少年ロマンス 第18話 ☆ SAYONARA(2) ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
里中聖が有名だったのは、その目立つ容姿のせいばかりじゃない。交友関係は広く浅く、敵も味方も多すぎた。描いた絵は軒並み入賞を果たし、旅行先で陶芸家に弟子入りしたり、自由気ままな行動派。他人が努力の末手に入れるものの大半を、資質として持っている人間だった。 はっきり言って、周囲の評価は『天才的で作品は好きだけど、オトモダチにはなりたくない』というもの。彼の家が旧家の資産家だということも手伝って、嫉妬まじりの視線にいつも晒されていた。本人は、どこ吹く風、という感じだったけれど。 その聖に声を掛けられ、つれて行かれたのは、郊外の一軒屋だった。白い外観に新緑鮮やかな庭。日本の風土には似合わない。大学3年で家を持つ男。税金対策だと本人は笑い、アタシは無反応に「金持ち」と言った。 ここに住んで好きなだけ描けばいい、と言われて、耳を疑った。寝室をひとつもらって、アトリエは彼と共用。家賃ゼロ、家事はお手伝いさんが二日に一度来るという。話が上手すぎる。ほぼ初対面で、怪しむなという方が無理だった。 「で、条件は? 裸体デッサンのモデルでもしろって?」 正直、そのときは自暴自棄になっていて、何でもいいと思っていた。この流れに乗って、どこにたどり着いてもいい。未来に希望なんてなかった。 「だから、一緒に描くこと。もうひとつの条件は、しばらくしてから言うよ。佐々木さんがその条件を飲まなくても、追い出したりしないから。 まあ、金持ちが道楽でパトロンやりたいんだ、くらいに考えておいて。画家の卵を支援したいんだ、この世間知らずは、って」 一緒に暮らしはじめて一ヵ月後、聖は朝食の席で紅茶をいれながら言った。聖はコーヒーが嫌いだ。 「佐々木さんさぁ、僕と結婚しない? ダメ?」 ミルクいれる? と同じくらい、軽い問いかけ。 「いいよ」 あっさりとしたアタシの返事も、軽かった。 「前言ってた条件って、結婚でしょ。でも、なんでアタシなの? そもそも、どうして結婚するの。あなた、ゲイでしょ?」 あれ、知ってたんだ、と聖は驚いた顔をした。これだけ毎日会っていればわかる。聖といても、全く警戒心が起こらない。男女間の緊張感は皆無だった。変に気を使うことがなくて、アタシとしては好都合だったけど。 考え込む聖の指が、軽くティーカップを叩く。爪と陶器が触れて、澄んだ小さな音がした。 「まあ―――利害が一致しそうだったから、かな」 「利害?」 「僕は契約結婚してくれる相手を探してた。佐々木さんは、居場所を欲してるように見えた。僕がその場所と資金を援助する代わりに、籍を入れて欲しかった。それでも、紙の上のこととはいえ、気の合わないヤツと夫婦になるのは嫌だからね。一ヶ月一緒に暮らしたのは、テストみたいなものだよ。 生活スタイルが合うかどうか。あと、僕を好きになられちゃ困るから、可能性の確認かな」 「アタシはあなたを好きにならないと?」 「―――ならないよ。君が眠れないほど絵に没頭するのは、何を忘れたいからなんだ?」 踏み込むような聖の視線から、顔をそむけた。忘れたいのに、忘れられない日々は、ずっと続いている。そして、続いていくのだ、これからも。 聖の両親に初めて会ったとき、驚いた。純日本人の二人から、国籍不明の外見を持つ聖が生まれるなんてありえない。 「父親はあのヒトだよ。母親は、僕が小さいときに死んだ」 聖の父親は、なかなか素敵な紳士で、あちこちに恋人がいた。奥さんとの間には二人の女の子がいて、その聖にとっての異母姉二人は、とっくに結婚して会社重役に収まっていた。聖には他にもたくさん兄弟がいるらしいけれど、認知されているのは聖だけ。生母が亡くなったことで、聖は里中家に迎えられたことになる。 聖が同時に複数の人間を愛せるのは、父親譲りなのかもしれなかった。父子揃って、どうしようもないタラシだ。写真で見た聖の母親は、古い映画の女優のような、迫力のある美しい人だった。金色の波打つ髪は、聖と同じ。 聖が『千代との結婚に反対するなら、僕はこの先一生結婚しない』と言ったせいか、彼の両親は、すんなりと結婚を認めた。アタシの両親も手放しで喜んだ。玉の輿とは、まさにこの結婚を言うのだろう。 結婚式当日、アタシは純白のドレスに身を包んで、祝福を受けながら、ひとつの空いたままの席を、見つめていた。 