少年ロマンス
番外編/You're My Only Shinin'Star(3)

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【Side:Y】

 カランと店のドアが開いて、入ってきたのは大学で知り合った友達だった。クリスマス前に居酒屋で恋愛相談してきた、例の女の子だ。
「唯ちゃん、お勧めのケーキふたつ選んでー。一個は甘くないヤツ。テイクアウトで」
 近づく僕に気付いて、彼女は満面の笑みでそう言った。
「彼氏へのお土産?」
「うん! いろいろ話を聞いてくれてありがとう、おかげで仲直りできました」
 えへへ、と頬を染めて彼女は小さくお辞儀した。良かったねと笑い返して、僕は彼女の隣に並んで、ケーキの説明をはじめた。

 彼女の相談の内容は、彼氏から別れ話をされてどうしたらいいのかわからない、というものだった。無断で携帯をチェックしたらすごく怒られて、もう別れるとまで言われて、納得できないという……よくある、ちょっと困った話。
 僕は客観的に見て、どっちも過剰反応だと思った。彼氏に女友達から電話がかかってきただけで疑心暗鬼になって、過去のメールまで勝手に見たこの子もやりすぎだし、それだけで「別れる!」って逆上した恋人も極端だ。ただ、彼にとって許せないことだった可能性は高いから、僕にはどっちが悪い、という話はできなかった。
 どうしてそんなことする前に、直接話さなかったの、と彼女に尋ねた。
「……好きな相手だから話せないことって、あるでしょ。嫉妬深いって知られたくなかったの。結局バレちゃったけど」
 私なら携帯チェックされても平気、だから謝る気はない、と彼女は唇をとがらせた。その後いろいろ話をしたけど、内容はあまり覚えていない。ただ彼女を愚痴を聞いては、やんわりと棘を削っていっただけだ。僕自身が他人の恋愛にかまけてる場合じゃなくなって、その後のことを特に聞いていなかったから、今の明るい彼女の様子が嬉しかった。
 姉さんがケーキを手際よく箱に入れていく。僕がおまけでクッキーを二枚つけて、と言うと、隣に立った彼女が、「ありがとう」と、はにかんだ。
「唯ちゃんみたいに、さりげなく優しくできたらいいのになぁ。
 この前話したときに、私、愛情だって押しつけたらダメになっちゃうんだ、って思ったの。私が平気だから、彼も平気なはず。怒るのは後ろめたいからだって疑って。心のどこかで、全部許してくれて当然だと思ってた。
 両思いだからって、安心してたらダメなんだよね……いつだって、相手を大事に思わないと」

 店を出て行く彼女に手を振った。
 ―――言われた言葉が、耳に痛かった。
 わかったようなことを言って、僕自身ができていない。千代の一番近い場所にいる人間は自分だと、それを嬉しく誇らしく思っている自分がいる。だからといって、千代に『僕の知らない大事な誰か』がいることに、失望してはいけなかった。
 千代の世界と僕の世界は完全に重ならない。むしろ、ただ一部が重なっているだけだ。
 少し前まで、千代に会ったら、どうしてあんなことをしたのか説明しようと思っていた。そんなことに意味は無い。許して欲しい僕の、ただの言い訳を千代に告げてどうなるだろう。僕が告げるべきは、謝罪の言葉。

 この一ヶ月、千代はどんな時間を過ごしたのか。考えると胸が苦しくなる。
 去年は一緒に過ごしたクリスマス、お正月。今年、千代は一人でその時間を過ごしたに違いない。
 彼女が長期の休みでも実家に帰らない理由を、僕は知らない。家族がいないわけではないらしいけれど、あまりよい関係だとは思えなかった。僕が知る限り、連絡をとっているようにも見えない。
 そういう事情を、千代はひとつも口にしない。言いたくなさそうだから、僕も訊かない。ただ、一人で平気な人間なんていないと知っている。寂しくないというのは、強がりか、慣れだ。千代の場合は後者だと思う。高校の頃、クラスの女子が千代を「背中が凛々しくて綺麗」なんて、語っていた。その凛々しさには、少しの寂しさがいつも混ざっていた気がする。
 だから、千代の笑顔は―――いつもどこか冷めていて。
 子供みたいに無邪気に笑える時間を、僕があげたいと思っていた。なのに、僕じゃない人の前で、無防備に笑ってた。僕はただ悔しかったんだ。本当なら、千代にそういう……心開ける相手がいたことを、こんな風に感じたくはなかった。良い子のフリだと言われても。

