7777Get、naoさんへ捧げます。
Keep The Faith番外編
 
恋待ちの君 <a prologue>

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うち日さす 宮道を人は 満ち行けど
わが思ふ君は ただ一人のみ
(柿本人麻呂/万葉集)   



 夏休みといえども、教師に40日間もの休暇は無い。
 8月初旬、合唱部の大会も終わり、音楽教員の矢野健は、暇を持て余していた。それでも、日直業務は煩わしい。
 彼は四日ぶりに学校へ来た。見回りついでに、美術室へと足を向ける。

「千代ちゃーん、居る?」
 暑さゆえに開け放されたままの美術室の窓を覗くと、生徒数人と一緒にアイスクリームを食べている佐々木千代が居た。
「矢野先生だー! こんにちは」
 にこやかに挨拶する生徒の隣で、佐々木はあからさまに嫌そうな顔をした。
「うっわ、ズル! 自分らだけ」
 佐々木を無視して、矢野はずかずかと美術室へ踏み込んだ。一年女子が「どうぞ」と差し出したアイスを遠慮なく受け取る。
「矢野センセー、大人気ないですよ。生徒への差し入れを横取りしないで下さい」
 生徒の手前、佐々木は改まった口調で話すが、矢野は全く気にする様子も無い。
「……千代ちゃんだって、食べてんじゃん」
「アタシはいいんです。今やってるのは、卒業アルバムの編集作業なんですから。手伝ってる子にどうぞって、村上先生が買って下さったんです! だから、ダメ」
 きっぱり言って、佐々木は矢野の手からアイスを取り上げようとしたが、矢野は離さなかった。
「貰う。俺も暇だから、手伝うよ。何すればいいんだ?」
 佐々木の手から強引にアイスを奪い、矢野はさっさと袋を破って口に咥えた。
「ヤノッチ、ゴミはここ」
 生徒に言われて、素直にアイスの袋を差し出す矢野を見て、佐々木は頭を抱えたくなった。
(どっちが生徒……!)
 こんな調子でここに居座られても面倒だ。肝心の作業が、はかどらない。
「わかった。じゃあ、みんなレイアウト考えといてね。アタシと矢野先生は、職員室行って、以前の卒業アルバム取ってくるから」
 はーい、と素直な返事をする部員たちを後に残し、佐々木はあっという間にアイスを平らげた矢野を連れて、廊下に出た。閑散とした廊下を歩きつつ、佐々木の口調はガラリと変わった。

「ホンット大人げないね、自分。辻がいないから退屈してるんだろうけど」
「……だって、ひどいと思わないか? 
 つきあい始めたばっかりで、せっかくの夏休みなのに、辻のヤツ、母親と二人でバリ島だよ!? 十日間も! サマーバケーションとか言って、受験生のくせに」
 苛立った口調でぶつぶつと愚痴をこぼす矢野を、千代は冷たい視線で見た。
「よく言うね。自分は7月中、合唱部の方が忙しかったからって彼女ほったらかしだったくせに。自分の時間が空いたら、文句? それに、辻のバリ旅行だって、元々二週間の予定だったのを、ヤノッチが文句言って十日間に縮めたんでしょう」
「――― 辻は、どこまで千代ちゃんに話してんだよ……」
「内緒。ベッドの中のことまでは知らないけどねー」
「当たり前だ!!」
 
 話しながら職員室に入ると、一角に人だかりができていた。笑い声が廊下まで響いている。
「こんにちはー。お疲れ様です」
 二人が近づくと、仲の良い体育教師の長井が、笑いすぎて声も出せない状態で、机の上を指差した。腹を抱えて椅子に突っ伏している長井の姿は、とても24歳のうら若き乙女とは思えない。
 運動部の顧問をしている教師が集まって、何か見ていた。
「何見てるんですか?」
 年配の教師が、にっこり笑って二人を見上げた。
「先生方に持ってきて頂いた、学生時代の写真よ。二学期始業式が締め切りだけど、もう持ってきて下さった方も多くて」
 ああ、と矢野も佐々木も納得した。今年の卒業アルバム用の写真だ。
例年、各教員から一言ずつ送る言葉を綴っていたのだが、今年は、生徒側のリクエストで、教師の学生時代の写真が一緒に載ることになっている。ちなみに、矢野も佐々木もまだ持ってきていない。
 机の上に広げられているのは、年代モノのアルバムが多い。中には、最近出来たばかりのような、他校の卒業アルバムもあったが。
「すっごいのよ、17歳の教頭先生! モノクロで、ハンサムなの。別人―」
「数学の米田先生のも笑える。髪あるし、細いし! 年月の残酷さを見せ付けられるね」
 好奇心を刺激されて、二人もアルバムを捲っていった。付箋がついていなければ、誰なのかわからない写真も多い。
「あ、これはわかる。長井のだろ?」
 中の一冊を捲っていた矢野が、笑いすぎてうずくまったままの長井を振り返った。ようやく笑いの発作をおさめた長井が近づいてきて、矢野の隣に立つ。
「あ、そうです。私の卒業アルバム。制服可愛いでしょー」
 写真で見る限り、確かに制服は可愛かった。エリが小さめのセーラー服に、ブルーグレーのチェックのスカート。男子は学ラン。
「長井先生も、ルーズソックス穿いてたの?」
「ええ、私たちの頃からじゃないかな、流行ったの」

 各クラスの集合写真の後ろに続く、学校行事の写真を見ていた矢野の手が止まった。
 文化祭だろうか、体育館のステージで三人の男子生徒がライブを行っている写真。ピアノとギターと、ボーカル。アコースティックライブなのだろう。
 その中に、知っている顔を見つけて、矢野はそのページをじっと見た。

