少年ロマンス
第3話 ☆ Liar,Liar!(2)

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 美術館を出ると、もう空は夕焼けの色を滲ませていた。駐車場で、先生は車にもたれてタバコを一本吸った。こういうときの先生は格好よくて見惚れる。伏せた睫が色っぽい。
 僕は近くのベンチに腰を下ろして、美術館で買ったポストカードを眺めていた。
「唯人、まだ時間大丈夫?」
「10時くらいまでなら問題ないです」
 先生は少し考えてから、花火見に行こうか、と言った。花火!?
「近くに温泉街があって、そこの花火大会が今夜なんだって。唯人と見に行けたら楽しいだろうなぁ、と思ってたんだ」
 斜陽に照らされた先生の笑顔は、いつもみたいに皮肉っぽいものじゃなくて、反則だと思えるくらいに僕をどきりとさせた。……先生と二人で花火見物。手ぐらい繋いでも許されるかも。
 僕に異存のあるわけもなく、車は海に向かって走った。海岸沿いの道に出ると、さすがに温泉街、たくさんの旅館が軒を連ねていた。太陽はどんどん水平線に近づいて、海の色がオレンジに変わっていく。花火会場の近くでは、色とりどりの提灯が道の両側に輝いていて、夜を待ち構えていた。いかにもお祭りって雰囲気だ。
「旅館入ってご飯食べようか。ここまで来たら、海鮮食べたい」
「いいですね。泊まれないのが残念だけど」
 思ったことをそのまま口にして、言ってしまった後でハッとした。うわ『泊まりたかった』って意味に取られたかもしれない。すごく下心あります、って感じだ。そんなつもりじゃないのに!
 真っ赤になって固まっていると、先生が楽しそうに笑った。
「卒業したらやりたいことリストに、一個追加だね。ココに泊まりに来る、って」
 冗談とも思えなくて。

「 ――― 先生、僕のこと好きですよね?」

 問い掛けた僕に返事をせずに、先生は薄く笑みを浮かべたままハンドルを切って料亭を兼ねた旅館の駐車場へ車を停めた。そして、じっと先生の横顔を見つめたままの僕の目を真正面から見返すと、ぴしっと僕の額を指で弾く。
「痛ッ」
「その質問はルール違反。唯人が卒業するまで答えないよ。OK?」
 真顔でほんの少し首をかしげる仕草が可愛い、とか言ったら怒られそうだ。
「……はい」
 素直に返事をして、僕は助手席から降りた。『語るに落ちる』って言葉は、今は知らないことにする。先生の『僕が卒業したらやりたいことリスト』には何が書かれているんだろう? 想像するだけでニヤけそうになるのを我慢して、僕は先生の隣に並ぶと、料亭の石段を上った。



 料亭を出て、花火大会まで時間があったので散歩をした。浜沿いの遊歩道は提灯に照らされてキレイだったけれど、人が多くて歩き難かったから、浜辺に下りて砂を踏んで歩く。
「あれ火星ですよね」
「月の隣のオレンジ? うん、火星」
 空を見上げて歩くと、吸い込まれそうだった。このまま、寝転がって空を見たい。できれば先生と手を繋いで ――― 僕の『やりたいことリスト』も作った方がよさそう。
 言葉少なに歩き続けていると、人が増えてきた。そろそろ花火が始まる頃、あ、と先生が声を上げた。
「知り合いがいる」
「……僕と一緒に居るの見られたら、マズくないですか」
「平気。向こうも生徒と一緒だし」
 そう言うと、先生は早足に防波堤に向かって歩き出した。僕は言われた言葉の意味がわからなかった。向こうも生徒と一緒だし? ってことは、教師?
 先を歩く先生の背中を追いながら、暗がりに目を凝らした。かろうじて提灯の明りで顔が見えるところまで近づいて、思わず足を止める。目を疑った。

 佐々木先生と話している浴衣姿の男は、よく見ると僕の通う高校の音楽教師・矢野だ。眼鏡を外していてイメージが違うけれど、間違いない。生徒から『ヤノッチ』だの『たけピー』だの呼ばれているこの男は、佐々木先生とすごく仲がいい。毎日のように昼休みを一緒に過ごしてるから、僕の中では要注意人物だ。その男と、偶然ここで会うなんてありえるだろうか? いや、きっと偶然じゃない。
 矢野に話し掛けてる先生の声は、とても嬉しそうだった。先生は、矢野に会いたかったのかな。その為に「僕を連れて美術館に行く」って口実を作ったのかな……。
 浮かれていた自分が馬鹿みたいに思えて、僕は呆然と仲良く話している二人の教師を見ていた。
「おーい、東郷!」
 佐々木先生の声で我に帰った。矢野も僕を見ている。その矢野の隣に、浴衣を着た女の子が居ることに、僕は初めて気付いた。あれ、なんか見たことある気が……。
「 ――― え?」
 辻先輩、に見えた。僕が通ってるの学校の三年生で、姫と呼ばれているくらいの和美人。前、佐々木先生が先輩にモデルを頼んだことがあったから、僕とも面識はある。ただ、辻先輩にはものすごくお似合いの彼氏がいるはず。どうして矢野なんかと、ここにいるんだ!?
 混乱したまま佐々木先生の隣に立ったけれど、目の前にいる矢野と辻先輩は、しっかり手まで繋いでいる。この二人、まさか?
「辻先輩と矢野先生って……え?」
「つきあってるの」
 辻先輩が、すごく自然に矢野の腕に腕を絡ませた。抱きつくように矢野にもたれかかる姿は、絶対演技じゃない。僕を見据える目には真剣な光が浮かんでいて、辻先輩が本気で矢野のことを好きなんだってわかった。すごい。女の顔っていうか……こんなに強くて艶っぽい顔の辻先輩を知ってるヤツ、あんまりいないと思う。

