9999Get、胡蝶さんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
月下逢瀬◆5

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「信じられんねー! 何だよ、この展開!」
 布団の上に体を投げ出すと、矢野は仰向けになって両腕を顔にのせた。

 矢野が予約していた露天風呂付きの部屋は、当然のように女性陣が使うことになり、矢野は荷物を持って二階にある普通の和室へと移動した。入れ替わりに、この部屋にあった真琴の荷物は、さっきまで矢野が居た部屋へと運ばれている。予約していた貸切露天風呂に、辻と二人きりで入ることなど到底望めず、矢野は不貞腐れて脱力した体を横たえた。
「……矢野さん、そう落ち込まずに。ビール開けましょうか?」
「ああ、頼む」
 日崎が冷蔵庫からビールを取り出して、栓を開けた。グラスに注がれる心地よい音に、ようやく矢野も体を起こす。
「――― まさか、こんなことになるとは思わなかった」
 何度目かわからない溜息が、矢野の口からこぼれた。
(これからって時に……ああ、全く!!)
 脳裏に浮かぶ真琴は、何故か高笑いまで響かせて、矢野は沸きあがる怒りを持て余し、グラスのビールを一気に飲み干した。さすがの日崎も、矢野に同情した。男として心情は察して余りある。宿泊費用は全て真琴が持つと言ったのも、矢野が腹を立てる一因だろう。金の問題ではない。プライドの問題だ。
「……辻、泣いてたな」
「――― 泣いてましたね」
 溜息が重なる。
「仕方ないですよ。真琴さんの意見も、正論ですから」
 日崎の言葉に、矢野は頷くことしかできなかった。道徳的にも、やり方がマズかったのは自覚している。けれど、誕生日当日一緒にいられないのだ。その前日くらい、二人で過ごしたいと思って、何が悪い?
「――― 俺、辻の喜ぶ顔が見たかったんだよ」
 会えない時間が積もる。会いたい気持ちも募る。誰にも見咎められずに、ただ二人で24時間、過ごしたかった。誰にも邪魔されずに、手を繋いでキスをして、花火が舞う夜空も記憶に刻んで。
 ……ただ、それだけ。
 グラス片手に目を伏せた矢野に、日崎が遠慮がちに声を掛けた。
「真琴さんだって、わかってますよ。ただ、寂しいんじゃないですか? 辻に恋人出来たのが。母一人子一人の家族だから、余計に」
「……それにしても、他に表現方法あると思うぞ」
 苦笑して、矢野はふと自分が着ている浴衣に目をやった。辻がわざわざ知り合いに借りてきてくれた、男物の浴衣と帯。このまま着ていると汚してしまいそうで、旅館備え付けの浴衣に着替えることにした。
「まあ、いい思い出は出来たけどな」
 一緒に見た花火を思い出して、矢野は小さくつぶやいた。

 その二時間後、冷蔵庫のビールを飲み尽くして、コンビニにアルコール類を調達しにいく矢野と日崎の姿があった。まだ日付が変わって間もない。ほろ酔いの体に、潮風が心地いい。
「とことん飲むなら、ウィスキーだな。氷は部屋にあったし」
「矢野さん、俺、明日は昼から仕事なんです。ほどほどで寝ますよ」
 言いながらも、日崎はカゴに冷酒を放り込んだ。適当にツマミも買って、来た道を戻る。外灯に照らされた海岸沿いの遊歩道は、さすがに人気も無い。軽い下駄の音の合間、ガサガサとナイロン袋が鳴る。見上げれば、晴れ渡った夜空には、無数の星が輝いていた。
 夜風が気持ちよくて、二人は防波堤に体を預け、缶ビールを開けた。
「――― 色気ねーな、男二人で月見酒かぁ」
 矢野の言葉に、日崎も頷く。大学時代は、二人の間にトーコが居た。三人で、馬鹿みたいに夜通し飲んで、雑魚寝して……それはいつの間にか、遠い記憶になっていたけれど。
「正直言って、日崎はこの旅行に反対すると思ってたよ」
 ぽつりと吐き出された矢野の言葉に、日崎は苦笑を返した。
「反対するつもりでしたよ。でも、辻のあんな嬉しそうな顔見たら、どうしようもないでしょう。矢野さんが、予想以上に辻のこと大事にしてるのも知ってましたから」
「大事だよ。思ったよりアイツに参ってるのに、自分でも驚く」
 