 千代と会えなくて、僕は寂しい。しばらく会いたくないと言われて、すごく悲しかった。
 今朝も、何度謝っても許してくれず、千代から「もう二度と会わない!」と宣言される夢を見て、飛び起きて泣きたくなった。その前は、二人で仲良くケーキを食べて、千代の膝で甘える夢を見て、違う意味で泣きたくなった……膝枕なんて、してもらったことないです……。
 溜め息をつきかけて、仕事中だということを思い出した。
 入ってきたお客さんをテーブルに案内して厨房に顔を出すと、遅番でバイトに入ってきた前村が、何か言いたげな眼差しで僕を見ていた。



 イベントでもない限り、『TOGO』は夜八時に閉店する。
 店内の清掃を終えて、カフェエプロンの腰紐をほどいていると、前村が寄ってきた。去年の今ごろからバイトに入った前村千尋は、僕より二つ年下の高校三年生。美術部の後輩でもある。

「唯人先輩、これ、誰の物かわかります?」
 厨房横のロッカー室、彼女の指先で揺れていたのは、小さな金色のピアスだった。見たことがあるどころか。
「……佐々木先生のだよ」
 店で拾ったのだとばかり思って、僕は彼女から受け取ったピアスを眺めた。
 千代の落し物? でも、ここしばらく来てないのに。
 考え込んでいると、前村は唇の端だけで笑って見せた。ちょっと意地悪に。
「今日、用事があってちょっと学校に寄ったんですけど、その帰りに、南門のところで見つけたんです。ホラ、先生たちがよくタバコ吸ってるところ。校内で持ち主探そうにも、授業中だったし、私も時間なかったから、そのまま持って帰ってきちゃって。
 ―――やっぱり、千代ちゃんのなんだ」
 前村は含みのある言い方をして、慣れた仕草でエプロンを脱いだ。シャツの上にベストを着て、コートを羽織って、マフラーを首にまきつける。その間、僕は何も言えずにいた……このピンチ、どうすればごまかせる?
「先輩」
 呼ばれて反射的に顔をあげると、前村は頬を膨らませて、ちょっと眉を上げた。
「あのねぇ、そんなカオしないで下さい! 言いふらしたりしませんよー。
 唯人先輩が在学中に千代ちゃんラブだったのは知ってたから、もしかして? って思っただけです。先輩、最近、彼女とケンカしたってヘコんでたでしょ? 思い返したら、同じ頃から千代ちゃんも元気ないような気がして。案の定、カマかけたら先輩固まっちゃうんだもの。
 私、もう卒業式まで学校行かないんで、そのピアス千代ちゃんに渡しておいて下さい」
 お疲れ様でした! と笑顔をみせて、前村は帰ってしまった。
 
 もう一度、手の中のピアスを見た。
 間違えようもない。これは二年前、僕が卒業した日に千代に渡したものだ。すごく悩んで悩んで、やっと選んだデザインだから、よく覚えている。
「千代―――元気なかった、のか」
 そういえば、去年のバレンタイン、千代は風邪をひいて寝込んだんだった。なのに僕に内緒にして無理して……。
 ―――会いにいこう。
 追い返されても、睨まれても、怒鳴られてもいいや。声を聞けなくても目を合わせてくれなくてもいい。
 千代の顔が見られるなら。



