逆転ロマンス
8■やさしいキスを。





 人目をひくので、ロビーの隅にあるベンチに移動した。千代はまだハンカチで目を押さえている。
「涙、止まった?」
「……ダメみたい。私ね、本当に泣かない方なんだよ。ここ2年くらい、たぶん泣いたことないもの」
 二年分の反動は大きかったようで、唯人を見上げた千代の目からまたぱたぱたと涙が落ちた。唯人は苦笑を浮かべて、千代の髪を撫でた。
「気が済むまで泣いていいけど、ひとつだけ確認させて。イタリアに行くのは、止めたんだよな。一便遅らせたわけじゃなくて」
「――うん、行かない。聖との約束は破ることになるけど」
 ふぁ、と千代は大きく息をついた。まだ目元は涙が滲んで赤い。鼻の頭も。少し瞼が腫れていた。
ベンチに置いた二人の手は、繋がれている。

「私、わかっちゃったんだ。
搭乗時間が遅れて、出発ロビーで座ってたとき、先生が来ないかなってそればっかり気にしてた。どうしても会わなきゃ、後悔するって思った。先生に手紙出して、試すようなこと書いたけど、本当は私が先生に会いたかったの。聖のところに行って、本当に後悔しないだろうかって、迷って―――その原因を考えたら、やっぱり先生だった」
 身勝手な言い分だとわかっている。一度唯人の気持ちを聞いていながら、答えなかった。唯人の優しさに甘えて、その気もないのに二人で海に行った。その後も、美術室に道具を取りに行ったときも、卒業式の日も、話す機会はいくらでもあった。自分から動いて何かが変わるのを恐れて、全部唯人に預けてしまった。

「今更、好きだって言ったら、怒る?」
 そう言った千代の手に、きゅうとわずかに力がこもった。唯人はその手を握り返して、自分の口元に持っていく。
「ここまで会いに来た人間が、怒るわけないだろ」
 指先に唇をおしつけられて、千代の頬が染まった。
「先生って……結構、大胆だよね」
 うん、と頷いて、唯人はそのまま千代の手を引き寄せた。抱き寄せて、存在を確かめる。髪をかきあげて額に口付けると、千代の肩が強張った。
「人前でいちゃつくの、好きじゃない」
「――二人きりならいい?」
 う、と言葉に詰まった千代だが、唇を尖らせたまま、こくりと頷く。もう涙はとまっていた。
 
 外に出ると、相変わらずはらはらと雪が舞っていた。アスファルトの上で、すぐに消えてしまう。積もらない春先の雪。
「この雪がやんだら、もう春だね」
 帽子を押さえた千代の言葉に、唯人は学校の桜並木を思い出していた。咲き誇る桜。舞い散る雪とどこか重なる景色。
「おいしいケーキが食べたいなー」
 わざとらしくつぶやく千代が可愛くて、唯人は繋いだ手を前後に振った。子供のようにはしゃいでいる自覚はあっても、止められない。
「まかせて。いい店知ってるから」
 おいしい苺のミルフィーユと、あたたかな紅茶。向かい合って顔を合わせて、互いのことをいろいろ話そう。いままでのことも、これからのことも。
 
 ――でもまずは、雪にまぎれて優しいキスを。



(逆転ロマンス/END)
2007.09.13
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