少年ロマンス
番外編/ソーダ水



 唯人の唇は甘い。
 佐々木千代は、最近になってその結論に達した。
 千代が日ごろ目にする高校生男子は、正直な話半数以上が野郎臭い。男臭いとでもいうのか、特に部活直後の運動部などは最悪だ。女子部は女子部で、制汗剤の甘ったるい匂いで酔いそうになる。
 それもあって、千代は運動部の部室棟には極力近づかないようにしている。
 話がそれたが、三ヶ月前に高校を卒業した彼女の恋人は、そういう一般的な認識の例外なのかもしれない。香水をつけているわけではない。課題に追われる美大生の彼は、週に二度ほど、実家のケーキ屋でウェイターとして働いた後、千代に会いにくるのだ。ほんのりと、バターとバニラの匂いをまとって。
 最近ようやく自然になってきたキスという行為のたびに、甘いなぁと思ってはいたのだ。気のせいかな、匂いのせいかな、と。
 よくキャンディを舐めているせいかしら。童顔で女顔で、どう見ても大学生には見えない外見のくせに、そんなところまで可愛らしいとはどういうことだ。

 もうすぐこの部屋を訪れる年下の恋人にそんな謎を抱きつつ、千代はマグカップを洗った。
 片付け終わったとき、タイミングを計っていたように、インターフォンが鳴る。
「こんにちはー」
 ドアをあけると、緊張した面持ちの唯人が立っていた。初夏の夕暮れの中自転車をこいできたせいで、額に汗が滲んでいた。小脇に画材が入った鞄を抱えている。もう片方の手には新作のケーキ。
 さすがに毎回ケーキを貰っても困るので(千代は甘いものがそう好きではない)、新作の試食でもない限り、気を使わなくていいと言ってある。
「いらっしゃい。どうぞ」
 お邪魔します、と入ってきた唯人は、キッチンの隅に画材を置くと、目ざとくに千代の指に巻かれたテープに気づいた。
「先生、怪我したんですか?」
「ん。ちょっと切った」
 紙で切り傷をつくるのは、よくあることだ。新作のケーキを見ようと、ケーキの箱を開けていた千代は軽く頷いた。

 唯人はそそっと側に近づいて、ちょんと千代の左手に触れた。なに、と視線だけで千代は問いかける。唯人は何かいいたげに千代を見つめていたけれど、ためらいがちに千代の肩をつかむと引き寄せた。
「……汗かいてる」
 千代の手のひらが触れた唯人のTシャツが、少し湿っていた。
「汗くさかったら、すいません」
 そんなことはなかった。彼は、いつもと同じ、ほんのり甘いお菓子の匂いがした。
 唯人の手が千代の頬を撫でて、ほんの少し上向ける。触れた唇はやはり甘くて、千代は舌先で味わうように撫でてみた。気のせいじゃない。
「甘い」
「んん? あ、さっきまでサイダー飲んでたからかな」
 千代は唯人の視線を追って、床に置かれた彼の鞄を見た。外側のネットポケットに入っているのは、よく見るソーダ水の500mlペットボトル。ほとんど空だった。
「好きなの?」
「炭酸好きなんです。コーラとかラムネとか」
 いつも自転車で移動するから、喉かわいて。

 そうか、いつもそういうものを飲んでいるのか。千代は普段、麦茶かウーロン茶を飲む。紅茶にも砂糖は入れない。あまり甘いものを口にしないからこそ、彼の唇の甘さにも気づいたのかもしれない。
 考えていると、耳元でささやかれた。
「……そんなに味わかりますか?」
 そうでもない、と答えて、千代は自分から唇を合わせた。
 唯人とのキス自体が、まるで砂糖菓子のように甘いのだ。味覚が勘違いしたって不思議じゃない。もしかしたら汗まで甘いのではないだろうか。そんな不埒なことを考える千代に気付かず、唯人は満面の笑みを浮かべて千代をぎゅっと抱きしめた。


(ソーダ水/END)
2007.2月の拍手御礼。

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