Keep The Faith
第17話 ◆ 甘い罠(4)
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 学校から佐々木の家まで、通常なら車で十五分ほどの距離。けれど、やはりと言うべきか、豪雨のせいで車は遅々として進まなかった。
「どうせしばらく渋滞だよ。どっかでメシ食わない?」
 矢野の提案で、三人は近くのファミレスに入った。
 昼食時間から少し遅れていたので、店内は空いていた。タバコはお吸いになりますか、という店員の声に、矢野と佐々木は揃って頷いた。その様子を見ていた辻は、小さく吹き出す。
「何がおかしい?」
 テーブルに案内されつつ、佐々木が肩をすくめた。矢野と辻が並んで座り、その正面に佐々木が腰を下ろす。
「だって、矢野さんと佐々木先生が、こんなに仲良しだって知らなかったんだもん。そういえば、似たとこあるな、と思って」
『失敬な』
 二人の声が重なって、意に添わず辻の発言を肯定してしまう。佐々木は眉間に皺をよせ、心底嫌そうな顔をした。こんな策略家と似ていると言われても、全く嬉しくない。小さく吐息して、話題を変える。

「……君ら、結局、相思相愛なの?」
たぶん、と辻が笑顔で言い、矢野が平然と「もちろん」と頷いた。
「辻……自分、北沢はどうすんのさ。いままでつきあってたんだろ? アタシとしては、そこが不思議で仕方ない。北沢の方が、ヤノッチより将来有望だよ?」
「 ――― 千代ちゃん、そんなこと思ってたわけ?」
 矢野の低いつぶやきをきっぱり無視して、佐々木は辻の目をじっと見た。
「……北沢とは、ちゃんと話をします。でも、話さなくてもわかると思う。北沢だから」
 にっこりと笑う辻を見たら、佐々木は言うべき言葉がなくなった。それだけ強い絆があるのに、どうして矢野を選ぶのか。いくら聞いても、きっとわからないだろう。
「それにしても、どうして千代ちゃん、こんな天気の日に限って電車なんだよ。車持ってるんだろ?」
 注文した料理が運ばれてくるなか、矢野が疑問を口にした。
「基本的に、学校には乗って行く気ないよ」
「なんで?」
「ウチのカプチーノは、雨も嫌いだし、バカな男子高生にジロジロ見られたり触られるのも大嫌いだから」
「……カプチーノですか」
 カプチーノって? と辻が首を傾げたので、矢野は軽く説明した。2シーターのオープンカー。生産中止になって八年経っても、根強い人気を誇るスズキの軽自動車だ。見るからに機械や車関係に疎そうな佐々木が、そういう車を所有しているのは、矢野にとっても意外だった。
 食事を済ませ、コーヒーで一呼吸おく間も、雨は絶え間なく降り続いていた。辻が化粧室に立った隙に、佐々木はテーブルに頬杖をついた。
「結局、君はアタシが思ってた通りの男だったわけだ」
 矢野は黙って佐々木を見返した。話がしたいから、と辻を呼び出し、結果的に一時間キスしていたのは事実なので、言い訳のしようもない。
「双方合意の上ってことで」
「本気だよね?」
「 ――― だから、千代ちゃん、俺をどんな男だと」
「何考えてるのかわかんない男よ。
 アタシ、綺麗なものが好きなの。辻のことも気に入ってる。あの顔が悲しみに歪んだら、北沢だけじゃなく、アタシからも報復されるよ。お互い弱みを握ってること、忘れないで」
 佐々木が東郷とのことを知られたのと同様、矢野は辻との関係をすっかり掴まれている。
「……了解」
 辻が戻ってきたのを合図に、二人は会話をやめ、席を立った。矢野が清算しているとき、佐々木は隣に立つ辻を見た。長い睫やふっくらとした唇は、同性の佐々木から見ても美しい。矢野には惜しい、と彼女は心の中でつぶやいた。



 無事に佐々木を送り届け、矢野の車は、いつも通りに自宅へと向かった。
「日崎、まだ出張なんだろ? この天気じゃ、今日は帰って来れないな。危ないから、お前はウチに泊まれ」
 運転席で、前を見たまま自然にそう言う矢野の真意は、辻には読めなかった。もともと、日崎は明日の昼頃帰ってくる予定だったが、矢野にはそのことを告げていなかった。
 このままずっと、一緒に居たい。でも、矢野の中に欲望はあるのだろうか? 泊まれと言われて、この前のように素直に頷いた自分の気持ちに、気付いているのだろうか?
 言葉にして問いかけるのは怖くて、辻は黙って助手席に体を埋めた。車は静かに、矢野のマンションの駐車場に停車した。

