2008年エイプリルフール企画
少年ロマンス
番外編/Love Fool 余話

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 奇妙な夜だった。
 高台にある公園は、たくさんの提灯で飾られ、光で溢れていた。どこを見ても夜の闇に浮かび上がる桜で視界が染まり、あちこちから溢れる笑い声に、誰の気分も明るくはじける。足音、歌声、アルコールの匂い、立ち上る湯気も食べ物の匂いも人いきれも、時折間を縫っていく夜風が散らしていく。
 薄闇の中で人影がゆらめくその風景の中から、二人が姿を現したとき、オレは自分の目を疑った。
 高校の頃からの親友である唯人の隣にいるのは、まぎれもなく美術を教えていた佐々木千代先生だった。愛称は「千代ちゃん」。かの人は、バレンタインに、チョコを大量獲得する女子教諭としても有名だった。



 二時間ほど前、唯人は花見の席から姿を消した。「千代が事故に!?」と言って飛び出していったのだが、残された面々は唖然とした。唯人が口にした「千代」という名から連想できる人物は、一人しかいなかったからだ。今日集まった面子は一人残らず、唯人が高校時代に片思いしつづけた美術教師を思い浮かべた。
「千代ちゃんが唯人とつきあうなんて、ありえるか?」
 確かに、唯人は常々恋人がいると公言していた。相手のことは全く教えてくれなかったので、彼女いない歴20年の男にありがちな見栄と願望と妄想だろうと、オレたちは思い込んでいたのだが――相手が佐々木先生なら、内緒にしていたのも納得がいく。
 しかし、同席していたメンバーのほとんどが、「ありえない!」とその可能性を笑い飛ばした。
「そういえば、佐々木先生、よくTOGOにケーキ食べにきてるよ。唯ちゃんのお姉さんと友達みたい。片思い続行してるんじゃないの?」
 ある女子の言葉に、ほろ酔いだったメンバーはみな深く頷いたのだった。
 ……が、どうだ。本当に唯人のヤツ、佐々木先生を連れてきた。さっき電話でそれらしきことを言っていたけど、周りのやかましさでほとんど聞こえなくて、半信半疑だったのに。

 えー、千代ちゃんだ! なんでー? とあちこちから声があがるのも無視して、唯人は桜の枝の下で立ち止まった。二十名を超える高校の頃の友人をぐるりと見渡し、笑いそうな口元を必死でこらえているようだった。えーと、と一度目を伏せてから、隣の佐々木先生を見つめる。
「僕の彼女の、佐々木千代さんです。で、これは千代からの差し入れ」
 手に提げていたケーキの箱を、手近な女子に手渡す。あの中に入っているシュークリームやエクレアは、絶対オレたちまで回ってこないだろう。
 にこにこしている唯人を余所に、佐々木先生はすぐ近くにいた女子連中に即座に捕まった。
「千代ちゃんー! えー、なんでなんで!? なんでもいいや、嬉しい!」
「センセー、久しぶりー! こっちに座って、一緒に飲もーよ」
「久しぶり、みんな元気そうだねぇ」
 相変わらずの黒髪を艶やかに揺らせて、佐々木先生はなかば引っ張られるようにシートの上に腰をおろした。その周りに人が集まる。
「びっくりした、唯ちゃんとつきあってるんですか?」
「そう」
「嘘でしょう? 先生、あたしたちが高校にいたときだって、よく嘘ついてたじゃないですかー。ヤノッチとは? あれも嘘?」
「矢野くんとは一度もつきあったことないよ」
「ええー、騙されてた! 千代ちゃん、今回も嘘なんじゃないの? 唯ちゃんに頼まれたとか」
「ん? ホントホント。信じるも信じないも、みんなの自由だけど」
「あー、やっぱり嘘だ! エイプリルフールだからって、手の込んだ嘘は駄目ですよぉ」
 そんな会話の流れで、唯人が本当だと言えば言うほど、「はいはい、もうわかったから!」と受け流す空気ができあがってしまった。
 先生はテンションの高い元教え子たちにあちこちで話し掛けられて、しばらく動けそうに無かった。唯人は憮然としてオレのとなりでビールを飲んでいた。膝をかかえて小さくなっている。ふくれっつらが妙に似合って、可愛い。

