少年ロマンス
番外編/Spring has come

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それは別れの儀式ではない
私は心から彼に「おめでとう」と告げる
はじまりの合図のように



 卒業式の前日、体育館にはズラリとパイプ椅子が並んでいた。いつ見ても壮観だ。
 ステージ上では、書道部の部員が凛々しい顔つきで筆を走らせている。卒業式の題目を書いているのだ。冷え冷えとした広い空間に、かすかに墨の匂いが漂っていた。背筋が伸びる。
「千代先生、花の位置はここらへん?」
「もう少し右。階段の位置は間違いない?」
「うん、目印通り」
 体育館の片隅では、生徒会長が送辞の文章を朗々と読み上げている。音読して、ところどころの単語を変えたり区切りを変えたり、最後の調整に余念がない。
 すでに会場の準備は整い、生徒の姿はまばらだった。生徒会役員や書道部、華道部の部員が、仕上げに残っているだけ。先週、卒業生を含めての予行演習も終わり、明日の本番を待つばかりだった。三年が登校するのは、明日で最後になる。
 唯人の制服姿も見納めだ。そう思うと、なんだか寂しくもあった。
 学校に来ればいつでもその姿が見えた――その日常が、過ぎ去っていってしまう。

 二月から、三年は自由登校になった。彼らが学校に来たのは、二日間の登校日だけだ。あとは時折受験の報告に職員室を訪れたり、部室に置きっぱなしだった私物を取りに来たり、その程度。
 唯人も先日、合格の報告に来た。ちょっと美術室に寄っただけだったのに、目ざとい部員たちに見つけられ、玄関のところで取り囲まれていた。相も変わらず人気者だ。
 元部長である唯人の為に、美術部員たちは近所の花屋に花束を注文したらしい。今日の会場準備のときも、生徒たちが「誰かに花束あげる?」「唯ちゃん先輩!」という話をしていた。
 唯人は明日の式典後、花まみれになるんじゃなかろうか。人事ながら、心配になる。
 三年生に片思いしていた下級生たちの気合いの入れようは、外から見ていてもすごかった。気迫すら感じる。プレゼントを用意している子、最後に告白するつもりの子。その一生懸命な姿は、思わず応援したくなるくらい切実で、可愛らしく、そして本気だった。
 制服がブレザーなので、卒業生は好きな子にネクタイを渡す風習があった。
 何年も卒業式というイベントを見ていると、あの記念の品の行方が気になる。

 好きなひとの身に着けていたもの。
 それは指輪やネックレスのように、何かを約束するものなのだろうか。高校卒業という環境の変化を乗り越えて、続く想いもあれば壊れる想いもある。大事な思い出の品は、淡い恋の記念品になるのか、苦い恋の記念品になるのか――それは誰にもわからない。



 昨日、茅野が美術室で泣いているのを見た。
 茅野はアナログ選択の一年生で、唯人を追いかけてこの学校に進学した。誰が見ても、唯人のことが好きで好きでたまらないという態度で接していた。そして、唯人からきっぱり振られている。それでも忘れられず、諦めきれず、彼女の目はいつも唯人を追っていた。
 ――彼女はたぶん、アタシと唯人の関係が変わったことに気づいている。

 泣いていた茅野は、戸締りの為に出て行ったアタシをまっすぐ見返してきた。
「唯人先輩のネクタイ、どうしても欲しいんです。最後だから、どうしても……っ」
 そこでまた、ぱたぱたと涙をこぼした。アタシは出入り口の鍵を指先で弄んで、入口から廊下を見ていた。夕暮れも迫った時刻、中庭にも廊下にも、誰もいなかった。
「それは、東郷に言うセリフじゃないの」
「いいんですか?」
「何が」
 奥の窓から順番に施錠を確認していった。茅野を見ないようにして。
「佐々木先生は、明日……」
「茅野、さっさと帰りな。暗くなる」
 茅野の言葉を遮って、扉を目で示した。隣の準備室には、まだ村上先生が残っていた。茅野に言いたいことを言わせるつもりはない。
 何か言いたげな素振りを見せつつ、茅野は手の甲で涙をぬぐって、「失礼します」と出て行った。
 準備室に戻ると、村上先生が筆を手にしていた。美術部員だった卒業生ひとりひとりに、メッセージカードを書いていたのだ。カードの右半分が、不自然に空いていた。
「美術部の顧問は二人ですよ、佐々木先生。恥ずかしがらずに、何か書いて下さい」
「……アタシもですか」
「あの子たちが生徒でいられるのは、明日までです。伝えることもあるでしょう?」
 村上先生の視線に含みがあるように感じたのは、気のせいだったと思いたい。
 伝えたいこと、ねぇ。部員それぞれの顔を思い浮かべつつ、この三年を振り返って短い言葉を綴っていった。最後に回ってきた唯人宛のカードを前に、ペンが止まった。
 入部希望だと言って、あの子が放課後の美術室に現れた日からのことを、はっきりと思い出せる。告白してきたときの切羽詰まった様子、二人でドライブしたこと、花火を見たこと、お互いに嫉妬してケンカして、仲直りして……記憶をなぞってみれば、気持ちを言葉にしてないだけで、やってることは普通の恋人同士と変わりない。笑える。
 
