少年ロマンス
第12話 ☆ Close To You (2)

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「唯ちゃん、バイバーイ!」
 教室を出て行く女子の声が数人分重なった。ばいばい、と笑顔で手を振り返して、鞄を肩にかける。

 八月が目前に迫る今日も、僕はおとなしく夏期講習を受けている。毎日学校に来て、午後から家に帰って、決まった時間勉強して、夕方だけウェイターのバイトをして。先生がいなくても、日常は変わらない。
「僕らも、帰ろう」
 隣の席の圭一に声を掛けると、
「や、俺ちょっと今日は……」
 言いにくそうに言葉を濁された。コイツがこんな態度を示す理由に心当たりはあるけれど、あえて気づかないフリをする。
「あ、お前昨日の小テストの賭けに負けたから? 今日、マックで奢ってくれるって言ったくせに!」
 ぎろ、と睨みつけると「わかった、奢るって」と情けない声を出して、圭一は腰を上げた。心の中で謝って、隣を歩く。でも、並んだら余計に身長差が明白で悔しい。神サマって本当、不公平だ。
 校門を出たところで、後ろから軽快な足音が追いかけてきた。
「唯ちゃんセンパーイ!」
 うわ、来た……。
 甘えた高い声で、振り向かなくても誰かわかる。部の後輩の茅野だ。隣に並んだところで顔を向けたら、ものすごく近い距離で下から覗きこまれて、ウッとなった。うわ、その角度だと、セーラーの襟元から、胸の谷間がッ。慌てて視線を逸らせた。
「茅野、部活は?」
「佐々木センセもいないし、今日は、もうおしまーい」
 おしまい、って。僕が部長のときは、夏休み前半は二時まで部活してたのに。
「そんなんで間に合うの? 課題、最低ニ作品提出だぞ。県展出すかもしれないんだから、ちゃんと描かないと」
「だって、帰るときしか、先輩に会えないもん。全然部活に顔出してくれないし。佐々木先生いないから、怒られませんよ。前みたいに来て下さいよー。ね?」
 ……ちょっと待て。
「なんで、知ってるんだ。僕が佐々木先生に注意されたの」
「えー、だって先生自分で言ってたもん。唯ちゃん先輩が来ない、って私と知美が話してたら、『アイツが来たらお前らうるさいから、もう来るなって言っておいた。真面目に部活しろ』って。ひどいですよね、私と先輩が会える唯一の時間を奪うなんて!」
 ってことは、部活参加禁止令は、茅野たちのせいなのか!? 先生と会える唯一の時間を奪われたのは、こっちだ。うわ、なんか怒りがふつふつと……!
 唇をかみ締めて茅野を見据えると、何を勘違いしたのか、いきなり腕を組んできた。
「紺野先輩、私、唯ちゃん先輩に話しがあるんです。先に帰ってもらってもいいですか?」
「はいはい……俺だって居心地悪いんだよ。三日もこんな偶然が続くか」
 茅野と帰りが一緒になるのは、今日で三日目。やっぱり待ち伏せされてんだよね、きっと。圭一がいるとまだ楽なんだけど、二人きりになるの、実は苦手だったり。
 でも、今日はいい。部活中の態度も含めて、きっちり話す。

 圭一の背中が他の制服と混ざって、あっという間に風景の中に同化する。僕は、はあ、と溜息をついて、茅野の腕を外した。
「あ。なんで?」
 なんで、じゃない。腕に胸、当たってるって。残念そうな茅野を無視して、ゆっくり歩く。すぐについてくる茅野。なんだろ、この甘い匂い。香水かな。
「茅野さ、前はこんなじゃなかっただろ。すぐ抱きついてきたり、部活サボって会いにきたり、そういうの、僕は好きじゃない」
 そうだ、こういう『女』を感じさせるとこが苦手なんだ。押しつけられる柔らかい体とか、グロスで光るピンクの唇とか、ひどく生々しい。
「あと、先生を馬鹿にしすぎ。ちゃんと部活する気ないなら、デジタル行くなりすれば」
「先輩がいたから美術部入ったんです。こんなに三年の引退時期が早いなんて知らなかった。先輩がいなきゃ、部活行く意味なんてない」
 中学のとき、絵を描くことが大好きだと笑っていたのに ――― 意味なんてない、だって? あっさり言い放たれた言葉に腹が立って、思わず声を荒げた。
「そんな動機で入部したのか?」
「そんな動機? 私がこの高校受けたのだって、唯ちゃん先輩がいたからです。三年間、ずっと好きだった。変わったのは私じゃない、先輩の方でしょ?」
 甘えるような眼差しは、いつの間にか僕を責める視線に変わっていた。
 確かに、昔、茅野のことは純粋に可愛いと思ってた。中三のとき、懐いて甘えてくるのが嬉しくて、結構特別扱いしてた。茅野が僕を恋愛対象として見てたなんて、知らなかった。でも。
「僕も、ずっと好きな人がいる。ゴメン」
「……佐々木先生なんて、好きになるだけ無駄ですよ。先輩、全然相手にされてない」
 茅野が先生に反抗的な態度とるのは、僕の気持ちに気づいてるから、か。そうだと思ってはいたけど、僕の片思い、そんなにバレまくってるのかな。美術部みんな、知ってたりして。
「わかってる。最初からそうだよ、僕が勝手に好きなだけ」
 そうだ、最初からそうだった。いつか、先生が僕を見てくれるまで、僕を好きになってくれるまで、諦めずに側にいるって ――― 決めてたのに。何を今更落ち込んでるんだ、僕は。

