2008年エイプリルフール企画
少年ロマンス
番外編/Love Fool

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 堂々と嘘をつくのは気持ちがいい。
 騙し騙され裏を読む、そんな駆け引きを楽しみましょう。



 駐車場に停めた赤いカプチーノの上に、どこからかひらりと薄紅の花弁が舞い降りた。
 顔をあげると、TOGOの店舗の奥にある小さな公園の桜が盛りだった。花見をする近所の人たちの、楽しげな声も聞こえてくる。
 四月一日の午後、春の日差しに包まれた街は、陽気だった。
 いつものように、カランとドアベルを鳴らして店に入ると、香織さんがすぐに気付いて笑顔で迎えてくれた。
「千代さん! いらっしゃい」
「こんにちは。座れる?」
「うん、今日はテイクアウトのお客さんが多くて、カフェの方は空いてるの。お客さんも一段落したところだから、ゆっくりしていって」
 いつものコロンビアを頼んで、窓際の席に座った。
 今日は本当にいいお天気で、外の方が暖かいくらい。確かに、店内でコーヒーを楽しむより、ケーキを買って桜の下でお茶する方が気持ちよさそうだ。お客が少ないのも頷ける。三人ほどいる先客も常連さんばかりのようで、店長や香織さんとにこやかに言葉を交わしていた。

 静かに窓の外を眺めていると、パティシエの秀忠さんが、自らコーヒーを持ってきた。トレイには、湯気をたてるカップが二つ。彼はそのまま私の対面に腰掛けると、「休憩中なので、ご一緒させてもらいます」とニコリと笑い、黒いエプロンの腰紐を外して膝に置いた。
 香織さんならともかく、秀忠さんがこんな風に仕事中にテーブルにつくことは珍しい。まあ、店が暇で、なおかつ休憩中という条件が揃ったせいかな。普通なら店長の和代さん(言うまでも無く、唯人のお母さんだ)が怒りそうなものだけれど、今日はちらりと視線を寄越しただけで、黙認しているようだった。
 唯人の義兄である目の前の男、河野秀忠氏は、見た目は唯人と真逆と言っていい。逞しい体と、いかにも無骨そうな厳つい風貌。メレンゲを泡立てるよりもスコップを握った方が様になるだろうと想像するけれど、彼は紛れも無くこの店の繊細なケーキを作り上げるパティシエだった。妻と娘を愛してやまない、そして唯人のことも本当に大事に思っていて、その恋人であるアタシのことも、既に家族同然に扱ってくれる。
 あ、でも、人懐っこくて、こちらの警戒心を薄れさせるところは、唯人と一緒だな。お酒も強いので、いつの間にか飲み仲間になっていた。

「もう引越しの荷物は片付いた?」
「ほとんどは。元々、荷物も少なかったので」
 実は、春から新しい学校へと異動になったので、一昨日引越しをした。
 新しい赴任先も、今まで暮らしていたマンションから通勤できない距離ではなかったのだけれど、もう少し広い部屋に住みたいと考えていたところなので、ちょうどいいタイミングだったのだ。
 服部さんは「学校変わっても一緒に飲むんだからねぇー!」と離任式後の飲み会で思い切りアタシに抱きついて周囲を沸かせた。別の学校に赴任する矢野クンもそれに倣って「学校変わってもデートしような」と人のタバコにホストのように火をつけ、若手の女子教員を叫ばせた。
 音楽教師の悪ふざけっぷりは、最後まで変わらなかったね。肩を組んできたときに、「辻にチクるよ」と言ったら、固まってたけど。あの二人も相変わらずだ。
 まあ、どのみちお互いの赴任先も近いから、相変わらず時々集まって食事をしたりすると思う、きっと。
 散々騒いでた裏に、寂しい気持ちが隠れていると、それぞれわかっていた。

 数日前の馬鹿騒ぎを思い出していると、秀忠さんが急に口元をニヤッと歪めた。
「そういえば、昨日の夜、唯人が急に人のとこに来て―――『婚約って、どうやってするの?』って訊いてきましたよ」
 思わずコーヒーにむせそうになった。動揺を隠して窓の外に視線を向けようとしたけれど、目の前で楽しげに見つめられてはいつまでも逃げられない。
 さっきから店長や香織さんまでちらちらこっちを伺ってると思ったら、こういうことか。筒抜け家族め。
 こっちは内心、「昨日唯人に何かしたっけ? キスマークも見えるトコにはつけてないし、ちゃんと日付が変わる前に帰したはず」なんて考えていたのに。
「……秀忠さん、面白がってますね」
「いや、千代さんと唯人がどんな会話してるのか、いまだに謎で。
 今日もアイツ、出かける前に嬉しそうにキーケース眺めてましたよ。新しい部屋の鍵もらったって、ニコニコして。今日の花見も上機嫌で行きました」
「ああ、高校の頃の友達と集まって、花見するって言ってましたね、そういえば」
 学生は春休みだ。二年制の学校に通ってた子は、地元に帰ってきてるだろうし、もう就職してる子もいるだろう。久しぶりに昔の友達に会えば、テンションも上がるね、きっと。
 昼間に集まれる人間で場所取りして、夜が本番と言ってたけど、昼も少人数で楽しんでいるに違いない。はしゃいでいる唯人の姿が目に浮かんだ。
「それでね、実は、ちょっと千代さんに協力をお願いしたいことがあって……」
 秀忠さんの肩越しに店長と香織さんのにこやかな顔とぶつかって、アタシはイヤな予感がした。
 正確には、面倒事の予感、だね。



