姫のこと好きでしょ。見てりゃわかるよ」
 そんなことは、言われなくても空だってわかっている。それでも好きなものは好きで、悪いことだとは思わない。ただ ――― 少し切ない。
「……私、北沢のイチバンになりたいなぁ」
 北沢の隣を当然のように歩く辻を見ながら、空はぽつりとつぶやいた。清水は、そんな空の頭を優しく撫でたが、
「諦めな、無理」
 告げた言葉は、容赦なかった。



 七限目という名の補習を終えて、教室でおしゃべりに興じていた空は、廊下を歩く北沢と遠山を目ざとく見つけて声をかけた。
「北沢! 一組も補習終わったの?」
 二人は足を止め、窓枠によりかかるようにして中を覗き込んだ。
「どこのクラスも、七限で終わりだろ。おかげで図書室は大盛況だ」
 遠山のカバンまで手にして、北沢が視線を図書室に向ける。遠山は、小さな段ボール箱を抱えていた。空たち女子五人の視線が、その箱に向く。箱の横には、くっきりとマジックで『写真部・要保存』の文字が書かれていた。。
「今から写真部行くんだ。卒業アルバム用の写真借りてたから、返しに」
 遠山はそう言って、箱を持ち上げてみせた。
「その中、全部写真? 見たいッ」
 窓際の机に箱を置いて、空たちは中を漁りはじめた。ポケットサイズのアルバムが何十冊もある。それぞれの表紙に、『2001 体育祭』や『2002 修学旅行(1)』とタイトルが書き込まれている。あっという間に、教室に残っていた他の生徒も寄って来て、騒がしくなった。
「若いな、一年のときの合宿写真!」
「あはは、笑えるー。この頃、みんな眉毛細過ぎ」
 一緒に写真を見て笑っていた清水千佳が、ふと真顔になって、ぱさり、と広げたままのアルバムを箱の一番上に置いた。
「姫がいる」

 開かれたページには、セピア色でプリントされた写真が一枚。映っているのは、辻真咲一人だった。
 花も終わりの桜の木の下、着物姿の辻が天を仰いでいる。澄んだ眼差しは切なく雲の向こうを見つめ、わずかに開いた紅を塗った唇からは、今にも吐息が零れそうだった。色彩の無い写真なのに、着物の柄の華やかささえ生々しく伝わってくる。風に靡く黒髪の一筋まで、一幅の絵のように完成された場面。
 写真に全員の目が吸い寄せられた。すると、廊下から写真を見ていた北沢の手がスッと伸びて、その写真を取り出した。そのままカバンの内ポケットに仕舞う。
「それ返す写真だって。無断で取るなよ」
 遠山の抗議の声にも、北沢は平然としていた。
「どうせ写真部にネガあるんだろ? 今年の春撮った写真は、全部茶道部に渡ってるはずなのに、俺はこの写真見てない。だから、貰っとく」
 北沢は微かに笑うと、遠山のカバンを持ち主に渡した。もう図書室に行く時間だから、とその場を去ろうとした北沢に、思わぬところから声がかかった。

「北沢! 中学のときの同窓会、十二月にやるって聞いてるか?」

 教室に入ってこようとしていた空と同じクラスの男子生徒・秋津が、ドアに手を掛けたまま北沢を見ていた。
「いや、聞いてない。日程決まったら教えてくれ」
 北沢は素っ気無く答えると、いつものように大きなスライドで廊下の奥へと消えていった。北沢に声をかけた秋津は、肩をすくめるようにして自分の席へ向かった。空は友人から離れて彼に近づいた。
「ねえ、秋津って、北沢と仲良いの?」
「中学の時はな。高校入ってからは、クラスも違ってあんまり遊んでないけど」
 中学時代の北沢は、どんな少年だったのだろう。空は気になって、秋津の隣に椅子を引っ張ってきて座り、帰り支度をしている秋津に話しかけた。
「中学のときも、北沢はモテた?」
「結構コクられてたよ。今と一緒で、全部断ってたけどな」
「……辻さんとは、そのときから仲良かったのかなぁ」
「あいつ、あんまり恋愛関係話すヤツじゃなかったからなぁ。
 あー、でも中学ンときも彼女いたよ、確か。一回だけ話聞いたことある。辻さんじゃなくて……『鈴ちゃん』とか言ってた」
(やっぱり彼女いたんだ)
 空は納得してその場を離れた。秋津は、「あいつ好きになっても無駄だと思うよ」と余計なことを付け足して、空にギッと睨まれた。空はそのまま友人の輪の中に戻り、とりあえず北沢と一番仲の良い遠山に質問を投げかけた。
「遠山は、北沢の中学のときの彼女って知ってる?」
「知らない。俺、中学違うし」
 その場に居た女友達も、知らないという。北沢と同じ中学出身の人間もいたので、彼女は同じ学校の子ではなかったのだろうと推測できた。

(『鈴ちゃん』かぁ……)

 北沢の以前の恋人。どんな子だったんだろう。北沢は、どうして別れたんだろう。いや、もしかしたら今もつきあってるのかもしれない ――― 。
 何故か気になって、空はもやもやとした気分を抱えた。そんな空を更に落ち込ますように、開かれたアルバムの一枚分の空白の下で、北沢と辻が幸せそうに笑っていた。


(姫君/END)
03.09.29

NEXT : BACK : INDEX : HOME  


Copyright © 2003-2006 Akemi Hoshina. All rights reserved.

inserted by FC2 system