 ――― 思い出す。過去の、あのときの辻を。
 そして、今近くで笑っている辻を。

「不思議だよなぁ。俺の背中に蹴り入れたクソガキが、いつの間にか女になって。
 隣で笑ってるだけで……何でもしてやりたくなるんだから」
「惚気ないで下さい」
「愚痴だよ、愚痴。俺、ゴム一箱持ってきたのに、全く使わないまま帰るんだぞ。どーよ、この情けなさ」
「…………」
 全く同情の余地なし、と判断した日崎は、飲み干した缶を握りつぶすと再び歩き出した。矢野はしばらく空を見ていたが、自嘲気味な笑みを一瞬浮かべて日崎の後を追った。

 その後、結局明け方近くまで二人が飲んでいたのは言うまでも無い。



『――― 矢野さん』
 矢野は夢現のまま、辻の声を聞いていた。
 耳元で繰り返される、優しい声音。誘うようにその髪が肩をくすぐる。声から大体の位置を見当つけて腕を伸ばすと、簡単に柔らかい体を見つけられた。手探りで手首を掴むと、ぐいっと強引に引き寄せる。ぼやけた視界に、笑顔の辻がいて、矢野はたまらず唇を押し付け、強引に舌をねじ込んだ。

 酔いも手伝って、辻を抱く夢を見た。一度日崎に起こされたのは覚えている。もう朝なのも知っている。けれど、空が白んでから横たわった体は言うことをきかない。半分覚醒したまま、夢の中で辻を抱く。
「あ……ンっ」
 纏っている浴衣の上から胸を掴むと、辻の口から切ない声が漏れた。
「辻 ――― 」
「待って。矢野さん……痛い」
 いつもより乱暴に、矢野は辻の肌を露にしていく。体を反転させ、上になる。呼吸する隙もないくらい荒荒しくキスをして、何の前触れもなく、辻の浴衣の裾を割って足を開かせる。
「ふぁ……んッ」
 唇をふさがれたまま、辻が抗議するようにうめくのが、尚更に欲情を誘う。その顔を両手で包みこんで、唇を離し、矢野は睫が触れるほど近くで辻を見つめた。潤んだ目のふちや頬が、ほんのりと薄紅に染まってる。矢野は右手の親指を、瞼からゆっくりと滑らせ、キスの名残で濡れた唇まで撫でていった。唇をなぞると、ちろりと覗いた舌が誘うように蠢く。
「や……焦らさないで」
 掠れた声で辻が言う。矢野の首に回した腕に力をこめて、縋り付くように唇を合わせてくる。繊細に、確実に矢野を煽るキスに、何もかも忘れそうになる。矢野の手が辻の浴衣の合わせに滑り込んで、直に胸に触れると、辻の腕に一層力がこもった。

「……矢野さん、起きた?」
 乱れた息の下、辻は問い掛けて、半分以上はだけている矢野の胸に手を伸ばした。寝起きの彼の肌は少し汗ばんで、手のひらになじむ。矢野は何度か目を瞬くと、糸の切れた操り人形のように、ぽすんと辻の胸に顔を埋めた。
「夢の続きかと思った……今、何時?」
「11時前」
 辻の手が髪を梳くのが気持ちいい。矢野はその心地よさに甘えたまま、まだ働かない頭で現状を把握しようとした。
「チェックアウトの時間過ぎてるな」
「うん。もう一泊しよう?」
 実は、もうフロントには言ってるんだけどね、という辻の言葉に、矢野はため息をついて首を振った。
「お前と二人きりじゃなきゃ、意味ない。帰るぞ」
 そういえば、日崎の姿がないな、と矢野は気づいた。顔を上げて部屋を見回すと、真夏の日差しが簾越しに部屋に差し込んでいた。開けた窓からは、近くの海水浴場の賑わいが風にのって入ってくる。
「――― 二人で、もう一泊しよう」
 矢野の体の下で、辻がもう一度言った。
「……日崎と、真琴さんは」
「朝のうちに帰ったよ。もう矢野さんと私しかいないの」
(――― なんだよ、それはッ!)
 昨夜から、周囲の状況に翻弄されすぎて、矢野は喜んでいいのか悲しんでいいのかわからなくなった。
「……お前、昨日からその計画だっただろう。だから、おとなしくあの部屋割に従ったんじゃないのか?」
「――― だって、最大限の譲歩だったから。ママが許してくれる条件が、朝まで矢野さんには教えないことだったし、仕方なく」
 矢野が本気で怒りそうな気配を察して、辻は慌てて体を起こした。大きく捲られたままの裾を戻して、背中を向けてしまった矢野を心細く見つめる。
「信じらんねー! 俺がどんな気持ちで昨日の夜過ごしたと思ってる!?」
 大仰に言葉を吐き捨てて、矢野は背中を丸めてうつむいた。ひどく傷ついているように見える。辻はうろたえて、その背中にかぶさるようにふわりと抱きついた。