 三十分後、アタシは東郷家の居間で香織さんと向かい合ってクッキーをつまんでいた。店舗の裏手にあるこの家の窓からは、公園の桜がよく見える。二階のベランダに出るだけでお花見可能。晩酌には最高だ。
「さすがに気づくと思うよ。無理がありすぎる」
「いーの、いーの! 千代さん絡みだったら、あの子余裕無くすから」
 あの子というのは、もちろん唯人のことだ。
 アタシは膝にのぼってくる杏奈ちゃん(もう少しで二歳になる、香織さんと秀忠さんの娘)を抱っこして、複雑な気持ちで紅茶をひとくち飲んだ。

 言われて気づいたエイプリルフール。
 四月一日が何の日か、忘れていたわけではないが、まさか家族が結託して、誰か一人を騙すなんて家庭があるとは、思いもしなかった。
 東郷家の恒例行事なのだそうだ。いわば身内によるドッキリ。他愛のない嘘で、大抵は嘘をつかれた方も途中で気づくらしい。去年は、単身赴任中の唯人のお父さんがターゲットだったそうだ。
「韓国ドラマにハマったお母さんが、店を長期休業して韓国に行くって言い出したの! お父さんなんとか止めて!」という香織さんの電話から始まって、上手く話しを運んで、駅にいた店長とお父さんを会わせて、そのままネタバラシをして、両親を一泊二日温泉旅行に送り出したという……まあ、楽しそうな話だ。
 それで今年は、唯人がターゲットオン。唯人本人は今年のターゲットは秀忠さんだと思い込んでいるようだ。店長と香織さんが、事前の家族ミーティングでそう吹き込んだというのだから恐ろしい。
 さっき、TOGOのカフェでコーヒーを飲み終わった後、秀忠さんはすぐに唯人に電話を入れた。
「千代さんが事故にまきこまれたって、ウチに連絡があった! すぐ家に帰ってこい!」
 なんか事故原因とか、適当に嘘を並べてたけど、あれで信じたら逆に驚く。メチャクチャだった。こんな真昼間に橋から川に落ちるって、どんな事故だ、ソレ。電話を聞いてた店長も香織さんも、一人だけ残ってた常連さんも、笑いをかみ殺すのに必死だったもの。
 アタシが命じられたのは、唯人からの電話に出ないこと。せっかくなので、晩御飯を食べて帰って下さい、の二点。まあ、嘘だと思っても、唯人は心配して一度店に顔を出すだろうな。そういう人間だ。
「唯人は、慌てて帰ってくるかな、呆れて帰ってくるかな。千代さんは、どっちだと思う?」
「呆れて帰ってくるに一票。本当に怪我してるなら、まず病院の名を言うだろうし、私からも唯人に連絡するよ。それぐらい気づくでしょう」
「うー、やっぱりそうか。もう少しリアリティが―――」
 頭上が急に騒がしくなった。店の厨房に続いている二階の渡り廊下あたりで人の声。いや、窓開けてるから丸聞こえですよ。紛れも無く、唯人の……焦った声。

「だから! 千代はどこにいるんだよッ、義兄さん! 家のほうに顔出せばわかるって、どういうこと!? 怪我の程度が軽いから、ウチで手当てしたの? なんで病院に連れて行ってないんだよ!?」
 ものすごーく切羽詰った声に、状況は読めた。
 一ミリも疑ってない唯人クンは、嘘だと気づかずに速攻で帰ってきて、その慌てぶりと剣幕に、「嘘でーす」と言うタイミングを逃したんだな……秀忠さん。
 一瞬目を見開いた後、嘘でしょうとつぶやいて笑いそうになった香織さんは、アタシの冷たい視線に慌てて真顔になった。
「お、怒るかな」
 怒るでしょうよ、と答える前に、敏感に空気を感じ取ったのか、腕の中の杏奈ちゃんが泣き出した。その声に呼ばれるように、階段を駆け下りてくる足音が響いた。何の言葉を用意する間もなく、階段の最後五段を飛び降りて、勢いよく唯人がリビングにとびこんできた。その髪が汗で濡れているのがわかる。頬が真っ赤なのも。
「千代!」
 膝で滑り込むようにアタシの側にしゃがみこんで、がしっと人の肩を掴む。
「大丈夫……そうだね。あれ?」
 本気で首を傾げている唯人に、小さくため息をついた。香織さんは、杏奈ちゃんを抱えて、そおっと部屋を出て行こうとしている。逃がすか!
「ユイ、今日が何の日かわかるよね?」
 次の瞬間の唯人の豹変に、日頃温和な人間を怒らせると、本当に怖いなぁと―――しみじみ思った。



