少年ロマンス
第9話 ☆ Sleeping Beauty (1)

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 そのままの君でいて ――― なんて、
 叶うはずのない我儘だったね。



 基本的に美術部は、三年になったら自由参加でよいことになっている。
 三年生になった途端に、いきなり受験生という自覚が出来るのか、はたまた補習が多いのか予備校に通うのか、去年の三年は五月に引退していた。今年もほとんどの連中は部活に来なくなった ――― というのに。

「あー、唯ちゃん先輩だ!」
 全開にした窓の向こうを歩いていた唯人は、後輩の女子部員に呼びかけられて、いつもと変わらない様子で美術室に入ってきた。
 七月になっても、元部長は、週に一度は部活に顔を出す。ウチの学校は三学期制なので、期末テストが終わったばかり。生徒はかなりリラックス。明日はクラスマッチだし、校内がなんとなく浮き足立っている。先生は大変なんだけどね、採点しなきゃいけないし、通知表の評価準備もあるし。
「今日も暑いね」
 にこっと笑う唯人の顔は、初めて会った頃とずいぶん変わった。それより体格の方が変わったかな。身長も伸びたし、線の細さもそれほど感じなくなった。本人は、それでもコンプレックスが残ったままらしいけど、別に身長が170センチ未満でもいいじゃないかと思う。
 現在165センチ。腕組みして窓枠に凭れてるアタシとは、7センチの身長差になった。それでも、ヒール履くから目線は一緒だけど。
 無言のアタシに気付いて、唯人はわずかに首を傾げた。理由はわからなくても、不機嫌だってことには気付いたわけだ。
「……タバコ吸いたいんですか?」
 ニコチン切れと思ってるのか、この童顔。
「 ――― 今から職員会議、一服する時間もないね」
 にべもなく言い放って、窓枠から体を起こすと、パタパタという足音が響いた。走るなと、何度注意しても止めない足音の主を思い浮かべるだけで、眉間に皺が寄りそうになる。
「あー、居たッ。もう、先輩、先に行っちゃうんですもん」
 何が「もん」だ。可愛い仕種で肩をすくめても、どこかあざとい。
 唯人の隣に駆けよって息を切らせているのは、一年の茅野莉子だ。ちっちゃい体に、大きな目と栗色のショートヘア。しかも巨乳ときた。
 唯人と同じ中学出身のこの子は、入部したときから何かと唯人にまとわりついている。中学でも美術部だったと、聞かなくても向こうから喋った。中学時代の唯人がいかに可愛かったか、人気があったか、自分と仲が良かったか ――― を、唯人がいない部活中に友達と明るく話していたので、やかましいと一喝したのは先月の話。アタシが居るのに部活中に私語連発とは、いい度胸だ。
 そのあからさまなアピールに、唯人があくまでただの後輩としてしか扱ってないのが笑えるとこだけど、正直アタシは、茅野が苦手だ。
 教師として、生徒に対して好き嫌いを言ってはいけないことは重々承知だが、それでもこっちだってロボットじゃない。感情がある。態度には出さなくても、好きなタイプと嫌いなタイプは存在する。ましてや相手があからさまに敵意を向けてくるのならば。
「部活行くときは誘って下さいって、先週も言ったのにー」
 唯人に見せる拗ねた顔も可愛らしいが、キャラ作りすぎだろうと思うのは、偏見のせいかね。甘えた声に鳥肌立ちそうなんですけど。
「そうだっけ、ごめん」
 唯人は、あっさりと受け流した。

「佐々木先生、そろそろ行きましょうか」
 準備室から村上先生が顔を出した。ああ、職員会議遅刻しそうな時間になってるわ。
「時間が来たら帰るように」
 部員にそう言って背中を向けたとき、タイミングを計ったみたいに茅野が口を開いた。
「佐々木先生、さっきヤノッチ、南門のところで煙草吸ってましたよ。声掛けてあげた方がいいかもー」
「……子供じゃあるまいし、放っておいていいよ」
 振り向いて低い声で言うと、さすがによくわかってますねー、と上目遣いで微笑まれた。彼女の隣で、唯人の顔がわずかに曇った。目を細めて、そのまま射抜くくらいに茅野を睨んでやりたかったけれど、そんなことは表に出さずに、そのまま村上先生の後に続いた。
 ――― ギャルゲーのヒロインみたいな外見して、かなりの腹黒だよ、この女。



