少年ロマンス
第13話 ☆ Close To You (3)

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Side:C

 会えると思ったわけじゃない。少しコーヒーを飲んで一休みしたいと思っただけ。それでも、いないと言われれば何か気が抜けて、席の埋まったカフェを一瞥すると、おみやげだけ預けて店を出た。
 カラン、とベルの音を響かせて『TOGO』を出る。蒸し暑い夏の空気が肌にまとわりついた。暑い。日本の夏は、不快さすら情緒になるぐらい、眩しくて生気が溢れている。
 家まで歩くには距離があるし、タクシーでも拾うかな。少し歩いて大通りへ。反対車線で信号待ちをしているタクシーが、手を挙げたアタシに気づいた。運転手さんがニコッと笑ってウィンカーを出す。信号が変わると同時に、ゆっくりとタクシーはUターンした。
 腕時計に目を落としたとき。

「―――佐々木先生!」
 声が聞こえた。

 視線の先に、泣き笑いの表情を浮かべた唯人がいた。Tシャツにペインターパンツ。裸足のまま引っ掛けたスポーツサンダル。汗だくの顔を緊張に強張らせて、ぎゅっと唇を噛んでいた。
 なんて顔を、するんだろう。呆れて、アタシはゆっくり笑って見せた。
「……先生」
 ほっと肩を力を抜いて、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「あの! 話したいことがあって、送りますからその間に」
 唯人が話している間に、タクシーが目の前に止まってドアが開いた。
「コレで帰る」
 黒塗りのクラウンを指差すと、しゅん、と唯人の肩が落ちた。輝いていた瞳が泣きそうに歪む。わかってやってるのかと思うほど、こっちの庇護欲をそそってくれる。無意識だから怖いんだよな、この子は。
「……帰りは、歩きなさいよ」
 タクシーの後部座席に、二人並んで座った。



「いつ帰ってきたんですか?」
「ついさっき。昼過ぎの便で帰国して、空港からはJR。荷物は航空便で送ってるから、身軽なモンよ」
 話があると言ったクセに、唯人はタクシーの中で口数少なだった。ありがちな会話が終わると、ぷつりと会話は途切れた。不自然な沈黙も、この緊張感も、夏の前の二人にはなかったものだ。
 タクシーから降りて、マンションの前。とまどっている唯人を視線で促して、階段を上る。

「三週間も閉め切ってたから、誰かを招くような状態じゃないんだけど」
 鍵を開けると、むわっと熱い空気が淀んでいた。唯人を玄関に立たせたまま、中に入って窓とカーテンを開け放つ。玄関のドアにもブロックを挟んで隙間を作ると、夏の風が篭った熱気をあっという間に攫っていった。それでも暑さは変わらなくて、窓を10センチほど開けたまま、エアコンのスイッチを入れた。
「冷たい飲み物、何もないんだ。コーヒーでいい?」
 さすがにビールを飲ますわけにもいかないし。
返事がないので振り返ると、唯人はまだ玄関で立ち尽くしたままだった。
「唯人?」
 入りなよ、と声を掛けると、意を決したように静かに近づいてきて、私の真正面で止まった。
「……美術室で、あの話をした後、先生は僕を避けてた。どうしてですか」
 覚悟の滲んだ質問に、返事ができなかった。この子、こんな顔もできるんだ。感情を押さえようと努めた、伏せ目がちの無表情。
「海外研修のことも、何も話してくれなかった」
「忙しくて、バタバタしてただけだよ。別に避けてたわけじゃ」
 不意に肩をつかまれて、言葉を止めた。思っていたより大きな手が、ノースリーブからのぞいたの肌に直に触れる。唯人は頭を下げて、自分を落ち着かせるように深呼吸した。アタシがその力強さに目を見開いていることにも気付かずに。
「寂しかったのは、僕だけですか。確かに、僕が部活に行けば邪魔になる。理解はしてるんです。でも、先生に会えないのは嫌だ。
 先生は何もなかったみたいに、こうやって僕と話すけど ――― 全然、平気だったんですか?」
 一ヶ月、距離を置いたら、状況は変わるかもしれないと思った。