「茅野は、僕のどこが好きなの」
「優しいとこ。みんなに好かれてるし、可愛いし、一緒にいて楽しい。先輩のそういうとこ、好きです」
 必死に見つめてくる茅野を見てると、ちょっと悲しくなった。
 大きな目も、柔らかそうな唇も、小柄で女らしいスタイルも、十分可愛い。でも、僕は絶対、茅野を好きにはならない。
「 ――― 茅野が好きなのは、僕の彼女っていう席だよ。肩書き。目立つよね、僕の側にいると」
「……ひどい。どうしてそんなこと、わかるんですか!?」
「わかるよ。好きな相手には、どうしたって目が行く。ずっと見てれば、些細な仕草や癖にも気づく」
 目を閉じて難しい顔をしているときは、ただ眠いだけ。チュッパチャップスを噛み砕くときは不機嫌。目を細めてちょっと笑ってるときは、嬉しいって合図。先生の態度は、言葉よりずっと素直だ。
「茅野は今の僕を好きなわけじゃない。本当は、『唯ちゃん』って呼ばれるの、大嫌いなんだ。知らなかっただろ?」
「だって、みんな呼んでる……」
「言っても誰も聞いてくれないし、もう慣れた。可愛いって言われるのも、慣れた。でも、イヤだ。そう言われて嬉しい男なんか、いないよ」
 先生は、僕のことを名前で呼ぶ。ひっそりと囁くような、あの声で。
 一緒に居残りしてるとき、コーヒーをこっそりくれたとき、僕を呼ぶときの先生は、いつだって楽しそうで、表情は優しかった。文化祭のとき、爪にお揃いの模様を描いても怒らなかった。花火の下で絡めた指。熱かった手のひら。遠まわしでわかりにくくても、あの人は僕にいつも合図をくれたのに。

 立ち止まって、茅野の目を正面から見た。
「先生と約束したから、もう美術部には行かない。茅野と会う理由もない」
「 ――― 私のこと、嫌いですか」
 見る間に茅野の目に涙が浮かんで、溢れて頬を伝った。僕が先生に向けるはずだった問いを、茅野からぶつけられている。
「……嫌いじゃないけど、ゴメン。あの人以外、好きになれそうにないから」
 そのまま泣き出した茅野を放って、僕は背中を向けた。涙を拭ったり、頭を撫でてあげるのは簡単だけど、それは茅野にとって残酷なことだと、わかっていたから。

 道理の通った先生の言葉に、子供みたいに拗ねて落ち込んで。茅野に対しても、曖昧な態度で傷つけて。自分のことだけで手一杯で、カッコ悪い。先生を振り向かせることなんて、できっこない。このまま待ってたって、何も変わらない。
 先生の帰国日程は、村上先生から聞いていた。怒られてもいい。会いに行こう。十日後の、あなたが帰ってくるその日。
 自転車に乗って、僕からあなたに会いに行く。



 暑い。ぺダルを漕ぐふくらはぎにも汗が流れていくのがわかる。
「……っとに、なんで僕がこんなこと……ッ」
 盆休みに入ったせいか、昨日から店のカフェが忙しい。アイスコーヒー用の氷が間に合わなくなって、近所の氷屋まで買出し。いつもなら、店員の誰かが車で買いに行くんだけど、今日は姉さんが体調崩して病院に行ってるせいで、人手が足りなくて、僕にその役が回ってきた。しかし、氷の塊って、結構重い! 自転車のカゴに入れて、バランスが悪いまま、よろよろ走って、やっと帰還。暑い。喉渇いて死にそう。
 厨房のドアを開けてダンボール箱を運び込むと、兄さんが僕を呼んだ。相変わらず厨房の中は慌しくて、僕もすぐホールに入った方がよさそうだ。
「唯人、さっき先生来たぞ」
 先生。
「って、誰。え?」
「美術の、美人の先生。お前にみやげって、それ置いていった」
 ステンレスの作業台の上に置かれた紙袋を慌てて手に取る。クラフトの紙袋から出てきたのは、僕が以前から欲しがっていたオイルパステルだった。美術室にあったドイツのメーカーのカタログを、先生と一緒に見たことがある。
「いつ!? 先生、何時頃に来た!?」
「本当に、今出て行ったばっかだよ。唯人ならすぐ戻るって言ったんだけど、急いでたみたいで」
 兄さんの声を最後まで聞かずに、僕は紙袋をそこに置いてまた外に飛び出した。まだ近くにいるんだ、絶対!
 帰国は今日の夜の便って聞いてた。電話してから、会いに行こうと思っていたのに。落ち着け。赤いカプチーノは目立つ。すぐ見つかるはず。待て、自分の車じゃないかもしれない。空港から直接ココに来たとしたら? どうして、何の為に?
 全力疾走で点滅している信号を渡った。先生の家の方角はどっちだっけ。考えている間も足は止まらなくて、駅に続く通りへの角を曲がった、そのとき。
 信号の手前、歩道に立っている後姿。僕が見間違えるわけがない!

「 ――― 佐々木先生!」

 振り返って、僕を捕らえた先生の眼差しは、一瞬すごく寂しそうに見えて。
 でもすぐに、いつもみたいに目を細めて、ちょっと意地悪に笑ったんだ。


05.03.14

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