少年ロマンス
第15話 ☆ Secret Garden(2)

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 その場の……というよりは、二人の雰囲気にのまれて、誰も何も言えなくて。
 静寂を破ったのは、戻ってきた服部先生だった。
「千代さん、知り合い?」
 佐々木先生の向かい、服部先生が座っていた席の側に里中さんは立っていて、結果的に服部先生は、彼の隣に並ぶような格好になった。
「大学のときの知り合い。四年前までは、私の旦那」
 何でもないことのように佐々木先生はつぶやいて、アルミの携帯灰皿に煙草を押し付けた。パチンと蓋をして鞄にしまう。四年前まで、という言葉が理解できるまで、少し混乱した。
「僕は、離婚なんて承諾してませんが」
 里中さんが腕を組んで低くつぶやいた。先生は相変わらず無視を決め込んで、上着を手にする。
「終わったことをグタグタ言う男は嫌い。さ、帰ろう、服部さん」
「 ――― あ、うん」
 呆気にとられている服部先生が間の抜けた返事をする横で、里中さんが名刺を取り出してテーブルに置いた。
「千代にその気がなくても、僕は話すことがたくさんある。これ、連絡先。必ず電話するように」
「話なんてない」
「 ――― じゃあ、殴りにおいで」
 静かに告げると、先生の返事も待たずに背中を見せて、里中さんは、母さんと兄さんに向き直った。店に入ってきたときと同じ、人好きのする穏やかな笑顔で。
「お騒がせしました。では、仕事の話に戻りましょうか」
 あまりの切り替えの早さに驚く。
 里中さんは、一番奥のテーブルに座って店内を眺めると、先生に全く視線を向けずに打ち合わせを始めた。佐々木先生も、あっさりと席を立つ。服部先生も、もう何も気にしてないみたいだった。僕一人が日常に戻れない。
「東郷、テイクアウトのケーキ注文していい?」
「あ、はいっ!」
 急に佐々木先生に話し掛けられて、上ずった声が出た。うわ、やば。僕、今どんな顔してるんだ。

 姉さんは、服部先生に入荷したばかりの紅茶の説明をしていた。ああ、本当にいつも通りだ。まだ冷静に考えられない僕は、やっぱり子供なのかな。
「今日のオススメは?」
 ショーケースの手前で、先生が問いかけた内容は、一時間ほど前に店に来たときと、全く同じだった。さっき先生自身が食べたばかりなのに。
「 ――― フランボワーズ、です」
 何か変だ。そう思いつつ、先生の顔が見えなかった。横顔に痛いくらい視線を感じているのに、見つめ返せない。先生の表情から何かを読み取るのが怖かった。頼まれたケーキを二つ、ラッピングして先生に渡す。
 ありがとうございます、と顔を上げたとき、さすがに目をそらすわけにはいかなくて、ようやく先生の顔を見た。前髪の向こうで細められた瞳が、呆れて憮然としていた。
「唯人」
「はい」
「動揺しすぎ。顔、ひきつってるから」
「……はい」
 ケーキを受け取って、先生はくすりと軽く笑った。
 扉を開けて、ありがとうございました、と先生二人を見送ったら、佐々木先生は、ひらりと一度だけ手を振ってくれた。駐車場へと歩いていく背中は、一度も振り返らない。余裕たっぷりの言葉と笑顔。何も変わらない。

 そうか、先生自身は、何も変わらないんだ。過去に何があったって、そのことを僕や服部先生が今知ったって、先生が昨日と変わったわけじゃない。急に態度を変える、僕の方が ――― やっぱり未熟ってことか。
 うん、不安が減った。けど、消えたわけじゃない。だって、里中さんは初対面のせいか、すごく現実離れしている人に見えて、この人と先生がどんな恋愛をしていたのか、全く想像できない。いや、したくもないけど。
 四年前ってことは、先生が23歳のときに別れたんだ。
 気にならないといえば嘘になる。先生は里中さんのことを嫌って無視しているように見えたけど、名刺をスッと鞄に仕舞っていた。そのまま置いていかなかった。
 そして、里中さんの言葉。
『殴りに来い』なんて。先生に憎まれてるってこと?

