少年ロマンス 番外編/You're My Only Shinin'Star(4) ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
駅から出ると、粉雪が舞っていた。今夜は冷え込む。 気を抜くと際限なく思考が悪い方へと傾く。落ち込むのが嫌で、景色に色を重ねた。想像の中で筆は夜空を描き出す。闇の色。紺、藍、星の白、月明かりに浮かぶ雲の輪郭。今日の空は、雲に覆われてただの闇。星の光ひとつもない。 濡れたアスファルトを蹴るように歩いていくと、ウチのマンションが見えた。雪の夜だ、人気はなかった。マンションの敷地に足を踏み入れようとして、いつもと違う景色に気付く。 動くものはない。 微動だにせず、花壇の脇で立ち尽くしている男がいた。アタシに気付かずに、空を仰いで白い息を吐いている。 「ユイ」 考えるより先に、名前を呼んでいた。 こちらの思惑も、策略も、狡さも何も知らずに、唯人はこっちを向くなり「許してくれないならすぐ帰る」と、ふざけたことを言った。本当にふざけている―――アタシが、どれだけ待ったと。 けれど言葉は出てこなかった。人が一番寂しいと思ったときに会いにくるなんて、どんな予知能力だ。 抱きとめてくれた腕が、耳元で囁く声が懐かしくて、思考能力が奪われる。無くすかもしれないと一瞬でも危惧した場所。そして、もう二度と手元に戻ってこないと覚悟していたピアスを、唯人が目の前に差し出したから。 「……駄目だ」 子供っぽくてもここぞというところで弱気でも、キスより先にピアスを差し出してくる間抜けでも、唯人がいい。会いたいと声に出さなくても、心の中で百回願ってた。 寒さに頬を赤くして、それでもにこにこと笑っている唯人に手をのばす。 抱きとめられた瞬間、砂が水を吸い込むように、自分が唯人を受け入れた。思っていたより、ずっと限界だったようだ。欲しかったのはこの声や腕や体温。鼻先に感じる甘ったるいバニラの香り。厚いコートの生地が邪魔で仕方ない。 久しぶりに会ったというのに唯人は余裕の笑みで、アタシはそれが気に食わなくて、傘も年上のプライドも投げ捨てる。 我慢する性分じゃない。だから、本能の赴くままに口づけた。 雪の中で、ぼーっと待っていたらしい唯人は、顔も手も冷たくなっていた。アタシは自分の部屋に唯人を引っ張り込むと、一通り馬鹿じゃないのかと罵って着替えを投げつけた。 「だいたい、来るのが遅い! 人の言うこと、一から百まできいてるんじゃないよ。本当にアタシと離れたくないのなら」 ―――あんな風に、八つ当たりみたいに抱くくらいなら。手放したくないと言うのなら。「好きだ、どこにも行かないで」と、切なげに繰り返すぐらいなら。 「何回無視されたって家の前で待つぐらいしなさいよ、根性無し! 会いたいってあれほどメール寄越す前に、無視されようが冷たくされようが、夜討ち朝駆けで会いにくればいいでしょうが」 来るなと、命令したのはアタシだ。 合鍵とりあげて、捨て犬みたいに座り込んでた唯人を、無言で追い出したのも。 「……そんなこと、思ってたんだ?」 「そうだよ……それで、こんな理不尽なこと言われてなんで笑ってんのよ、アンタは」 対等なんてただの理想。わかってるけれど。二十歳にもなってない学生の唯人に、そこまで望むのは酷。いきなり同じ目線に並んで欲しいなんて。それこそアタシの我侭なのに。けれど、けれど。 千代、と名前で呼ばれても。 いくら抱かれても側にいても君はいつだって心の片隅でアタシを『先生』だと思っていてそれに気づきもしないでアタシばかりが届かない距離を感じてこんな風に焦れて焦れて君に理想を押しつける。 「―――いい加減にしろって、怒りなよ」 濡れた服を脱いで、アンダーシャツだけになった唯人が、座ったままアタシを見上げる。 「怒れないよ。やっと、会えたのに」 引き寄せられて、そのまま唯人の腕が腰にまわる。こっちは立ったままなので、お腹のあたりに頬をおしつけられて、こそばゆい。高ぶっていた感情が静まると、今度は変に客観的に自分の行動を振り返って、わずかな後悔に襲われた。 まあ、離れたままより、ずっとマシだ。 唯人の髪を指先で梳いていると、不意に彼の手が服の中に入ってきた。 「千代だって、体冷えてるよ」 ウエストから上へ移動する手の動きで、なんとなく会話の先が読めて、唯人の額を爪ではじく。 「わかってるから、さっさとお風呂入っておいで。着替えなら、さっき」 話している間にブラのホックが外れた。いたずらを諌めるように、ぐいと唯人の肩を押し返すと、逆にその手をつかまれた。 