少年ロマンス 第13話 ☆ Close To You (3) ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Side:C 「いつ帰ってきたんですか?」 「ついさっき。昼過ぎの便で帰国して、空港からはJR。荷物は航空便で送ってるから、身軽なモンよ」 話があると言ったクセに、唯人はタクシーの中で口数少なだった。ありがちな会話が終わると、ぷつりと会話は途切れた。不自然な沈黙も、この緊張感も、夏の前の二人にはなかったものだ。 タクシーから降りて、マンションの前。とまどっている唯人を視線で促して、階段を上る。 「三週間も閉め切ってたから、誰かを招くような状態じゃないんだけど」 鍵を開けると、むわっと熱い空気が淀んでいた。唯人を玄関に立たせたまま、中に入って窓とカーテンを開け放つ。玄関のドアにもブロックを挟んで隙間を作ると、夏の風が篭った熱気をあっという間に攫っていった。それでも暑さは変わらなくて、窓を10センチほど開けたまま、エアコンのスイッチを入れた。 「冷たい飲み物、何もないんだ。コーヒーでいい?」 さすがにビールを飲ますわけにもいかないし。 返事がないので振り返ると、唯人はまだ玄関で立ち尽くしたままだった。 「唯人?」 入りなよ、と声を掛けると、意を決したように静かに近づいてきて、私の真正面で止まった。 「……美術室で、あの話をした後、先生は僕を避けてた。どうしてですか」 覚悟の滲んだ質問に、返事ができなかった。この子、こんな顔もできるんだ。感情を押さえようと努めた、伏せ目がちの無表情。 「海外研修のことも、何も話してくれなかった」 「忙しくて、バタバタしてただけだよ。別に避けてたわけじゃ」 不意に肩をつかまれて、言葉を止めた。思っていたより大きな手が、ノースリーブからのぞいたの肌に直に触れる。唯人は頭を下げて、自分を落ち着かせるように深呼吸した。アタシがその力強さに目を見開いていることにも気付かずに。 「寂しかったのは、僕だけですか。確かに、僕が部活に行けば邪魔になる。理解はしてるんです。でも、先生に会えないのは嫌だ。 先生は何もなかったみたいに、こうやって僕と話すけど ――― 全然、平気だったんですか?」 一ヶ月、距離を置いたら、状況は変わるかもしれないと思った。 「茅野と、うまくいかなかったの?」 ぽつりとつぶやいた声に、唯人は過敏に反応した。隠し事が下手だ。アタシを見つめる目、指に加わる力。唯人が焦れば焦るほど、アタシの気持ちは落ち着いていく。何かあったのだと確信する。 「何で、そんな……茅野は、関係ないでしょう。どうしてそんなこと言うんですか……! 僕は、前からずっと―――」 駆け引きも何もない、そのまっすぐな眼差しに、結局負けてしまう。 「知ってるよ、馬鹿」 トン、と唯人の胸に額をのせた。唯人はぎくっと体を揺らして、固まった。 「あー……疲れた」 アタシは額や頬に唯人の体温を感じながら、わざとらしく笑った。唯人の手が肩から離れて、遠慮がちに髪に触れた。なんでそのまま抱きしめないんだと、こっちがもどかしくなるけれど、相手が唯人だから、ただ笑ってしまう。あまりにも、らしくて。 耳元で聞こえる、唯人の鼓動は早かった。ものすごくドキドキしている。からかう余裕がないのは、アタシも同じだからだ。 春に、アタシの挑発を受け流して、額にキスした唯人は、いきなり大人びて見えた。なのに、今日は目の前のことしか見えてない。茅野の名を口にした時点で、嫉妬だと気付きそうなものなのに。 アンバランスなその言動に、振り回されているのはこっちだ。 「あ、パステルありがとうございました」 「……どういたしまして」 どうしてこのタイミングで、のほほんとそんなことを言うかな。 顔をあげると、唯人は至近距離で唇を真一文字に結んだ。おお、いい反応。面白いなぁ。 「キスしたこと、ある?」 「……ありますけど」 なんだ、あるのか。 思っていたより、茅野と唯人のキスにこだわっていた自分がおかしくて、アタシはふぅん、と頷くと、唯人の肩に顎をのせた。いつ抱きしめられてもおかしくない体勢で、唯人の忍耐力を試すのは楽しい。 「ふぅん、ってそれだけですかッ。この会話の流れなら、普通キスするんじゃないんですか!?」 「しないよ。いいから、じっとしてなさい」 髪から背中に滑り落ちた唯人の手は、まるで忠実な飼い犬のようにアタシの言葉を守って、強引に引き寄せるような真似はしなかった。触れるだけ。 「……拷問だ」 こてん、と唯人が頭を倒した。その柔らかい髪が頬に触れるのを、心地いいと思った。そのまま黙って、互いに寄りかかる。エアコンから流れ出す冷気が、汗ばんだ肌の表面を冷ましていった。 唯人に見えないのをいいことに、目を閉じてほっと息を吐く。 この子が強いのは、愛されて育った人間だからだ。誰かを愛すことをためらわない。気持ちを伝えることを怖がらない。あたたかくて優しい。見ているだけで、こっちまで心が綺麗になるような気がする。 この感情の揺れはなんだろう。涙なんてとうに忘れた。泣きたい気持ちを無視するのにも慣れた。もう涙は出ない。なのに、顔をあげられない。 離れていた間 ――― 試したのは、唯人の気持ちじゃない。アタシの気持ちだ。 今ならまだ手放せる。そう思って何も言わずに離れた。努めて頭から締め出した。もう大丈夫。たとえ唯人が他に心を移していたって、きっと平気だ。そう思っていたのに。 何もあんな風に、泣きそうな真っ赤な顔で駆け寄ってこなくてもいいのに。 無くした宝物を見つけたみたいに、アタシの名前を呼ばなくてもいいのに。 もう、手放せやしない。 触れた体から伝わるといい。 ―――アタシも、唯人の側にいたいんだ。 (Close To You/END) 05.03.16 |