 静かな声で「どういうことか説明してよ、まさかこんな性質の悪い嘘を計画してたとか言わないよね、千代まで協力したとか言わないよね?」なんて問い詰められるとは思わなかった。怒って喚くかと思ってたのに、びっくりするぐらい淡々と。それが余計に堪えた。
 唯人は冷たい目のまま微笑みを浮かべて、「僕はもう嘘つきとは話さないから」と杏奈ちゃんを抱いて自分の部屋に引っ込んでしまった。店長は「ほっといていいわよー、拗ねてるだけだから」とあっけらかんと仕事に戻った。秀忠さんも香織さんも、ドア越しに「ごめん」と伝えて店に。
アタシはそのまま帰る気にもならず……夕暮れの冷えつつある空気の中で、唯人の部屋のドアを開けた。

 ベッドの上に二つの影。唯人の隣、ベッドの端っこで、杏奈ちゃんはすぅすぅ寝息を立てていた。唯人も目を閉じている。でも、きっと眠っていない。アタシの気配をさぐっているのがわかる。知っていて、じっと窓際で立っていた。外の桜を眺めていた。
 そろそろと太陽が沈んでいく。薄闇に浮かぶ桜は既にライトに照らされていて、誇らしげだ。
「……嘘つき」
 我慢できずにつぶやいた唯人に、安心した。声は半泣きだけど。
「嘘つきな先生は、嫌いです」
「心配したの?」
「した」
 わざと『先生』と呼んでおいて、人の呼びかけには素直に応じるんだから。
 ベッドに腰掛けて唯人の肩に手を触れた途端に、伸びてきた腕につかまった。蜘蛛が獲物を捕らえるように、強い力でがんじがらめにされる。少し背中が痛かったけれど、我慢した。
「電話かかってきたとき、圭一たちと一緒にいたんだ。それは冗談だろって言われたけど、僕は違うって言い切って帰ってきた。千代がそんな嘘につきあうはずないだろ! って」
 囁く唯人の声が耳元から首筋に降りていく。吐息だけじゃなく、唇が直接喉に触れた。
「―――まだ言うつもりなかったのに……みんなにバレた、千代のこと」
 ごめん、と悔しげに背中を丸めた唯人の肩を抱く。落ち込んでたのは、それのせいか。指先に触れた唯人のうなじは、汗が冷えてひんやりしていた。なんだかもう、どんな態度をとっていいかわからなくなる。謝るつもりでここに来たのに。
 ベッドから落ちないように、杏奈ちゃんを起こさないように、しばらく黙ったまま、じっと抱きしめあっていた。窓の外が闇色になった頃、顔を上げた。唯人も体を起こした。

「お花見の途中で抜けてきたんでしょう。送ってあげるよ」
 さっきから、唯人の携帯が何度も震えていた。きっと花見のメンバーからの呼び出しだ。
「でも、みんなが」
「なんなら、二人で乱入する? 別にいいよ。もう卒業してるんだから、隠すことでもないでしょうが。それとも、アタシを紹介するのは恥ずかしい?」
「いや、むしろ自慢したい!」
 一気に明るくなった唯人を促して部屋を出た。杏奈ちゃんはそのまま寝かせて、車に向かうときに、香織さんに声をかけておいた。
 すっかり夜になった街のあちこちに、ふわりと浮かびあがるように桜が咲いていた。このまま唯人と夜桜の中を歩くのもいいなと、ちらりと思ったけれど、今日は隣で浮かれている唯人につきあうとしよう。
 助手席で唯人は携帯を手にしている。エンジンをかけている間に、「今から行く」と話していた。
「千代も連れて行くから。え? 嘘じゃないって、美術の佐々木先生!」
 静かな車内に、受話器越しの声が聞こえる。ざわざわとうるさい人ごみの中、声を張り上げているのは誰だろう。唯人と同じクラスだった紺野君かな、大笑いしているせいでよくわからない。
 ちょいちょいと指だけで唯人を招きよせて、その手の中の携帯に唇を寄せた。
「本当に行くから、よろしくね」
 反応を待たずに通話を切ったら、唯人が「相変わらずイタズラ好きだなぁ」と共犯者の笑みを浮かべていた。その後夜桜の下で開かれた宴は大変な盛り上がりをみせ、アタシは久しぶりに顔を合わせたかつての教え子たちと、笑顔で乾杯を繰り返した。  

(Love Fool/END)
08.04.01


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