かくれんぼ
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静かにしなさいと言われて、素直に聞く子供がどれだけいるだろう。私は脚立に足を掛けて、書架の上へと本を戻した。図書館の本棚の間、潜めた声で「いーち、にー」と数えている声が、すぐ側から聞こえる。本棚を挟んだ隣の通路で、小学一年生くらいの男の子が目を覆っていた。 じゃんけんで負けて、鬼になってしまったのだろう。 きゅーう、と律儀に数えている肩を、そっと指でつついた。少年は、怒られると思ったのか、一歩後ずさって、さぐるようにこっちを見上げた。 「―――走らないようにね。あと、他の人の迷惑にならないように」 耳元で告げると、その顔がパッと輝く。子供らしい明るい笑顔でこくりと頷き、少年はそろそろと書架の間を覗いて去っていった。さて、何人で遊んでいるのやら。いずれ逃げる役の子が走り出すだろう。そのときは、きちんと叱らなければ。 私が勤めている図書館は、三階建てだ。一階は一般図書と閲覧室。奥に事務所。二階は児童図書とシアタールーム。三階は資料室と書庫。持ち出し禁止の書籍が多いので、ここにも小さいながら閲覧室がある。それでも、利用者の大半は一階と二階に集中し、三階を利用する人間は少なかった。エアコンの効きが悪いので、夏休みのこの時期は尚更人が来ない。要領のいい学生はみな、午前中に来て、涼しい一階でノートを広げている。 そんな三階の閲覧室に、最近毎日通ってくる物好きがいた。書庫に行くついでに覗いてみれば、一人黙々と資料を読みふける姿があった。 私服だからよくわからないが、まだ学生だろう。毎日一時過ぎにきて、四時までいる。一度コピーを頼まれたのは、古い古い地図だった。江戸時代くらいのものだろうか。 「探し物があれば、遠慮なく言って下さいね。お手伝いしますから」 申し出れば丁寧に礼を言ってきたが、以降ものを尋ねてきたことはない。 それ以来、閲覧室のガラス越しに、私は何度か少年と顔を合わせている。互いに目が合ったとき、ちょっと会釈する程度。 今日も、夕刻になって私は三階に上がった。ふと、いつもと景色が違うことに気付く。閲覧室に人影はなく、カーテンだけがゆらゆらと揺れていた。窓が開いている。 ―――彼は、今日は早く帰ってしまったんだろうか。 それでも、開けっ放しの窓はマズい。気になって中に足を踏み入れた。 「あ」 思わぬところから声が聞こえて、驚いた。振り返れば、廊下側の机の影に隠れるように、彼が座り込んでいた。どうしてそんなところに。手招きされて、考える間もなく彼に歩み寄る。カーテンを閉めた小さな閲覧室には、古いエアコンと扇風機の音だけが響いていた。 彼のジェスチャーにしたがってしゃがみこむ。囁く声が「上を見て」と言った。楽しげだった。 「……あんなところに」 壁際の書架の上に、すずめがいた。迷い込んでしまったのだろう。 「暑いけど、窓が閉められないんです。閉じ込められてしまうでしょう。脅かすとかわいそうだし」 だから、じっと見ているのだと言う。書架や机の上を、すずめは所在無さげに渡っていた。窓までもう少しなのに、なかなか出口に気付かない。 窓から入ってくる熱気は、老朽化したクーラーの風を押しのける。室内は次第に暑くなった。不意に廊下から人の声がした。 「うわー、三階暑い! やっぱ、一階がいいよー。閲覧室いっぱいだけど、両側の机は回転早いから、待ってよう」 女の子が二、三人、そう言ってまた遠ざかっていった。私と彼は廊下側の壁に背を預けてしゃがみこんでいるので、外から見れば存在に気付かないだろう。かくれんぼみたいだなぁ。さっきの子供たちを思い出して、ちょっと笑ってしまった。 「なんだか、こうしていると」 同じことを考えたのか、少年はひそひそと話した。まっすぐ私を見る。 「密会してるみたいですね」 我知らず、頬が赤くなった。そうか、密会か。 大人びたかわし方もできず、黙ったまま、すずめを見ていた。開いた窓からセミの鳴き声も入り込んでくる。 ―――会いたかったんだなあ、二人して。 どちらからともなく指先を重ねて、私たちは静かに自己紹介をはじめた。 (END) 06.08.10 |