少年ロマンス
第2話 ☆ Liar,Liar!(1)

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 微笑みひとつでいいように操られる
 それが嫌じゃない自分に苦笑
 あなたの言葉は嘘ばかり
 その中にちらりと覗く本音を教えて



 クーラーの効いた部屋に電子音が響いた。
 夏休みも残り少なくなった日の朝9時。8月後半は体育祭の準備が始まるので、美術部の部活はない。絵が上手いヤツは、みんなアーチ製作班に入れられるんだよな。僕は体育祭の同じチームに美術部の先輩がいたので、采配は彼女に任せて彩色実行になってからの参加でいいことになってる。先輩は立てなきゃいけない。これは文化部だって必須の処世術。
 珍しく部活が休みなので、昨日の夜は遅くまでPS2で遊んでた。寝不足もいいところなのに、誰だよ、こんな時間に電話してくるヤツは!

 手探りで枕もとに置いてある充電器から携帯を手にとる。液晶画面に表示された名前を見て、一気に眠気が吹き飛んだ。
「もしもしッ!?」
『 ――― おはよう、唯人』
 薄い携帯から嘘みたいに佐々木先生の声が聞こえた。
 先生からのモーニングコールなんて、ありえない! いや、実際に掛かってきてるけど。美術部連絡網で、お互いの携帯番号は知っていたけれど、先生から電話が掛かってきたのは初めてだった。僕は思わずベッドの上に正座して、反射的に「おはようございます」と言った。
 電話の向こうで、微かに笑った気配がした。
『まだ寝てたんだね。今日の午後空いてるんなら、一緒に美術館行かないかと思って。
 アナログ部員に順番に声掛けてるんだ。アタシの車に乗れる人数が集まったところで、募集は終了。どう、唯人は行く?』
 他の部員も一緒っていうのが残念だけど、先生と学校以外で会える機会を逃すわけがないデショ。
「もちろん、行きます!
 でも、先生車持ってたんですか? ペーパードライバーだと思ってました」
『休日の趣味はドライブだよ。覚えてて』
 
 待ち合わせの時間と場所を決めて、佐々木先生との短い通話は終わった。



 13時に近くのコンビニ駐車場。
 5分早めに行って待っていた僕は、現れた先生を見て呆れて笑ってしまった。ああ、またやられたよ。
「先生。僕のこと騙したね」
 運転席の窓を空け、サングラス片手に先生はニヤリと笑った。
「人聞きの悪いこと言わないの。アタシ、嘘は言ってないよ。この車に乗れるだけの人数を誘うって言ったでしょ?」
 いつもよりカジュアルな先生に内心どきりとしながら、僕は改めて目の前の車を見た。真っ赤なツーシーターのスポーツカーは、どう見ても定員二名。
「……デートの誘いだったんですか」
「そういうこと」
 先生は悪びれもせずに、指で助手席を示した。
 早く乗れって? 
 僕は意地を張って、わざとゆっくり助手席に回りこんだ。でも、いざ座ってしまったら、子供に見られないように落ち着こう、なんて気持ちはどこかに飛んで、僕は初めて乗る先生の車のあちこちに目がいった。
「こういう車は好き?」
 先生はブルーのサングラスを掛けると、静かにアクセルを踏み込んだ。
「うん、デザインいいですね。なんていう車ですか?」
「カプチーノ」
 金色のマニキュアが輝く指で、リズミカルにギアチェンジしていく。
 先生の髪は勢いよく後ろになびいて、首から肩へと続く滑らかなラインが惜しげもなく晒された。ノースリーブのカットソーは大人っぽくて、僕は嫌でも先生が年上なんだと思い知る。仕方ない、僕にはまだ、スーツよりジーンズとスニーカーの方がよく似合うんだから。

 早速先生に見惚れてる僕は馬鹿かもしれないけれど、先生に告白して一年経って、ようやくの初デート、浮かれるなって言うほうが無理だよ。僕が助手席っていうのが格好つかないけど、こればっかりはどうしようもないから、よしとしよう。
「先生がこういう車持ってるのって、意外。イメージ変わりました」
「いや、この車は知り合いから譲り受けたの。厳密に言うと、無期限で預かってる」
 
 車はあっという間に国道経由でインターへ。高速道路に上がると、真っ赤なカプチーノは気持ちよく加速して、真っ青な空と白い入道雲のコントラストにアクセントを添えた。開けっ放しの窓から、熱い空気を割ってものすごい風が吹き込んできて、耳元でごうっと音がする。すごく気持ちいい。
 先生はオーディオの音量を上げた。県境を越えて雑音の混じったラジオが、くせのあるEGOの音にすりかわる。軽快なトランペットの音を車内に満たして、楽しいドライブは始まった。



 目的の美術館についたのは、約二時間後だった。
 窓口で先生は、用意周到に二人分の招待券を出す。
「知り合いから貰ったの、期限今日までなんだよ」
 ……ええと、僕はただのおまけで連れて来られたんじゃないですよね、デートですよね、なんて内心疑いかけていたのだけれど。

 いざ館内を回り始めると、そんなことはどうでもよくなってしまった。
 日本画の大家の作品が数多く展示されているホールは、広い空間の真ん中に、細長く背もたれの無いソファが並んでいて、四方の壁にゆったりと飾られた絵画を座って眺められるようになっていた。大半の人は、壁沿いに絵を見ながら一周してホールを出て行く。僕は入り口から順番に絵を見ていたけれど、一枚の絵の前から足が動かなくなってしまった。
 大きな絵。長さは僕の身長以上で、幅も1メートルを超えていた。赤と橙、黄色と桃色と白と・・・柔らかい色を重ねて、秋の山が視界いっぱいに広がっていた。輪郭線がなくて、ぼんやりとした色が重なって景色を構成している。ところどころ、斜面に建った小さな家からは細く煙が立ち昇っていた。のどかな山村の夕暮れの風景。
 なんて温かくて優しいんだろう。
 僕はその絵の正面のソファに腰を下ろし、ただじっと、吸い込まれそうな秋の色彩に心を奪われた。

 ぼうっとしていて、どれぐらい時間が経ったのかはわからない。気付いたときは、背中に人の体温を感じていた。
 ゆっくり振り返ると、僕と背中合わせに先生が座っていた。鼻をくすぐる控えめな香水の匂いに近すぎる距離を実感した。僕にもたれて、先生も絵を見ていた。僕が見惚れた絵の真向かいに飾られた、月夜の絵。満月の明りに、薄闇に浮かぶ雲の輪郭がはっきりと浮かんでいる。紺やグレーや白が主な色なのに、その絵にも、どこか素朴な温かさがあった。佐々木先生みたいだ。
 しばらく二人でそうやってじっとしていた。周りの人からは、熱心に絵画鑑賞してるように見えただろうけど、ここだけの話、僕が動かなかったのは背中に感じる先生の体の柔らかさにどきどきして、それどころじゃなかったからなんだ。

03.10.08

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