 一昨日、唯人と二人で映画を見に行った。誘ったのはアタシだ。合格祝いというのは口実で、二人で話す時間が欲しかったのだ。
 上映の二時間弱の間、彼の手はずっとアタシの手に重ねられていた。エンドロールが始まって、人がどんどん席を立って、それでも薄暗い劇場の座席で二人は座ったまま。
『卒業したら、恋人同士になろう』
 それは二人の間で交わされた約束だった。最初は冗談まじりの戯言だったのに、三年の間に冗談で済まなくなってしまった約束。
 卒業式は目前。大学も決まって唯人の不安は消えたはず。なのに具体的な連絡は何もなく、こうして二人で会っているのに唯人は何も切り出さない。焦らしているのか天然なのか、問いかけてようやく「卒業式の後、会いたい」なんて言うので、初々しさにこちらまで恥ずかしくなってしまった。
 赤くなった顔を隠したくて、平然を装って肩に寄りかかったら、唯人の手に力がこもった。
 流れで肩を抱くこともできない純情さがおかしい。そのくせ、目だけは熱をもってアタシを見据えるのだ。抱きしめてキスしてきたとしても、今更拒みはしないのに、律儀に数日後の卒業式までボーダーラインを死守する。生真面目で不器用。だからこそ、こんな関係が築けたのかもしれない。



 カードの右側に、「三年間よく頑張りました。部長としても大変だったと思います。お疲れ様」と、小学生に宛てるような文面を書いて、またペンを止めた。村上先生はすでに鞄に文房具をしまい、コートを手にしている。
「戸締りお願いできますか?」
「はい。お疲れ様でした」
 一人になった準備室で、頬杖をついた。

 卒業式の後、明日の夜、唯人はアタシの部屋にやってくる。
 彼はどんな気持ちで来るのだろう、どうしたいのだろう。
 ――アタシはどんな気持ちで迎えるのだろう、どうしたいのだろう。
 真摯に想いをぶつけてくる唯人を、教師という肩書きでかわせなくなる。佐々木千代個人として彼と向き合うとき、アタシは一体どうなるのだろう?
 そのときになれば自然にわかることだ。あれこれ想像したって仕方ない。
 なのに、頭の片隅では食事のメニューを考えていた。誰かの為に料理を作るのは好きだ。彼は自転車で来るだろう。冷たい夜の中を走ってきて、ようやく暖かな部屋に入ったとき、どんなものが食べたいのだろう。どうすれば喜ばせることができる? 好きな料理は何? どこまで期待してくるの? どんな服が好きだろうか?
 口元がゆるみそうになった。告白してきた唯人に対して、夢中にさせてみろと言ったのはアタシだけど、こんな未来は想像もしていなかった。
 卒業する東郷唯人に贈る言葉なんて、たった一つに決まっている。
『卒業おめでとう』
 ペンで書いた後、カードを口元に持って行った。唇に押し付けると、余白に緋色のルージュが綺麗についた。
 インクとキスマークが乾いてから、村上先生が用意していたクリーム色の封筒に入れて、きちんと封をした。これで他人に見られる心配もない。
 悔しいけれど、自分が多少浮かれているのはわかっていた。

 明日は三月一日。梅香る、暦は弥生。
 ――春は、来たのだ。


(Spring has come/END)
09.02.26

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