式を終えて、ホテルの部屋に戻った。ドレスとタキシードのまま。初夜というのにロマンティックな雰囲気はカケラも無く、聖はベッドに倒れこんで「結婚式って、疲れる」とつぶやいた。気だるくジャケットを脱ぐ仕草が似合う。ベッドの端に座って見ていると、不意にアタシの携帯が鳴った。液晶に表示された名前に、ドクンと心臓が鳴った。 佐々木甲斐、というたった五文字に。 『千代 ――― 今、話しても平気か?』 耳元で聞こえた、懐かしい声。はい、と頷くと、彼は安堵の息をついて、優しい声でまたアタシの名前を呼んだ。 『今日、行けなくてごめんな』 空いていた親族席が目に焼き付いていた。彼の妻が風邪で寝込んでしまったのだと、母から聞いていた。看病の為、急に式に出席できなくなったのだと。「新婚さんだから、離れたくないのよ」という母の言葉が憎らしかった。 「別に。甲斐は風邪ひいてない?」 『俺は平気。でも、見たかったよ……千代の花嫁姿』 アタシだって、見せたかった。この姿を、誰よりも甲斐に見せたかった。 何も言えずに黙っていると、甲斐も同じように黙り込んで、しばらく互いに気配を探っていた。先に口を開いたのは、甲斐だった。 『幸せになれよ』 幸せに。どうやったら、あなた無しで幸せになれるっていうの。 「……甲斐は、アタシが幸せだと、嬉しい?」 『うん。千代には幸せになって欲しい。お前が毎日を大事に、幸福に過ごしているなら、それが何より嬉しいよ』 はたはたと、音も無く涙が溢れた。真っ白なドレスに落ちて、白は薄い灰色に変わる。 アタシが今日このドレスを纏ったのは、あなたにこの姿を見せたかったからだ。聖を愛しているわけでもなく、いろんな人の祝福を裏切って、神様に嘘をついて、それでもウェディングドレスを着たかった。 半年前、甲斐の結婚式の日、アタシはずっと花嫁を見ていた。アタシがいるべき場所に、何の疑問も持たずに座っている女を、見ていた。物心ついてからずっと好きだった人が、他の女のものになった日。 あの日から、アタシは絵を描かずにはいられない。心に溜まったものをどうにかしたくて、でもどうにもならなくて、甲斐の目の前でこのドレスを着れば、きっと、甲斐は戻ってくると―――馬鹿みたいな願いを、胸に秘めて。 ずっと愛していた。六つ年上の、愛しい人。初めてキスを交わしたときは、眠れなかった。会えなくても気持ちは育ち続けて、なのに再会したのは、甲斐の結婚式だった。行き場を無くした気持ちは、荒れ狂って白い紙の上に悲しみの画を描く。 「なら、幸せになるわ。アタシはちゃんと、幸せになる」 それで甲斐の心の澱が無くなるのなら。 背中にぬくもりを感じた。肩に聖の手があった。泣きながら電話を切ると、背中から優しく抱きしめられた。 「―――偉いね、よく頑張った」 「やかましいのよ、アンタは」 会話から大体の事情が予想できたのだろう。聖は何も言わずにアタシの体を向きを変えさせた。聖の胸に顔を埋めて、ただ泣きつづけた。 「電話の相手は、今日来てなかった従兄弟?」 「……アタシも聖と同じよ。母親と血はつながってない。養子なの。 甲斐は従兄弟だけど―――実の兄よ」 それを知ったのは、高校生になってからだった。甲斐がアタシを避け続ける理由が、ようやくわかった。私たちは仲良しで、兄妹で、月に照らされた夜更けに口付けを交わすような愛情を抱いてはいけないのだ。 ずっと好きで―――春にあの人が結婚してから、世界は無駄に時間を刻みつづける。そこを漂うように、流されるだけ。 「子供の頃から、ずっと思い続けてたのか。可愛いなぁ、千代は」 千代、と聖から呼ばれたのは初めてだった。 聖はアタシを抱きしめたまま、ぽつぽつと彼の事情を話した。 結婚しなければならなかった理由。聖の母親(生母ではなく、義理の)は、聖にその気がないにも関わらず、里中家を聖が継ぐのではないかと危惧しているらしい。早々に婿に出したいようで、見合い話が次々と持ち込まれてきた。が、聖は女を愛せない。かと言って、いきなりカミングアウトする気もなかった。 だから聖は、自分で『パートナー』を見つけることにした。そして彼が選んだのが、アタシだった。理由を聞くと、 「抱きたいとは思わないけど、一目惚れしたんだよ。絵にも千代自身にも」 と、笑った。 その日、アタシたちは初めて同じベッドで眠った。聖の体温は優しくて、その腕に包まれているうちに、アタシの涙は止まっていた。 05.05.12 |