逆転ロマンス
3■冗談じゃなく。




 車のフロントガラスに、ひらりと紅葉が舞い降りてきた。大きな庭園と隣り合わせの大通りをゆっくりと走る。速度をあげると、ワイパーに挟まっていた小さな葉は、音も無く後ろへ飛ばされていった。
「紅葉狩りには少し早かったみたい」
 唯人の隣、助手席で千代がつぶやく。平日の午後三時。唯人の愛車、マツダのデミオは穏やかな初秋の日差しを浴びていた。ドライブ日和。が、デートではない。
「学校公認で授業サボれるなんて、思わなかったなー」
「サボりじゃないだろ。ついでに、僕にとってはこれも仕事だ」
 
 千代が大手新聞社のデザイン大賞を受賞した。今日は、新聞社でその表彰式があったのだ。学校側としても、テレビや新聞に載るような賞を在校生が受賞したとあって、授賞式は公休扱いになった。そして、美術部顧問の唯人は、付き添いと送り迎えを命じられ、内心浮かれつつハンドルを握っていた。
 授賞式を終えて帰り道。カーオーディオの主導権は千代に握られ、勝手にCDを漁られ、今はオレンジレンジが流れている。アスタリスク。
「先生、この後の予定は?」
「帰り次第部活」
「――受賞のご褒美に、公園散策くらいいいんじゃないかな」
 車を流れる色とりどりの並木。紅葉のピークには少し早いけれど。
 唯人は何も言わず、ウィンカーを出して庭園駐車場に入っていった。

 公園内に入ると、散歩している人は多かった。子供連れの母親か、老齢の夫婦。まばらに色づいた紅葉の下を歩く自分たちは、どう見えているのだろうかと、唯人は隣の千代を見た。制服姿の女子高生と、スーツ姿の自分。平日の午後。やましい気持ちはないけれど、こんな風に散歩できるなんて思っていなかったので、嬉しかった。
 細長く伸びる池の上、赤い渡り橋の上で立ち止まって、千代は緑のもみじに手を伸ばす。背伸びしてやっと指が届いたのに、小さな葉は千代の手をすり抜けて水面に落ちた。残念そうに、流れていくもみじを見送る千代の側で、唯人は上を見上げた。届きそうなところに枝が伸びている。軽くジャンプして、枝先を捕まえた。
「ほら、これで取れるだろ」
 しなった枝はゆるく緑の弧を描いた。そのうちの一枚をそっと手に納めて、千代は唯人を見上げた。満足そうに笑って、唯人は枝を手放す。何事も無かったかのように、枝は元通りの位置に戻った。
「本当は、庭園内の植物を勝手に取っちゃいけないんだけど」
 ナイショにして、と歩き出した唯人の手。優しく絵筆を握る指先。もみじの枝を、捕まえるように。

「先生」
 不意に千代に手を握られて、唯人は驚いて足を止めた。千代は猫のようにくるくると動く瞳で、意味深に唯人を見つめた。左手で、さっき手に入れたばかりの緑の葉を、ひらひらと動かす。
「先生がアタシのこと好きだっていうウワサ、知ってる?」
 かぁ、と唯人の頬が赤く染まった。あまりにもわかりやすい反応に、千代はぱちりと瞬きをした。握っている唯人の手が、逃れようとしたので、改めてぎゅっと握り締める。
「わかりやすいなぁ、東郷先生は」
「からかうな」
 たぶん強引にふりほどけば手なんて外せるのに、唯人は顔をしかめただけで、そのままにした。仕方ないふりをする。千代の気まぐれにつきあっているふりをして、繋いだ手の感覚に胸の奥がじわりと熱くなるのを止められない。
「じゃあ、冗談にしておきましょうか」
 千代はおかしそうに、ふくくと笑って、唯人の手を引いた。手をつないだまま歩く。紅葉と桜の時期は混みあうらしく、順路が決められていた。ぐるりと池の外周をめぐる道は、長いようでも二十分ほどで見終わってしまう。
 唯人は、景色を見る余裕などなかった。中学生に戻ったように、手を繋いだだけでバカみたいにドキドキして、千代が何かを指差すたびに、短く相槌を打って、その横顔を眺めていた。
 高校三年生の、二学期。彼女の残りの学校生活は、矢のように過ぎていくに違いない。
「……佐々木さんが留学するのは、恋人を追いかけるため?」
 歩きながら、さりげなく尋ねた。口調は静かでも、唯人の顔は強張っていた。
「――知ってるんだ。
 どうだろう。もう、よくわからないな。追いかけて一緒にいることしか考えてなかったけど、ずっと会ってないから、気持ちが定まらない」
 ただ添えていただけの唯人の手に、力がこもった。

(本当に、嘘がつけない人だよね)
 千代は少し前を歩く、唯人の肩を見ていた。首筋、耳の裏っかわ。ネクタイを緩めたシャツのエリは、学校で見るよりちょっとだらしない。サラサラの髪が歩くたび揺れる。まっすぐで、嘘がつけなくて、一生懸命。先生というよりも、一人の人間として、周囲の人間を和ませる。いるだけで場が明るくなる。そういう人だから、こんな風に葛藤している背中を見たことはない。
「このままどっか行こうか、先生」
 振り返った唯人の表情を見たら、もう何も言えなかった。千代はそっと手をほどいて、足早に唯人を追い抜いた。
「……嘘だよ。ゴメンね」
 顔が見られない。傷つけたと、わかっていたから。

 唯人は、走り去る千代の後姿を眼で追った。すり抜けていった、温かな手の平。
 全部捨てて、誰も知らない場所に ―― 行きたいと思った。冗談じゃなく。


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