 千代のマンションの駐輪場で、バイクにもたれて、ぼうっと空を見上げていた。
 日が暮れた頃は綺麗な星が見えていたのに、いまは真っ暗な空から、ひらひらと雪が降っていた。小さな雪の粒はアスファルトに触れた途端に溶けて、積りそうもない。
 もう九時がこようとしているのに、部屋に明かりはなかった。コンクリートの花壇に座っていると、冷え込んで、手の先がかじかんでくる。ただ千代を待っているこの状況は、ストーカーと呼ばれても否定できないので、ちょっと肩身が狭い。
 もしかしたら、千代、今日は用事があるのかもしれない。夜中に帰って来るのなら、ここで待っててもせいぜい風邪をひくだけだ。冷えて感覚が無くなった指で、携帯を開いた。電話をとってくれなくてもいい、ピアスのことだけ留守電に入れておこう。
「うー、さむ……っ」
 肩をすくめて無意味に足踏みをくり返した。動いてると、少しだけ寒さがやわらぐ気がする。
 いざ電波をつなげるべく、千代の携帯番号を呼び出して―――なのに、通話ボタンが押せなかった。
 空を仰ぐ。

 冬の夜は、本当に空気がキンキンと冴えていて、頬や鼻先が痛くて、勝手に涙が滲んで目に膜を作る。冷たい空気から身を守ろうとする、本能。本当のことを見なくてもいいように、しているような。
 毎日電話して、メールして、でも返事をくれない千代。ひとかけらの声も聞かせてくれない。
 もう何度目かわからないのに、僕は、またこの電話も空振りに終わるだろうという予感に、心が萎えそうだった。拒否されることに、慣れない。さっきまでへっちゃらで、ここまで会いに来たというのに。
 寒さのせいで心細いのか、心細いからこんなに寒いと感じるのか―――そんなことを考えていると。
 
「ユイ」

 不意に名前を呼ばれて、僕は振り返った。
 道路の街灯の下、千代が傘をさして立っていた。どんな顔をしているのか、影になってよく見えない。
「ごめん、勝手に会いにきて。まだ許せないって言うなら、すぐに帰るから―――」
 傘をその場に投げ捨てた千代が、なんだか怖い顔で大股に歩いてきた。その迫力に思わず後ずさりそうになる。ごめんなさい、と口走りそうになる。けれど、僕は決心してきた。今度会ったら、謝罪といっしょに、もうひとつ、絶対言わなきゃと思ってたこと。
 千代が僕を嫌いになっても、呆れられても、僕は。
「―――わっ」
 別れるつもりはないから! と言おうとした矢先、最後数歩を駆けた千代の体がぶつかってきた。というより、勢いをつけて飛びつかれた。たたらを踏む。
 首に腕をまわして、ぎゅうっと抱きついてくる千代を、反射的に抱き返す。ふと視線を下げると、千代の左耳であの星のピアスが揺れていた。右耳には何もない。やっぱり千代が落としたものだったんだ。
 雪で湿った千代の髪に頬擦りして、僕は軽く、千代の右耳に唇を押し当てた。腕の中で、わずかに千代の体が硬くなる。
 言葉なんて信じるんじゃなかった。千代がいくら「会いたくない」と言ったって、その表情が、行動が「全部嘘です」と語っている。「会いたい」なんて素直に言う人じゃない。何年もこの人を見つめてきたのに、僕はどうしてもこの人の上辺に迷ってしまうんだ。天邪鬼だって知ってるのに。
 ―――この人は、僕が来るのを待ってたんだ。
 そう確信すると、肩から力が抜けて笑いたくなった。胸の中に、ぎゅっと千代を抱きこむ。

「元気だった?」
 うん、と耳元でくぐもった声がした。
「ピアス、片方どうしたの」
「……無くした」
 消え入りそうな声。語尾が揺れていた。僕はポケットの中から、ハンカチに包んでいたピアスを取り出した。
「ここにあるよ」
 街灯の明かりでも見えるように、手のひらにのせて差し出すと、千代は一瞬目を細めて何かつぶやいた。
 何を言ったかわからなくて、聞き返す。千代は何も答えてくれず、ピアスごと僕の手をぎゅっと握りしめて、キスで僕の唇を塞いだ。


08.02.21


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