「……本当なのに。本当なんだよ、圭一」
「わかったって、ムキになるなよ」
 あまり酔っていないオレに言わせれば、二人が一緒にここに来たという事実ひとつで十分驚いていた。
 ぶっちゃけて、どっちでもいいんだ、真偽なんて。サクラ満開で懐かしい先生登場。生徒だった頃は聞けなかった話もできるし、何より一緒に騒げる。これで、はしゃぐなという方が無理だろ。
 唯人も途中からは拗ねるのをやめて、よく飲んでよくしゃべった。通りがかった知り合いも巻き込んで、花見は時間が経つほどに賑わっていった。



 桜の群れのはるか頭上に、三日月がぽつんと浮いていた。
 ちらほらと周囲の花見客が帰り支度をはじめても、オレたちの花見はまだ終わる気配さえ見せなかった。
 風は冷たく、夜の公園は肌寒い。上着を着込んで、持参のポットで焼酎のお湯割を作る。早々につぶれた数人は、シートの端っこで丸まって寝息をたてていた。女の子なら送って帰るが、ヤロウは最後にまとめてたたき起こせばいい。
 と、近くで飲んでいた佐々木先生が、ふっと夜空を見上げた。吐く息が、わずかに白い。
「夜は、けっこう冷えるね」
 すくめた肩が寒そうで、即座に近くにいた男三人(オレ含む)が上着を差し出した。もうこれは条件反射だ。これまでの大学生活で身についた、『優しくされて嬉しくない女はいない』という鉄則が、おれ達をつき動かすのだ。
 先生は軽く目を見開いて、おかしそうに笑いつつ、一番近くにいたオレから上着を受け取った。他の二人には「ありがとう」と微笑みかける。あしらいも上手だなぁ、大人の女って感じだ。
オレの体が大きいせいか、黒いジャケットを羽織った先生はずいぶん華奢に見えた。見ていれば、来てからずいぶん飲んでいるようだったので、さりげなくウーロン茶を手渡した。もちろん保温ケースに入っていた、あったかいヤツを。
「気が利くね」
 受け取ったときに触れた、先生の指の冷たさに驚いた。
「寒いの、ずいぶん我慢してたんじゃないですか」
「いや、そうでもない。お酒飲んだら温もるのはわかってるんだけど――車なんでね。実は最初から飲んでないんだ」
 素面であの女子連中のテンションと合わせていたのか。そりゃ疲れるだろ……。
「紺野くんも、飲んでないの? あまり酔ってないね」
「昼間っから、ずーっと飲んでますよ。けっこう酒に強いみたいで、なかなか酔わないんですよ、オレ」
 だから、機嫌よすぎて壊れていくみんなの状態がよくわかる。確かに寒いし、そろそろ場所を移した方がいいかも。先生以外の女子も、特に飲めない子は寒そうにしている。幹事役の元委員長も、すっかり酔っ払って、とても場を仕切るどころじゃなさそうだ。
 なんとなく先生と二人、並んでひっそりと会話した。上着とお茶をやりとりしている間に、周囲の会話から置いていかれていた。

「――いつから付き合ってるんですか、唯人と」
「あれ、紺野くんは嘘だと思わないんだ」
「まあ、アイツとはつきあい長いんで、それくらいはわかりますよ」
 佐々木先生が「唯人」と呼びかけるのは芝居でできるとして、唯人は冗談で先生に向かって「千代」なんて言えるタイプではない。尊敬している相手には、礼儀を崩さない人間だからな。
「そうか、それで驚かないのか。つまんないな」
「驚きましたよ! ただ……なんつーか、先生とつきあってたことより、唯人がずっとオレに隠してたことの方が……驚いたというか」
 免許とりたてのとき、勢いで九州までドライブしたときだって、二人で夜通し話すネタはつきなかった。別に隠し事のひとつやふたつはあって当然だけど、じゃあ唯人は先生とのつきあいで悩んだとき、誰に相談したんだろう。一人で抱え込んでたりしたのか? 確かに誰にでも話せることじゃないが、オレにまで恋人の正体を黙っていたのは――はっきり言ってショックだった。
「ユイも、本当は言いたかったと思うよ。アタシの立場考えて、誰にも話さなかったんだと思う」
「そうッスかね」
「そうだよ。拗ねるな、拗ねるな。まだまだ可愛いね、君らの年頃は」
 拗ねてなんかいません、と言おうとしたところで、いきなり背中からどかんと体重をかけられて「ぐえ」となった。
「……圭一、千代に近づきすぎ」
 背後からオレに抱きついてきた唯人は、かーなーりー酔っている。耳元でささやかれた言葉は、まるで呪いのようだった。声が笑ってねぇよ、オイ。
「あれ、千代寒いの? ごめん、気づかなかった。車に上着あったのに」
「いいよ、借りたから」
 人に乗っかったまま、無視して会話を続けるのは止めてくれ。胡坐をかいた状態で肩を押さえ込まれ、腕をふるふるさせて耐えていると、不意に唯人の重みが消えた。
「他の男の上着なんか、着たらダメだよ!」
 呂律のあやしい声でそう言うなり、唯人は佐々木先生から上着をとりあげて(っつか、投げたよコイツ、人の服を)、今度は先生を背後からぎゅーっと抱きしめた。
 あー……よく休日の公園とか駅にいるよな、人目もはばからずにこうやって後ろ抱っこ状態のバカップル。男の足の間に女の子がちょこんと座ってるっていう、アレだ。お前ら、自分の家でやれよ! って言いたくなるやつ。

