少年ロマンス 番外編/You're My Only Shinin'Star(3) ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
イベントでもない限り、『TOGO』は夜八時に閉店する。 店内の清掃を終えて、カフェエプロンの腰紐をほどいていると、前村が寄ってきた。去年の今ごろからバイトに入った前村千尋は、僕より二つ年下の高校三年生。美術部の後輩でもある。 「唯人先輩、これ、誰の物かわかります?」 厨房横のロッカー室、彼女の指先で揺れていたのは、小さな金色のピアスだった。見たことがあるどころか。 「……佐々木先生のだよ」 店で拾ったのだとばかり思って、僕は彼女から受け取ったピアスを眺めた。 千代の落し物? でも、ここしばらく来てないのに。 考え込んでいると、前村は唇の端だけで笑って見せた。ちょっと意地悪に。 「今日、用事があってちょっと学校に寄ったんですけど、その帰りに、南門のところで見つけたんです。ホラ、先生たちがよくタバコ吸ってるところ。校内で持ち主探そうにも、授業中だったし、私も時間なかったから、そのまま持って帰ってきちゃって。 ―――やっぱり、千代ちゃんのなんだ」 前村は含みのある言い方をして、慣れた仕草でエプロンを脱いだ。シャツの上にベストを着て、コートを羽織って、マフラーを首にまきつける。その間、僕は何も言えずにいた……このピンチ、どうすればごまかせる? 「先輩」 呼ばれて反射的に顔をあげると、前村は頬を膨らませて、ちょっと眉を上げた。 「あのねぇ、そんなカオしないで下さい! 言いふらしたりしませんよー。 唯人先輩が在学中に千代ちゃんラブだったのは知ってたから、もしかして? って思っただけです。先輩、最近、彼女とケンカしたってヘコんでたでしょ? 思い返したら、同じ頃から千代ちゃんも元気ないような気がして。案の定、カマかけたら先輩固まっちゃうんだもの。 私、もう卒業式まで学校行かないんで、そのピアス千代ちゃんに渡しておいて下さい」 お疲れ様でした! と笑顔をみせて、前村は帰ってしまった。 もう一度、手の中のピアスを見た。 間違えようもない。これは二年前、僕が卒業した日に千代に渡したものだ。すごく悩んで悩んで、やっと選んだデザインだから、よく覚えている。 「千代―――元気なかった、のか」 そういえば、去年のバレンタイン、千代は風邪をひいて寝込んだんだった。なのに僕に内緒にして無理して……。 ―――会いにいこう。 追い返されても、睨まれても、怒鳴られてもいいや。声を聞けなくても目を合わせてくれなくてもいい。 千代の顔が見られるなら。 千代のマンションの駐輪場で、バイクにもたれて、ぼうっと空を見上げていた。 日が暮れた頃は綺麗な星が見えていたのに、いまは真っ暗な空から、ひらひらと雪が降っていた。小さな雪の粒はアスファルトに触れた途端に溶けて、積りそうもない。 もう九時がこようとしているのに、部屋に明かりはなかった。コンクリートの花壇に座っていると、冷え込んで、手の先がかじかんでくる。ただ千代を待っているこの状況は、ストーカーと呼ばれても否定できないので、ちょっと肩身が狭い。 もしかしたら、千代、今日は用事があるのかもしれない。夜中に帰って来るのなら、ここで待っててもせいぜい風邪をひくだけだ。冷えて感覚が無くなった指で、携帯を開いた。電話をとってくれなくてもいい、ピアスのことだけ留守電に入れておこう。 「うー、さむ……っ」 肩をすくめて無意味に足踏みをくり返した。動いてると、少しだけ寒さがやわらぐ気がする。 いざ電波をつなげるべく、千代の携帯番号を呼び出して―――なのに、通話ボタンが押せなかった。 空を仰ぐ。 冬の夜は、本当に空気がキンキンと冴えていて、頬や鼻先が痛くて、勝手に涙が滲んで目に膜を作る。冷たい空気から身を守ろうとする、本能。本当のことを見なくてもいいように、しているような。 毎日電話して、メールして、でも返事をくれない千代。ひとかけらの声も聞かせてくれない。 もう何度目かわからないのに、僕は、またこの電話も空振りに終わるだろうという予感に、心が萎えそうだった。拒否されることに、慣れない。さっきまでへっちゃらで、ここまで会いに来たというのに。 寒さのせいで心細いのか、心細いからこんなに寒いと感じるのか―――そんなことを考えていると。 「ユイ」 不意に名前を呼ばれて、僕は振り返った。 道路の街灯の下、千代が傘をさして立っていた。どんな顔をしているのか、影になってよく見えない。 「ごめん、勝手に会いにきて。まだ許せないって言うなら、すぐに帰るから―――」 傘をその場に投げ捨てた千代が、なんだか怖い顔で大股に歩いてきた。その迫力に思わず後ずさりそうになる。ごめんなさい、と口走りそうになる。けれど、僕は決心してきた。今度会ったら、謝罪といっしょに、もうひとつ、絶対言わなきゃと思ってたこと。 千代が僕を嫌いになっても、呆れられても、僕は。 「―――わっ」 別れるつもりはないから! と言おうとした矢先、最後数歩を駆けた千代の体がぶつかってきた。というより、勢いをつけて飛びつかれた。たたらを踏む。 首に腕をまわして、ぎゅうっと抱きついてくる千代を、反射的に抱き返す。ふと視線を下げると、千代の左耳であの星のピアスが揺れていた。右耳には何もない。やっぱり千代が落としたものだったんだ。 雪で湿った千代の髪に頬擦りして、僕は軽く、千代の右耳に唇を押し当てた。腕の中で、わずかに千代の体が硬くなる。 言葉なんて信じるんじゃなかった。千代がいくら「会いたくない」と言ったって、その表情が、行動が「全部嘘です」と語っている。「会いたい」なんて素直に言う人じゃない。何年もこの人を見つめてきたのに、僕はどうしてもこの人の上辺に迷ってしまうんだ。天邪鬼だって知ってるのに。 ―――この人は、僕が来るのを待ってたんだ。 そう確信すると、肩から力が抜けて笑いたくなった。胸の中に、ぎゅっと千代を抱きこむ。 「元気だった?」 うん、と耳元でくぐもった声がした。 「ピアス、片方どうしたの」 「……無くした」 消え入りそうな声。語尾が揺れていた。僕はポケットの中から、ハンカチに包んでいたピアスを取り出した。 「ここにあるよ」 街灯の明かりでも見えるように、手のひらにのせて差し出すと、千代は一瞬目を細めて何かつぶやいた。 何を言ったかわからなくて、聞き返す。千代は何も答えてくれず、ピアスごと僕の手をぎゅっと握りしめて、キスで僕の唇を塞いだ。 08.02.21 |