「茅野と、うまくいかなかったの?」
 ぽつりとつぶやいた声に、唯人は過敏に反応した。隠し事が下手だ。アタシを見つめる目、指に加わる力。唯人が焦れば焦るほど、アタシの気持ちは落ち着いていく。何かあったのだと確信する。
「何で、そんな……茅野は、関係ないでしょう。どうしてそんなこと言うんですか……! 僕は、前からずっと―――」
 駆け引きも何もない、そのまっすぐな眼差しに、結局負けてしまう。
「知ってるよ、馬鹿」

 トン、と唯人の胸に額をのせた。唯人はぎくっと体を揺らして、固まった。
「あー……疲れた」
 アタシは額や頬に唯人の体温を感じながら、わざとらしく笑った。唯人の手が肩から離れて、遠慮がちに髪に触れた。なんでそのまま抱きしめないんだと、こっちがもどかしくなるけれど、相手が唯人だから、ただ笑ってしまう。あまりにも、らしくて。
 耳元で聞こえる、唯人の鼓動は早かった。ものすごくドキドキしている。からかう余裕がないのは、アタシも同じだからだ。
 春に、アタシの挑発を受け流して、額にキスした唯人は、いきなり大人びて見えた。なのに、今日は目の前のことしか見えてない。茅野の名を口にした時点で、嫉妬だと気付きそうなものなのに。
 アンバランスなその言動に、振り回されているのはこっちだ。
「あ、パステルありがとうございました」
「……どういたしまして」
 どうしてこのタイミングで、のほほんとそんなことを言うかな。
 顔をあげると、唯人は至近距離で唇を真一文字に結んだ。おお、いい反応。面白いなぁ。
「キスしたこと、ある?」
「……ありますけど」
 なんだ、あるのか。
 思っていたより、茅野と唯人のキスにこだわっていた自分がおかしくて、アタシはふぅん、と頷くと、唯人の肩に顎をのせた。いつ抱きしめられてもおかしくない体勢で、唯人の忍耐力を試すのは楽しい。
「ふぅん、ってそれだけですかッ。この会話の流れなら、普通キスするんじゃないんですか!?」
「しないよ。いいから、じっとしてなさい」
 髪から背中に滑り落ちた唯人の手は、まるで忠実な飼い犬のようにアタシの言葉を守って、強引に引き寄せるような真似はしなかった。触れるだけ。
「……拷問だ」
 こてん、と唯人が頭を倒した。その柔らかい髪が頬に触れるのを、心地いいと思った。そのまま黙って、互いに寄りかかる。エアコンから流れ出す冷気が、汗ばんだ肌の表面を冷ましていった。

 唯人に見えないのをいいことに、目を閉じてほっと息を吐く。
 この子が強いのは、愛されて育った人間だからだ。誰かを愛すことをためらわない。気持ちを伝えることを怖がらない。あたたかくて優しい。見ているだけで、こっちまで心が綺麗になるような気がする。
 この感情の揺れはなんだろう。涙なんてとうに忘れた。泣きたい気持ちを無視するのにも慣れた。もう涙は出ない。なのに、顔をあげられない。

 離れていた間 ――― 試したのは、唯人の気持ちじゃない。アタシの気持ちだ。
 今ならまだ手放せる。そう思って何も言わずに離れた。努めて頭から締め出した。もう大丈夫。たとえ唯人が他に心を移していたって、きっと平気だ。そう思っていたのに。
 何もあんな風に、泣きそうな真っ赤な顔で駆け寄ってこなくてもいいのに。
 無くした宝物を見つけたみたいに、アタシの名前を呼ばなくてもいいのに。

 もう、手放せやしない。

 触れた体から伝わるといい。
 ―――アタシも、唯人の側にいたいんだ。


(Close To You/END)
05.03.16

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