 周囲の視線が突き刺さっていることを知ってか知らずか、唯人は先生の髪に鼻先を埋めるようにして、「これで寒くないでしょう?」なんて言っている。いやもう、嘘とか本当とか、言ってるレベルじゃないから。見せつけすぎだ、馬鹿唯人。
「あったかいけど、窮屈だね。タバコが吸えない」
 先生は強引にふりほどくでもなく、唯人の腕に手を添えて、するりと唯人の腕から抜け出た。途端に傾いだ唯人の肩を引き寄せて、シートの上に横たわるよう促す。唖然としていた周囲に、艶然とした笑みを向けて、どうかしたのかと言う様に目を細めたので、まるで見ているこちらが悪いかのような気になった。みんな、慌てて視線をそらせて、まったく違う話題で会話を再開する。
 正直に言おう、ごく近くで成り行きを見ていたオレは、酔いが冷めそうだった。いや、アルコールじゃないものに酔いそうだ。
「眠いのなら寝ていいよ、酔っ払い」
 そうつぶやいた先生の細い指が、皆の死角で唯人の髪を梳く。それは目の前でキスシーンを見せられるよりもずっと、二人の親密さをオレに知らしめた。



 背中に唯人を背負ったオレの隣を、先生はゆっくりと歩いている。オレのジャケットを羽織ったまま、タバコを咥えて、優雅に。
 月明かりは頼りなく、点々と続く街灯が、駐車場までの道のりを照らしていた。花見の会場を離れれば、あの喧騒が嘘のように静かだった。来たときは満車だった駐車場も、夜更けの今はガラガラだった。
 背中にいる唯人はただ寝息をたて、その夜の空気のなか、オレは黙って歩いていることに飽きた。そういえば、いつからつきあっているのかという問いは、はぐらかされたままだった。
 佐々木先生と呼びかけると、隣の人はわずかにこちらに顔を向けた。タバコの煙が、細く後ろへ流れていく。
「いつから――コイツのこと好きだったんですか?」
 声をたてず、先生が笑ったのがわかった。咥えていたタバコを指で挟む。
「さあ、いつだろう……五年前の夏かな」
 五年前というと、オレたちが……高校一年のとき!? 唯人から、「佐々木先生に告白したけど駄目だった」なんてあっさり告げられたのは、確か高1の夏だった。
 マジですか、と足が止まりかけたそのとき、ククク、と低く先生は笑った。
「なーんて、嘘だよ。信じた?」
 駐車場の暗がりの中、先生の笑みは溶けていく。人をからかうような口調。蛍のように、ただ赤く軌跡を描くタバコの火。たなびく煙は桜の白に混じっていく。駐車場の片隅に、真っ赤なツーシーターの車が停まっていた。
「紺野くんも、気をつけて帰りなさいね」
 そう言ってドアを閉め、唯人を助手席に座らせて、赤いカプチーノは去っていった。

 みなの待つ高台へと戻りながら、足元がふわふわしている気がした。あれだけ飲んで坂道を往復すれば、さすがに酔いがまわる。体も熱い。
 背中から降ろしたとき、唯人の寝顔は幸せそうに笑っていた。眠ってしまった唯人を見つめる先生の目も、優しかった。オレたちが在学中は「氷の女王」なんて影で呼ばれていたのに。
 坂道の途中、息をきらせてカーブを曲がると、桜霞の向こうに時計台が見えた。時刻は午前0時10分。
「エイプリルフール、終わってるし」
 案外わかっていて、先生はあんなことを言ったのかもしれない。
 五年前の夏から卒業まで、二年半も互いに焦らしあって片思いなんて、どこまで似たもの同士なんだか。まあ、癪だから、今日の先生との会話は、唯人には内緒にしておこう。
 男同士の友情、隠し事のひとつやふたつは、あってもいいだろう。


(Love Fool 余話/END)
08.04.20


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