「アナログには、なかなか個性的な子が入ってきたねぇ」
 別棟にある会議室に向かいながら、村上先生は朗らかに笑った。
 個性的。歪んだ性格と同じく、作品も独特の色彩感覚で面白いのは事実ですけどね、その一言であの敵意を片付けないでいただきたい。
「……東郷がデジタル選択だったら、村上先生のとこに入ってたんですよ、きっと」
「今の女子生徒は、積極的ですね。東郷の方が押されてるじゃないですか。しかし、微笑ましいものですよ」
 青春ですよねぇ、としみじみと村上先生はつぶやいた。
 
 歩いて行くと、本当に南門で矢野クンが紫煙をくゆらせていた。なんでこの時間にそんなに余裕なんだ、というこっちの思考を察したように、ひらひらと手を振ってくる。
「教頭先生が出張から帰ってくるの、遅れてるんだってさ。十分くらい開始ズレるよ」
 村上先生が、そうですか、と頷いて、軽くアタシの肩を叩いた。タバコ休憩してこい、ということか。
「じゃあ、一本だけ」
 アタシは村上先生に軽く頭を下げて、なだらかな短い坂道を下って、矢野クンの隣に立った。健康増進法の施行で、校内は全て禁煙。敷地内では吸っちゃ駄目だということで、愛煙家のアタシたち少数派の教師は、昼休みや放課後、門の外に出て煙草を吸っている。これを切欠に禁煙した人も少なくない。アタシは止めないけどね、値上りしようが税金上がろうが、こればっかりはやめられません。
 門の外のフェンスに凭れて、シガレットケースを取り出した。矢野クンに火を点けてもらって吸いこむと、やっと眉間の皺が取れた気がした。ああ、落ち着く。
 ふぅー、と煙を吐き出した。
「機嫌悪いなぁ」
 二本目を咥えて、矢野クンが苦笑した。相変わらずの縁無し眼鏡。暑いからと緩めたネクタイが、妙に似合う男だ。
「……まぁね。生徒が相手じゃ、売られた喧嘩も買えやしない」
「ああ、トマトちゃんか」
 トマト=リコピン、という短絡思考で、彼は茅野莉子のことをそう呼ぶ。
「トマトちゃんって呼ぶなっつーの。ウゴウゴルーガ思い出すから。アタシ好きだったんだよ、トマトちゃん。あのウルウルした目が」
「うっわ、懐かしいな、ウゴルー! 俺、みかん星人好きだったわ」
「趣味悪」
 刺々しい態度になるのは、やっぱりイラついてるせいだろう。
「トマト、可愛いのになぁ。人気あるよ、男子生徒の間で」
 そりゃモテるでしょうよ。童顔で肉感的なアイドル系。いや、子悪魔系か? 同じ巨乳なら、アタシはゴリエの方がいい。
「……千代ちゃんに突っかかってくるってことはさ、東郷の気持ちに気付いてるってことだよな」
 そりゃそうでしょう。唯人、隠すつもりないんだから。部員全員が、『唯人先輩は佐々木先生が好き』と認識している。さばさばした新部長の和泉楓が一度ストレートに言ってきた ――― 茅野の筋違いに嫉妬には、困りますね。どうせ唯人先輩の片思いで終わっちゃうのに、と。
 生徒認識の恋愛ベクトルは、『茅野莉子 → 東郷唯人 → 佐々木千代 → ?』らしい。そんなことを嬉々と話して、当事者のアタシにどんなコメントを求めるんだか。
 誰が好きなんですか、なんてストレートに訊いてくるから困る。答えなんて用意していない。


04.08.17

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