Keep The Faith
第3話 ◆ 宝の箱(1)
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 本当は、いつも側にいたいんだ。
 笑っていて欲しいんだ。
 誰からも何からも、傷つけられないように。
 いつも凛とした背中で歩く、
 長い黒髪をなびかせる君を―――。



 入学式から三日たっても、新入生は落ち着かない。三日ぐらいで落ち着くわけがないと、北沢は思うが、昨日の夕方の部活勧誘イベントは、彼らが騒ぐ元凶のひとつなのかもしれない。
 現に、彼らがちらちらと視線を向ける先に、平然と廊下を歩く辻がいた。その隣を歩く北沢自身は、まるでおまけのようである。
「……視線が痛いな」
「誰のせいよ」
 間髪入れない辻のセリフに、返す言葉もない。

 昨日のイベントは、遠山が写真部を引っ張り出したせいか、写真部が校内広報を引き連れてきたせいか、口コミで「茶道部が何かやるらしい」と広まって、新入生より二、三年の見学者が多く押し寄せた。北沢が外に出て、
「部員以外は、新入生のみ入室可。広報と写真部は特別許可」
 と言い放ったときにブーイングが起きたほどだ。
 茶室に続く控えの間から、着付けを追えた辻と女子部員が出てくると、いつも辻を見慣れている北沢でさえ、一瞬息を詰めてしまった。薄く紅をひいて黒髪を結い上げた辻は、遠山の言った通り、まるきりどこかの姫のようだった。
 北沢自身も着物姿だったので、二人で並ぶとなんだか照れくさかった。
 茶室に入って、北沢が亭主を務め、部員や辻を客に見立てて、一通りの作法を見せたあと、見学希望の一年生に入ってもらった。
 北沢が点てた薄茶を、部員が配っていく。末席に座っていた一際小さな女生徒に、辻が茶を運んだ。
「……お作法がよくわからないんですけど、どうすればいいんですか?」
 小さな声で問われて、辻はにっこり微笑んだ。
「あまり難しく考えず、おいしく頂いてください」

 四十分ほどでデモンストレーションは終わり、写真部が「ぜひそのまま桜の下へ!」というのにつられて、辻と茶道部全員が校門近くの桜の下で記念撮影をした。辻は「部員ではないから」と遠慮したが、女子部員に強引に誘われて結局一緒に写った。
 撮影後、北沢と辻が桜を見上げて話していたとき、あちこちで携帯電話のカメラが向けられていたが、二人は気にも止めずに談笑していた。

 そのデジタル画像が、あっという間に新入生の間で転送されたらしいのだ。
 おかげで、「長い黒髪の和美人の先輩」は、なんだか視線を集めていた。昼休み、図書室に向かう辻の背中から「私に構うな」というオーラが出ていて、北沢は、彼女の相変わらずの人見知りに笑いそうになった。
「そう怒るなよ。
 助かった、ありがとう。これ遠山から」
 差し出された写真に、辻の視線が留まった。着物姿の辻と北沢が並んで笑っている。葉桜の下、二人とも嬉しそうに写っていた。
 二人は階段の踊り場で立ち止まり、壁にもたれて視線を交わした。

「……百年前のデートみたいね」
 言いながら写真をじっと見る辻の横顔からは、さっきの怒りも消えていて、北沢はほっとした。
「着物着たの、久々だったんじゃないのか」
「うん。二ヶ月ぶりくらい。夏になったら浴衣もいいね」
「計画するか? 浴衣デート。花火見に行ってもいいし」
 顔を近づけて小声で話す二人の横から、写真を覗きこむ人物が一人。
「……へえ、いい雰囲気だな」
 顔をあげた二人の前に、缶コーヒー片手の矢野健が立っていた。片手に楽譜の束を持って、写真に顔を近づける。
「北沢、茶道部は、一年生結構入ったか?」
「おかげで、昨日今日で十一人。合唱部はどうですか?」
 矢野の身長は176センチなので、必然的に北沢は彼を見下ろしてしまう。見下ろされた合唱部顧問は、溜息をつきながら、
「まだ二人だけ。今からだけどな」
 と苦笑した。そのとき、
「あッ、辻先輩!」
 階段を駆け下りてきた女生徒がスカートを翻して足を止めた。辻はその子を見て、「あ」と声を上げる。
「あなた、昨日、茶道部に来てたよね?」
 末席に座っていた小さな女の子だった。目の前で、短いクセっ毛を揺らしながら、ペコリとお辞儀をする。
「ハイ! 一年二組の森実伊織といいます。昨日はありがとうございました。
 これ入部届です、これからヨロシクお願いします!」
 言うだけ言って、入部届を辻に押し付けるように渡すと、少女は再び脱兎のごとく駆けていった。
「……チョロQみたいな子だな」
 矢野の失礼極まりない感想に同意の頷きを返して、辻は北沢を見上げた。手の中の入部届を渡す。
「あの子、辻が茶道部じゃないって、知らないんじゃないのか」
 封筒の中の入部届を確認して、北沢は言った。
「辻に憧れて入部されても、困るから」
「……そうだね。私、本人に聞いてくる。茶道したいから入部するのね、って」
 言うなり、辻は北沢の手から入部届を取り、くるりと踵を返した。一緒に行こうとした北沢に、振り返って手を振る。残された矢野と北沢は、呆れてその後ろ姿を見送るしかなかった。
「何か企んでるな、アレは」
 腕組して溜息をつく北沢は、妙に嬉しそうに見えた。
「確信犯だねぇ、北沢クンは」
「……何ですか」
 缶コーヒーを飲みながら、矢野は廊下を歩く生徒たちを見る。授業中とは打って変わって活発に動く彼らを。ざわめきが校舎中に満ちていた。
 壁から背中を起こして、北沢にしか聞こえない音量で囁く。
「あれだけ二人で目立てば、新入生も辻には手ぇ出せないよな。見事な牽制だ」
「―――いえ、俺なんかまだまだです。
 本当に目障りな人間を排除できていないんですから」
 凍るような視線で矢野を見て、北沢は階段を下りていった。矢野は肩をすくめて、階段を上っていく。

 この学校に臨時で採用された去年の秋、辻と北沢が、校内で公然とつきあっているのを知って、矢野は『お前、いつから北沢とつきあってんの?』と辻本人に問うたことがある。辻はその時、ひどく慌てて、
『本当につきあってるわけじゃないよ!
 一年のとき、上級生から結構告白されて、中には強引な先輩もいて……だから、男避けになってやるって、北沢が言ってくれたの』
『……お前、十五から男避けが要るってどうよ……。
 そうしたら、一年のときからずっと、北沢はカモフラージュでつきあってんの?』
『そう』
 北沢に好きな女が出来たとき困るんじゃないか、と言いかけて、矢野は口を閉じた。そんなことは、北沢本人が一番わかっているのだろう。
 それでも辻の側にいる理由なんて、ひとつしかない。
『辻は、それでいいのか?』
『……どういう意味?』
『お互いに本当に好きなヤツが出来たとき、どうすんだよ』
 辻は曖昧に笑って、結局答えなかった。

「過保護すぎるんだよな、北沢も」
 音楽準備室の扉を開けると、隣の音楽室から、ピアノが聞こえた。合唱部の部員が、ソロの練習をしている。伸びやかな歌声に、しばらく耳を澄ませて、矢野は辻を思った。
 いつまでも籠に入れられたままの、可哀想な姫君を。

03.05.24

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