「さっき千代が言ったんだよ、言うこときかなくてもいいって」 可愛い笑顔の裏で、舌を出しているんじゃないだろうか。ぐっと言葉に詰まったアタシにとどめを刺すように、唯人は立ち上がって耳元で囁いた。 「今日は、ほんのちょっとの時間も、千代と離れたくないな」 ……流されるように一緒に浴室に連れて行かれたのも、今回ばかりは仕方ない。 入浴剤で白く濁った湯船に、二人で身を沈めた。狭いので、唯人の胸に背中を預けるような格好になる。 「跡がのこらなくて、よかった」 人の裸をまじまじと眺めて、唯人が小さくつぶやいた。さすがに一ヶ月も経つと、鬱血も消える。水面下で肩から腕を撫でていく指は、少し遠慮がちだ。 「……あの店で一緒にいた人のこと、知りたい?」 振り返ると、湯気の中で唯人が素直に頷いた。 「あの人は、佐々木甲斐。従兄弟だよ。仕事でこっちに来てるっていうから、久しぶりに食事しようって話になっただけ」 「従兄弟、だったんだ―――勘違いして、ゴメン。千代がすごく幸せそうに笑ってたから、僕としてはショックで……そっか、従兄弟かー」 「アタシ、そんなに嬉しそうだった?」 「うん。僕といるより、ずっと笑ってた気がする」 よほど落ち込んでいるのか、肩に頭をのせてきた。それも、思い切り首をひねって、頬に唇を押し当てるとすぐに浮上した。 ―――あの日、甲斐に話した内容といえば、唯人のことがほとんどだった。甲斐が唯人のことばかり訊いてきたのだ。一緒に旅行したときの話や、唯人の家族と一緒に初詣に行ったこと、唯人が働いているケーキ屋の話。甲斐が本気で『TOGO』に挨拶に押しかけそうだったので、「そんなことしたら二度と会わない」と釘をさしたくらい。 アタシがずっと一人だったことを、甲斐はいつも心配していた。かつての恋愛感情のカケラもなく、本当の兄のように「毎日楽しそうだな、千代」と、柔らかく笑んだ。まあ、従兄弟といいつつ、本当に兄妹なのだけれど。 あのとき笑っていたのは、ずっと君のことを考えていたから……なんて言ったら、更に有頂天になりそうだから、唯人には黙っていよう。 いつか彼に会えるかなと言った甲斐に、「たぶん」と答えたことも。 唯人の寝起きは、いつまでたっても悪い。アラームが鳴ってる携帯を、半分寝ぼけたまま、唯人の手が止める。そのまま携帯を握りしめて二度寝。 アタシは部屋着の上にカーディガンを羽織って、ベッドの端に腰掛けた。それにしてもあちこちが変な具合に筋肉痛だ。やっぱりお風呂は、ゆっくり疲れを癒す場所で、それ以外の用途には適していないようだ。狭いしね。 唯人の柔らかい髪が、あちこちにはねている。観察されていると知ってか知らずか、一生懸命起きようとしてはいるのだろうけど……ううん、と小さく声を漏らして、そのまま瞼は開かないのだった。 「唯人」 ううー、という唸り声は、一応返事のつもりらしい。黙って見ていると、また小さく寝息が聞こえてきた。 ―――目が覚めるようなことを、言ってやろうかな。 可愛い恋人のまま、ずっとこのままでもいいけれど。 「ねえ、ユイ―――結婚しようか」 耳元で囁くと、「ふぁ?」と欠伸のような声。うつぶせのまま、顔だけでこっちを見て、気だるげに何度か瞬きを繰り返して……唯人は、突然がばっと起き上がった。再びアラームが鳴り始めた携帯を放りだして。 「千代、いまの」 「ん、起きたね。よろしい」 かがんで軽く口付けて、アタシはひらりと背中を向けた。キッチンでお湯が沸いている。いいタイミングだ、唯人にコーヒーを淹れてもらおう。 「千代! さっきの、あの、本当に」 毛布ごとベッドから落ちた唯人が、立ち上がろうとして毛布に足をとられていた。まるで網にかかった魚のようだ。 「……冗談だって」 「冗談で言うことじゃないでしょう! ちょっと待ってーッ!」 アタシは唇の端に浮かぶ笑みを隠しもせずに、倒れたまま服を探す唯人を眺めていた。ピーピー鳴るやかんを口実に、容赦なく扉を閉める。薄い扉の向こうから、声が追いかけてきた。 「―――そのうち、ちゃんと僕から言うからね!」 だからね、それが甘いんだって。 「そのうち、ねぇ……」 今言ったら、気まぐれに頷いてもよかったのに。 コーヒーカップをあたためるために、お湯をそそいで、くすりと笑ってしまった。 また、「卒業したら」と言うつもりだろうか。次の約束をいつ言葉にするのか、せいぜい期待せずに待ってましょうか。 慌てて着替えているのか、ドアの向こうがうるさい。たぶん顔を赤くしてでてくるだろう唯人を思って振り返ると、耳元でふたつ揃った星のピアスが、小さく揺れた。 (You're My Only Shinin'Star/END) 08.02.27 |