(……矢野さん、怒るより拗ねるタイプだったのか)
 どうしたら機嫌を直してくれるだろう。辻は寝癖の残る矢野の髪を、よしよしと撫でて、矢野の肩に顎をのせた。
「ごめんなさい。ねぇ、こっち向いて?」
 耳朶を甘噛みすると、わずかに身じろいだ。矢野は怒っているフリをしたまま、実は俯いた顔は笑っていたりする。辻はそれに気づかない。
「矢野さーん! 何でもするから、ね?」
 その一言に、我が意を得たり、と口元を綻ばせた矢野。不機嫌な表情を作ると、ゆっくり顔を上げる。
「本当に?」
「本当だってば。だから、許してよ」
 きゅうっと抱き着いてくる辻に再びキスをして、その勢いのまま乱れた布団の上に押し倒した。
「……矢野さん?」
 一抹の不安を抱いて、辻はひきつった笑顔で矢野を見上げた。
「何でもする、ね。はっきり聞いたぞ」
 矢野はほとんどはだけていた自分の浴衣を脱ぎ捨てた。蝶結びになっていた辻の帯をほどく。焦らされ続けて、夢の中でまで抱いた辻の体が、日の光の中浮かびあがる。
「辻、朝風呂入った? いつもにも増して、肌触りいい」
「んんっ」
 強く腰をひきつけられ、胸の頂を舌で弄ばれると、しゃべることさえままならない。さっきまでのじゃれあいで、体はとっくにその気になっている。するすると下がった矢野の手の平が、足の付け根を弄る。入ってきた指はあちこちと動かされて、辻の口から抑えていた声が漏れた。
「……嫌?」
「――― 嫌って言ったら、止める?」
「まさか」
 予想通りの言葉に、辻はかすかに笑うと、いっそう切なく目を細めた。
「もう止まらない」

 唇が重なる。体を繋げても、熱は膨らむばかりで際限が無い。声を抑えることも忘れて、二人はきつく抱き合った。脱ぎ捨てられた浴衣を掴む辻の手を、矢野の指が解きほぐす。
「気持ち、いい?」
 矢野の問いかけに、辻は体で応えた。羞恥心が飛ぶ。この人じゃないとダメだと、心が叫ぶ。まだ足りない。もっとして。そう思う自分が確かにいる。
「矢野さん……」
 涙まじりの声で何か言おうとした辻の唇を、矢野の手が塞ぐ。
「……俺も、こんなのじゃ足りない」
 ああ、気持ちも繋がっている。辻は嬉しくて笑おうとしたけれど、もう体は限界で、背筋を走る感覚に体中が支配された。



 夜半、矢野は念願かなって辻と二人で貸切露天風呂に浸かっていた。
 辻は矢野にもたれるように抱きついて、くったりとしている。

 朝から、何度抱かれたのかわからない。食事以外の時間は、ずっとくっついていた気もする。体に力が入らないのに、矢野の指が背中を撫でたり、胸を包んだりするたびに過敏に反応してしまう。
「――― すごく、ふしだらな一日」
「偶にはいいんじゃない? こうやってとことん抱き合うのも」
 矢野は上機嫌で、辻の頭を撫でた。
「……もう、日付変わった頃かな」
 言われて、辻も顔を上げた。矢野の唇が降ってくる。何回キスしても、飽きないのは何故だろう。それどころか、どんどん癖になる。
「誕生日おめでとう、辻」
 月明かりの中、好きな人の腕の中で笑顔を浮かべ、辻は18歳になった。
 


 翌日の朝、矢野は午後出勤だったので、早い時間に旅館を後にした。
 助手席では、辻の寝息。BGMにビートルズ。銀色のカムリは、晩夏の陽光を照り返し、海沿いの国道をひた走る。
(こいつ、起きたらどんな反応するかな)
 眠る辻の首に、ティファニーのネックレスがきらりと輝いていた。


(月下逢瀬/END)
03.09.19

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