30000Get、綾瀬 麻結さんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
恋路◆2

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 三十三間堂から東大路通りをまっすぐ上ると、清水坂あたりから人が多くなった。清水寺は帰りに見ることにしていたので、坂を登っていく人を横目に見て通り過ぎる。それでも修学旅行生と思しき男子生徒の何人かが辻を見つめているのを、矢野は察知していた。
(見るぐらいなら許してやるよ)
 優越感に浸りながら、ごく自然に辻の肩を引き寄せた。
「肩、濡れてる」
「そう? ありがとう。矢野さんは平気?」
 ん、と頷く矢野に無邪気な笑顔を向けた辻の肩は、もちろん濡れてなどいなかった。

 途中、八坂神社に参拝して、いかにも京都らしい石畳の道を歩いた。気のせいか、時間の流れすらゆるやかな気がした。木々の枝は色づき、街のあちこちで黄色や赤の彩りを添えている。四条通りに入り、目当ての割烹料亭につくと、ゆっくりと時間をかけて、二人で話しながら食事を楽しんだ。鍋や寿司までついた割烹膳は、かなりボリュームもあったのだが、その後予告通り甘味処に連れて行かれた矢野は、内心呆れながらもおとなしく抹茶と和菓子のセットを頼んだ。
 座敷からは、足元を流れる川面がすぐそこに見えた。少し強くなった雨が無数の波紋を広げる。それさえも窓枠の中に描かれた絵のように風情があった。
 矢野は、目の前で白玉クリームあんみつを口に運ぶ辻を見て、つくづく不思議に思った。自分の腕にすっぽり収まるその体で、よくそれだけ食べられるものだ。
「美味い?」
「うん」
 白玉をスプーンに載せて差し出され、矢野は躊躇なく口に含んだ。驚くほどぷりぷりとした食感。思ったほど甘くはない。
「あ、美味いわ」
 辻は頬杖をついて、ふふふ、と笑った。
「美味しいよね」
 今度は桜の時期に来よう、と言いかけて、辻は口を噤んだ。来年の春、こうして二人で笑っていられるだろうか。目の前でジャケットを脱いでくつろぐ矢野の視線を追う。流れる川面、広がる波紋、そして霧雨 ――― 不安が増長する。
「どうした?」
 いつの間にか矢野に見つめられていて、辻はハッとして顔を上げた。柔らかな眼差しに肩の強張りがとけた。矢野はいつも包みこむように暖かく辻を見る。それを感じるたびに、辻は胸の奥が熱くなるのだ。言葉よりも強く想いが流れ込んでくる。
「……雨止まないなぁ、と思って。このまま歩いて真如堂へ行くつもりだったけど、予定変えようか」
「タクシー使えばいい。道が混んでたから、今から遠くの紅葉名所に行っても、あまり見えないよ、きっと」
 二人は甘味処を出てタクシーに乗った。予想通り道路は混んでいたが、十五分ほどで目当ての場所についた ――― 真正極楽寺、通称「真如堂」。