 僕と出会う前の先生に何があったのか、全くわからないけれど ――― その記憶が、辛いものじゃないといい。
 僕がここで祈ったって、過去は変わりはしないのに、そう思った。



 下見と打ち合わせの結果、店のリフォームは、予定通り里中さんに頼むことになった。母さんと姉さんはかなり舞い上がって喜んでた。女ってミーハーだ。兄さんは二人になったとき、こっそり「大丈夫か?」と聞いてきた。まあ、先生の件と仕事は別ってことで、ここで駄々こねるほど子供じゃありません。
 どうせ、里中さんが次に来るのは二週間後だし、その次は改装工事が始まってからだし、その間に先生と話すこともできそうだと考えていたのだけれど ――― 甘かった。

「やあ、唯人クン」
 衝撃の初対面から十日後。普通に授業を受けて、放課後、圭一と二人で南門から出たところで呼び止められた。ここにいるはずのない、里中聖氏に。
 すごい目立ってる。景色から浮いてる。門にもたれた姿は、深紅のTシャツに黒いパンツ、裸足にひっかけたナイキ。秋口の柔らかい日差しが金色の波打つ髪を照らしている。
 唖然としていたら、遠巻きに彼を見ていたらしい同じクラスの女子に話しかけられた。
「唯ちゃん、知り合いなの!? この人、誰?」
 誰、と言われても……集まられても、説明できないって!
 えーと、と引きつった笑いを浮かべた僕の前で、里中さんはゆっくりと口を開いた。
「ニホンの建築ヲ、学びにキマシタ。ロバート、デス」
 にっこりと微笑むと、周りの女子大半が頬を染めた。うっわ、何ですか、その片言の日本語。さっき流暢に「やぁ」って僕に話しかけたくせに!
 出身どこですか、唯ちゃんとどういう知り合いなんですか、と矢のような質問が飛び交う中、彼は困ったように首をかしげて、流れるような英語を話しながら首を振った。いや、理解してるって、絶対。
 しかし、現役受験生をなめてはいけない。ちゃんとネイティブな英語を理解できて、話せる子だっている。学年一の英語力を誇る、ウチのクラスの委員長・エリちゃんは、使命感に燃え、優越感に浸りつつ、里中さんと英会話を続けていた。
 ……今のうちに帰りたい。ロバートなんて、僕は知らない。
「唯ちゃんのお母さんの友達なんだって。学校内、見学できないかなって言ってる」
「事務室で許可得ればいいんでしょ?」
「いいって、もう放課後だし」
「ご案内しまーす。行きましょう、ロバートさん」
 勝手に話が進んでいるところに、喫煙組の先生が部活前の一服に来てしまった。もちろんその中には佐々木先生もいて、女子生徒に囲まれている里中さんを見て、ピシッと周りの空気を凍らせた。

「 ――― 不審者を校内に入れないように」
 眉間に深い皺を刻んで、先生は唸るように、そう告げた。

 佐々木先生と矢野と体育の桜井。三人が立ちはだかったところで、委員長が、かばうように里中さんの腕にしがみついた。
「不審者じゃありません」
「ロバートさん、唯ちゃんの知り合いだって言ってるし」
「日本の学校を見学してみたいって。いいよね、先生?」
 ロバート、大人気。たぶん、彼女たちにしてみれば、映画の中にしかいない王子様が急に目の前に現れたようなものなんだろう。フリル付のブラウスとか、似合いそうだもんなぁ、この人。
「……誰、ロバートって」
 佐々木先生の地を這う声に、里中さんはにこやかに自分を指差す。
「何、東郷の知り合いなの?」
 矢野が軽く話を振ってきた。う、知らないと言えば嘘になるし。渋々頷くと、佐々木先生にすごい目で睨まれた。僕だって、本意じゃないんだー!
「いいんじゃねぇ? 見学くらい。でも、教職員同伴が規則だからな」
 矢野が言いながら、矢野と桜井、男子教諭二人の視線が同時に佐々木先生を捕らえた。
「じゃ、千代ちゃん、ヨロシク」
「なっ……、ちょっと矢野クン!」
 佐々木先生が険しい顔で振り返ったときには、矢野と桜井は楠の並木に隠れるように、逃げていた。桜井が遠くまで走ってから、佐々木先生に頭を下げる。

 結局、佐々木先生はロバートと名乗る里中さんと、女子生徒を引き連れて校内に戻った。僕はそれ以上つきあう気がしなくて、圭一と一緒に帰路についた。駐輪場の柵の向こうを歩いていく一団が垣間見えた。
 並んで歩いていく二人の後姿に軽い嫉妬を覚えた。なんでこんなに嫌な気分になるんだろう。里中さんと先生の間にあるのは、過去の出来事だ。僕と先生には、未来がある……たぶん。
 ついこの前までそれは確信だったのに、なぜか今の僕には、バラ色の未来が想像できなかった。


05.04.13

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