「 ――― ッ、つめたーい!!」
 階段を駆け上がって、矢野の部屋に足を踏み入れ、辻は体を震わせた。背中の半ばまである髪は、水分を含んで重くなり、制服もしっとりと濡れている。
 矢野の部屋は、ごく普通のワンルームマンションだ。駐車場は、マンションのすぐ前にある。しかし、屋根付きではなかった。車を降りて、マンションの階段までのほんの僅かな間で、二人とも雨に濡れてしまった。
「まさかこんなに濡れるとは思わなかったな」
 先に部屋に上がった矢野が、バスタオル片手に戻ってくる。靴を脱いだ辻は、靴下も濡れていることに気付いて、玄関口に腰を下ろして脱いでいた。
 何度か来たことのある矢野の部屋。前髪から雨の滴を滴らせながら、辻は自分がわずかに緊張していることに気付いていた。
 ここに泊まったこともあったけれど、その時はまだ、矢野は辻を女として見ていなかったし、辻も彼が結婚することに心を痛めて、全くそういう雰囲気にはならなかったのだ。
 けれど、今は違う。
「ほら、タオル」
 自分もタオルで髪を拭きながら、矢野がバスタオルを被せてきた。滴の落ちる髪を拭きながら、辻が立ち上がると、夏服の上着がところどころ透けて、肌色を滲ませていた。
「あがって」
 にこっと笑う矢野の笑顔に、辻は少しほっとした。が、
「さっさとシャワー浴びておいで、風邪ひく。着替え適当に出しておくから」
 そう言うと、矢野は背中を見せてスタスタと部屋の奥へ引っ込んでしまった。パーティションの向こうに消えた彼を、辻は視線で追う。テーブルに置かれた眼鏡は濡れたままで、矢野のシャツも背中に張り付いていた。
 ほんの僅かな距離しかないのに、辻は不安になった。
(背中を向けないで……)
 静かに辻は部屋を横切った。パーティションの向こう、シャツを脱ぎ捨てて上半身裸になった矢野が、タバコを咥えて火をつけようとしていた。引き締まった背中に、辻の胸が高鳴った。
「 ――― 矢野さん?」
「うわっ!?」
 辻がビクリとするほど、矢野は大きな声を上げた。
「おどかすなよ。ああ、まだそんなにびしょ濡れで……風邪ひくだろ?」
 まだ火をつけていないタバコをベッドサイドのテーブルに置き、辻の肩にかかっているタオルで丁寧に頬や首の滴を拭いていく。
「どうして私を見ないの?」
「どうしてって……わかんないの? 鈍いね、お前。
 そんな震えてて、服も透けてて艶かしいのに、側にいたら抱きたくなるだろうが。こんなに体冷えてんのに。いくらなんでも、俺だって、いきなり押し倒すようなマネはしないよ。今日はくっついて眠ろう、暖かくして」
 そっと笑った矢野の頬に、辻の冷たい指先が触れた。動きを止めた矢野をじっと見つめて、辻が背伸びをする。冷えた唇が矢野の唇に触れ、ぺろりと舐めて離れた。
「 ――― 辻?」
 うろたえる矢野の裸の胸に、辻は顔を埋める。湿った肌に頬を当てて、背中に回した腕に力を込めた。
「……お前、もしかして、誘ってんの……?」
「うん」
 顔を上げた辻が、満面の笑みを浮かべた。
 ずっと恋焦がれていた。抱きしめられたときも、キスしたときも、嬉しさと幸福感でいっぱいだった。この人にもっと触れたい。そう思うから、素直に行動に出る。
「二言無し?」
 辻の背中に腕を回して、矢野が苦笑した。
「信じて」
 見上げてくる瞳の真摯さに愛しさがこみ上げてくる。矢野は辻の額にキスをして、その体を両腕に抱きかかえた。そのまま覆い被さるようにベッドに倒れこむ。
 矢野の首にしがみついて、辻はくすくす笑いながら足をバタつかせた。その拍子に、クシュッと、小さなくしゃみをする。キス間際だった矢野は、少し考えてから辻から離れた。
「やっぱり、シャワー浴びなきゃダメだ。お前冷たいし。ほら、立って。脱がすから」
 まるで子供に言うようなセリフ。ベッドに平行して引いてあったパーティションを畳んで空間を広げ、矢野は辻の手を取り立たせた。
 外は相変わらず雨音に包まれていて、薄暗い。

 立ち上がった辻の夏服の胸のボタンを、矢野はためらわずに外した。濡れた布が肌に張り付いて、白いセーラーの裾から手を入れて触れると、冷たさが伝わった。
 上を脱がせて、スカートのホックを外す。下着だけを身につけて、それでも強い目で自分を見つめる辻は、無意識に矢野の欲情を煽った。
「こんな明るいのに、お前恥ずかしくないワケ? 照れないよな、辻は」
「好きな相手に見せられないような体は、してないもの」
「はっ、自信家だな」
 矢野はかすかに笑って、辻を抱きしめる。背中に手を回して、ブラのホックを外した。するりと腕から抜き取って床に落とす。何も隔てるものがなくなって、お互いの肌を直に感じた。しっとりと張り付く、その温かさにひどく安心して、欲望よりも愛情が大きくなる。
 ひやりとした辻の肩に顎をのせ、矢野はその首筋に口づけた。優しくて温かいキス。うっとりとして、辻は体の力を抜いた。自然に矢野の首に腕を廻す。矢野も、辻の腰に腕を廻して引き寄せた。いつしか口づけは深くなって、呼吸が乱れる。
「シャワー、後でもいいか?」
 バスルームに行く前に火照ってしまった自分に呆れつつ、矢野がそう言うと、辻が矢野の鎖骨に軽くキスを落とした。甘えるように額を擦り付ける。
「ぎゅーって、して」
 もちろん矢野に異存のあるわけもなく。
 二人の甘い一日は、何もかもから隔離されて過ぎていった。


(甘い罠/END)
03.07.07

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