 紅葉真っ盛りの境内は、息を飲むような美しさだった。人出は先週がピークだったようで、思ったより観光客の姿は少ない。ただ、写真を撮っている人は多かった。
「カメラ持ってくればよかったね」
 残念そうに辻がつぶやくのを聞いて、矢野はジャケットのポケットに手を入れた。薄型のデジカメを辻の目の前に差し出す。
「あったりして」
「……もっと早く出してよ、矢野さん! あんみつ撮りたかったのにーっ」
「甘味撮って何が楽しいんだよ」
 素早くスイッチを入れると、矢野は無造作にカメラを構えた。きょとんとした顔の辻を一瞬で撮る。
「え、今撮った!? すぐ消してっ、きっと変な顔してる」
「何言ってんの、辻の写真は一枚たりとも消さないよ」
 カメラを取り上げようとする辻に傘を押し付けると、矢野は紅葉の続く道を駆け足で進んだ。少し離れたところで振り返る。紅葉をバックに、苦笑しながら歩いてくる辻にカメラを向けた。
「もっと素直に笑えよ」
「笑ってるよー。もう、どうして矢野さん、そうやって子供みたいなマネするの?」
 立ち止まった矢野に追いつこうと、辻も傘を閉じて足早に近づいてくる。矢野はデジカメの液晶越しに辻を見つめていた。ズームで上半身だけを切り取って連写。小さな画面の中、歩くたび揺れる辻の髪が一筋唇に張り付いた。それをそっと指を伸ばして除ける。薄く開いた唇は、一瞬伏せられた視線と相まって、ゾクリとするほど艶やかだった。
 思わず見惚れていると、悔しそうな、けれど楽しそうな辻の笑顔がアップになった。最後は手の平。
「私ばっかり撮ってないで、一緒に撮ろう?」
 辻に上目遣いでお願いされると、矢野はいつも降参してしまう。結局デジカメは辻の手の内に収まった。木々の下を歩くので雨もほとんど気にならず、二人はそのまま広い境内を進んだ。
 一際紅葉が鮮やかな一角で、辻が周囲を見渡す。アマチュアのカメラマンだろう、熱心に写真を取っている青年が目に付いた。
「すいません、撮っていただけませんか?」
 辻が近づいて、にっこり笑いかけると、青年は一瞬呆けたように動きを止め、しばし固まった後慌ててカメラを受け取った。
「撮りますよー」
 二人で寄り添って写真に納まる。青年に礼を言ってその場を立ち去り、二人は本堂へと参拝に向かった。

「すごいね……」
 本堂の廊下を進み、辻は思わず溜息をついた。紅や橙に色づいた木々の向こうに三重塔を望む。まだ緑の葉を茂らせている木もあって、見事なコントラストだった。画像に残そうと思っても、あまりに広く、またどこもかしこも綺麗で、どの部分を切り取ればいいのかわからないほどだ。記憶に留めようと決めて、辻と矢野は、古い木の感触を足裏に感じながら堂内を進んだ。
 しん、とした清涼な空気が雨を含んで肌を撫でる。辻はすぐ前を歩く矢野の背中を見つめた。愛しさは片思いの頃とは比べものにならないほど大きくなっている。
(矢野さんと離れるのは、私の都合なのに)
 紅く染まる視界が揺れた。自分で決めた道を進みたい。けれど、矢野の側を離れたくはない ――― 矛盾する願いが心に渦巻いた。
 
 本堂から出る頃には、雨が止んでいた。
 見上げると、紅葉の向こうに広がる空は、あっと間に灰色から青へ変わろうとしている。
「もう少し歩かないか」
 矢野が誘うと、辻は素直に頷いた。
「うん、もっと見たい。すごく綺麗だもん」
 そう答えて、辻は無邪気に腕を絡ませた。
 拝観時間の終わりが近づいているせいか、人影は来た時より少なくなっていて、辻は、世界に矢野と二人だけしかいないような錯覚を覚えた。ちらほらと人の姿は見えるのに、全部幻のように思える。
(本当に二人きりで、ずっといられたら)
「……矢野さん」
 ちゃんと話そう。そう思って小さな声で呼ぶと、遠くの木々を見ていた矢野の視線が戻った。至近距離で見返してくるその瞳があまりにも静かだったので、辻は言うべき言葉を飲み込んだ。
 雨上がりの澄み切った空気は心地よかったけれど、言葉まで何の不純物もなく伝わってしまいそうで、言葉を選んだ。綺麗過ぎる ――― 雨上がりの空気も、境内の景色も……矢野の眼差しも。

「何を不安がってる?」
 いきなり核心に触れられて、辻はびくりと肩を震わせた。
「俺は、相談もできないような男か? 進路、決めたんだろ」
(いつから、知ってたの?)
 辻は足を止め、矢野の腕から指をすべり落とした。矢野も真剣な表情で辻を見つめる。夕暮れの気配が漂う中、二人は向かい合って立ち尽くした。


03.11.13

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