「――― これ、日崎和人?」
 
 ピアノを弾いているのは、今より少し幼い友人に間違いなかった。
「え、矢野先生、なんで日崎君のこと知ってるんですか?」
「音大で同期だった。しかも、同じピアノ専攻」
 そうなんですか、と長井は何故か頬を染めて、矢野の手からアルバムを受け取った。
「日崎君は、確か、こっちにたくさん載ってたと思うんだけど……あった」
 再び机の上に置かれたアルバムには、見開きでそのライブシーンの写真がたくさん載っていた。小さな写真も混じっていて、プリクラを並べて貼っているような錯覚を覚える。
「すごく人気あったんですよ、彼。
 でね、この女の子が彼女だったんですけど、私たちの学年では、伝説のカップルって言われてたんですよー」
「え、日崎の彼女? どれ?」
「この子です」
 長井は写真の中の一人を指差した。ライブ終了直後と思われる、高いテンションが伝わってくる一枚の写真。

 真ん中で、周囲に揉みくちゃにされつつ、くっついて笑っている日崎と少女がいた。日崎に肩を抱かれて、少女は頬を染めながら、照れてくすぐったそうに笑っている。
「……なんて名前?」
「沢渡茜。すっごく頭のいい子だったな」

(サワタリ アカネ。よし、覚えた)
 矢野はじっとその写真を見ていたが、そのまま机の上に戻した。他のアルバムを手にとり、佐々木と一緒に眺めつつも、さっき見た高校生の日崎が新鮮で、印象深かった。
(帰りに日崎んトコ寄って帰ろう。楽しいネタも掴んだし、辻がいないときしか、こんな話できないからなー)
 急に機嫌がよくなった矢野に気付いて、佐々木は呆れて肩をすくめた。



「沢渡茜って、どんな子だった?」
 日崎和人は、矢野が不意に口にした言葉に、動きを止めた。

 既に深夜。矢野も日崎も明日は休みなので、とことん飲むつもりで杯を重ねていた。ほろ酔いで、お互いに何を話しても笑ってしまう。
 そんな状態にも関わらず、日崎はスッと酔いが醒めていくのを感じた。
「……矢野さん、どこで茜のこと聞いたんですか?」
「学校で。日崎と同じ高校を卒業した先生が居たんだよ。
 それよか、質問に答えろよ。大学一年のとき、遠恋してた彼女いたよな。それが沢渡さん?」
「――― この件に関しては、黙秘させてもらいます」
 静かに明言した日崎に、矢野は酒を飲ませてしゃべらせようとしたが、酒豪の日崎がそう簡単に我を忘れるわけもなく、逆に矢野の方がふわふわとした心持ちになってきた。日崎が頑として口を割らないので、矢野はついに開き直った。
「いいさ、辻に聞くから。日崎が高校のときは、もう辻と鈴子ちゃんは友達だったもんな。お前ら家族ぐるみで仲良かったし、知ってるはずだ。だいたい、日崎は俺の過去の恋愛知ってるじゃないか。なのに、自分の過去の話はしたくないなんて、心か狭い証拠だよな」
 拗ねてしまった矢野は、始末が悪い。
(矢野さんの恋愛遍歴なんて、トーコさんだけじゃないか。知ってるも知らないも、リアルタイムで見てたんだから、どうしようもない)
 日崎は眉間に皺を寄せ、まだ絡んでこようとする矢野を睨んだ。
「確かに、矢野さんの恋愛遍歴は知ってます。
 大学の頃、トーコさんと付き合ってたのに、合コンで会った女の子と二回浮気しましたよね」
「浮気じゃないって……若気の至りだよ。好奇心ってヤツ? 俺、トーコ以外の女、知らなかったから」
「好奇心? じゃあ、辻に教えてもいいんですね。矢野さんは恋人がいても、好奇心を満たす為に、他の女と寝たことがあるんだって」
「……信じらんねー、脅す気かよ」
「矢野さんがしつこいからです。茜の件は、これで終わり。二度と触れないで下さい」
「そんなこと言ったって、気になるんだよ!」
 まるで子供のように言いたいことを口にする。矢野は、完全に酔っていた。
(これは、もう少しで潰れるな)
 適当に話しながら、ウィスキーをロックで二杯飲ませる。しばらくすると、矢野はソファに寄りかかったまま、軽く寝息を立て始めた。苦笑して、日崎はその顔から眼鏡を外し、机の上に置いた。

(地元だし、俺の過去を知ってる人が居るのは驚かない。でも……まさか茜のことを知られるなんて)
 すっかり酔いが醒めた日崎は、矢野にタオルケットを掛けると、自分の部屋に入った。
 天井近くの棚には、仕事の資料からアルバムまで、冊子状のモノがびっしり並んでいた。その中には、矢野が昼間見ていた卒業アルバムもあった。その隣に置いてあったポケットファイルを手にとって、パラパラと捲る。
 
 収められているのは、数枚のポストカードと、写真。
 クリスマスツリーを背景に、高校生の日崎と彼女が、手を繋いで笑っていた。
 ポストカードには、和歌がひとつずつ書かれていた。そして、控えめに綴られた差出人の名前は、やはり『沢渡 茜』と記されていた。
(安易に人に話したくないからな……茜のことは)
 微笑みを浮かべて、日崎は目を閉じた。

 思い浮かぶのは、一途に自分を見つめる茜の瞳。こぼれるような笑顔。
 自分の心を熱くした、初めての少女。

 彼はおぼろげな闇に一人佇んで、過去に思いを馳せた―――。

03.07.27

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