2008年クリスマス企画
少年ロマンス
番外編/良薬口に甘し

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 けほんと小さく咳をして、喉の痛みに目覚めた。
 部屋の真ん中に置かれたストーブの上で、ヤカンからしゅんしゅんと湯気がたっていた。見覚えのない部屋で一人寝かされる心細さと居心地の悪さも、だるさによって頭の隅に追いやられた。布団からは唯人の匂い。それで、少しだけ安心する。



 クリスマスを意識しなくなったのはずいぶん前のことだ。
 だが、ここ最近はかわいい恋人のせいで、いやでもその行事を実感することになっていた。

 唯人の実家は、駅前にある人気のケーキ屋さんだ。クリスマスケーキは予約完売、作り手も売り手も気合を入れて乗り越える、十二月のビッグイベント。
 その目前の祝日、元気いっぱいにウチに現れた唯人は、「二日間会えない分の充電です」とか気恥ずかしいセリフを吐いて、楽しげに夕食を作った。それはおいしそうなグラタンとサラダ、だったのに。
 少し体調が悪くて残してしまった。唯人はアタシが残した分までたいらげて、後片付けをして、いつかと同じように体温計片手ににじり寄ってきたのだ。
『あなたの「大丈夫」がどれだけアテにならないか、僕は実感してるんです。どうせ寝てれば治るとか言って、病院にも行かない気でしょう!』
 平気だという人の言葉を無視して、唯人はそのままアタシを実家に連れ帰った。拉致と言いませんか、コレ。
 で、帰ると言い張ったものの、唯人と香織さんに笑顔で「帰しません」と言われ、和代さんには「この忙しいときに、ごねて時間をとらないの」と怒られ、結局おとなしく、唯人の部屋で、唯人のベッドで、半分ふて寝している状態のクリスマス・イヴだ。

 思ったより深く眠っていたらしい。窓の外は、もう薄暗くなっていた。カーテン越しに高台の公園のイルミネーションが見える。
 ベッドに横たわっていても、階下の店舗のにぎわいがさざめくように伝わってくる。一人であの部屋で寝ているときには決して感じない、柔らかな人の気配。
 目を閉じていると、小さな足音が廊下を渡った。キィ、とドアの開く音。
 部屋に入ってきて、枕元で何かしている。はふ、と子供の呼吸音。遠ざかっていく気配にわざと目を開けずにいたら、冷たい空気が細く流れ込んできた。そのまま、ドアが閉じる様子もない。
 ゆっくり目を開けた。ベッドの隅っこに、小さな包みが置かれている。折り紙と星の模様のリボンと、うさぎのシールで飾られたプレゼント。焦点をずらせば、その向こう、ドアの隙間からこっちを覗いている小さな女の子の心配げな瞳とぶつかる。
 香織さんの娘の、杏奈ちゃんだ。大きくなったなぁ、と思いつつ、ちょっと笑って手を振ってみた。彼女はほっとしたように笑って、とたたっと廊下を去っていった。と、すぐにドアの向こうから話し声が聞こえた。
「あ、杏奈! 僕の部屋に行っちゃダメって言っただろ、何してたの」
「なんにもしてないよー」
「ホントにー? 千代が起きないように、静かにしててよ」
「しー、ね」
「そう。しー、だよ」
 わずかに開いたままのドアの向こうで、ひそひそ声で話している内容が、途切れ途切れに耳に届いた。唇の前で人差し指立ててる唯人が目に浮かぶ。きっと指きりもしているに違いない。