「二人はなんで一緒に来たんだよ。そういう仲なの?」
 矢野の問いかけに、
「部の顧問が、日頃熱心な部長にご褒美上げようと思い立っただけだよ」
 と、佐々木先生は平然と答えた。僕と先生の関係って、結局、部の顧問と部員なんだよね。もう少し特別な説明を期待した僕は小さく溜息をついた。
 そのうち、一斉に提灯の明りが消えた。夜目が利くようになる前に、ヒュルル、という音が耳に届いた。突然、ドンッと腹に響く音。砂浜が真昼と同じくらい明るく照らされる。
「すご……綺麗」
 首が痛くなるくらいに真上を見上げていると、先生にTシャツの裾を掴まれた。先生はいつの間にか階段に腰を下ろしている。おとなしく隣に座ると、肩が触れそうなくらい近かった。昼間、背中に感じた温かさを思い出して、手の平が汗ばんだ。
「手、握ってもいいですか」
 思い切って告げると、先生は視線だけ僕に向けて、無言で左手を二人の間に置いた。僕はその手に右手を重ねて、包み込むみたいに握りしめた。先生の細い指を手の平で確かめる。僕の手とは全然違う。薄くて、すらりとして・・・ずっと触りたいと思うのって、変なんだろうか。でも、そう思う。
「唯人、手ぇ熱い」
「……緊張してるんです」
 花火の音にかき消されないように、先生が耳元で話すたびに、息がかかってくすぐったかった。顔が真っ赤になってるのが自分でわかる。先生は手の平を上向けると、するりと指を絡ませてきた。うわっ、マジで反則。この繋ぎ方は、恋人同士オンリーだと思う。
「矢野先生と辻は、ずっと前からの知り合いなんだって。仲のいいバカップルだよ。だから、矢野先生とアタシには、唯人が誤解するようなことは、何もないから」
 花火を見たまま、先生は静かにそう言った。
「 ――― はい」
 俯いて、僕は小さく答えた。駄目だ、顔が勝手に笑うよ。
「何笑ってるのかな?」
「何でもないですっ」
 先生の手にぎゅうっと力がこもる。痛くもないのに「痛いですよ」と言って、僕も少し力を込めて先生の手を握りなおした。花火に照らされているせいか、先生の頬が微かに染まっているように見えた。気のせいかもしれないけど。
 可愛いなぁ、と思ってしまった。先生が僕を連れてここにきたのは、きっと矢野とは何でもないって証明したかったからだ。僕が前から矢野に嫉妬してるのに気付いて、誤解を解こうとしたんじゃないかな。その為にいろいろ計画練ってる先生を想像すると、どうしたって可愛らしいとしか思えない。
 
「今度」
「え?」
 僕の言葉が聞き取り難かったのか、先生が顔を下げて僕を振り返った。先生の横顔を見ていた僕との距離は20センチくらい。キスしたら怒るだろうな。無防備な表情に、余裕で笑いかける。
「今度来るときは、先生助手席ですから」
「……それまで、一緒にいられたらね」
「先生がイヤだって言っても、一緒に居ますよ!」
「駄目。アタシが嫌って言ったら、どっか行って」
 先生は憎らしく言い放つと、くくっと含み笑いをして、再び天を仰いだ。降り注ぐ柳の赤が幾重にも重なって、次々に海を目指して落ちてくる。僕は先生の冷たい言葉にもめげず、顔を近づけて念押しした。
「先生のリストに、追加しておいて下さいね。僕の運転する車で花火を見に行くって」
 先生は答えずに、繋いでいた手の親指で、僕の親指に二回触れた。了解って意味?
 
 その答えがわかるのは、もっと先の話。

 初めてのデートで、僕は相変わらず振り回されて、ますます先生を好きになっただけ。
 ちなみに、僕の『卒業したらやりたいことリスト』の一番は、もちろん先生の気持ちを確かめることに決まっている。僕の予想では、先生の返事も決まってる。希望的観測は、けっこう現実的だとわかった花火の夜。
 帰りの助手席で不覚にも眠った僕は、夢の中でも先生と仲良く花火を見上げていた。

(Liar,Liar!/END)
03.10.14

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