 唯人が細心の注意を払って、静かに静かにドアを開けるのを、ベッドの中からじっと見ていた。
 そうっと顔を覗かせてから、彼の手が薄暗い部屋の照明を付ける。まぶしくて、反射的に布団をかぶった。
「あ、起きてた」
 唯人は普通の歩き方に戻って部屋を横切り、半分開いていたカーテンを閉めて、ヤカンに水を足した。持ってきたトレイにはポットとマグカップと、小さめのケーキが載せられていた。
「何やどかりみたいに隠れてるんですか。ほら、逃げない、逃げない」
 頑なに布団の下にもぐっていたのに、横から布団をめくられた。まぶしいのと寒いのとで、顔をしかめる。
「休憩30分しかないから、すぐ戻らなきゃならないんだ……何か食べられそう?」
「食べる」
 しぶしぶ起き上がって、差し出されたマグカップを受け取った。ホットレモンのいい匂い。
 唯人はアタシの額に手を置いて、「熱は下がりましたね」と、満足そうだ。熱ったって、微熱みたいなもんだったのに。そんなに心配するほどのことじゃない。
 ロールケーキを食べたら、生のイチゴがシャクッと瑞々しい音をたてた。甘酸っぱくておいしい。
「機嫌悪いね……やっぱり、ココじゃ落ち着かない? 家の方がゆっくり休める?」
「いや、もういいよ。どこだって寝ちゃえば一緒だし」
「無理に連れてきてごめん――さすがに今日と明日はバイト休めないし、でも千代を一人にするのは心配だしで、苦肉の策だったんだけど」
 まあ、財布と携帯と車のキーが入ったアタシのバッグを取り上げて『一緒に来ないなら返しません!』っていうのは、お願いじゃないよね、脅迫だよね。無理矢理でしたよねッ、確かに。
「いいって。逆に、この忙しいときに迷惑かけて申し訳ないと思ってる」
「ん? そこは遠慮しないで。ちゃんと頼ってよ」
 ケーキを食べ終えて、乱れた髪を結いなおしていると、唯人がなぜかまじまじとこちらを見ていた。笑いかけた唇が気になる。
「何、じっと見て。寝癖でもついてる?」
「いや、ちょっと……新鮮で。千代はいつも、ウチで泊まるときは客間使うから。よく考えたら、この部屋で千代が寝るのって初めだなぁと思って、なんか、嬉しい。
 何年も片思いしてた頃の自分に教えてあげたいよ。数年後、このベッドで千代が寝てるんだよ、くじけるな! って」
 言われてみれば、高校時代から唯人が使っていたこの部屋で、眠ったことはない。唯人を起こしに入ったことは何度かあるけれど。
「ベッドに寝転んで、アタシのことを考えてたりしたわけ?」
「そりゃもう、いつも千代のことばっかり考えてたよ。
 佐々木先生は、態度も言う事も冷たかったからなぁ。美術室に顔出すなって言われたときは、本気で泣きそうになった」
「へぇ、ベッドでいつもアタシのこと考えてたのか。いやらしかったんだねぇ、唯人少年は」
「そういう意味じゃありませんッ。ああもう、すぐに茶化す! 食べ終わったら寝て下さい、また後で食事持ってきますから」

 体を横たえたとき、杏奈ちゃんにもらった包みのことを思い出した。さっきバタバタしてたせいで、枕の向こうに転がってしまったんだ。頭を起こして探すと、枕の下にもぐるようにそれはあった。
 ひじを突いて、リボンをほどいた。包装はすぐに解けた。
「なんですか、それ」
「さっき、杏奈ちゃんがくれた」
 銀紙に包まれたハート型のチョコレート。口に入れると、素朴なミルクチョコレートが舌の上でふんわりと溶けた。子供向けなのか、甘みが強い。
「お見舞いのつもりかな、可愛いプレゼントもらっちゃった」
 今度何かお礼をしようと考えていたら、ベッドのすぐ横に唯人がしゃがみこんだ。目線の高さが同じになる。
「クリスマスプレゼント、向こうの家に置いたままだ。ちょっと遅れますけど、明日、帰ってから渡しますから」
「アタシだって置いたままにしてるよ。プレゼント交換するのは、帰ってからでいいじゃない」
 ふふ、と笑いかけたら、布団の襟を整えていた唯人が、不意に顔を近づけてきた。
「キス禁止。風邪がうつるでしょう」
「……ケチ。じゃあ、こっちに」
 持ち上げられた左手、薬指の細い指輪に、唯人はチュッと軽く唇を押し当てた。
「結婚して最初のクリスマスなのに、ちゃんとお祝いできなくてゴメン」
「じゃあ、アタシは風邪ひいてゴメンって謝るべきかな」
 ごめんなさい、は聞き飽きた。クリスマスのその日にゆっくり過ごせなくたって、まったく問題無い。ケーキも無くていい。プレゼントだって。
 今日都合が悪ければ、明後日でも明々後日でもいい。食後においしいコーヒーを入れて、ケーキを並べて、年末の予定を話したっていい。アタシはクリスマスなんて今更どうでもいいのだ。
「――謝らなくていい、です。じゃあ、店に戻るね」
「はい、いってらっしゃい」
 遠ざかる足音を聞きながら、体の向きを変えた。
 二人で暮らし始めてからも、唯人は時折、授業とバイトの都合で実家に泊まることがある。昔から唯人の部屋だったというここには、勉強机と本棚とゲーム機と、シングルベッドしかない。服や画材は新居に運んでしまったから、物が減ったんだろうな。
 ……唯人はああ言ってたけど、アタシだって昔の自分に言ってあげたい。「距離感に悩んでデートしたり邪険にしたりいろいろ考えてるけど、最終的には逃れられないから観念した方がいい」って。
 
 しゅんしゅんという湯気の音に眠気を誘われて、瞼が落ちてくる。
 明日の夜家に帰ったら、真っ先に唯人にプレゼントを渡そう――クリスマスはどうでもいいけれど、唯人の喜ぶ顔は早く見たいのだ。昔の自分に言ったら、きっと信じられないと笑うに違いない。


(良薬口に甘し/END)
08.12.25


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